箕輪初心■群馬倉渕の文化財&小栗上野介&温泉・酒

2月17日からは胃潰瘍の薬は20日分。2月25日の泌尿
器系検査となった。少量の酒許可&食事の制限解除は嬉しい。

高崎市Hpには、倉渕地区の文化財は31であった。しかし、
興味あるのは、①小栗上野介情報&東善寺和尚:村上泰賢先生
の動向、②倉渕の5城、③倉渕の文化財である。高崎市のHp
の文化財31の一部を紹介しようと思う。

【1】落合の道祖神
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○岩櫃城主:斉藤憲弘の築城の旧榛名町湯殿山城の下のトンネル
を越えると、500m程で旧倉渕村に入る。最初の信号右30m
の所にある。榛名神社・草津・信州街道の旧道にある。
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道祖神には「宝暦十辰天極月吉日中原村中」と刻まれている。
★宝暦10年(1760)の建立である。
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下のレリーフは、
①H極まりないポーズと見るか、
②夫婦和合のシンボルと見るか、
③中原地区が子宝に恵まれるよう望んだ営みととるか
④中原村への悪霊が入ってこないようにと見るか
・・・いずれかでなのであろう。

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★こんな怪しい?石も祀られている。



【2】榛名山座主の森
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1)墓
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 榛名山座主、快尊・忠尊・快承の墓といわれる塚である。鎌倉
末期と推定される板碑や五輪塔の一部が残されている。榛名山の
支配権をめぐる争いが、当時の南朝と北朝の勢力に二分され、南
朝方の快尊らは、北朝方の頼印と烏川沿岸で争い滅亡したという。
 (★高崎市Hより)
★何で、榛名山座主がここに来たのか不思議である。青面金剛も
あったのだ。

2)元享の板碑
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 元享二年の板碑一基と「葵巳七月三十日」と確認できる鎌倉期の
板碑一基がある。烏川流域地方では最古のクラスに入る板碑である。
もと、権田城跡付近から発見されたものでこの地域の土豪か在地武
士の供養碑と推定され、権田城築城主との関連が考えられる。
 (★高崎市Hp)
元享2年(1321)の鎌倉時代の作である。2基ある。
下仁田の緑泥片岩を利用していると思われる。

・青面金剛もあった。
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【3】権田栗毛終焉の地(伝)
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 熊谷次郎直実の愛馬権田栗毛は一ノ谷の戦いで傷つき、介抱され
て生地の権田に帰ったが、すでに生家は絶えてなかった。栗毛は主
人の許に帰ろうとしたが、途中土城谷戸で逆水を飲み遂に倒れた。
里人はここに馬頭観音を建てて葬った。生地にはお母衣明神がある。
 (★高崎市Hp)
★ 「くまがいそう」の方が興味があったが、倉渕に朝廷・あるいは
鎌倉武士の牧があったことになる。



【3】箕輪城主夫人:藤鶴姫の墓
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 永禄9年箕輪城落成の時、業政夫人藤鶴姫は家来と共に城を脱出
してきたが、途中で敵に囲まれ家来に防がせて一人逃れてきた。高野
谷戸の辺で「オーイ」と呼ぶ家来の声を敵と思い自害してしまった。
家来はこの地に墓を造り姫の霊を供養したという。
★実際は三の倉に入って100m。岸観光という旅行会社の先の
 右上の小さなお堂の裏に墓がある。
◆◆ 箕輪初心★箕輪城秘話「藤鶴姫」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_17.html


【4】全透院と栗崎城
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 延徳元年に木部新九郎が開基し、大永年間に大戸浦野氏が中興
開基となり堂宇を建立した。境内には由緒のある地蔵堂、庭園と
石垣がある。裏山一帯は栗崎城跡で全透院はその居館である。
木部氏のあとに浦野氏の居城となりのち北条氏の配下になった。
 (★高崎市Hp)
◆◆ 箕輪初心★群馬倉渕「三の倉城=栗崎城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_16.html




