箕輪初心■富岡製糸場6-⑤「上毛カルタ&群馬の養蚕の歴史」

絹・生糸・製糸の起源は中国四川省から始まった。
今回は、群馬県における養蚕・絹の起源は古墳時代から
だと考えられる。シルクカントリー:群馬の『上毛カル
タ』には、9つの関連札があるのだ。

画像


◆◆ 絹・生糸・製糸の歴史 ◆◆
BC3,000~2,300年 中国浙江省呉興縣の遺跡から絹布出土。
BC1,500~1,000年 殷代の絹布や甲骨文が出土。
BC643年頃 周の金蚕等。
絹織物のタテ・ヨコ糸には撚りのない糸が
使われていた。
AD2C 蜀=繭の中にいる蚕の意味である。
    蜀は劉備元徳・諸葛亮孔明・関羽・張飛
    の故郷である。(※三国志)
    現在の四川省の成都にいた。
画像

AD3C 「魏志倭人伝」には、
    邪馬台国から魏に倭錦が贈られている。
繭から糸を作る技術があったと推測できる。
古墳時代 新羅の帰化人が編集した「日本書紀」には、
   「保食神(うけもちのかみ)のみまかれる際、眉の上
    に蚕を生じ、天照大神は、その繭(蚕)を口に含ん
    で絲をひくことをえた。これより初めて養蚕あり」
    という記述がある。
群馬県における養蚕の起源は、奈良時代であろうと言わ
 れているが、古墳文化と同時期の3C~7Cであろう。
百済や新羅の帰化人が持ち込んだと考えられる。
※ 群馬(上野国)では、甘楽に新羅の帰化人の増加した。

◆◆ 箕輪初心◆「群馬における韓国&韓国語」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_8.html
http://53922401.at.webry.info/201209/article_9.html

奈良時代 新田郡から貢納された黄絁一疋が正倉院に
大切に保管されている。
古典的な製糸が行われていた。
和銅7年(714) 上州から「絁絹(あしぎぬ)
   (上絹ではなく太絹。)上納」(★続日本紀)

古代上州の蚕業は、西国や畿内近辺の諸国に比べて
  伝播の時期も遅く、技術の水準のやや後進的であった?


平安時代 「延喜式」には、畿内を除く61ヶ国中48ヶ国が
  絹生産国として記録されている。
  ラングは上糸国、中糸国、麁糸国と区分されていた。
  上野国は麁糸国・絁(あしぎぬ)の貢納国であった。

   ※麁糸は、太糸の総称(本来は紬糸)である。
   ※絁は太絹のことである。
 (★日本絹の里『第4回企画展「製糸」図録』・ほかより編集)



◆◆ 上毛カルタと養蚕 ◆◆
1) 「歴史に名高い新田義貞」
・鎌倉時代  絹は上州の特産品  
  多野郡吉井町周辺の新羅帰化人の伝えた日野絹
  桐生大間々地方を産地とする仁田山絹。
   桐生市仁田山は、新田系里見一族の領地である。
・元弘3年(1333) 新田義貞が新田郡生品神社で旗揚げ
     したときの軍旗に仁田山絹を使用(伝)。


・慶長5年(1600)  徳川家康もが関ヶ原の戦で、仁田山
  絹の軍旗を押し立てた(伝)。

 ★箕輪初心私見「栃木の小山評定後、注文。
   徳川は新田の子孫の関係からであろう。」

画像




2) 「縁起だるまの少林山」  
・江戸時代・・・水戸黄門の寄進もあった少林山:達磨寺  
 高崎市にある黄檗宗少林山は、1月6日の星祭りには、
 張り子の「だるま」を売る店・参詣人でにぎわう。
元々は、高崎市豊岡の農家の副業として発展した。
 正月のダルマ市は前橋市や藤岡市など県内各地で開かれる。
 群馬県は、だるまは全国の90%を生産している。
 養蚕農家は養蚕倍増や豊蚕祈願などと書いてある目を
 入れてない目無しダルマを買って神棚などに奉った。
 願いが叶ったとき、年の暮れに右目を入れて奉納した。
 今では、一月の道祖神祭りで燃やすようになった。
 ダルマは起き上がりこぼしである。蚕の齢眠の「起き」と
 上蔟の「上がる」にちなんで豊蚕を願ったものと言われている。

