箕輪初心●佐賀【唐津城】=ライトアップされた城

名護屋城を後にし、呼子のイカも食べず、伊万里港も寄らず、
ひたすら、唐津城に向かった。辺りは薄暗くなり始めたのだ。

唐津城は松浦川が唐津湾に注ぐ河口の満島山43mにある。
唐津湾に突き出た満島山上に本丸が築城された。西側に二の丸、
三の丸が配された連郭式の平山城である。松浦川の右岸には
国指定特別名勝の虹の松原が広がり、満島山を中心に鶴が翼を
広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれているという。

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■訪問記・・・平成23年(2011)10月10日
★もう、真っ暗で残念。
○大手門入り口前駐車場
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○案内板
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○大手口へのアクセス
①天守閣に登る・・・長い石段を上る
 ②天守閣横へ上る斜行エレベータ・・(有料で100円)
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○大手門
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○二の丸展望台
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○二の丸・・・藤棚
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○本丸門・・・高麗門
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※工事中・・・
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○本丸・・・・闇の中のカップル
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○疑似天守閣・・・
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●逃した唐津焼
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唐津城の歴史
・文禄4年(1595) 豊臣秀吉家臣:寺沢広高が入封。
・慶長5年(1600) 関ヶ原の戦い・・・寺沢広高は東軍、
   肥後国天草郡4万石を加増→12万3千石の外様大名。
・慶長7年(1602)寺沢広高は本格的な築城を実施。
   (江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった。)
・慶長13年(1608) 完成。
  ※満島山を切り離し、松浦川が唐津湾に注ぐよう流路変更。
  秀吉の死後、廃城となっていた名護屋城の遺材を使用。
  九州各地の諸大名の助力を得て築城。
  柳川堀、佐賀堀、肥後堀、薩摩堀など普請に協力した
  大名の領地名が堀の名が残存。
  二の丸に藩庁御殿が建築。三の丸は侍屋敷。
  天守は天守台までしか建築されなかった。
・正保4年(1647)広沢堅高は江戸藩邸で自殺。
   →嗣子がなかったために寺沢家は断絶。
・寛永4年(1627)・・幕府の記録には天守の存在は記録なし。
・慶安元年(1649)播磨国明石城主:大久保忠職が入封。
・延宝6年(1678)大久保氏が下総国佐倉城に移封。
         →大給松平乗久が入城。
・元禄4年(1691)大給松平氏が志摩国鳥羽城に移封。
         →土井利益が入城。
・宝暦12年(1762)土井氏が下総国古河城に移封。
         →三河国岡崎城より水野忠任が入封。
・文化14年(1817)水野忠邦が遠江国浜松城に移封。
 ★実益24万石というが、老中を狙ってのことらしい。
         →陸奥国棚倉城より小笠原長昌が入封。
・以後明治維新まで・・小笠原氏の居城。
・明治4年(1871) 廃藩置県により廃城。建造物が解体。
・明治10年(1877)舞鶴公園として整備。
・昭和41年(1966)5層5階の模擬天守・門・櫓を再建。
・平成元年(1989)唐津市役所前に肥後堀と石垣を復元。
・平成4年(1992)二の丸跡に時の太鼓を復元。
・平成5年(1993)市役所付近に三の丸辰巳櫓を復元。
(★日本の城・唐津市Hp他より編集)

★駐車場代を払ったのが、悔しい。
現地カップルと同じ場所に停めればよかった。
今宵は福岡市でグルメだ。そして、明日が福岡城だ。

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