箕輪初心◆2013年スキー№1【宝台樹スキー】&【水上石倉城】

1月1日の宇都宮二荒山神社初詣の時、中ちゃんが、
「1月2日は宝台樹スキー場に用事がある。」と言った。
腰痛が心配だが、便乗させてもらうことにした。車の中で
年賀状も10枚書いた。何と、スキー場まで、道には雪が
なかった。帰りには水上IC近くの石倉城に寄った。

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【1】宝台樹スキー
4000円の食事券付きの割引券をを買った。
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絶好のコンディションであった。
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昼食は「そば定食」&日本酒だった。
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腰を気遣いながら、4時間で16本滑った。
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【2】水上の石倉城
水上道の駅から水上ICに向かった。水上ICの前を通り越し
国道291号線沿いに300m程の所にに建つ石倉城址入口の
標識がある。ここから20m入った住宅の裏手が城址である。
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①石倉城址の標柱・解説板と主郭。
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「150m×50m規模の単郭式城郭とある。」
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「文明10年(1478)平井城にあった関東管領上杉顕定が故郷の
越後との中継地として清水街道沿いに築いた城であると伝わる。
この頃、越後では顕定の弟で守護職であった上杉房能と守護代
長尾為景との抗争が続き、房能は敗死した。弟を討たれた顕定
は、その子憲房とともに白井、沼田を落とし、さらに為景を攻
めて一旦は越中に追い込んだが、永正七年(1510)に長森原で
戦死し、石倉城も運命を共にしたという。」



★「関東管領:上杉顕定が越後との中継地点として築いた城である
らしい。・・・長尾為景(上杉謙信の父)に殺され
た弟:上杉房能か?・・そして兄:上杉顕定は八海山の麓で、
長尾為景に殺された。兄:上杉顕定の養子?の上杉憲政は
1551年、北条氏邦に平井城を追われて、長尾景虎をたよった。

①通説では、越後へ逃亡。
②高崎市史では、沼田か水上へ
③新潟の某市史では、中之条へ
以外と石倉城が上杉憲政の逃亡地点かな?
なんて勝手に想像した。

永禄3年(1560)長尾景虎の第一次関東出兵。
永禄4年(1561)長尾景虎→上杉輝虎となり、関東管領を継承。


②主郭
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雪の上で分からない。
ウドの切り株があったので、現在は農地となっているらしい。
北は30m断崖だ。
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南は小さな川がある。
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東は湯桧曽川の大きな川である。
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東から西方面を見た。
単郭式の小規模な城であるが、結構、広い。
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「土塁がある。」とあったが、分からなかった。
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★明日は、??

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