箕輪初心★松尾芭蕉24『奧の細道』⑬【尾花沢~立石寺】&延沢城・天童城・新庄城

尾花沢と言えば、『佐々木則夫』。なでしこJAPANの
監督は、なんと尾花沢の出身だったのだ。

サッカー・ボクシング・レスリングなどのオリンピックゲ
 ームに浮かれている間に、消費税増税・内閣不信任関
係・李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(日本名は竹島)
訪問など、訳の分からない嘗められた状況になっていた。

松尾芭蕉は5月15日~17日、山形の堺田の封人の家
:有路家で2泊した。「蚤虱 馬の尿する 枕もと」とあ
るように、のみ・しらみ・馬のおしっこ?で 最悪な状況
だった。ボディガードを雇って、尾花沢に向かった。

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 (★尾花沢の鈴木清風宅の芭蕉像)



◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉23『奧の細道』⑩【岩出山】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201208/article_7.html

5月17日=太陽暦7月3日
○境田:封人の家発
○笹森
○山刀伐(なたぎり)峠470m
 松尾芭蕉は山賊が出なくて、ほっとした。

○尾花沢・・・延沢銀山の銀や紅花の集積地。


○尾花沢の鈴木清風宅宿泊1日目
 紅花問屋:島田屋の主人:鈴木清風宅を訪問。
  鈴木清風は俳諧をたしなみ、松尾芭蕉とは
  旧知の間柄だった。
  清風は紅花の花摘みや養蚕の仕事で忙しか
  った。
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5月18日=太陽暦7月4日
○養泉寺泊


5月19日=太陽暦7月5日
・寂しく過ごした。
○養泉寺泊


5月20日=太陽暦7月6日
・寂しく過ごした。
○養泉寺泊


5月21日=太陽暦7月7日
○養泉寺泊


■5月22日=太陽暦7月8日
○句会に参席? 
『まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉の花 』
★意味・・女性の化粧のまゆはきの形に似ている
 やさしい感じの美しい紅花だな。
 松尾芭蕉は鈴木清風にお世辞を言ってのかな?
 いや、松尾芭蕉はこの村で、いい女を見たのだ。
 と、勝手に決めつけよう。


『 涼しさを 我が宿にして ねまるかな 』


『 狗(いぬ)ほえかかる 夕立の簑 』
○養泉寺泊


5月23日=太陽暦7月9日
○養泉寺泊


5月24日=太陽暦7月10日
○養泉寺泊


5月25日=太陽暦7月11日
○鈴木清風宅宿泊2日目
 鈴木清風=八左衞門は当時39歳であった。
 若い頃から、商用で旅が多かった。
 俳諧は商人の間で流行っていたので、学んでいた。
 江戸で、俳諧の座を催し、芭蕉と面識があった。
 ①特産物の紅花仲買業者=紅花大尽
   400駄=120kg×400=48000kg=48t
   米4俵=240kgが1両
紅花240kgが100両・・・・100倍値段だった
   (★田辺聖子著) 
 ②輸送業者・・・最上川を利用
 ③金融業者・・・新庄藩・山形藩にも金を貸していた。
鈴木清風は3年後、島田屋を相続→大金持ち。
伝説①・・・「紅花を焼いたと嘘着いて、価格つり上げ。」
伝説②・・・「吉原の高尾太夫を伊達侯と争った。」


5月26日=太陽暦7月12日
○清風泊3日目(+養泉寺泊7日=尾花沢10泊)



◆◆ 尾花沢散策 ◆◆   
○鈴木清風宅=記念館で本の購入
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「清風の 博物館の 静けさに 
   残る魂 夏の日差しかな」
 箕輪初心

◆◆ 番外編:奧の寄り道【延沢城】 ◆◆
  ■訪問記・・・2008年7月21日
 鈴木清風宅の大物学芸員の先生に
 「延沢城は日本三大山城?で良いですよ。」
 と勧められ、向かった。
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*延沢中学校は三の丸で、
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  裏山が本丸。
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 (★広島図書館の縄張り図) 
銀山温泉には残念だが、行ってないのだ。


