箕輪初心●群馬旧尾島①『新田館』=世良田総持寺

★『新田館』は、尾島町世良田850「総持寺」(国史)にある。  
旧尾島町は新田氏の始祖:新田義重がこの地を領有したことに
よる。総持寺境内が新田館であるという説が有力のようである。
新田義貞もここに住んでいたという説も有力説である。

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◆◆ 箕輪初心●群馬『新田義重を巡る旅』 ◆◆
  『寺尾=太田説&高崎説』 
http://53922401.at.webry.info/201102/article_29.html




■訪問日・・・平成22年(2010)5月30日(日) 
①総持寺の山門横の看板
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②総持寺本堂など
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新田館(★群馬県太田市世良田町)
 総持寺の寺域は早川の東、高台の地を占める現在は1ha余に
  過ぎないが、往時は数倍の館域であった。
南と北に東西に走る濠の痕跡が残存している。







◆◆ 新田館=総持寺の歴史 ◆◆ 
・保元2年(1157) 新田義重によって築かれ、新田宗家累代の
居館となった。 
 新田義重は、清和源氏嫡流の源義家三男義国の長子で、
 義重が新田氏を始祖となり、弟の義康が下野国足利を領
 して足利氏の祖となった。

・建久2年(1191)源頼朝の挙兵
 新田義重は、源義国の長男だから、源頼朝よりは源義家に
 近い。俺が嫡流だと思っていたらしい。
 寺尾で反抗した。
 寺尾説・・・①太田の寺井『新田之庄』という和食屋
②高崎の寺尾茶臼山城・・現地看板

◆◆ 箕輪初心●群馬『寺尾中城&茶臼山城』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_27.html
http://53922401.at.webry.info/201012/article_19.html


・建久4年(1193)源頼朝が那須野・三原の狩の帰途遊覧した
  (★『吾妻鏡』)
   新田館もここであると思われる
 (★『現地案内板』)・・・
   出典は山崎一氏の「群馬県古城塁祉の研究上巻P260」)
  

・鎌倉時代・・世良田は,新田の庄の経済文化の中心であった
  ★新田宗家の館はここにあったと考えられる。

・元弘3年(1333)北条高時は世良田に有徳の者多しとして莫大な
   軍資金を課し、使者を派遣して無法な「譴責」を加えた。
   新田義貞は
   わが館の辺を雑人の馬蹄にかけさせることこそ無念なり」
   と怒り、これを捕らえて一人は世良田の里に梟首した
   (★『太平記』)。
  ★「わが館」が総持寺であろう。

「出雲介近連を黒沼彦四郎入道を使として600貫の課役を
 5日の内に催促せしむ。義貞その館下を狼藉すると怒って
 出雲介を捕らえ、禁錮し、彦四郎を梟首の跡、今、村の
 東にあり。義貞の館の跡は今の総持寺の地なりと云ふ
 総持寺を館坊と云ふ。」
 (★『上野国志』)
★山崎一氏の「群馬県古城塁祉の研究上巻P260」

山本隆志先生の説「世良田今井館」=「新田義重館」
山本隆志先生は「新田義貞」(ミネルヴァ書房)の中で、
「新田義重館=世良田・今井」であると考えている。と
明言している。 山本隆志先生は根拠として、
①応永3年(1396)10月18日の日光輪王寺の般若心経奧書
に、「上野国新田庄今居千手堂如意山普門寺圓頓法界院」と
あり、今井に普門寺があったことが分かる。今と少し違う。
②江戸時代の世良田郷絵地図・・・「今井」長楽寺と総持寺
の間に注記されている。かつて、世良田の北~東に今井が
あった。・・・現総持寺が「新田館」である。






◆◆ 新田義貞の生まれた場所5説 ◆◆
新田義貞の生まれた所は大舘館を加え、5説あるらしい。
①高崎市榛名町の里見・・榛名町教育委員会・里見の郷
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②太田の台源氏館・・・旧太田市教育委員会
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③旧尾島の総持寺・・・山崎一氏「群馬県古城塁祉の研究」
④大舘館・・・・・・・群馬大学:尾崎喜左雄教授
  ★後日、紹介予定。
⑤旧尾島の明王院・・・都立大学:峰岸純夫先生の説
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  安養寺館=明王院
 ★峰岸純夫先生に「新田義貞はどこで生まれたのでしょうか?」
 と質問した。峰岸純夫先生は
 「明王院だと思います。」とおっしゃった。

 
 
◆◆ 箕輪初心●群馬『新田義貞の生家』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_40.html


・昭和初期  土塁の残存。
   周りに濠を巡らした豪族の館跡だった。

★新田義貞が倒幕の決意を固め鎌倉幕府の使者を切り捨て、
  幕府反逆の狼煙を挙げた歴史的・重要な史跡である。


◆◆ 太田市の歴史ガイドの説明 ◆◆
http://www.ota-kanko.jp/history/kunishiteishiseki.htm
総持寺は、新田館跡の一角に建てられた寺で、別名「館の坊」
とも呼ばれています。中世の二条の堀跡と掘立柱建物、井戸跡
などが検出され、居住者は、その規模から新田一族の総領家
クラスであることは間違いありません。新田義重の居館説、
義重の孫で本宗家新田政義の失脚後一時期新田氏を代表した
世良田頼氏居館説、義貞居館説などの諸説があります。
また、江戸時代には真言宗の学問所として三十六ヶ所もの
末寺等を有していました。



★明日は、世良田館かな?

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