【5】小栗上野介忠順終焉の地
全透院・倉渕中央小学校を越えた信号を左折し、200m程。
橋の手前にある。
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 慶応4年閏4月5日、上野介と家臣3人は捕縛され何の取り調
べもなく、翌日水沼川原において斬首された。上野介42歳。終
焉の地には、「偉人小栗上野介罪なくして此所に斬らる」と刻ま
れた碑が、昭和7年地元の有志等によって建てられた。
合掌。通る度に車を停めて頭を垂れる。おいらの最も尊敬する
歴史人物だからである。



【5】マス池&洞窟観音
1)マス池
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2)洞窟観音・・・マス池の道反対にある。
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 水沼の痩尾根の沢にある。幅4m、高さ2m、奥行6mほど
の洞窟に3体の観音像が安置されている。正徳二年の銘がある。
伝承によれば、江戸時代この洞窟で賭博に耽り、刃傷ざたが多
く起こったので村の僧侶や名主、女衆が鎮魂と供養のために
建てたという。 (★高崎市Hp)


【6】観音山小栗邸跡・・。マス池の東の山
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 江戸から権田村に隠棲した上野介は、東善寺を仮住まいとし、
観音山に田畑と用水路を開発し、邸宅の普請をすすめた。しかし、
それも、西軍から「陣屋厳重に構え」と追討の口実となり、完成
には至らなかった。用水路は今も利用され屋敷跡には礎石が残さ
れている。
権田城&三の倉城の中間の出っ張りにあるのだ。流石、小栗。
息子又一にフランスの測量技術を生かして作図させた。
◆◆ 箕輪初心●群馬「大明神砦&観音山館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_15.html


【6】権田城跡&刀工上州権田住政重屋敷跡
1)権田城跡
 自然の地形を巧みに利用した不規則な珍しい形式の丘城である。
伝承では権田淡路守の居城といわれる。永禄年間武田氏が西上州
に侵入してきたとき、大戸浦野氏に支配された記録が残っている。
付近から鎌倉期の板碑や五輪塔などが発見されている。
なかなかの凄い城である。350m規模はでかい。
◆◆ 箕輪初心●群馬「権田城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_14.html

2)刀工上州権田住政重屋敷跡
 戦国時代から江戸末期までその系譜をもつ刀鍛冶である。
刀銘は古刀期から「政重」があり、江戸期に入ると「金重」の
銘も見える。権田政重の系譜を継ぐ蟻川若狭守は、北毛の鍛冶
職人を統括し、沼田の土岐市や川越の松平氏に仕えて鉄砲鍛冶
として活躍した。
市川光二先生の講演会&「まほろば」原稿にあったが、不明。


【7】池田屋旅館&権田館の間に「東善寺」
小栗上野介忠順の墓
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 幕末開明の人、上野介は遣米使節の後、勘定奉行などの要職に
つき、横須賀製鉄所の設立を初め日本の近代文化のために多くの
業績を残した。主戦論破れ権田に隠棲したが、「反逆の企て」あ
るとされ非業な最後を遂げた。東善寺境内に小栗上野介父子の
墓がある。(★高崎市Hp)
◆◆ 箕輪初心★群馬「小栗上野介」 ◆◆
⑭ http://53922401.at.webry.info/201212/article_18.html
③ http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html
 



【8】長井の道祖神&住居跡
 長井を通る街道は信州の旅人や草津入湯者で賑わった古い街道
である。その街道筋にあった道祖神で、元禄5年の元禄ひな型と、
おこそ頭巾を被ったものなど六体が集められている。おこそ頭巾
を被った双体神は優雅で「旅は道ずれ」風の微笑ましいものである。
 (★高崎市Hp)


【8】牧野酒造
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・関東酒造連盟かなんかで毎年優秀賞?
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「大盃」「榛名山」の酒&大吟醸の酒粕が旨い。
 2月下旬より、大吟醸の酒粕を販売する予定だそうである。