5月27日=太陽暦7月13日
清風泊3日目+養泉寺泊7日=尾花沢10泊した。
○尾花沢発 午前6時半ごろ。
「素晴らしい必見の山寺があるんですよ」
と清風?地元の人?に教えられ、
7里の道=28kmも遠回りして立石寺を訪れること
にした。 


○本飯田

○楯岡(村上市)・・・馬はここまで。

○天童
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◆◆  番外編:奧の寄り道【天童舞鶴城】 ◆◆
■承久の乱(1221)・・・里見義直が戦功
①里見義直は、+京都殷富門蔵人・・・
 後白河天皇皇女:富子内親王の領地の蔵人で京在住。
②2男:里見頼成は美濃:平野庄に在住。
 →美濃に所領=美濃:平野庄・・・
 岐阜県大垣市平野町円教(興?)寺内
3男里見義景・・出羽(山形県天童市)に移住。
  子息養子説&嫡子:里見吉宗説で不明。

④4男里見義宗・・・康永4年(1345) 
 民部少輔(従五位下)に任じられ、
 足利尊氏の天竜寺供養の随行者
 享徳の乱・・鎌倉公方足利成氏の家臣として活躍。
 →安房里見初代?(峰岸純夫説・久保田順一氏は否定)
出羽里見氏は、里見義成の4男:義直にはじまる家系
 である。子孫:里見義直が承久の乱(1221)で戦功あり、
 里見義直の3男:里見義景が出羽国成生庄(現:山形県
 天童市)を所領として出向いた。ここを拠点に勢力を持
 った。

里見義直の3男:里見義景
・南北朝時代・・・
 成生庄の里見義景は子がなく、源義国
 の家系で足利氏の一門:斯波家兼の3男:斯波義宗を
 養子とした。里見義宗は家督を継ぐと天童氏と改姓した。
足利氏の一門:斯波家兼の3男:斯波義宗→天童義宗
 天童義宗の後には、斯波氏支族:最上氏から、最上直家
 弟:頼直が養子。
最上直家弟:頼直が養子→天童頼直
※天童氏新田系の家系ながら足利氏の血をひくこととなった。
 新田一族の大館一族と同様である。
※天童氏は里見氏一門を家臣団として編成して勢力を拡大。
 →上之山氏・東根氏・鷹巣氏という庶流を移住。
 支配権を確立していった。
・南北朝時代~室町時代
 斯波家兼系最上氏が領土拡大を画策し、最上兼頼の実弟:
 天童頼直にも従属化を求めた。
 →天童氏は新田氏の一門で独立を維持してきた。
天童氏は延沢・飯田・尾花沢・楯岡・長瀞・六田・成生家
 らとともに最上八楯を形成し、最上氏や伊達氏と対抗して
 いった。

楯は館=砦=城の意味である。
(★ウキペディア・峰岸純夫氏の本より編集)

■訪問記・・①2008年7月21日    
・本丸
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・二の丸
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・二の丸の舞鶴公園の人間将棋の場所から
  舞鶴城の詰め城の眺め
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「耳すまし 将棋の声に 思いはせ 
  暑きに耐える 舞鶴公園」
箕輪初心
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 (★雑誌のより・・・人間将棋)
インドの世界遺産「ファーティプシークリ」は
  人間チェスを王様がやっていた。どなたが気づいた
  のか、ユニークなパクリである。

  チェスの庭の写真は見つからなかった。 
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立石寺:午後3時ごろ到着。
山麓の宿に荷を預け、夕暮れの本堂に登った。
土も岩も古色を帯び、なめらかな苔が覆っている。
岩の上を這い上がってようやく本堂を拝んだ。
立石寺は「慈覚大師円仁」によって創建された。
通称「山寺」である。・1015段の石段・・
★あついよう。

