箕輪初心●箕輪城№81「大塚實氏&里見繁美氏の講演会」

★「日本vsイラク」・・サッカーの試合は魅力的だった。
しかし、私にとってのイラクは平成2年(1990)湾岸戦争だ。
弟の会社はイラクでサダム・フセインの依頼でコンビナート
を造っていた。弟はフセイン石油相と3回食事をしたとか。
弟の会社などが頑張っているので、石油の値段がこれで
おさまっているといっても過言ではない。パイプラインが
ペルシャ湾まで200mという場所で、フセインのクウェート
侵攻が始まった。弟達は8月2日~12月11日の帰国まで
3ヶ月以上の軟禁が続いた。会社の同僚を助けようとイラ
クで奔走したのだった。電話も繋がらなかった。
翌年、1月10日?国連が攻撃を開始した。

里見繁美:大東文化大学教授の講演は、
実に楽しかった。「里見氏・長野氏・石井氏」が結びつけたのだ。

画像

 (★この冊子に里見繁美氏も執筆している)


7月7日【土】 箕輪城17:30~18:00
画像


7月15日(日)箕輪城12:30~18:00
ボランティア
①横浜市緑区の男性1人
②久喜市の男性1人
③松本市の男性1人


8月9日 箕輪城・・・岡田会長・清水さん・永井さん
1)秋本先生の草刈り
2)縄張りと家老の配置 10の家老
2)諏訪神社の前の水堀と土手
3)群馬とハングル語
4)ボランティア
 ①渋川の方
 ②横浜の方     
画像

 ★クラブツーリズムのパンフレット・・・
  見所20って書いてある。
  ・・・きっと、私のブログのコピーだね。
  使うのなら、ブログに書き込みして下さいな。

  
画像


8月11日箕輪城・・・岡田会長

8月13日 箕輪城・・・
ボランティア 
①鎌田の方

8月14日箕輪城・・・岡田会長
画像


8月15日 箕輪城
 箕輪城の発掘の第一人者の秋本太郎先生や
 文化財保護課の角田さんが草刈りをしてるのだ。

画像



8月16日 箕輪城・・・岡田会長
8月26日 箕輪城・・・岡田会長

8月28日箕輪城
 旧群馬町・旧箕郷町の文化財パトロール「小林さん」
34年間・・ 棟高在住

※胸形神社=福岡の宗像神社の末社ではないだろうか?
俺・・・白村江の戦いで敗戦
3つの応援軍・・・1つは上毛野君だった。
大和政権は太宰府の防備のため、
防人を課した。
従って、胸形神社=福岡の宗像神社の末社
    になったのかもしれません。
    
防人は、博多湾沿岸・下関・宗像神社~平戸まで
の防備。大野城~水城~きい城
754年前に 国分寺創建前に、胸形神社が造られた
可能性があるかもしれません。

戦国時代・・・箕輪城の砦の一つでした。

8月29日 箕輪城・・・

9月1日 箕輪城・・・岡田会長

9月2日 箕輪城・・・岡田会長

9月8日 箕輪城・・・岡田会長
 曼珠沙華が咲き始めた。
 城山ライオンズクラブの方々の世話による。
画像

画像


9月9日 箕輪城・・・岡田会長
搦め手口
 安田家の人々の墓

 石川家の人々の墓・・・搦め手口
画像

 箕輪城の土地は石川一族や安田一族の田畑
 が多かった。い国史のため、国に土地を多く提供
 したのだ。19ha中の多くを・・・

 岡田会長ボランティア
画像


<

span style="background:#f30">◆◆ 第10回里見の郷講演会 ◆◆
・中嶋 講二氏に先に挨拶をいただいてしまった。
 若輩なのに、ごめんなさい。
 「里見の郷再発見伝」の発行者である。
 裏方になることが多いようだが、本屋さんであり、 
 郷土史家である。こだわりの郷土史も多数売っている。
 Hpもすばらしいのだ。 
 時々、話をさせていただくこともある。
・箕輪城語り部の会メンバーは6人か?
 会長:岡田氏・・・大塚實氏を紹介したのだ。
 副会長:福島氏・・・塚越氏・
・同僚の義理の兄もいらっしゃった。  
・大井田一族系の井田本家の方もいた。