【9】倉渕温泉&亀沢温泉
1)倉渕温泉長寿の湯・・2回

2)亀沢温泉・・・・・・2回



【10】川浦の獅子舞
 諏訪神社に奉納する舞楽で4月20日の春祭に奉納されている。
諏訪神社は元和2年信州上田市在生島足島神社から勧請されたと
伝えられ舞歌の中に「キョウデウマレテイセソダチ」の歌がある
ことから関西から信濃をへて、この地に伝えられたと考えられる。
 (★高崎市Hp)

【11】はまゆう山荘

横須加・・・高崎市に返還。横須加の海軍カレーが旨い。
★1000mボーリングで天然温泉になった。


【12】角落山と大天狗=石宮
 角落山1382m頂上にある石宮である。「げん八二年九月吉日」
と紀年銘がある。角落山は古くから天狗信仰の山として麓の人々を
はじめ多くの人に崇められた。天保年間にこの付近から御用材の
ケヤキが大量に伐り出された。天狗にまつわる話が残っている。
 (★高崎市Hp


【13】 浅間神社の大かえで&百庚申&大明神山の砦跡
1)浅間神社境内の入口付近にあって、幹はやや北側に傾斜し、
1.3mの所で3本に分かれている。樹種はオオモミジで、樹高は
11m、目通り3.1m、根元廻り3.2mで県内でも屈指に入る大かえ
でである。

2)浅間神社の百庚申
 碑の四面に青面金剛像を百体浮き彫りにしている珍しいもので
ある。「寛政六年甲寅天六月如意日」の紀年銘がある。一面に
25体の像が刻まれて四面となる。数の多いことを吉とする風習
から造られたものであろう。村内の長井にも一本ずつ刻んだ百庚
申がある。 
(★高崎市Hp)
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3)大明神砦
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 戦国時代後期の築城で、真田昌幸が北条勢の吾妻
侵攻に備えて築かせたものであろう。本丸は烏川を望む断崖の上
にあり、狼煙台にも利用されていた。麓に浅間神社があり、戦国
時代には浅間寺があって、修験道大宝院がこの城の烽火師であった。
◆◆ 箕輪初心●群馬「大明神砦&観音山館 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201302/article_15.html



【13】天狗山の古城跡
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 (★東善寺正面の山)
大明神山の砦の南約500メートルの地点にあり、古城と呼
んでいる。頂上には天狗が祀られている。麓は前内出という地名
が残り、砦の範囲を示している。真田氏の築城と考えられ、大明
神山の砦と併せて、別城一廓である。東の麓には東善寺の前身の
寺跡がある。 (★高崎市Hp)


【14】姉妹観音
 小栗上野介家臣:塚本真彦の妻は
  ここで幼い子ども2人を水死させた。母は辛かっただろう。


【15】福祉センター&クラインガルテン&相間川温泉
1)福祉センター「せせらぎの湯」・・・0回

2)クラインガルテン・・・2回

3)相間川温泉・・・1回。62℃の源泉。
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 (★倉渕のパンフレットより)



【16】鑰掛城跡
 南は相間川に望む断崖絶壁の細い尾根に沿ってつくられた並
廓式の城である。この城は松井田方面からの進入を防ぐ要害城
で、岩櫃城主:斉藤憲弘が里見兵庫頭を破って、この地域を
占領した頃築城、後真田氏に属し天正17年頃に小田原勢に
攻略されたものであろう。
 (★高崎市Hp)


【17】水沼の獅子舞
 判官流佐々良獅子舞といい、400年の伝統をもつ。その昔
越後から伝わってきたといわれる。昔は相間、中尾の両地区で
祀る諏訪神社の獅子舞といわれていたが、いまでは水沼神社の
獅子舞となっている。毎年10月の水沼神社の宵祭りに奉納さ
れている。
 (★高崎市Hp)



★倉渕の文化財を概観してみた。これが全てではない。

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