箕輪初心●群馬【下仁田町12城一覧】&「物語山メンベ岩伝説」

下仁田町の城は、山崎一著『群馬県古城塁祉の研究』
では、11城である。また、下仁田町史でも11城である。
しかし、上信越道工事の前の発掘調査で城が発見された。
下仁田馬山の杣瀬(そませ)城である。12城になった。
お城巡りファンもほとんど知らない城である。神成城から
対岸に見えるので、神成城の探検のおり、「余湖さん」や
「埋もれた古城さん」&「富岡武蔵さん」達に、下仁田教
育委員会の調査報告以外の発掘調査の方以外は、Hp
やブログに掲載されたことのない城です。」と教えた。

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(★全然関係のない荒船風穴)


◆◆◆下仁田町13城◆◆◆ 
1)西牧城(=幽崖城=藤井の塁) 下仁田町横間 目明石
群馬下仁田町の物語山のメンバ岩の伝説
 ・天正年間(1573~1590)、西牧の横間の「幽崖城」に
             多目周防守長定は在城。
 ・天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの時、
    北国勢の前田利家・上杉景勝は碓氷峠を越えて上野に入った。
  ①松井田城コース・箕輪城コース(上杉景勝の真田昌幸軍) 
  ②国峰城コース 
  ③西牧城コースに分かれた  
 「幽崖城」を攻めたのは、松平康国である。
   多目周防守長定は奮戦したものの城から逃亡した。
   ・・・長定がふと見ると、岸壁があり、そこ下には藤のつるが
   伸びていた。つるを伝わって岩の下まで登った。そして、登
   りきると、つるを切った。翌日、そこからおりられず、小田原
   城の方を向いて腹を切った。
   ・・里人は、この悲惨な話から、「物語山」を呼ぶようになった。
           
  (★下仁田町史「町に残る伝説」)
  ★ちなみに物語山に3回登った。5月のミツバツツジ&
   ヒカゲツツジ・・・黄色がきれいであった。

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  (★写真は上野村の笠丸山のヒカゲツツジ)

 ■訪問記・・・①平成22年(2010)3月22日 
 ・下仁田歴史博物館で、下仁田13城を読んだ。
  下仁田でも謎に包まれた城であった。物語山伝説が残る。
・国道254号線をさらに内山峠に向かって進む。
  下小坂の分岐を直進し、横間の集落に入る。
 ・市野萱川を渡って200mの所に西光寺がある。
  さらに、500mの所には滝や物語山の入り口がある。
  公園も近い。
 ★公園左の檜の森の中に石垣があった。開墾地か郭かわかんない。
 でも、曲輪だとすると、物語山伝説の信憑性が出てくる。
 ・本来の幽崖城の駐車場は、横間の目明石のどん詰まりである。
  駐車城はに1カ所あるにはあるが、人家?かも。
 ・登り口であった。500m程進んだが、戻った。
 ・・・・結局、山登りは途中棄権。
この地域全体的な特徴として、山際に一族の墓を造る風習が
   あるようだ。武田氏の影響かもしれない?

 ※多目一族(北条家家老)の歴史   
 ・永正3年(1496) 多米元益は没。
 ・天文15年(1546) 「川越の合戦」で、
    古河公方・山内上杉憲政・扇谷上杉朝定 
       VS 
    北条氏康
    
    多目周防守元忠は北条氏康軍師&氏康の親衛隊5つの
     内の一つに編入。
    多目周防守元忠が北条軍の4部隊のうちの1つを率い
     て活躍。
    →氏康から褒美として、北条家の家紋三鱗を賜る。
   ①川越城の守備を固めたこと、
   ②北条氏康の部隊を法螺貝を吹いて引き戻させたこと
   *長野吉業(業政長男)が負傷→死亡(★群馬県史他)
 ・元亀2年(1571) 武田氏の駿河からの進軍を防ぐなど、
          北条軍の中核として各地を転戦。
 ・天正5年(1577) 多米元興は没。
          →多米元忠が多米家を継ぐ。
         上杉謙信の関東侵攻
          →元忠は上州平井城と西牧域
          (群馬県多野郡藤井の塁)城主を兼任。
    ※青木城には、山中主膳正(後北条家二十将の一人)を
     城代に配置。
 ・天正16年(1588)箕輪城主多米出羽守平長定
            (★多目周防守元忠の子)
           +大谷帯刀左衛門 (★下仁田町史)
 ・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原征伐→
   ①多米元忠が西牧砦(群馬県)で討死。
           (★上毛古戦記:小幡記)
    →山口総衛門が青木城へ伝令。
    →元忠の子左近(18歳)は家臣栗田氏一族と自決?
           (★佐奈山文庫HP)
   ②箕輪城主多米出羽守平長定が山中城(三島市)で討死。
   ★私見・・多米出羽守平長定は、小田原の最重要防御の
      地山中城(静岡県三島市)に応援に行った?

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 (★静岡県三島市の山中城三の丸の宗閑寺の看板の写真)
 

2)桐の木坂城   下仁田町上小坂 桐の木坂 夏丸
 ・????       高田憲頼が築城
 ・天正10年?(1582) 小幡信貞が築城

3)野井戸城 下仁田町中小坂 奴居出
 ・????        高田憲頼が築城
 ・????        武田氏が烽火台として、活用。小幡信貞?