【1】 『長野氏について』大塚實氏(高崎市文化財調査員)
○はじめに  専門家が多い中で
①長野業政の先祖
  伊勢物語の主人公
  江戸・・・業平駅→スカイツリー駅に変更
群馬・・・青木の庄(高崎市箕郷町青木)の支配者

②布留=住まいの話
★奈良の「石上神宮」の話はなかった。
 井野川=布留川 御布留(現浜川公園
布留山石上寺・・・箕郷→高崎NTT→三ツ寺公園

③箕輪城&鷹留城
埋門が通路

④長野氏は、藤岡の平井城:上杉家の執事
3代続く

⑤館山旅行1泊2日・・

⑥長野氏の水田開発
長野堰・早瀬川・祭戸用水


⑦武田信玄の箕輪城攻撃&上泉秀綱

⑧長野業盛&子孫

⑨滋賀県彦根の長野屋敷=某高校

⑩信玄塚

○まとめ



【2】 『里見氏&長野氏&石井氏』
 里見繁美氏(熊本大学助教授→大東文化大学教授)

非常にユニークな論理に、「素晴らしい」と思った。
結果から述べよう。実に美しい論理構成であった。
「う~ん、刺激的って感じ・・・、感動する。
推理小説でも聞いているようだった。
私も少しは知識があるので、疑問点はいくつかあったが、
論理構成の素晴らしさは、自分にガンガン伝わってきた。
面白過ぎる。里見繁美氏は偉大だった。6ヶ月で、都合の
よい資料を繋げる感覚は、先生に遠く及ばない。」

聞きながら、論理性の面白さ=資料活用の仕方
 ○まるで、徳川家康の新田系子孫の捏造のようだった。
○まるで、縄文土器の幾つかのかけらをさもあったよ
  うに壺などにかえる妖しい操作に似ていると思った。




◆◆ 里見繁美氏の論理構成の骨子 ◆◆ 
○はじめに 
熊本→東京へ  6年間、里見の郷に関与
2月~8月 長野一族&里見一族の関係を
調べた。
間違っているかもしれません。
資料が少ないので・・・。

①長野業政は長男:吉業が死んだ。
 長野業政には12人の娘がいたが、男の子はいなく
 なった。
②長野業政は養子として、2男:里見義樹(里見義光
 の子)を迎えた。・・しかも、
 系図①安房里見の実堯→義堯→義弘の弟:義樹
長野業政の嫡子:長野吉業=福田吉業(菅谷)・・死亡
長野業政の養子:里見義樹が成立した。
長年寺系図
画像
  
画像

  長野正弘氏の系図
画像

  里見義樹系図
画像

画像


③里見義光の娘と結婚=妾とし、3男:長野氏業=業盛を
 産んだ。(系図は長野正弘氏蔵・・・上記掲載)
 長野業政の次男:長野氏業=義盛が産まれた。


④養子の里見義樹(長野義樹)は、長野業盛が生まれたので、
 一時、養子を離れ、前橋市旧富士見村に、石井城を築城し
 住んだ。
 里の青柳・木暮・小沢を家臣とした。

⑤石井左京太夫讃岐守信房・・鷹留城主に抜擢した。

画像

 ※里見義樹→長野義樹→石井義樹?・・
  →石井左京太夫讃岐守信房と名乗った。
石井左京太夫讃岐守信房・・勢多郡旧富士見村石井
 
 青柳金王丸忠家…・・・勢多郡現前橋市青柳村
木暮丹後守直政・・・・勢多郡現前橋市木暮村
小沢治郎兵衛亮信縄・・勢多郡現前橋市小沢村
などを、家臣とし、箕輪城に
 永禄3年(1560)に行った。