画像

画像



3) 「老農:船津伝次平」
画像
 
・天保4年(1833) (現前橋市)富士見村原野郷の農家・
   寺子屋の生。
・青年時代から農事に励む。
・赤城山に松3万本植林。
・安政5年(1858) 富士見村の名主。
・明治6年(1873) 「太陽暦耕作宇一覧」の発刊
     (前年に太陰暦から太陽暦に変換)

・明治10年(1877) 東京駒場農学校(現東京大学農学部)教師
・明治18年(1885) 内務省ご用掛・勧農事務取扱
・農商務省農事試験場技師として沖縄県以外の全国行脚。
  改良指導・農業講演会・・・木魚でチョボクレ節で講義。
・農業研究・・・・静岡県の石垣イチゴなどの発案者。
「桑苗簾伏方法 船津伝次平口授刊 熊谷県蔵 」
 ※船津伝次平翁は養蚕に関わる札といえる。

 飢えと貧困に苦しむ農民のために努力  
・明治31年(1905) 郷里の富士見村で死亡。   
画像

画像

画像



◆◆ 箕輪初心★「老農:船津伝次兵衛」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_11.html


4) 「繭と生糸は日本一」
・ 明治以降、繭の生産量は全国2位(長野県1位)である。
・昭和29年以降は全国1位の生産量である。
  生糸の生産量も全国1位である。
  全国の繭生産量の45%、
  生糸生産量の50%が群馬県産である。(平成18年)。


5) 「県都前橋生糸の町」
・安政6年(1857) 横浜港が開港されると、輸出の商品と
 して生糸をもって一番乗りしたのが、前橋の生糸商人だ。
 前橋藩は、藩をあげて蚕糸に力を注ぎ、我が国初の製糸の
 機械化に取り組んだ。
  旧前橋藩士速水堅曹、深沢雄象らによって設立され、
 下村善太郎(後に初代前橋市長)から仲介役として
 吾妻郡嬬恋村出身の中居屋重兵衛が外国商人と取引をした。


6) 「桐生は日本の機どころ」
・慶長5年(1600) 関ヶ原の役 小山の徳川軍に旗絹を献上
 したことがきっかけ(伝)で、桐生の織物が有名になった。

・元文期(1736~) 江戸在住の京西陣の大工により西陣織
 の技法が伝えられ、江戸からの注文が飛躍的に増加した。
 →桐生の絹織物は「西の西陣、東の桐生」といわれるように
 なった。
 ※桐生新町では年に一回市が開かれ、繭や生糸と織物との
 取引された。勢多郡・大間々の養蚕地帯を持っていたことも
 織物産業が栄える大要因であった。



7) 「 銘仙織り出す伊勢崎市」
  ※元々絣を始めたのは、インド→タイ→インドネシア
    →日本の琉球と伝来。
 木綿は伊予、久留米、備後。 
   絹は琉球、結城、大島。
   麻は越後、小千谷、能登。
 養蚕の盛んな伊勢崎は絹の絣が織られた。
 特に、伊勢崎では伊勢崎絣(かすり)と呼ばれ、有名になった。
 伊勢崎絣は経糸が多く緻密なので、「目専」「目千」とも言われ、
 「銘仙」の語源になった?
 そして、余った生糸やくず糸を使った普段着用の着物を織る
 ようになった。
 銘仙には、絣の技法が用いられた。
・文政の頃(1818~) 伊勢崎銘仙が始まる。
  銘仙は絹織の太い練り糸で織られた織物=太織(ふとり)
  である。
 太織は江戸での人気商品となり、商品として需要が急速に
  高まった。
 伊勢崎、秩父、足利、結城、八王子等でも絣の着物は盛んに
  生産された。
・明治   「素朴な模様」から「絣模様」へと発展。
・昭和30年頃まで  伊勢崎銘仙が業界をリード。
・現在   斬新な伊勢崎絣へと変化・発展中。




8) 「日本で最初の富岡製糸」 

◆◆ 箕輪初心■富岡製糸場①「世界遺産登録への疑問点」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_24.html

◆◆ 箕輪初心■富岡製糸場②「5回目の訪問」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_25.html

◆◆ 箕輪初心■富岡製糸場③「富岡製糸場&県立博物館」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_26.html

◆◆ 箕輪初心■富岡製糸場④「群馬の養蚕スポット」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_27.html