【山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、
殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすすむるに依て、
尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮
ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。】


【岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩
上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を
這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。】
→【岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて、
苔なめらかに、岩上の院々扉を閉じて、物の音きこえず。】

★意味・・岩の上にさらに岩が重なって山をなしており、
生い茂る松や檜(=ひのき)も年経た老木で、土や石も年
老いた老人のように古びていて苔がなめらかに覆っており、
岩の上に建てられたたくさんの寺院は、どれも扉を閉じて
いて、物音が全く聞こえない。

【岸をめぐり、岩を這いて、仏閣を拝し、佳景寂莫として、
こころすみ行くのみ覚ゆ。】

★意味・・岩の崖っぷちを巡り、岩の上を這って、仏閣を
参拝した。その素晴らしい風景は寂しく静まり返っていて、
心が澄んでいくのを感ずるばかりである。
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○その日のうちに山上の奥の院までの参拝。
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 (★いい旅夢気分2012年6月22日)

 「山寺や 石にしみつく 蝉の声」?
     ↓
 「さびしさや 岩にしみこむ 蝉の声」?
     ↓
10) 『 閑さや 岩にしみ入 蝉の声 』
★意味・・・夕暮れの静まる立石寺、ニイニイゼミ
の声だけが岩に染み入るように聞こえてくるよ。
渋いぜよ。汗もひき、涼しくなってきたぜ・・。
 (★金森敦子説)

○「せみ塚」・・芭蕉句が刻まれている。
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○立石寺下の宿屋泊


◆◆ 立石寺の蝉の話 ◆◆
松尾芭蕉が汗をかいて登った太陽暦7月13日。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
暑かったんでしょうね。
梅雨が明けたのかもしれない。きっと、
中国の山水画もような絶景ポイントを日影で堪能して
いた時、1匹の蝉が鳴き出した。夕方なので、誰もい
ない本堂か奥の院の静寂の中でのこと、・・・
蝉の声はインパクトがあったのであろう。
・以前は「アブラゼミ」だったそうである。
しかし、太陽暦7月13日の夕方ということで
定説が覆った。現在は、「蝉」はニイニイゼミが
定説だそうだ。
春5~7月・・・・エゾハルゼミ・ハルゼミ
夏の初め・・・・・ツクツクボウシ
・夏の朝~・・・・アブラゼミ
         ・ミンミンゼミ
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 (★ミンミンゼミの♀には、尻の先に輸卵管の
   槍がある。♂より、ちょっと、腹が小さいのだ。
  ★俺は動物学者ではないが、・・・知っていた。)
         コエゾゼミ・チッチゼミ
・夏の夕方・・・・ニイニイゼミ・??・・
※朝方と夕方では鳴いている蝉=セミが違うのだ。
夏の終わり・・・・ヒグラシは
 日暮らし=日暗しなのか分からないが夕方
★子供の頃、ヒグラシが鳴くと、もう夏休みが終わっ
ちゃうよと思ったもんだ。・・群馬だけど。
クマゼミは関西のみである。

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 (★鳥海山頂上の蝉。たぶん、自然のH結果の
 アブラゼミ&ミンミンゼミの掛け合わせか?
 自然の進化の歴史かな?・・・日本の昆虫図鑑
 や蝉図鑑に載ってない亜種であることは間違い
 ないのだ。
 ・・・甲虫学者がこれを見てくれないかな?
 どなたか、学者様にご連絡下さい。★)

立石寺・・・①1981年7月31日
職員旅行・・・青葉城・中尊寺・立石寺・最上川下りなど
立石寺を私が訪問した時は、人人人だった。
松尾芭蕉が俳句を詠んでくれたおかげで、観光地としての
立石寺が有名になってしまったのだ。
おかげさまで大混雑。「閑か」じゃないのだ。
私が行った時も立石寺で蝉が鳴いていた。 

