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zoom RSS 箕輪初心●群馬【沼田城】=北条・武田・上杉の狭間で揺れ動いた城

<<   作成日時 : 2011/12/03 23:21   >>

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沼田城は群馬県沼田市倉内にある。沼田ICを下り、右折する。
直進約500m。急坂を下りる手前を右折し300m程で沼田公園に着く。
沼田城は利根川と薄根川の合流点の北東の河岸段丘の台地上に
築城された城である。比高は約70mほどの崖となっており、
典型的な崖城でもある。沼田は北関東の交通の要所であり、
軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏の諸勢力の
争奪戦の場となった。武田氏の滅亡後は真田氏と後北条氏と
争った。北条氏滅亡後は、真田信之が入城した。

■訪問記@・・・平成20年(2008)10月13日(日)
@沼田城公園=沼田城址
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  ・本丸堀
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  ・鐘楼
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 ・看板
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 ・本丸天守台
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 ・本丸石垣
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 ・本丸石垣堀
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 ・二の丸
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 ・庭園
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■訪問記A・・・・・・平成20年(2008)11月12日(日)
@沼田公園=沼田城祉
◆旧生方誠宅(薬屋)
  ・・・妻生方たつえ「歌人」
◆旧土岐邸(大正洋館)

B川場
C玉原湿原ハイキング
D迦葉山弥勒寺
E迦葉山・・寺で鈴を借りて山頂へ「熊の生臭い臭いにびびった。」
F正覚寺・・鈴木主水の自刃の寺
 真田信之妻の小松姫墓
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小松姫伝説
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小松姫(稲姫)は徳川四天王の本多忠勝の娘→徳川家康の養女
→真田昌幸の長男:真田信之の妻である。
関ヶ原の戦いの直前、下野国:犬伏で真田父子三人が合議。
父昌幸と信繁は西軍、信之は東軍につくことが決した。
真田昌幸は犬伏を発ち、上田への帰路桐生辺りで「沼田に寄り孫
に会いたい」言い出し、沼田城を向かった。
「開門、真田昌幸様、お立ち寄り〜〜〜。」
小松姫は薙刀を片手に、大声で真田昌幸に言い放った。
「会津に向かったはずのご父上が突然現れるは甚だいぶかしい。
 お舅様とはいえ、主人伊豆守(信幸)不在の今、みだりに城内
 にお入れするわけには参りませぬ。」
真田昌幸の家臣たちは
「大殿が子の城に入るに何の遠慮がいるものか、お通し下され。」
と騒ぎ出した。
小松姫、さらに大音声で
「門を押し破ろうとするは何者!城主の留守に狼藉に及ぶは曲者
じゃ。女なれども城主の妻、本多の娘、城に手をかける者は一人
も残さず討ち取らん。」
と怒鳴り返した。
昌幸も苦笑して
「流石は本多忠勝の娘、これには参った。城を盗りに来たのでは
ない。孫の顔が見たかっただけじゃ。」
と言った。
しばらくして、小松姫は城中から子供たちを連れてきて、
真田昌幸に面会させた。(伝)
小松姫は「たとえ舅であっても敵である」ということから
武装した姿で対応し城門を開かず追い返した。
結局、真田昌幸・信繁は沼田城に入ることを諦め、正覚寺で休む
ことにした。真田昌幸は、
「流石は本多忠勝の娘。武家の妻女はこうあるべきじゃのぅ。」
と言ったと伝えられている。
★真田昌幸には沼田城を奪取する意図があったとも言われ、小松
姫はそれを見越した上で穏便に解決したとも言われる。(伝)
伝説なのでなんとも凄い話である。
 (★ウキペディア・埋もれた古城を参考に編集)

訪問記A・・・平成20年(2008)11月12日(日)
  ・水の手
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訪問記B・・・平成23年(2011)1月27日
@川場スキー
A沼田城
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  ・二の丸
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沼田城の歴史
・享禄2年(1529)  白井城長尾氏に属した沼田顕泰が築城を開始。
・天文元年(1531)  沼田城完成。「倉内城」
・天文21年(1552) 平井城関東管領上杉憲政が沼田城に逗留。
・永禄3年(1560) 上杉謙信が出陣。(長井坂城・・・赤城村)
             北条孫次郎らは撤退し、沼田顕泰は降伏。
             沼田顕泰は家督の相続をめぐって3男:朝憲を殺害。
・永禄12年(1569)沼田城は沼田氏から、上杉氏城代へと支配が移動。
・天正6年(1578) 沼田城に鉢形城主・北条氏邦ら三万で沼田城を占領。
           武田勝頼は真田昌幸に沼田城攻略を命令。
・天正7年(1579) 真田昌幸の進行。岩櫃城→名胡桃城→小川城が開城。
           北条氏は5000の軍勢で名胡桃城へ・・
               →大雪のため撤退。
・天正8年(1580)1月 真田昌幸沼田周辺に放火。
5月真田昌幸沼田城に入城。
・天正9年(1581)2月沼田平八郎景義が沼田城奪還を狙って攻撃。
         3月11日、昌幸が沼田城を再攻略。
・天正10年(1582)3月 武田氏が滅亡。6月に織田信長が死亡。
・天正13年(1585) 徳川家康は真田昌幸に上州沼田領の
           北条氏への明け渡しを命令。                             
真田昌幸は明け渡しを拒否し、
           徳川家康と対立。
・天正13年(1585) 7月昌幸は徳川配下から上杉景勝に接近。
           北条氏との間で沼田城をめぐって対立。
・天正17年(1589) 関白豊臣秀吉の裁定で、
    ・沼田城を含む沼田領の三分の二が北条氏の領土.。
    ・名胡桃城を含む三分の一が真田氏の領土。
            城代猪俣邦憲は真田の名胡桃城を攻撃。
         →10月、秀吉は小田原攻め。
・天正18年(1590) 北条氏は降伏開城。小田原北条氏は事実上滅亡。
      真田信幸(信之)が27000石で入城。五層の天守造営。
・慶長5年(1600 関ヶ原の役。
    真田信幸は徳川東軍 VS 真田昌幸と信繁(幸村)西軍
    真田信幸は沼田領を安堵。信州松代城を安堵。
・天和元年(1681)真田氏五代伊賀守の改易に伴い廃城。
・元禄16年(1703)本多氏35000石により再建
・享保17年(1732) 黒田氏30000石2代→土岐氏→廃藩置県
・大正5年(1916) 旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が
購入され整備。
・大正15年(1926) 沼田町(沼田市)に寄付。
・現在・・・・沼田公園。

箕輪初心のお薦めグルメ
@キノコ汁・・・沼田名物加盟店は10軒近くなったかな?
         3回

A柚庵(ゆあん)・・・
クマノミさん→マス君さんに4回ご馳走になったのだ。
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★出来るだけ早く、沼田の城を紹介したいと思っている。

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