城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心★箕輪城96【井伊直政家臣:岡本半介宣就】

<<   作成日時 : 2013/01/08 07:10   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

井伊達夫氏は、上野国富岡の岡本一族は箕輪城主:長野氏
と同じ在原業平の子孫:石上家系という。しかも、「岡本
半介宣就の甲冑には、長野氏と同じ家紋「檜扇」がある
というのだ。確かに長野氏系図16のうち、長野業政が
娘をくれた系図の記述があった。(★近藤義雄先生91歳
の講演会)いずれにしても、小幡信貞の家臣→北条氏政
の家臣→井伊直政の箕輪城時代に家臣になった。井伊家
の軍監役に出世し、3000石の家老になったのだ。

画像

 (★岡本半介宣就の鎧・・井伊達夫氏)


【1】 岡本一族の出自 
井伊博物館館長:井伊達夫氏の調べでは、
「在原業平の後胤:石上業遠(なりとう)とし、21代目が
岡本半介の父親である。岡本半介宣就の父親は熊井戸実業
と称し、はじめは上野国にいた。」とある。
(★赤備え:井伊達夫氏)

慶長19年(1614)9月27日 徳川家康は、織田信雄に小幡
2万石を与えた。寛永19年(1642)織田氏3代信昌は
熊井戸対馬守正満の屋敷跡に小幡陣屋を構えて、福島の
仮住いから移った。熊井戸氏は国峰城の小幡の一族であ
って、小幡宗家が国峰城に移った後、平時の館跡に熊井
戸氏が住んでいたのであろう。

(★山崎一氏・楽山園現地看板)
画像
   
しかし、長野氏系図16にうち、長野業政の娘婿の一
人に岡本の名前がある系図もある。(★近藤義雄氏)

井伊達夫氏の意見を考えると、いつ熊井戸姓から岡本姓に
変わったのか不明である。



長野氏も在原業平の後胤:石上氏が先祖で、1190年に上
野国に国司のbQ・bRの在地国史となった。鎌倉時代には
長野刑部丞という名前があることから、長野氏を名乗った。

(★久保田順一氏)

富岡の国峰城城主:小幡重貞(=→信貞→信実)は、長野業
政の長女を娶り、娘婿となった。しかし、永禄年間(1558〜)に
は、武田信玄と気脈を通じていたらしい。草津に湯治に行って
いる間に、長野業政は小幡重貞の従兄弟で長野業政の次女を娶
った宮崎城&神成城城主:小幡図書之介に国峰城を乗っ取らせ
た。ここで完全に小幡重貞は武田信玄の配下となった。



・永禄6年(1566)には、小幡重貞は武田信玄の手を借りて、国
峰城を奪還した。

(★関東古戦録)
画像


・永楽9年(1569)には,、箕輪城を落城させた。
 その後、実質4万石の武田信玄の家臣になった。
 名前も武田信玄の「信」をもらい、小幡信貞となった。
 武田24将:小幡信貞と呼ばれるようになった。
 
熊井戸実業=岡本実業は小幡信貞の家老である。
 現群馬県富岡市サファリパーク付近が最初から領地&城だったと私は
 考えている。しかし、山崎一氏の研究では、この付近の城はでて
 でてこない。サファリの開発で不明である。

画像

◆◆ 箕輪初心★小幡信貞 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201107/article_18.html





【2】岡本半介宣就の生涯
・天正2年(1576) 岡本半介が生まれる。
画像

・天正10年(1582) 10歳 長篠の戦い
赤備えの山県昌景&小幡信貞が戦死した。

岡本実業は子供の半介を伴って浪人した。
→北条氏政に仕えた。
画像

ここに上野国の上泉城&大胡城:上泉伊勢守信綱の子
 上泉常陸介秀胤がいた。岡本半介は小笠原氏隆流系
 上泉流の軍学&剣術?を学んだ。
■上泉秀胤 (1530〜1564)
 上泉秀綱の長男。上泉流軍法を大成。
 長野業政の死後、上泉信綱は秀胤を人質として小田原に送り
 こんだ。上泉秀胤は北条家に仕官した。
 しかし、1564年「国府台の戦い」で重傷を負い死去した。

■上泉泰種(泰綱) (15??〜1600)
 上泉秀胤の長男。室は北条氏忠の娘である。
 父:上泉秀胤が「第二次国府台の戦い」で討死した後に
 上泉の家督を相続した。
 ・天正18年(1590)「小田原の役」
  後・・・・→北条家が滅亡すると浪人になった。
 上杉景勝の家臣になった。直江兼続に仕えた。
 会津一刀流剣術の開祖となった。
 ・慶長5年(1600) 長谷堂城の戦いで戦死。

★このような情報を考えると、
 岡本半助は、上泉信綱の孫:上泉泰種
 (泰綱)に教わった
 可能性高い。何故なら、上泉秀胤が死んだ時、
 岡本半助は2歳なのだから・・・
 これで、井伊達夫先生の説疑問?