※里見繁美氏は、近藤義雄氏の考えを否定した。
画像

近藤先生の「箕郷町誌P989」家臣一覧表2つ
近藤先生「石井信房を鷹留城主にしていること、
青柳・木暮・小沢を重用しているのが疑問である。」
と書いているが・・・。
「石井信房を懸念していて、信憑性に欠ける。
これは、里見義樹は長野業政の妻の甥に当たる
ので、石井信房が身内であった証拠である。」
と述べた。
画像

画像

里見繁美先生の解説文
画像


資料・・・
【0】メインになる人物
里見城      箕輪城     仁田山
里見義光   長野業政   里見家連

房総:久留里城

・天文15年(1546) 長野吉業没 川越の合戦
・天文18年(1549) 里見義光没 三寺尾の合戦
・天文20年(1551) 長野信業没 
     石井信房が鷹留城へ
・永禄元年(1558) 石井信房が鷹留城主
・永禄3年(1560) 里見義尭が長尾景虎に越山要請
・永禄4年(1561) 長野業成没 
・永禄6年(1563) 石井信房没 
・永禄9年(1566) 箕輪城落城



【1】長野氏系図・・箕郷町誌・高崎市史
・里見城・・・里見河内守義光→里見河内守義弘
・箕輪城・・・長野業政
・仁田山城・・・里見家家連



【2】箕輪城の上級武士・・・・近藤義雄
   箕輪城落城の戦死者一覧・・近藤義雄
 箕輪城落城後の長野氏・・久保田順一


【3】新田家・里見家の系図
石井氏の系図・・・箕郷町誌


【4】長野氏系図
①長年寺の系図
②長野正弘氏の系図


【5】旧榛名町の城





◆◆ 里見繁美氏の論理の疑問点 ◆◆
1)里見河内守は誰か?
※長野正弘氏の系図・・高崎市史②
「長野氏業=(長野業盛)・・母は里見河内守娘
              信玄御内 ・・・」
●里見繁美氏・・・里見河内守義光&里見河内守義弘
※里見義成氏・・・永禄7年(1564)に仁田山から来た
里見河内守宗義だ。
河内守は、榛名町の里見義光・義弘の証拠がない。
 でも、里見義成氏の『里見氏』の考えを否定した。


里見7代:義連・・・
長男:元義・・8代里見郷
次男:里見胤幸
3男:氏連(仁田山城へ)・・・


2)高津戸城(要害山城)と仁田山城
★実は、里見義成著の「氏連は仁田山城へ」が違ってい
 るのだ。
大間々の高津戸城=要害山城
桐生川内の仁田山城は別なのだ。
★里見繁美氏も里見一族の城:仁田山は大間々の
要害山城=高津戸城と思い込んだのである。
現地確認に行っていないので、間違えるはずである。
城廻り好きの私でさえも5年間、同じと思っていたのだ。
富岡武蔵氏の指摘で解ったのだ。
※中世の里見の城は大間々・桐生に8=10城か?
①元大間々町・・要害山城=高津戸城・小平城他
里見家連の時代だった。
二階堂氏の支配下だった。
画像

◆◆ 箕輪初心●「高津戸城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_45.html

②桐生・・・・・仁田山城の他4~5砦
里見河内守宗義・・・子は里見義宗
桐生国縄の家老になった。
画像

画像

画像

◆◆ 箕輪初心●「仁田山城」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201205/article_16.html



3)安房里見義樹はホントに養子だったのだろうか?
●里見実堯→里見義胤→?男:里見義樹
里見繁美氏は、武将名鑑の系図を使用した。
★里見義成氏は、里見実堯→里見義胤は叔父・甥の関係
 で、相続争いをした。
※南総里見八犬伝でも、・・・?
里見義樹が養子に入った根拠は?
疑問である。安房の里見からの養子ですか?


