箕輪初心●群馬:中之条【嵩山城789m】

永禄6年(1563)真田幸隆の吾妻郡進攻により岩櫃城が陥
落すると、岩櫃城主だった斉藤憲広、憲宗父子は越後の上杉
謙信を頼って敗走した。憲広の末子城虎丸は嵩山城に立てこ
もり、越後魚沼郡早川郷の父:斉藤憲弘&兄:憲宗と連絡を
取りながら、岩櫃城の奪還しようと期を伺っていた。嵩山城
は、池田佐渡守&甚次郎を中心に、蟻川式部・山田与惣兵衛
・割田下総・鹿野大助・植栗主殿介が守っていた。さらには
中山安芸守、尻高左馬助の支援を受け、岩櫃城を奪った真田
幸隆と四万川を挟んで対峙した。小競り合いが続いた。

永禄7年(1564) 上杉謙信は川田伯耆守&栗林肥前守を派遣
した。しかし、武田信玄は川中島城主:清野刑部左衞門&曽根
七郎兵衛の兵2000を送り込んだ。3月には栗原肥前守&田村
新右衞門との間で、成田原&三の原で交戦した。
なんと、武田信玄の本隊が箕輪城(高崎市箕郷町)近くに来た。
嵩山方はびびって籠城し、白井城の長尾憲景に助けを求めた。
真田幸隆は白倉武兵衛(群馬県吉井町)を武田信玄の元に使い
をやった。5月・・武田信玄は安中城の安中忠成(安中市)&
三河衆(★下仁田の小幡三河守系)を嵩山に送りこんだ。
上杉勢は兵2000を木の根峠に進出させた。柴田左衞門&
藤田能登守が大将である。
信州の真田信綱は500騎で、暮坂峠から侵入した。
祢津元直も田沢・加沢・別府とともに・・3000騎になった。

永禄8年(1565)9月15日、矢沢綱隆の元に、海野兄弟=
(羽根尾幸全&海野幸光)&斉藤弥三郎(=★斉藤憲弘甥)
&植栗安芸守&富沢但馬守父子&唐沢杢之助&富沢加賀守&
蜂須賀伊賀&浦野中務太輔等が集まってきた。
10月中旬、真田幸隆は「時は来た。」と2500騎で出陣した。
岩櫃城攻撃の開始である。そのうち、真田信綱(幸隆長男)
&室賀義平(信濃上田)&三枝松虎丸(山梨の武田家臣)は
2000騎は沼田&白井(旧子持村)の援軍を押さえるため、
暮坂峠経夕で、内山城=仙蔵の砦を突破した。    
真田幸隆は池田重安親子を嵩山から招き、説得した。
池田父子が寝返った。

永禄9年(1566) 11月16日真田一徳斎(幸隆)は自ら先駆
けとして鎌原・植栗・大戸・池田等300騎を引きつれて出陣し
た。この時、真田一徳斎は黒糸縅の鎧に鍬形の兜を着て、三尺
五寸の太刀を腰に佩き、十文字の槍をかかげ、荒井黒と名付け
た馬にのって仙蔵の砦へと駆け上がった。そして、五反田の台
での戦闘の指揮を取った。
 斉藤憲宗&城虎丸兄弟が600騎を以て五反田の台に押し寄せ
れば、真田勢は西窪治部左衞門が立ち向かった。嵩山勢の秋間
備前(★元川戸内出城城主は既にいないはずだが・・・)&
大野新三と渡り合い、西窪&蜂須賀伊賀が戦死した。
真田幸隆は自ら出陣し、斉藤憲宗と戦った。正午~末の刻まで
で、嵩山勢は200、真田勢は150が戦死した。日暮れになって
嵩山勢が引き上げた。
 翌朝11月17日、真田勢は朝駆けして嵩山城に迫り、唐沢杢之
助が戦死したが、湯本善太夫は早川源蔵を討ち取った。
木戸を打ち破って、嵩山に侵入した真田勢は急坂をよじ登った。
斉藤憲宗はこれまでと自刃した。38歳だった。全軍登城の嶽山
軍は狭い郭を分断され、次第に戦死者が増えていった。城虎丸は
本丸は無情平から大天狗によじ登り、大天狗から飛び降り自決し
た。名門吾妻氏の末裔はここに滅亡した。

(★上毛古戦記・『加沢記』の要約)
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★嵩山の登城は2回ある。
訪問記・・平成19年(2007)2月4日
○四万温泉「四万グランドホテル」→嵩山城。

訪問記・・平成22年(2000)11月3日
○嵩山の途中→沢渡温泉

訪問記・・平成24年(2012)2月5日
 ○四万温泉「ゆずりは荘」→嵩山城。

●アプローチ・・・・マイカーの場合
関越自動車道→渋川伊香保I.C国道17号線に降りる
→国道353号で中之条町へ→中之条湯河原線→
○親都神社北の「道の駅霊山たけやま」の駐車場。
●中之条町五反田嵩山

○親都(ちかと)神社。
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○吾妻八景一番の景観
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○案内板・・・
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嵩山は、中之条盆地を見渡す台地上の標高789メートルの岩山で、
獄山・岳山・武山とも書き、和利獄・見付山・お天狗山などと呼ばれ
ている。古くから祖霊を祀る霊山として信仰されており、南北朝時
代に社寺縁起などを集めて編さんされた「神道集」の中に、「武部
山(子持山)の神である子持大明神(子持御前)と結婚した見付山
(嵩山)の和理大明神(加若和理)」として記され、和理の神が山上の
奥社・麓の親都神社・里宮の吾妻神社(和利宮)に祀られている。
永禄6年(1563)10月武田信玄の吾妻郡進攻によって岩下衆の本
拠岩下城が攻略されると、岩下衆は上杉謙信の支援のもと、斉藤
越前守の子、城(白)虎丸を擁して嵩山城に籠城し、四万川を境に
武田方の岩櫃城と対陣した。嵩山方は四万川東岸の内山城
(中之条町折田)・城峯(同西中之条)と、八幡(同横尾)に砦を置いて
いる。武田信玄は、永禄8年2月上州出撃のとき、箕輪城(箕輪町)と
共に嵩山城の攻撃を目標にあげている。
同年11月、真田幸隆は城方の池田佐渡守父子を、味方につけて
城を退出させた上で、総攻撃を加えた。城主城虎丸は、城の北方
の天狗峯(大天狗)から飛び降りて自害し、後を追って多くの人が
亡くなったと伝えている。嵩山城は、この戦のあと廃城となり、
以後は信仰の山に戻って今日に至る。
  (★昔の看板)    
 ★この看板はおそらく、唐沢定市先生が書かれたものであろう。
  斉藤憲弘の本拠は岩下城としている。唐沢先生は、永禄7年
  (1564)に、初めて「岩櫃城」という文字が古文書に登場するので、
  真田幸隆は岩下城を攻撃したと考えているからである。


「中之条盆地を見下ろす嵩山は、標高789mの台地上の
岩山で、古くから祖霊を祀る霊山として信仰を集めました。
~~~中略~~~~
永禄6年(1563)に真田幸隆の吾妻郡進攻により岩櫃城が陥
落すると、岩櫃城主だった斉藤憲広、憲宗父子は越後の上杉
謙信を頼って敗走しました。憲広の末子城虎丸は嵩山城に立
てこもり、中山氏、尻高氏の支援を受け岩櫃城を奪った真田
氏と四万川を挟んで対峙します。
永禄8年(1565)11月、真田幸隆は嵩山方の池田佐渡守父子を
内通者として味方につけ、11月16日に五反田の台で激突。同
日夕方には戦闘は嵩山城に移行し、翌17日に嵩山城は落城し
ました。越後からの増援を率いていた斉藤憲宗は自刃。城虎丸
は大天狗から身を投げて自害し、斉藤氏は滅亡しました。その
後まもなく嵩山城は廃城となり、元の信仰の山に戻っています。」
(★現地案内板)
 ◆加沢記と現地案内板の違い
   嵩山攻撃・・・永禄8年(1565)か永禄9年(1566)
斉藤憲弘の城・・・岩櫃城か岩下城か?

○ハイキングコース
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標高789mの嵩山には大きな岩陰に石仏(観世音)が安置されて
いる。・・・しかし、今回は、単なる山登りである。
 
①表登山道入口
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②一の石仏
③表登山道の急な坂道を登っていく。
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④展望台
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⑤3番石仏
⑥4番石仏
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⑦天狗の広場分岐
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鳥瞰図台とあずま屋・展望台がある。
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 「嵩山は昔、天狗の住む山とも言われ、東の峰を大天狗、
  中の峰を中天狗、西の峰を小天狗と呼びます。」
※広場から小天狗と不動岩へ行けるが、不動岩は鎖をたよりに
  登るので、足場には注意が必要。
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⑧小天狗頂上・・・
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  上信越地方の山々が見渡せる。
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  鉄塔のある手前の杉林が内山城(仙蔵の砦)である。
  真田幸隆が采配をふるった場所で、手前に原は戦場。

 
 ★膝を打って、痛すぎる。
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  中天狗・大天狗方面の眺望。
○天狗の広場に戻った。

○東へ進む

⑨あずま屋
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  右へ下ると胎内くぐり。・・・今回は行かなかった。
  鎖をたよりに胎内を抜けられる。

⑩中天狗
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○北へ進む。自然の空堀。
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御城平(みょうじょうだいら)=実城・・・城虎丸のいた場所。
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⑩あずま屋&経塚
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・・・東登山道との分岐

○長い鎖を登る
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⑪▲大天狗=嵩山頂上789m。
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・・・素晴らしい展望。
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  城虎丸が飛び降り自殺した場所である。
 
▼下山・・・鎖場→
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○経塚→東登山口方向へ

○一升水・・高い岩壁に氷柱がある。
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○弥勒穴入口・・・絶壁
  横穴の洞窟には弥勒菩薩像が安置されている。

○東登山口。
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◆道の駅霊山たけやまの『けやき』
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 手打ちのそば屋さんがある。3回目である。
 前2回は値段が安いので天ざるを頼んだが、今回は大盛り
 100円増しにした。十割そばなのでとても腰があって噛
 みごたえもある。美味しく頂いた。五反田&美野原地区の
 蕎麦である。汁がちょっとまずかった。前回、旨かったのに。
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◆◆ 四万温泉「ゆずりは荘」 ◆◆
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◆◆ 中之条歴史民俗資料館 ◆◆
館長:唐沢定市先生の執筆した真田の歴史も
興味深い。・・・「行って下さい。」

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