9) 「関東と信越つなぐ高崎市」
幕末から明治中頃まで群馬県方面からの輸送は、利根川
 水運が使われていた。生糸や絹は中山道沿いの利根川の
 支流烏川が倉賀野河岸から川船に載せられ、江戸(東京)
 や横浜港に運ばれた。加部安兵衛も一翼をになった。
 
・明治5年(1872) 我が国最初の鉄道として、「新橋~横浜間」
  が開通。  
  (群馬出身の生糸商人:茂木惣兵衛などが活躍。)
・明治17年(1884)  最初の私鉄「上野~高崎間」
 (現在の高崎線)が開通。
 日本鉄道:高崎線は、生糸輸送を目的とする路線であった。
 前橋まで開通した鉄道は長さ108km、
  工費約350万円。(百数十億円)
・明治20年頃~ 現在の両毛線、上信電鉄、八高線、信越線と
 全国に先駆けて整備内陸にも鉄道が敷設され、生糸の輸送体
 系が変化してきた。
 →新シルクロードとして繭と生糸・絹織物を運び続け、
 群馬県の近代化を支えた。
・明治41年(1908)  絹の道「高崎~横浜」に平行する横浜鉄道の
  開通は生糸輸送網の変化には対応できなかった。




◆◆ 群馬の養蚕に関連する人物 ◆◆
■上州の生糸業者
●中居屋重兵衞
(嬬恋村三原から万座温泉方面に100m登った場所。蕎麦屋)
・文政3年(1820) 黒岩撰之助(せんのすけ)が生まれた。
・天保11年(1840) 和泉屋善兵衛の元で火薬の研究。
   川本・シーボルトに師事。
・安政2年(1855) 火薬の専門書「砲薬新書」を出版。

・安政6年(1859) 横浜港開港・外国商人との高品質の上州
   生糸の貿易を半ば独占。
  莫大な利益を上げ、横浜本町四丁目に銅御殿を建設。
  銅御殿は間口30間(55m)も住宅兼店舗。
 ※幕末期に、横浜の黎明期の生糸貿易取引量は全輸出生糸の
  過半独占。
 全国各地の商人が生糸を持ち込み、外国商人が生糸買付け
  に訪れた(伝)。
・文久2年(1862) 横浜発展の礎を築いた人物であり、
   5年で消息不明?
  水戸藩と仲良しだったせいか、井伊直弼謀殺説もあるが、
   真相は不明。・・・ピストル20挺を水戸浪士に提供。
・文久2年(1862) 「横浜開港見聞誌」
   ・中居屋の店の様子について掲載。
 金網を張った中庭に小鳥を放ち、座敷の廻りにはガラス張り
  の大きな水槽を置き、金魚を泳がせていた。
※ 中居屋重兵衛住居跡・・・
  横浜みなとみらい線「日本大通り駅」下車、
  徒歩約10分本町2丁目。記念碑。

◆◆ 箕輪初心★「中居屋重兵衛」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html




●下村善太郎(初代前橋市長)
・前橋の生糸商。質の良くないのし糸取引で蓄財。
  横浜開港後は中居屋重兵衛たちの手を通して生糸を売り、
   莫大な利益を上げた。
※下村善太郎の墓(市史跡) 前橋市紅雲町二丁目8-15 龍海院
前橋市役所前に大きな銅像がある。

●茂木惣兵衛=大黒屋(高崎市出身)。
・文政10(1827)年初代茂木惣兵衛は上州高崎に生まれ。
・安政6年(1859) 横浜開港  横浜の野沢屋で働く。
・文久元年(1861)野沢庄三郎の逝去→野沢屋の暖簾を継承。
・安政6年(1859) 横浜港開港  
         初代茂木惣兵衛は生糸売込商に転身。
        地縁・血縁で上州糸を集めて財を蓄積。
   初代茂木惣兵衛は横浜関内の弁天通り4丁目に店を建設。
          有力生糸商人として成長。
 横浜商人の代表に。「西の伊藤忠兵衛、東の茂木惣兵衛」
  と称された。
 ハマの経済界で幅広く活躍・・
      茂木銀行(後の七十四銀行)も設立。
 ハマ政界でも活躍。横浜の鉄道や港湾施設など
      インフラ整備に大きな成果。    
 ハマ慈善事業でも活躍。・・
・明治27年8月28日「時事新報」・逝去の際も、彼の遺志に
  より簡略な葬儀を行った。
  横浜近辺の貧民5,000人に対し施米50銭が配布。
 茂木惣兵衛は2代目、3代目と継承。
   積極的に経営の多角化を推進。
   総合商社化した合名会社。
・大正9年(1920)経済恐慌。→会社閉鎖
   →デパート「野沢屋」として継承。    
・現在  野沢屋の建物は「横浜松坂屋」
      (現在横浜市認定歴史的建造物)。
                   

