箕輪初心●真田3代④『真田信綱→真田昌幸の時代』

永禄9年(1568)に上野国:箕輪城を9年がかりで攻略した。
直後、真田幸隆は箕輪城の旧長野氏領の知行割替を任された。
この『真田家文書』には、武田信玄から一徳斎(=幸隆)&
信綱(=信玄の信)の2名宛の手紙から、真田信綱が家督を
相続したと解る。 その後、真田幸隆は上野国:白井城(長
尾氏)を攻略した。武田信玄は上野国の侵攻は一段落となっ
た。そして、武田信玄は海のある駿河攻撃を考え始めた。

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●白井城(群馬県渋川市)
■『信玄公御代惣人数・・・(甲陽軍鑑)』
①真田源太左衞門尉(=信綱)旗黒4万 200騎
②真田兵部(=昌輝)       50騎
③武藤喜兵衛(=昌幸)           15騎足軽30人

永禄10年(1569)  ・3国同盟

永禄11年(1570) 
⑯武田信玄の駿河攻め開始。
  甲相駿三国同盟を破棄した武田信玄が駿河に侵攻。
●今川館・・・=駿府城
   →今川氏真は掛川城に逃亡。
  徳川家康が高天神城を占領。
  今川方の属将:小笠原長忠を駿河城将として置城。
  ※織田信長が京都へ。  

永禄12年(1569)
・武田信玄が駿河蒲原を陥れた知らせを、
 真田幸隆(幸綱)・信綱は受ける。
・沼田城は上杉氏城代へと支配が移動。

・元亀元年(1570) 
武田信玄は興国寺城・韮山城・高天神城を攻撃。

元亀2年(1571) 
武田軍の興国寺城攻撃。
→北条家臣:垪和(はが)伊予守氏続父子が撃退。
  垪和(はが)伊予守氏続父子:
  ★1582年~群馬の倉賀野城。1587年箕輪城主
●興国寺城の本丸堀
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 北条氏康が死亡→甲相同盟が復活。
 2月甲相和睦が成立。→興国寺城は武田氏の属城。
※武田信玄が実力では落とせなかった城の一つである。
 穴山信君の家臣:保坂掃部・向井伊賀守正重
 ・曾根下野守正清らが在番。

・武田信玄は遠州諸城を落とし、浜松城に肉薄。
●真田昌幸は白井城代
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・ 信玄は浜松城が堅固な守りであることを知ると、西に進軍。
 家康は「庭先を踏みつけられて見過ごすは弓矢をとる者の恥だ。」
 武田軍25000  VS 家康11000+織田信長の援軍3000  
    結果・・家康が×   浜松城に撤退。

元亀3年(1572)
3月  真田幸綱は箕輪城で、春日虎綱(高坂弾正)の
       指示を受け、出陣。
12月 三方ヶ原の戦い 武田信玄が、徳川家康を破る。     

天正元年(1573)
3月 上杉軍に白井城を奪われる。
真田幸綱は上杉軍と交戦。
4月 武田信玄、死去(53才)
    →武田家を継いだ武田勝頼は遠州方面へ進出開始。
     武田勝頼は、馬場信春に諏訪原城を改築。
   小山城・田中城・相良城などとともに遠江防衛ライン。

天正2年(1574) 
5月19日 真田幸隆が、死去(62才)。
      長谷寺(上田市真田)が菩提寺。
●長谷寺(上田市真田)
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  (★右・・・真田昌幸
    中・・・真田幸隆
    左・・・真田幸隆の妻=重臣:河田氏の妹

5月28日 真田信綱?宛の武田勝頼書状
     ・高天神城の攻防と幸隆の病気見舞いの
書状(真田宝物館)
      
       真田昌幸は尻高城を攻撃。
      尻高氏(白井長尾氏の分家)は滅亡。
●尻高城
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11月11日 蓮花童子院宛の真田信綱からの安堵状