◆◆ 箕輪初心★「上泉城:上泉伊勢守信綱と子孫」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_23.html

・天正5年(1577)上泉信綱の嫡子:上泉秀胤の
 供養のために開山た。

・天正?年(????)上泉伊勢守信綱の孫=上泉常陸介秀胤
 の娘と結婚。=
画像

◆◆ 箕輪初心★「上泉伊勢守信綱の剣術放浪の旅」 ◆◆


→上泉常陸介秀胤の娘と離縁。

・天正18年(1590) 17歳 豊臣秀吉の小田原攻撃
→北条氏が滅亡。
岡本実業と岡本半介は信濃に隠れ住んだ。
※7月上旬 井伊直政が箕輪城に入城した。
井伊直政は人材を探していた。

・天正19年(1591) 18歳
岡本実業が井伊直政に呼ばれたが、岡本半介を
箕輪城に行かせた。
画像

・井伊直政は岡本半介に100石を与えた。
西郷伊予守正員の家臣の足軽に抜擢された。
ところが、岡本半介は上泉流軍学&大江軍礼を学んでいて
 字の読み書きができた。

・井伊直政はすぐに300石を与えた。

・井伊直政は岡本半介の上泉流軍学は井伊家の軍学に
   し、軍制を敷くことにしたのである
   井伊直政は計500石を与えた。
金母衣を許された。

・慶長5年(1600) 27歳 関ヶ原の戦い
島津義弘の徳川軍のど真ん中突破の時、
  井伊直政は島津義弘を追撃した。
   鉄砲の弾が井伊直政に当たった。この緊急時に
傍に追従した8騎のうちの1騎は岡本半介だった。
→500石加増で1000石になった。

・慶長6年(1601) 28歳
井伊直政は佐和山城に18万石で移封になった。
岡本半介は500石加増で1500石になった。
画像



・慶長7年(1602) 29歳
井伊直政(42歳)が鉄砲傷が元で死亡。
→岡本半介は井伊直継 や井伊直孝に忠勤に励んだ。
  彦根城にいた。
画像

・慶長19年(1614)41歳 大阪冬の陣
井伊直孝の力攻め・・
岡本半介「軍奉行:横地様は少しずつ後ろから
撤退しましょう。と言ったと横地の功にした。」
一族の岡本半右衛門を失った。

・元和元年(1615)42歳 大阪夏の陣
豊臣秀頼の自刃・・・
井伊直孝&岡本半介&宇津木次郎右衛門&
西村玄◆の4人が大坂城帯廓に入った。

岡本半介は1000石加増で、2500石になった。
軍監となった。

・寛永元年(1624) 二条城の修築の総奉行
岡本半介はみんなに嘲りにあった。
   ・粗末な服を着ていて貧乏くさい風采だった。
・小石しか用意しなかったように見えた。

@堀を掘るときに排水が問題となった。
   諸藩は必死に排水を行った。
   岡本半介は休むよう命じた。
   作業を再開。
  彦根藩の受け持ちの部分の水はもっと深く掘った藩に
  流れ排水されていた。簡単に掘り進めることが出来た。

  A小石はグリだった。基礎工事で地盤を固めて
  から大工事をやり遂げた。

 B諸藩が堀の底を平らにしているときに何もしなかった。
  幕府の目付に
 「これは甲州流で、敵が底を移動しにくいようにわざと底を
  デコボコにしてある。」と言った。
 →諸藩は空堀デコボコに直さねばならなくなった。

元和元年(1625)〜寛永年間
  ・江戸城の修築の総奉行&江戸詰めになった。

※徳川幕府は諸大名に天下普請を命じた。
 譜代筆頭格の井伊家も多くの普請に駆り出された。
 井伊直孝は無骨一辺倒で、御殿や社寺普請の知識を持つ家臣
 や伝手の少ない井伊家の作事は遅れがちであった。
 江戸城本丸の改修も井伊家の普請は未だ天井の梁が丸見えで
 あった。不安になった井伊家の侍たちは、普請奉行の岡本半
 介に伺いを立てた。
「お奉行、このままでは数日後の幕府検視に間に合いませぬ。
 よろしいので?」
岡本半介は
「うむ、これで良いのだ。」
家臣は
「それと、釘がだいぶ余っておりますが、これも、数えなくて
 良いのですか?」
※天下普請において、釘は徳川幕府を通じて買い、余った分は
 数えて幕府に返納し、差額を返金してもらうシステムになっ
ていた。
岡本半介は
「かまわん。余ったら、まとめて埋めてしまえ。」
家臣
「そ、それでは当家の損となりますが?・・」
岡本半介
「まあ見ておけ。わしに考えがある…」

検視当日・・・
井伊家の担当部署を訪れた幕府目付は当然、吹き抜けの
ままの天井を疑問に思った。
「岡本殿、この天井はいったいいつできあがりますか?」
岡本半介
「いや、近ごろ色々な風聞があり申す。よって天井は特に、
 裏までじっくり検分をいただかねば。」
幕府目付
「なるほど。先ごろの宇都宮の仕掛け天井とやらの噂を気に
 しての処置か。忠節の家は違うわい。」
「ところで、話は変わるが、井伊家には釘の返納が無いとか。
 本当によろしいのかな?」
岡本半介
「いかにも。当家の普請に、余る釘など一本もござらん。」
幕府目付
「むぅ。さすが武をもって知られる井伊家、城普請も無駄な
 く率が無い。それがし、感服仕った。それに比べて他家は
 …手を抜いているのではあるまいな?」

