箕輪初心●佐賀【佐賀城】=再建された本丸御殿

№622吉野ヶ里で、南内郭・北内郭・北墳丘墓を見学した。
そして、武雄温泉近くのビジネスホテルに宿泊が決まった。

№623佐賀城の構造は輪郭梯郭複合式平城だそうである。
納富さんの案内のおかげで、佐賀城の歴史を充分楽しめた。
そして、幕末~明治にかけての佐賀も凄かった。特に、万延の
遣米使節団に8人のメンバーがいたことは新鮮な発見であった。
佐賀県は見所満載の場所であると思った。「凄いぞ、佐賀。
はなわ&江頭2:50だけじゃない。酒井田柿右衛門・井上萬二
・今泉今右衞門・青木龍山などの有田焼陶芸家。それに、
江崎利一(江崎グリコ創業者)・ 森永太一郎(森永製菓創業者)
・孫正義(ソフトバンク創業者)などの実業家・・・等。」

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 (★佐賀城本丸御殿の殿様の座った場所からの写真)


■訪問記・・平成23年(2011)10月9日
○佐賀市の中心に位置する。ナビは「佐賀城です。」と言った。
 しかし、駐車場がわからず、とんでも2kmも遠回りした。
 再び、南側から城に向かった。
○幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。
○博物館の駐車場にやっと停められた。
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○西口
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○鯱の門に繋がる石垣を左に見ながら進んだ。
○本丸御殿・・・右
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○鯱の門
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●本丸御殿・・・開館が6時までだった。
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1時間半もあるぞと思った。
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  (★パンフレット)
●500円。スタンプを押した。
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①御玄関・・・
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●大隈重信のポスター・・・納富さんに
 「大隈重信は小栗上野介の従姉妹と結婚した。
  小栗上野介の子孫の結婚するまで面倒を見た。
  勝海舟より凄い人物だと思います。歴史上、薩長史観
  ・・・もしかして、薩長土肥で佐賀も含まれるかもしれ
  ませんが、明治政府から抹殺された人物です。・・・」
 10分位説明した。・・・
 「だから、佐賀城の後に大隈重信先生の家に行きたいのです。」
②御式台・・・客間
③北側廊下・・
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・閉めたの戸を開けて下さった。二重の木製鍵だ。★感謝です。
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④御三家座・・・小城家・蓮池家・鹿島家の間
●今は・・「佐賀城の変遷&本丸」展示場
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 10代藩主:鍋島正直の「佐賀城御本丸差図」などがある。
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⑤外御書院・・・1~4の間があり、廊下を合わせて320畳。
 ★鍋島公の座った場所に座って、「余は満足じゃ。」と心の
中でつぶやいた。急に偉くなった気がした。

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⑥たまりの間・・・家臣の控え場所。
⑦御小書院・・・御三家と重臣の会議場所
⑧「御座の間」・・・鍋島直正の居室
  一番奥にある。
 納富さん「天保期の建物で、
  小学校時代、校舎として使ってました。」
⑨外御所院の南廊下
⑩御料理間
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●今は・・・「幕末・維新期の佐賀」を展示
●今は・・・「明治維新と佐賀の群像」を展示
佐賀の七賢人(けんじん)・・・江戸時代末期から明治時代にか
けて活躍した佐賀藩出身の偉人七人の総称である。 
★佐賀が一番輝いていたのは幕末・明治かもしれない。
  実務に優れていたようだが、あまり表には出ていない。
1)鍋島直正(閑叟)・・・1814年~1871年
  納富さん・・・「佐賀藩の第10代藩主。」
         「医学館や反射炉を建てさせました。」
    北海道開拓使長官となった。
★佐賀藩が三池炭鉱・高島炭鉱などを持っていたので、
北海道でも炭鉱採掘権をねらったのではないだろうか?

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2)佐野常民  1822年~1902年。
   納富さん「日本初の蒸気機関車模型を完成・・・。
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「佐賀藩の大砲作りの監督・・・」
佐賀の大砲技師&日本赤十字社設立。」
★「水力で、大砲の筒を削ったので、何日もかかった。
これが佐野某さんの大砲ですか?」
納富さん 「幕府から200挺の大砲依頼がきました。」
★「小栗上野介は横須賀造船所で、蒸気式の大砲を造らせたん
    ですよね。1日で筒ができあがります。佐野さんは、
    1週間で1つの大砲しかできなかったんですね、」
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3)島義勇  1822年~1874年
  納富さん「北海道と樺太を探検・調査→北海道開拓使。
       札幌の街作りに貢献した。」