「 うるささや 岩にしみいる 蝉の声 
   ますます暑き 夏の立石寺」
 芭蕉の盗作
      ↓  
「 木立から じじいじじい(爺爺)と 蝉が呼ぶ
   いやみ聞こえし 夏の箕輪城 」
 箕輪初心

「 蝉と蚊の 生きてる証 森の中
     恨みに思う 夏の箕輪城 」
 箕輪初心
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「 土の中 7年外で 一週間
   生きる証と 鳴きまくる蝉  」
 箕輪初心
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 ★アブラゼミは死んでいた。


5月28日=太陽暦7月14日 
○立石寺発→山形中止。もと来た道を馬で戻った。
  (佐竹道)


○大石田:午後2時
【最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧
の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心を
やはらげ、此道にさぐりあしして、新古ふた道にふみまよふ
といへども、道しるべする人しなければとわりなき一巻残し
ぬ。このたびの風流爰に至れり。】芭蕉

★意味・・最上川の舟に乗ろうと、大石田という場所に~。

俳句好きの庄屋:川水と組頭:高野一栄と合った。
高野一栄宅の句会・・・連句

 「さみ堂礼遠 あつめてすずし もがみ川」 芭蕉
 「岸に ほたるを繋ぐ 舟杭」       一栄
 「爪ばたけ いざよふ空に 影待ちて」   曽良
 「里をむかひに 桑の ほそミち」     川水

しかし、梅雨の影響で雨は降り続いている。
いくつもの川を集める最上川は、茶褐色の激流となっている
はずである。実際には、「すすし」「ほたる」と気楽に俳句を
詠んだりして風流に遊んでいる場合ではなかったであろう。
従って、高野一栄に示された発句は、後に
『 五月雨を あつめて早し 最上川 』
改訂された。


○大石田の一栄宅泊
大石田・・私の大石田を通ったが、松尾芭蕉関係・
芭蕉に憧れ2年住んだ斎藤茂吉関係には行かなかった。
私の妹の夫の祖母が大石田出身なのだ。去年、大石田に
行ったのに、妹夫婦に写真を頼むのを忘れた。
関係ないけど、蕎麦が美味しいそうだ。

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 (★山形そば・・雑誌より) 


5月29日=太陽暦7月15日
○大石田発
  「五月雨を あつめて涼し 最上川」
○向川寺
○芦沢・・・舟で・・・
○猿羽峠・・・
○舟形
○新庄

○新庄の「風流の家」泊
 

5月30日=太陽暦7月16日
○新庄泊


6月1日=太陽暦7月17日
○新庄泊   


6月2日=太陽暦7月18日
○新庄泊



◆◆ 番外編:奧の寄り道【新庄城】 ◆◆
●新庄城・・・2008年7月21日 奥の細道紀行
■訪問記・・本丸周囲水濠と土塁・大手門石垣が良い。
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 ・大手道
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 ・枡形・門
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 ・本丸堀
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 ・本丸
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★明日は最上川下りである。

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  • 箕輪初心★松尾芭蕉25『奧の細道』⑭【最上川・出羽3山羽】&松山城・鶴岡城

    Excerpt: ★6月3日、山形の新庄から舟で最上川を下る。 「五月雨を あつめて早し 最上川」 ★意味・・五月雨が最上川の支流から集まって来て 流れが、とてもはやいなあ。怖いよう。 最上川は 増水中である。.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2012-08-12 03:57
  • 箕輪初心●山形【新庄城】&松尾芭蕉の最上川舟下り

    Excerpt: ★新庄城には奥の細道紀行2008年7月19日~21日のおまけ で登城した。新庄城は新庄盆地中央部を流れる中之川と指首野川 にはさまれた合流地点に位置している。最上川は山形県・福島県 との境にある.. Weblog: 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行 racked: 2013-07-12 05:19