4)御屋敷城 下仁田町中小坂 二岩
 ・????        高田憲頼が築城

5)春日田城 下仁田町中小坂 春日田
 ・永禄4年(1561)     菅谷城主:高田小次郎憲頼が築城

6)根小屋城  下仁田町根小屋 城山
 ■訪問記・・・①2010年(平成22年)3月22日 
 ・下仁田歴史博物館で下仁田13城を読んだ。
下仁田でも謎に包まれた城であった。
 ・国道254号線をさらに内山峠に向かって進む。
   下小坂の分岐を直進し、藤井の関(下小坂)を右折し、
   旧道を行く。
 ・源太屋敷は下郭で、曲輪橋の手前は上郭(伝)。・・・
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 ・根小屋地区の榛名神社にお参りした。
   城の大手口である。
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 ・ついでに、橋の「曲輪橋」の文字を見た。
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 ・家々の石垣が非常に立派である。
  ★本当に曲輪を形成していると感じられた。
 ◆◆ 根小屋城の歴史 ◆◆
 ・天文16年(1546) 北条氏邦(氏康3男)は、鉢形城から平井城
      に侵攻。→関東管領上杉憲政が逃亡。
 ・天文20年(1551) 北条氏の旗下、庭屋安芸守直澄
       (吉井町庭谷城)が築城 
      ※根小屋の観音寺に庭屋安芸守直澄に位牌あり。
               (★下仁田町史)
  庭谷氏の系譜(長尾氏配下→北条氏配下→武田配下→北条氏配下
          →前田利家配下1590年?)
 ・永禄6年(1563) ★武田の侵攻で、完全支配下。
  ・・・「だから、根小屋の地名が残存すると思われる。」
  理由①・根小屋は武田氏の町の名前なので、武田氏の築城
            ・修築のはず?。
  理由②・妙義の高田氏が傘下に入っている。
     小幡重貞(→信貞→信定)が武田24将の仲間入り。
    ※従兄弟の小幡図書介が長野業政の助けを借りて、
      国峰城を奪ったが、武田の援護で再び、奪還。
余湖さんのHp
http://homepage2.nifty.com/mizuki55/gunma/simonitamati.htm
  ★とても分かりやすいです。富岡の城や東吾妻の城で
    お世話になりました。

 ★根小屋城は群馬には4カ所ある。
    武田の手が加わった地名である。
  ①高崎の根小屋城 
  ②東吾妻町の三嶋根小屋城 
  ③東吾妻町旧東村の根小屋城=柏原城 
  ④西牧の根小屋城
 


7)馬山西城 下仁田町馬山 西城山・・・
 ■訪問記・・2010年3月21日
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 ・????  築城不明・
        小幡憲重の城

8)馬山東城 下仁田町馬山東城山・・・
 ■訪問日・・・2010年3月21日
   道の駅しもにたの東の山・・・比高30m。
   米山寺を中心とした郭である。
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 (★山崎一氏の縄張り図)
 ・????  築城不明・
        小幡憲重の城


9)吉崎城=岩山城 下仁田町吉崎 藤山
  ・桜井丹後守守の家老桜井右近将監が在城。  
     (★下仁田町史)
■訪問記・・・①平成22年(2010)3月22日 
 ・下仁田歴史博物館で、鷹ノ巣城の発掘記録2000円を読んだ。
   下仁田で唯一の城郭研究物であった。
 ・国道254号線から、南牧の栗山・青倉方面に向かう。
  下仁田にかかる2つの橋を渡ると、青岩公園+吉崎公園である。
  青岩公園は緑色変岩・緑泥変岩でできている。
秩父古生層である。
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 ○吉崎公園・・・・石垣の階段を上る。途中、郭が明確に分かる。
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  本丸は公園広場である。
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  本郭・・・「忠霊塔」付近
  結構、展望がいい。
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 (★山崎一氏の縄張り図は、鷹巣城とある。)

10))鷹の巣城 下仁田町吉崎 中島
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 ・戦国時代 小幡三河守貞政=小幡藤五郎が築城
       小幡図書介景純(貞政弟:景憲の3男)が城主か?
(★下仁田町史)
  ★群馬県埋蔵文化財の発掘調査記録が詳しい。


11)夕影城 下仁田町青倉土谷沢・・・
  (★富岡武蔵氏の2010年3月の上旬のブログに掲載。)
 ・天正10年(1582)  土屋山城守高久の築城

12)杣瀬(そませ)城 下仁田馬山の杣瀬(そませ)
=富岡の南蛇井と
           下仁田の馬山の南の山
★上信越道工事前の発掘調査で発見された城である。
 神成城からの対岸に当たる。
 ■訪問記・・・2010年(平成22年)3/22(月)  
 群馬:下仁田の城・・・下仁田歴史民俗資料館:城のコピー
 ①西牧城遠望→②根小屋城遠望→③鷹ノ巣城(吉崎)→
  ④杣瀬(そませ)城 
 ・富岡から国道254号線を行く。
  富岡の神農原を南に入る方法と紫の鏑川を
  渡り切った所から入る方法がある。
 ※杣瀬(そませ)城は、上信越道の発掘調査で、
  はじめて発見された城である。
  中心は縄文遺跡であるが~~。
  中世古城の館跡・堀切り2つが出てきた。
 下仁田教育委員会の杣瀬(そませ)遺跡の報告書は
  2000円である。
 ・杣瀬(そませ)のおばあちゃんに聞いた。
 「城の平」の地名のある発掘調査場所を教えてもらった。
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 ・城の平は、神農原南の山の上だった。展望が最高だった。
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  反対の東に、宮崎城→神成城が見えた。
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★天正15年(1587) 小幡上総介信定の築城 
    (★下仁田の文化財)

★参考文献・・・下仁田町史・下仁田の文化財を参考に作成。

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