4)副島種臣  1828年~1905年
  納富さん「参議、外務卿、内務大臣。」
★「有名な方ですよね。

5)大木喬任 1832年~1899年。
  納富さん「東京府知事、初代文部卿、元老院議長・・・。」

6)江藤新平・・・1834年~1874年
  納富さん「一番、頭がよかったかも?
   廃藩置県を行いました。司法卿、参議に就任しました。
  でも、佐賀の乱で敗れ、死刑・・・鯱の門に銃痕が・・・。」

7)大隈重信  1838年~1922年
  納富さん「有名過ぎますよね。」
  ★たしか、立憲改進党。早稲田大学の開校。
  内閣総理大臣を2回やったかな。
  早く、大隈先生宅に行かなくちゃ。
 「小栗上野介の嫁さんのいとこだよーん。」 
http://www.saga-ed.jp/workshop/saganntw/contents/rekisiwotazunete/jinnbutu/sitikenjin/sitikenjin_top1.htm
 
★★★小栗とポーハタン号で行った人が4人いたのだ。
 万延の遣米使節団・・佐賀藩から4人
 ①小出千之助 ②川崎道民 ③福谷啓吉 ④島内栄之助
ふと、閃いた。
「もしかして、この4人のだれかが、大隈重信に小栗上野介を
 紹介したのではないだろうか。そして、大隈は小栗の偉大さに
 圧倒され、小栗の従姉妹を嫁にすることにしたのではないだろうか」

 ★明日に続くテーマになった。ここから、動けなくなってしまった。
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★納富さんに感謝。・・・ボランティア寄付を入れた。
 1時間の案内だった。
「PADIの本部にインストラクター試験官に納富さんがいる。」

■先祖の納富介次郎(のうとみ かいじろう)1844年~1918年
 芸術家・文学・工芸教育の発展に寄与・・・・
 小城藩士柴田花守の次男。納富家の養子。
 父にに日本画を、長崎で南画、横浜で油絵を学ぶ。
 明治6年(1873)ウィーン万国博覧会の審査官。
  各国の製陶技術を学んで帰国。
  小石川に江戸川製陶所を設立。
  石川・富山・香川・佐賀県に県立工業学校を設立。
 (★ウキペディアを参考に作成)

★「薩長土肥」の言葉は小学生から植えつけられた。
  討幕も出遅れた鍋島の優秀な藩士は明治を築いたのだった。

○鯱の門・・・天保9年(1838)に建造。国重文。
       佐賀の乱の玉跡がある。
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○鯱の門と続櫓
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○天守台・・・
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※城跡・・・県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、
 小中高の各学校、公園(佐賀城公園)など公共施設がある。

佐賀城の歴史
・天正年間(1573~1591) 龍造寺氏が居城:村中城を改修・拡張。
・天正12年(1584)龍造寺隆信は九州北部制覇を唱えてたが、
           島津・有馬連合軍に敗れて戦死。
  →龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を掌握。
・天正13年(1585)鍋島直茂は村中城改修開始。
   当主:龍造寺政家の居城・・・
   鍋島直茂は蓮池城が居城。
・慶長7年(1602)本丸の改修を始めてからである。
・慶長13年(1608)鍋島直茂の計画
・慶長16年(1611年)2代藩主:鍋島勝茂が総普請を完成。
     内堀の幅は80m。5層の天守も建造。
・元和元年(1615) 元和の一国一城令で、居城蓮池城は破城。
  城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用。
  豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても繁栄。
・享保11年(1726)佐賀城大火で天守以下本丸建造物の大半を焼失。
・享保13年(1728)二の丸に完成。
・天保6年(1835)佐賀城大火災で二の丸を焼失。
・天保9年(1838)本丸再建・鯱の門・続櫓完成。
・明治2年(1869) 佐賀政庁
・明治7年(1874)江藤新平を中心とした佐賀の乱
   佐賀城は反乱軍に一時占拠。建造物の大半を消失。
   鯱の門には当時の弾痕が現在も残っている。
・以後、佐賀城址に裁判所・学校、測候所、県庁など公共施設が建設。
・平成16年(2004)本丸御殿=佐賀県立佐賀城本丸歴史館が完成。
★納富さん「実際の3分の1です。・・・」
・平成18年(2006)日本100名城89番
  (★佐賀城パンフレット・日本の城などを編集)
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★納富さん=ガイドボランティアで、理解度が全く違う。
 箕輪城のボランティアガイドとしては、佐賀城の本丸の
 納富さんに感謝感激の1時間半であった。・・・でも、
大隈さんちは、真っ暗じゃん。まっ、いいか。収穫が
 でかかった。

★武雄温泉へ、ようこそ。
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