箕輪初心●吾妻【横尾八幡城】&【植栗城】

永禄7年(1564)8月下旬、真田幸隆を大将として、斉藤憲弘の
岩櫃城攻撃を進めた。~~~(中略)~~~。
真田幸隆は3000の兵を持って岩櫃城を攻略する準備を整えた。
・・嵩山:斉藤城虎丸の家臣の植栗河内守は、人質を差し出
した。・・・この年が終わった。明けて・・・
永禄8年(1565) 10月・・真田幸隆は岩櫃城攻撃を開始した。
斉藤憲弘の甥の斉藤弥三郎則実の裏切りで、岩櫃城が落城した。
越後に逃亡した斉藤憲宗は上杉謙信の配下500余騎を率い
斉藤憲弘の末子:城虎丸と合流し、旧子持村の長尾+旧高山村
:中山・尻高と組んで、2000騎で真田を攻撃した。
真田幸隆は富沢但馬・唐沢杢之助・植栗安芸守を嶽山に使
わして和議を申し込んだ。・・双方が帰陣した。
★戦国Best4に入る知略=嘘:真田幸隆が和議を裏切り、
嵩山城家老:池田佐渡守重安を味方に引き込んだ。・・・
頭に来た斉藤憲宗・城虎丸兄弟は白井(旧子持村)と沼田に
援軍を要請したが、度々なので、来なかった。
永禄9年(1566) 真田幸隆は鎌原・植栗・大戸・池田等を
先陣に、真田幸隆自らは300余騎で嵩山城を攻撃した。
最後は、真田勢が城虎丸を自殺に追い込んだ。城虎丸は
嵩山の大天狗から飛び降りた。

(★上毛古戦記:加沢記・・・)★年代が2年ずれてる。
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 (★嵩山城・・・)
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【1】横尾八幡城・・・中之条町栃瀬

  ■訪問記・・・平成20年(2009)10月
  中之条から高山村に向かう途中、「百瀬の水牢」を越えると、
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  (★沼田藩真田時代の「百瀬の水牢」 )
  ローソンがある。その信号を左折し、川を渡り切った所を
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  さらに左折して150m。消火栓と下の看板がある。
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  登って、左に進むと丘の頂上分岐にでる。
  駐車場がないが左折し、車を停める。
  そこから、2分である。
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・大永年間(1521~1528) 尻高三河守の築城。 (吾妻記)
               塩原源太左衛門が城代。
・天正8年(1580) 真田幸隆3男:真田昌幸が沼田城に無血入城。
    真田昌幸は信濃上田城・上野岩櫃城と沼田城の三城を持つ。
    岩櫃城は上田・沼田間の基軸。昌幸の嫡子真田信之が城主。
    横尾八幡城に富沢備前守(岩下城代富沢但馬守の子)が配置。
・天正10年(1582)  武田氏の滅亡。   織田信長の死。
          →真田氏  VS 北条氏
・天正12年(1584) 真田昌幸の嫡子:真田信之は、八幡城に城番制に。
・天正16年(1588) 真田信之(信幸)は、63人を2組に分け、
          交替で番をした。(関家文書)
       富沢備前守・狩野志摩介・狩野右馬助・折田郡兵衛など
・天正17年(1589) 北条氏邦の白井城からの攻撃。・・・退けた。  
          (中之条の文化財より編集)

△内山城(仙蔵の要害)・・・中之条町折田内山
 ■訪問記・・・20100228
  稲荷城→吉城→山田城→桑田城→内山城と真田幸隆に
  落とされた城を廻った。
  四万川の大きな橋を渡り、中之条町折田に出た。
  沢渡のメイン道路に移動した。
  折田の北の端の橋を渡って、300m。
  ここに、トンネル手前に登山口がある。

○千貫屋敷 中之条町折田千貫

●嵩山城789m(中之条町五反田嵩山)
  ★登山時の写真がパソコンの故障で消滅した。残念。
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 (★親都ちかと神社) 
  蕎麦道場が隣にある。・・・おいしいよ。

○城峰城=西中之条城・・中之条町西中之条城峰=柴宮神社

○伊参城・・・・・・中之条町伊勢町河原町 

○和利宮城・・・・中之条町伊勢町和利宮 

○壁谷の寄居・・中之条町壁谷寄居

○入道城・・・・・・中之条町上沢渡入道城城の腰

○小城・・・・・・・・中之条町河原町

○吾妻城・・・中之条町中之条内出・・・現古城公園
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   (古城より植栗城を望む)

●植栗城・・・東吾妻町植栗殿前

  *真田の家臣として、明記されている。
■訪問記・・・平成20年(2008)10月28日
○中之条町の南に吾妻川のカーブする所は殖栗城である。
○コンクリート会社の砂置き場を反対に入ること300m程の所にある。
①土塁と堀がはっきり分かり、大変貴重な遺構である。
 本郭
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 堀
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 ②土地の持ち主の方に案内していただいた。
 植栗供養塔
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  水の手(水場=供養塔下)
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   ★遺構が完璧なのだ。

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