●吉田幸兵衛(群馬県桐生市大間々町出身)  
・天保7年(1836) 大間々町に生まれ。
・安政元年(1854)から地域の糸繭商。
・横浜開港(1859) 生糸が高値で売れる横浜へ出荷。
・万延元年(1860) 福島県方面まで生糸集荷。
       →外国商館に大量に売り込み。(売込商)
・文久2年(1862) 生糸売込商「吉村屋幸兵衛店」を
   横浜弁天通4丁目に開店。
    川越藩の生糸専売権利を獲得。
    前橋藩の生糸専売権利を獲得。
    上州の生糸商人たちが吉村屋に生糸を出荷。                 
→吉村屋は横浜有数の売込商に成長。
・明治9年(1876)  日本からの生糸輸出量の15%を扱う大商人に
  成長。
・明治12年(1879) 渋沢商会の乗っ取り?
   →生糸集荷流通経路断絶?
  →吉村屋を突然閉店。
   ※墓は横浜の総持寺。
  

●中里忠兵衛(児玉郡出身) 
  群馬県の鬼石で呉服商→開港後に横浜に進出。

●左右田(そうだ)金作・・・
  開港後に横浜に進出。銀行設立。
    →鬼石の「不動堂」に梵鐘を寄付。


○加部安左衛門
◆◆ 箕輪初心★「加部安左衛門」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201203/article_26.html



2)武州の生糸業者
●原善三郎(現埼玉県神川町渡瀬)出身。
 ※横浜本町3丁目に「亀屋」を開店。屈指の豪商に発展。
  ハマ政界でも活躍。・・
  横浜の鉄道や港湾施設などインフラ整備に大きな成果。
          (横浜初代市長→貴族院議員へ。
●原富太郎(善三郎の孫と結婚)・・海外進出。
   富岡製糸工場譲渡。→三渓園。


3)信州の生糸商人
●林国蔵
●小野光景(みつかげ・長野県辰野町出身)
  教育に貢献・・・横浜市立横浜商業高校(通称Y校)の創建者?


4)甲州の生糸商人
●若尾幾造
  横浜銀行のルーツ第二国立銀行と第七十四国立銀行で、
   生糸貿易のために設立。
①第二国立銀行は原善三郎、茂木惣兵衛、吉田幸兵衛らが設立。
②第七十四銀行は、薮塚出身の伏島近蔵が初代頭取。
第七十四銀行が破綻後、赤堀出身の斎藤虎五郎が再建。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 箕輪初心◆神奈川『横浜開港物語』

    Excerpt: ★私の横浜開港の歴史散策の目的は ①横浜開港~明治時代の横浜の歴史の理解を深めること。 ②日米和親条約締結場所に行くこと。 ③群馬県嬬恋村出身の中居屋重兵衞宅を探すこと。 ④群馬の養蚕・富岡製.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2012-10-10 07:52
  • 箕輪初心◆神奈川『横浜開港』

    Excerpt: 横浜開港の歴史 ★私の横浜開港の歴史散策の目的は ①横浜開港~明治時代の横浜の歴史の理解を深めること。 ②日米和親条約締結場所に行くこと。 ③群馬県嬬恋村出身の中居屋重兵衞宅を探すこと。 ④.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2012-10-10 07:59
  • 箕輪初心★群馬『田島弥平宅』=世界遺産候補

    Excerpt: ★通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、 文久3年(1863)に建てた主屋兼蚕室です。間口約25m、 奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋 根が付けられまし.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2013-03-27 19:00
  • 箕輪初心★旧高崎の偉人伝:近代編

    Excerpt: ★旧高崎地区は「中曽根康弘」など大物政治家が多い。 ★吉永哲朗著「高崎偉人伝」の近代には、①宮部襄、②矢島八郎、 ①内村鑑三、④原口鶴子、⑤茂木惣兵衛、⑥深井英五、 ⑦桃中軒雲右衞門、⑧井上保三.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2013-11-04 10:49