こうして他家でも、天井板を剥がして目付に見せねばならな
くなり、釘の返納が多かった家は手抜き工事を疑われ、普請を
やり直すことなったという。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?tag=%B2%AC%CB%DC%C8%BE%B2%F0

→岡本半介は3000石になった。

 趣味は、お茶・香道・和歌・連歌・絵画である。
嵯峨流の書。
号は「安分子」「喜庵」「無名老翁」である。
★まるで、宮本武蔵みたいである。

・寛永13年(1636)
韓国正使:任絖(イムグアン)に謝礼の詩を詠んでいる。
 韓国通信使一行が朝鮮に帰る時に、彦根藩家老:岡本半介が
 心情を詠んだ七言絶句の詩である。

・明暦3年(1657) 死亡。




◆◆ 2代目以降の岡本半介 ◆◆
●2代目:岡本織部宣興
○岡本半介宣元

○3代目:岡本半介宣正

○4代目:岡本半介宣秀

○5代目:岡本半介宣軌

○6代目:岡本半介宣安

・・・
・・・
※『半介』を名乗るには、藩主の口添えがないと
 貰えなかった
。(★井伊達夫氏)

【4】最後の岡本半介
○??代目 岡本半介宣迪(=黄石)。字は吉甫。
・文化8年(1812)11月21日=1月5日)
〜明治31年(1898)4月12日
 彦根家老:宇津木久純の4男である。
 彦根藩の家老職を継ぐ岡本氏の養子となって家督を継いだ。
 
・日米通商条約問題で大老にして彦根
  藩主・井伊直弼に外国との和議を停止
  し、攘夷に専念するべきことを進言し
  たが聞き入れられなかった。
→尊皇攘夷派であったため、開国派の井伊直弼と対立して
  罷免される。


・安政5年(1858) 井伊直弼が幕府大老に就任。
  長野主膳は朝廷工作に奔走した。
反幕府勢力の取締りを強化=安政の大獄の黒幕だった。

・万延元年(1860)桜田門外の変
井伊直弼がで暗殺された。
 岡本半介は子:井伊直憲に仕えた。
 藩政改革を輔佐。
 ・・・彦根藩存続のために藩論を勤王に
  転向させることに尽力した。

・文久2年(1862)江戸幕府により、井伊直弼の失政を問われ
 て彦根藩が減封された。
 →彦根藩家老:岡本半介の讒言により罪に問われた。、
井伊直弼の腹心:長野主膳(先祖は伊勢の長野氏)を
 四十九町の牢屋へ監禁し斬首遺骸打捨という極刑に処した。
 側用人:宇津木六之丞(★自分の本当の身内)も斬首した。
 
 幕府に対し、彦根藩が直弼派の勢力を一掃したことを明示し、
 藩体制を尊攘派に転換して危機を回避した。
 政情の変化に対応して藩政をリードした。
 徳川慶喜に過度に依存した。

・慶応2年(1866) 第2次長州戦争に出兵。
  彦名藩は大損害を蒙り、藩の評判をさらに失墜させた。
  ★鎧は一番はじめの写真である。

・慶応4年(1868)
王政復古
薩長との提携を重視した谷鉄臣や大東義徹など下級藩士
に彦根藩の主導権を奪われた。

・趣味・・漢詩
  中島棕隠・梁川星巌・大窪詩仏らとの交流があった。
  詩集に「黄石斎集」がある。

・明治31年(1898) 88歳で死去。

参考文献・・・赤備え:井伊達夫氏など
画像



★明日は、大胡城かな?

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
箕輪初心★箕輪城99【井伊直政家臣:石原主膳】
★石原主膳は@甲斐武田の家臣:山県鉄砲衆→A北条氏照 の加勢衆鉄砲衆B井伊直政旗奉行だった。つまり、 石原主膳は、岡本半介や宇津木泰繁と違い、1からのスタ ートではなかったのだ。最初から、井伊家の旗軍団の TOPクラスに抜擢されていたのだ。関ヶ原の戦いではbSだった。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/01/19 05:14
箕輪初心●山形【長谷堂城の戦い】直江兼続VS最上義光
★2008年5月6日、GW東北旅行の一貫で長谷堂城に行ってみた。 長谷堂城の大激戦。慶長5年(1600) 9月6日〜10月4日まで出羽 国(山形県)で行なわれた上杉景勝(西軍)VS最上義光・伊達政宗 (東軍)の戦いである。「東の関ヶ原」「奥羽の関ヶ原」とも呼ばれ ている。関ヶ原では9月15日の1日で決着がついていた。2週間 後に、西軍の敗北を知った上杉景勝の重臣:直江兼続は苦戦しなが らも最上義光勢の追撃を食い止めて全軍殆どの撤兵に成功し、米沢 →会津に戻った。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2013/07/09 05:13

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心★箕輪城96【井伊直政家臣:岡本半介宣就】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる