箕輪初心●群馬みなかみ【小川城】=名胡桃城の小型の城

小川城は名胡桃城から車で7~8分の所にある。名胡桃城・明
徳寺城とセットで城巡りするに最適な城である。城通=城お宅な
ら、真田昌幸が築いた富士浅間山砦や猪俣邦憲が名胡桃城を攻撃
した榛名山城=権現山城のセットも考えられるが・・・。
名胡桃城から苗場方面に向かい、最初のGSの信号を右折する。
黒岩八景を越え、バイパス沿いに進むと、上越新幹線の上毛高原
駅手前200mの所に小川城ある。高原駅の信号の手前に看板が
見える。堀と本丸の遺構が結構残っていて、明確である。

訪問記①・・・平成19年(2007)3月11日
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○小川城は、利根川の河岸段丘上(比高約50m))に築かれ、断
 崖を取り込んだ要害地の本丸と平城部の二の丸・三の丸からなる。
○縄張り・・・名胡桃城と似ている。河岸段丘が浸食によりV字
 になった形状を横掘で断ち切って廓にした。 
 全体的に名胡桃城と比較して狭い。
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○本郭の堀・・・(本郭&2の郭の間)・・・
  空堀は4~5m程。非常に深くて見応えがある。
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○本郭の虎口

○本郭・・・実に遺構が良好に残っている。
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 本郭は東西約60m×南北40m程で畑になっている。 
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○本郭東・・・笹曲輪

○本郭南・・・笹曲輪の東は急崖になっている。

○本郭北・・・土塁は高さ1m程。

○本郭南西・・櫓台。

○櫓台の城址碑。

▼戻る。

○2の郭・・・国道291号線で分断され、宅地や畑地となり、多く
        の遺構が失われている。 
 案内板「二の丸濠跡」
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○小川城址看板・・

 ■訪問記②・・・平成19年(2007)11月3日
  谷川岳の帰り?・・・


◆◆ 小川城の歴史 ◆◆
・明応7年(1498)沼田景秋によって築造。小川氏と改姓。
・大永2年(1522)沼田景奥の時に火災により、沼田小川氏は断絶。
         上方牢人:赤松孫五郎が小川城に入城。
         小川可遊斎と改名。
・天正7年(1579) 沼田城の北条氏邦の攻撃。
           北条氏との攻防戦。真田昌幸が開城。
・天正10年(1582)小川氏は越後へ牢人。
・天正17年(1589)豊臣秀吉の斡旋で、小川城は北条氏の城。
         城主は富永又七郎。
・天正17年(1589)北条氏滅亡後、真田昌幸に返還。
・寛永16年(1639)~明暦3(1657) 真田伊賀守信利が城主。
 没落。
   (★現地看板の要約)

★あの悪名高い真田伊賀守信利は沼田城主になる前に、小川城に
 住んでいたのだった。

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