4)長野氏業=業盛はだれの子か?
長野系図は16ある。母の名は2つの系図である。
①長年寺の系図・・・・・・・・・氏業は保渡田腹
②長野正弘氏蔵の系図・・・氏業の母は「里見河内守」
③石井泰太郎氏の系図・・・業盛
                 義樹(養子 信房)石井讃岐守
●里見義樹→長野業政養子:長野義樹
 長野業政の子:氏業=業盛が産まれた。
ほかの14の系図は、氏業=業盛の母の表示はない。


5)石井信房は何者か?
※近藤先生は・・・「石井は誰だ?と言っている
●里見繁美先生・・・
 里見義樹=長野義樹=石井信房だ。
 根拠は石井氏祖先墓誌銘の記述である。
「・・・・    (後日)・・・・・。」
★さあ、石井家はどうなのであろうか?
でも、石井家の墓碑は新しい。
文面の中に、2つ疑問点がある。
①天文20年(1551)2月、石井信房は長野家に戻り、
鷹留城領の室田・三の倉・権田・上里見・水沼・川浦・
大柏木などを領地とし、左京太夫となる。
永禄3年(1660) 長尾景虎の関東幕注文では、
大柏木は羽田某(羽田孜元総理大臣先祖)が
長野業政と同じ旗印で、出撃している。また、
大戸氏も同じ旗印で、出撃している。権田城は
大戸氏の息子:大戸三楽斎(齋藤憲広の娘が妻)
の支配地なので、変?

 (出典:関東幕注文)
②永禄6年(1663)、武田信玄の鷹留城攻撃で、
石井信房戦死・・・・
この年、岩櫃城は真田幸隆にせめ落とされた。
真田幸隆は、大戸を支配下に置き、大戸氏分家
の浦野氏や富澤氏の攻撃した。
長野某以下80名を~~~思い出せない。
すると、長野某=石井信房となるので、変?



里見繁美氏のジグソーパズル的論理構成である。
で系図が16もある中に、石井家が出て来ていることに
不思議に思っていた。重要視してなかったからである。
でも、今回は里見繁美氏は使用していた。

いずれにせよ、「里見・長野・石井」が繋がった。
論理の展開が斬新で、里見繁美氏を尊敬しちゃう。

僅かなデータから里見一族は、長野一族と
信頼関係=強いパイプをもち、武田信玄に対応した
ことも見えてきた。



画像

6)我が家の家系はごみなのか?
犬の血統書並みに、盛り上がる変な歴史観
「源氏の本家・亜流・新田・里見・大井田・・・
嫡流思想&変な人権差別の源流~~~。
未だに続く尊卑分脈・・・差別の恩賞?
でも、新田一族・里見一族・山名一族・大井田一族
などが盛り上がっている。
「本家は、血統証付きの犬のように偉い。」
「分家は、雑種の犬だ。」
でも、何故、本家が偉いんだ?
分家の分家の分家は何? ゴミか?



私の家系は、おそらく新田系の分家の分家のおまけ、
新田か里見の分家の変化系の名前なのだ。
同姓は沼田120軒?・子持100軒?・北橘80軒?位にある。
新田一族の中でもカス一族であると思われる。
でも、ちょっと同姓の有名人では
①歌人「○○たつゑ」を妻にした男・・○○誠二。
②NHKアナウンサーで、・・○○
④東京都議員になった男・・・○○?
④スーパーモデル・・○○ななえ?
このくらいしかないいないみたい。
インターネットを検索してもこの程度なのだ。
みんな、我が姓の一族は、地道な方々だった。



9月20日~23日 青木昇門下陶芸展 
画像


9月30日・・高崎箕郷町「第7回?きつねの嫁入り」
画像



10月28日・・高崎箕郷町「第10回箕輪城祭り」




★明日は、四川省のパンダだ。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 箕輪初心★箕輪城№100【箕郷NPO法人】&『箕輪城』

    Excerpt: ★1月27日の箕郷公民館でボランティア団体の交流会があった。 私は、箕輪城語り部の会のメンバーで、午前が当番であった。 小さなブースの展示を設けて、どんなことをしているのか、お互い を知る企画で.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2013-02-02 06:37