箕輪初心★松尾芭蕉42松尾芭蕉の最後『上野&浅草~大坂』

①石原都知事は、尖閣諸島の海上からの調査をした。
②野田総理が、北朝鮮拉致問題に前向きな姿勢を見せた。
48歳の松尾芭蕉は再び江戸に戻った。『奧の細道』の
原稿が仕上がった。そこで、大阪で俳句の普及しよう
と旅に出た。伊賀上野の実家にも立ち寄った。墓参りも
したであろう。でも、大坂で具合が悪くなった。そして、
『 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 』と詠んだ。
4日後に亡くなった。享年50歳(満年齢)であった。
松尾芭蕉没後の8年後の元禄15年(1702)にやっと
『おくのほそ道』が刊行された。
「序章」月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也。

大坂の芭蕉関係の場所には残念ながら行っていない。
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 (★浅草寺五重の塔&スカイツリー)



◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉41【猿蓑&蜻蛉日記】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_2.html

元禄5年(1692)48歳
江戸に帰った。

『 花の雲 鐘は上野か 浅草か 』
★意味・・・まっ、いいか。

◆◆ 番外編:奧の寄り道【最近の上野&浅草】 ◆◆
【1】職員旅行:浅草&隅田川遊覧
平成17年(2017)7月28日
浅草(浅草寺&葵丸進)・・隅田川~~築地で寿司
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【2】善友会:浅草&上野
平成23年(2011)9月25日
明治神宮・江戸城・築地で寿司・浅草・上野・・
 スカイツリー遠望・・・★10月に登るぞ。予約完了。
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 浅草
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 勝海舟像・・・隅田川の東アサヒビール横
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 上野寛永寺
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 徳川慶喜の墓
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【3】個人旅行:上野の桜&ボストン美術館展
平成24年(2012)4月7日
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  ゴミの山だった。
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 ボストン美術館展
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元禄6年(1693)49歳
江戸に戻った芭蕉を待ち受けていたのは、
句会の出席以来・句会の審査員依頼である。
松尾芭蕉は過密スケジュールに疲れ果てた。
「来客謝絶」の紙と貼って、1ヶ月間交流を断った。
リラックスムードで肩の力を抜き自由な境地で
自然や人間に接していった。


『 秋近き 心の寄るや 四畳半 』
★意味・・・寂しげな秋の気配が漂うと、四畳半で語っている
  うちに互いの心がしんみり寄ってゆくなあ。

『 梅が香に のつと日の出る 山路かな 』
★意味・・早春の夜明け前、梅が香る山路の先に大きな
  赤い朝日がのうっと昇りはじめた。



元禄7年(1694)51歳
俳諧紀行文『おくのほそ道』が完成。
松尾芭蕉は練りに練って3年がかりで原稿をまとめ、
2年をかけて清書を行なった。初夏にやっと形になった。

★現代版では400字詰め原稿用紙50枚たらずである。

5月 
○江戸深川
 江戸を出発。
 西国の弟子達へ「軽み」を伝授する旅に出た。

○東海道・・

5月8日~
○伊賀上野
 お盆を迎えた。
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○奈良
『 菊の香や なにやら古き 仏達 』
★意味・・菊の香りがいっぱい漂っている秋の奈良。
 お寺には、古い仏様が安置されてるよ。
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9月 
大坂
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『 秋深き 隣は何を する人ぞ 』
★意味・・・  
※死の床に臥す直前に書いた句である。

大坂で病に伏した。

10月8日・・・死の4日前
 最期の句
『 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る 』
 ★意味・・旅先で病気になって、病のの床に伏しながら、
  私はなおも夢の中で見知らぬ冬の枯野を駆け回っている。
  
 ※辞世の句と言われているが、結果論である。
 「病中吟」との前詞があり、辞世とは当人も意識して
 いなかったという。
松尾芭蕉は病が癒えれば、初めて九州の地へ足を延ばす
  つもりだったらしい。



10月12日午後4時
大坂御堂筋の旅宿:花屋仁左衛門宅で客死。
  永眠。享年50歳。
 『奥の細道』の旅の5年後の元禄7(1694)だった。

松尾芭蕉が尊敬している偉大な先人達=西行、李白、杜甫ら
  と同様に、彼も旅の途中で果てたのだった。

    
●大阪市中央区久太郎町4丁目
 【芭蕉終焉の地】の石碑があるそうだ。


遺言は「私を木曽義仲公の側に葬って欲しい」。
 没した夜、弟子10名(去来、其角他)が亡骸を川舟に
 乗せ、淀川を上った。


10月13日義仲寺に到着。

10月14日夜,、門弟80人が見守る中、義仲の墓の隣に
 埋葬された。
 遺髪は旧友:服部土芳の手で故郷の伊賀に届けられ、
 松尾家の菩提寺:愛染院の「故郷塚」に納められた。



元禄15年(1702) 『おくのほそ道』が刊行。
★松尾芭蕉没後の8年目
「序章」 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
松尾芭蕉が詠んだ句は約900句。
茶の湯のような侘び・さびの境地
六感を働かせた表現である。
松尾芭蕉はいつしか『俳聖』と呼ばれるようになった。
伊賀上野城の【俳聖殿】・大坂にいつか行くぞ。  



◆◆ 松尾芭蕉の弟子 ◆◆
①蕉門十哲
 宝井其角・服部嵐雪・森川許六・向井去来・各務支考
 ・内藤丈草・杉山杉風・立花北枝・志太野坡・越智越人

②杉風・北枝・野坡・越人の代わりに河合曽良・広瀬惟然
  ・服部土芳・天野桃隣を入れる説もある。

③それ以外の弟子
万乎・野沢凡兆・蘆野資俊などがいる。
(★ウキペディアより編集)

   
 
松尾芭蕉の墓
 近江膳所(ぜぜ:滋賀県大津市)生前の遺言
 「(墓は)木曾殿の隣に」により、
 膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)にある木曾義仲の墓の隣
 に葬られた。 
 松尾芭蕉は木曽義仲の墓と芭蕉墓は隣り合わせなのだ。
 源義仲の大ファンだったのだ。
×2007年11月24日・・・彦根城&湖東三山巡り
   →墓は滋賀県膳所の義仲寺
「三井寺・膳所城など近くまでいったのに、知らなかっ
 たので、行けなかった。残念。」

(中山道69次を歩く・・・岸本豊著・信濃毎日新聞社)
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 (★写真は石山寺)



河合曾良の墓
  信濃の上諏訪町の正願寺に笈と文机、硯箱がある。
  (上諏訪駅南東甲州街道南東へ行き、
     貞松院から北西100m)
×「高島城・上原城・桑原城・間欠泉などには行っている
が、2009年8月8日まで、曾良が上諏訪出身だと知らな
かった。」

 (★信州の街道歩きP265・・今井金吾著・実業之日本社)
・宝永7年(1710) 壱岐で死亡。・・・本墓は壱岐
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 (★写真は高島城)


★明日からは、2012年夏の旅行シリーズとなる。

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