天正3年(1575)
5月21日 長篠の戦い・
武田勝頼は信長・家康連合軍に大敗。
    ・・・箕輪城主:内藤豊後守昌豊(昌秀)戦死
   真田信綱(39才)・ 真田昌輝(33才)も戦死。
    ※長篠合戦図屏風に2人がいる。(大坂城天守閣)
    
3男昌幸が甲府(武藤家養子:武藤喜兵衛)
  から真田へ帰り、真田の家督を継ぐ。


天正4年(1576)
 真田昌幸は長篠の戦いで戦死した兄:信綱の
菩提寺:信綱寺を建立。
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●真田信綱の墓&白川兄弟
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・天正5年(1577) ・真田昌幸は白井城代

・天正6年(1578)   
6月 上杉謙信、死去。
    
   鉢形城主・北条氏邦ら30000で沼田城に侵攻
   沼田城を占領。猪俣邦憲が沼田城の城代→
   ●三国峠→越後:浅貝城(苗場スキー場前)
     →越後:荒砥城(神楽&湯沢の峠)→樺沢城へ 
10月 北条氏邦の名胡桃城&小川城攻撃
     大雪のため、失敗。   

武田勝頼は真田昌幸に沼田城攻略を命令。
   
   徳川家康は遠江横須賀城築城。
周囲の三井山、山王山、宗兵衛山など「六砦」を築城。
    ・・・・高天神城の武田勢の兵糧弾薬の搬入を遮断。
    武田軍は前面の家康・背後の北条氏・・・
城将以下900名の城兵は玉砕を覚悟。
●高天神城
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天正7年(1579)
真田昌幸が、上州名胡桃城と小川城を攻略。
上杉氏と同盟した武田氏の家臣真田昌幸に命じて、
 利根川の渡河点警護と後北条氏から沼田領を奪取するための
  前線基地として本格的に築いた城。
  *名胡桃城築城・・・・城代は鈴木主水重則。
  ★八木節に出てくる「主水」である。

●名胡桃城(沼田市月夜野町)・・・月夜野IC苗場方面500m
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●小川城
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天正8年(1580)     
 3月 北条氏邦の名胡桃城&小川城再攻撃
     失敗。  

 3月 武田勝頼から矢沢頼綱に北条から死守を褒め、
     調略を進めるように指示。真田昌幸を送ることを
     伝えた。   (★加沢記)

 5月 明徳寺城の戦い
●明徳寺城
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     権現山城(=榛名山城)の戦い→
●権現山城
     真田勢の矢沢頼綱は沼田城は攻略。
     北条氏の沼田城代:藤田信吉が降伏・・・
      (★藤田は矢沢の調略に乗った可能性がある。)      
     名胡桃城は沼田城と岩櫃城の中継地となった。
     武田氏の沼田城代:藤田信吉が誕生。    

●沼田城
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天正9年(1581)
 2月 沼田平八郎景義が沼田城奪還を狙って攻撃。
 3月11日 真田昌幸が沼田城を再攻略。
        沼田城代は海野兄弟。・・・
  ・沼田城代の海野輝幸父子(昌幸母方叔父)の不満
→北条氏にそそのかされ反乱。
   →真田昌幸・矢沢頼綱(昌幸父方伯父)は攻撃し、討伐。
(かしょう山へ)
    真田昌幸の嫡子信之が城主。
城代は矢沢頼綱(幸隆弟)。
    岩櫃城は上田・沼田間の基軸となり、真田支配が強化。
・岩櫃城は池田・鎌原・湯本が城代。

  ・真田昌幸は甲斐新府城の普請奉行。    
●新府城
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・武田氏は遠江方面の高天神城を失い、木曾義昌や穴山梅雪等
   の家臣団の離反が相次ぎ、滅亡への道を進む。

天正10年(1582)
 1月・徳川家康の命で真田昌幸が小県郡の土豪(丸子氏など)
    を制圧。→真田配下。
●丸子城
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●虚空蔵山

2月 真田昌幸は、武田勝頼を迎えるため、岩櫃山の南に
   潜竜院を創建。祢津氏が院主。 
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3月 武田氏が滅亡。


●●●真田昌幸家臣団(天正末期) ●●●
①譜代の城主・
 ・矢沢頼綱(沼田城:叔父) 
 ・常田隆家(常田城:従兄弟) 
 ・丸子三右衛門(丸子城) 
 ・禰津元直(禰津城・滋野一族) 
 ・恩田越前守(森下城)   
 ・鈴木主人(名胡桃城)  
 ・大戸真楽斎(大戸城) 
 ・鎌原幸重(鎌原城:海野一族) 
 ・海野輝幸×(沼田城代)を殺害 
 ・横谷幸重(雁ヶ沢要害:八ッ場ダム入り口右)
②譜代の重臣・・・・
 ・出浦対馬守(岩櫃城出浦・・・中城下)  
 ・富沢豊前守(岩下城)   
 ・望月主人(滋野一族遠親戚)  
 ・矢野孫右衛門 
 ・河原右京・・・・真田幸隆の正妻の甥 
 ・春原惣右衛門
③旗本・・・・・・・・・・・・・
 ・戸田半兵 
 ・神子典膳 
 ・中山勘解由(中山城)  
 ・太田善太夫  
 ・朝倉籐十郎  
 ・辻太郎作 
 ・斉藤久右衛門
④新参:旧武田家臣・・・
 ・小山田壱岐守・・・・元甲州  
 ・原監物 
 ・大熊五郎左衛門(元箕輪城勤務)  
 ・瀬下若狭守(元箕輪城勤務)
⑤新参・旧今川家臣・・・
 ・木村土佐守
⑥新参:上州衆・・・・・・・
 ・湯本三郎右衛門尉   
 ・羽田筑後守(元上野大柏木城主・長野業政の甥)  ・
⑦新参:沼田7騎・・・・・・
 ・和田主殿   
 ・恩田伊賀守  
 ・下沼田豊前守   
 ・久屋籐五郎  
 ・発知三河守  
 ・岡野屋加賀守  
 ・金子美濃守

真田軍4000騎の内訳
①先陣700余騎・・真田隠岐守信伊(弟)・海野 ・金子  他
②前備500余騎・・鎌原 ・和田  他
③旗本150余騎・・赤沢常陸介  ・佐藤豊後守  他  
④左脇備300騎+25騎使番・・海野・湯本・加茂大膳  他    
⑤右脇備200余騎+25騎使番・・富沢・横谷他
⑥馬廻衆500余騎・・丸山土佐守  大熊・富沢
⑦武者奉行・・・・・・出浦・佐藤備中守 他  
⑧足軽軍団100余騎・・・・・・・・・・
⑨後備500余騎・・・植栗・塩野・尻高  他
⑩殿軍700余騎・・・藤田能登守・我見修理・木内甚五左衛門 他
⑪小荷駄奉行100余騎・・山越左内・一場太郎左衛門 他 
  ・3300騎
⑫留守部隊500余騎?・・・・・・・・                               
合計 4000騎弱?

■真田忍軍
総帥・・・・・・出浦対馬守
 (長野・坂城出身・武田信玄の素破隊長→森長可
     →真田幸隆の家臣:岩櫃城代など歴任)
副総帥・・横谷・鷲塚佐太夫(=猿飛佐助の父説が有力?)
隊長格・・割田下総・唐沢玄蕃・剣持喜右衛・田村左次左衛門
      ・岡山源右衛門・広田岡右衛門
●忍者・・下級武士・浪人・百姓・山伏・またぎ・巫女・舞芸人など
★岩櫃城&柳沢城の間の寺・・・修験道場=スパイ養成所
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真田十勇士
・猿飛佐助・霧隠才蔵・三好清海入道・三好・穴山小助
・由利鎌之助・筧十藏・海野六郎・根津甚八・望月六郎    
             (★真田三代)

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