箕輪初心★松尾芭蕉⑬ 『奧の細道』②【間々田~室の八島~日光】

室の八嶋に詣す。同行曾良が曰、「此神は木花咲耶姫の神
と申して、富士一躰也。無戸室(うつむろ)に入て焼き給ふ、
ちかひのみ中に、火ゝ出見(ほほでみ)のみこと生れ給ひし
より室の八島と申す。又煙を讀習(よみならは)し待るもこ
の謂(いはれ)也。」將(はた)このしろといふ魚を禁ず縁起の
旨世に傳ふ事も侍(はべり)し。

『 糸遊に 結びつきたる けぶりかな 』
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◆◆ 箕輪初心★松尾芭蕉⑫「奧の細道」①旅立ち~ ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201207/article_26.html



3月28日=太陽暦5月17日 
○間々田発→日光街道へ

○小山宿・・・元和3年(1617)に宿造成。
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●小山評定・・・徳川家康はここで、関ヶ原へと決断。  
●小山城=祇園城・・・藤原秀郷が平将門追討の折に築城。
        小山氏→北条氏。北条氏滅亡とともに廃城。
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小山の城6城・・・★後日紹介。


○壬生道・・・東照宮の造営時に使用された道。
        日光道中より6Km近い。


●一里塚(=小山カントリークラブ入り口)
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・姿川(思川の支流)・・・・

○飯塚宿・・・現在も街道沿いには旧家。
 


飯塚一里塚・・・松尾芭蕉は通っていない。
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『奥の細道』の記述はない。
『曽良随行日記』
 一 廿九日
辰ノ上尅マヽダヲ出。
 一 小山ヘ一リ半、小山ノヤシキ、右ノ方ニ有。
 一 小田ヨリ飯塚ヘ一リ半。木沢ト云所ヨリ左ヘ切ル。
 一 此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。
 飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、
 川ヲ越、ソウシヤガシト云船ツキノ上ヘカヽリ、
 室ノ八嶋ヘ行(乾ノ方五町バカリ)。
 スグニ壬生ヘ出ル(毛武ト云村アリ)。
 此間三リトイヘドモ、弐里余。
※「飯塚一里塚」は日光西街道(壬生通り)の飯塚宿と
  壬生宿との間に設けられた。
  江戸・日本橋から数えて23里(約92km)にあたる。
★「飯塚一里塚」の手前(県道44号栃木二宮線)
 を左に曲がったものと思われる。
 
・惣社河岸


摩利支天古墳
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下野国分寺跡。

国分尼寺跡
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 (現地案内板より)
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下野国府跡
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栃木市・・・松尾芭蕉は行っていない。
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 ★蔵の町:栃木の風情もいい。

室の八嶋(むろのやしま)=大神神社。
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・境内の説明板①
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・境内の説明板②
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「大神神社は、今から千八百年前、大和の大三輪神社の分霊
 を奉祀し創立したと伝えられ、祭神は大物主命です。
 惣社は、平安時代、国府の長官が下野国中の神々にお参り
 するために大神神社の地に神々を勧請し祀ったものです。
 また、この地は、けぶりたつ「室の八島」と呼ばれ、平安
 時代以来東国の歌枕として都まで聞えた名所でした。幾多の
 歌人によって多くの歌が、残されています。」
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 「ご祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)で・・」
大神神社の境内に室の八嶋(むろのやしま)がある。
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「 煙たつ 室の八嶋に あらぬ身は
  こがれしことぞ くやしかりける (大江匡房)

「 いかでかは 思ひありとも 知らすべき
   室の八嶋の 煙ならでは 」 (藤原実方)

「 くるる夜は 衛士のたく火を それと見よ
   室の八島も 宮こならねば 」 (藤原定家)

「 ながむれば さびしくもあるかな 煙たち
   室の八島の  雪の下もえ  」 (源実朝)

「 東路の 室の八島の 秋の色
   それともわからん 夕煙かな」 (連歌師:宗長) 

『 糸遊に 結びつきたる けぶりかな 』
意味・・「糸遊」=陽炎&煙は結び合って、辺り一面に
 立ち上っているのだ。都や女を恋焦がれる過去の
 偉人達、煙でみんな恋の藻屑となって消えて行った
 のだ。赤い糸なんてどこにもないさ。・・・なんか違うな。

※「糸遊」が分からなかった。糸遊は陽炎のことだった。
松尾芭蕉は俳句を読んだのに、「奧の細道」に
  記載がない。


『 入りかかる 日も糸遊の 名残かな 』
やがて沈もうとしているお天道様と、かすかに立ちこめる
陽炎が、まるで恋の名残りであるかのように春の夕暮れが
近づいてくるのだ。
松尾芭蕉は俳句を読んだのに、「奧の細道」に
  記載がない。

★ 「愛は陽炎。つかの間の~~~。」なんて、
  歌が思い出されるおいらだった。

「 糸遊の 赤い絆の 断ち切れて
   昔を思う 春の夕暮れ
 」 箕輪初心
★情けない短歌だ。でも、1分で閃いたのだ。 


◆◆ 恋の名残:室の八島 ◆◆
http://www6.ocn.ne.jp/~tntenji/index.html
★参考にさせていただきました。

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「人を思ふ 思ひを何に たとへまし
    室の八島も名のみ也けり 」 (源重之女)

「下野や 室の八島に 立つ煙
   思ひありとも 今日こそは知れ (大江朝綱)


「 いかにせん 室の八島に 宿もがな
   恋の煙を 空にまがへん 」 (藤原俊成)

「恋ひ死なば 室の八島に あらずとも
   思ひの程は 煙にも見よ 」 (藤原忠定)

道鏡や貴族の島流し=左遷場所の下野栃木。
  古くから、最も発展していた場所だった。
  室の八島は景勝地だったらしいが、中世には
  どこか不明になってしまったらしい。
  松尾芭蕉が行ったことで、大神神社境内と
  なったという説もあった。



○壬生宿・・壬生氏城下町→北条氏→小田原攻。
壬生城
  江戸時代に鳥居氏が入り明治まで存続。
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○壬生寺→{日光例幣使街道}

○合戦場(かっせんば)宿(都賀町)・・・

○金崎宿(栃木県上都賀郡西方町)・・・

○楡木宿・・・・・

○奈佐原宿・・・・


■鹿沼宿で宿泊
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3月29日=5月18日  
○鹿沼を出発・・・・

→日光例幣使街道の裏街道へ

○文挟(ふみばさみ)宿
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○板橋宿・・・・
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○今市宿・・・例幣使街道と会津西街道が合流。
 「今村」が市場で賑わうようになったので「今市」
※食:日光たまり漬け本舗
 慶応4年((1868)の戊辰戦争で、宿が焼失。」

「 宿場町 宿はいまいち 今市宿 
       祭りにかける 歴史物語
 」 箕輪初心
★今市の方、こめんなさい。 
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■日光鉢石泊
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この記事へのコメント

  • 八島 守

    次の二首の和歌から、室の八島の煙がどんな煙であるかが分かります。これが正しいんです。

    「 いかにせん 室の八島に 宿もがな
       恋の煙を 空にまがへん 」 (藤原俊成)

    「恋ひ死なば 室の八島に あらずとも
       思ひの程は 煙にも見よ 」 (藤原忠定)

    2014年05月13日 17:21
  • 八島守様へ

    ★奧が深いですね。・・考える余裕がありませんでした。ありがとうございました。また、ご指導ください。
    2014年05月13日 21:07

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