箕輪初心●箕輪城シリーズ№71「曼珠沙華&本4冊の紹介」

★9月の箕輪城情報
箕輪城関係の本を4冊紹介・・・★下記参照。
 【1】「箕輪城&長野氏」近藤義雄著  
 【2】『中世~近世初期の浦野安孫家文書について』秋山正典著
 【3】「関東の城を歩く」北関東編 「箕輪城」秋本太郎著
 【4】「中世の合戦と城郭」峰岸純夫著
10月30日:箕輪城祭り
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箕輪城搦め手口は工事中。歩き可。 (~10月30日まで)
二の丸下に白い曼珠沙華がちらほら・★今年は少ない。
  9月13日・・・外来種の曼珠沙華
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  9月19日・・・白い曼珠沙華
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  ★昨年とは、大違いである。
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⑤木俣・郭馬出・堀・大堀切で、発掘調査中
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■【1】 「箕輪城&長野氏」近藤義雄著 2011年1月8日
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はじめに
 第一章 戦国時代の上野国
 第二章 長野氏のおいたち
 第三章 長野氏の城館と経済的基盤
 第四章 成長する長野氏と業政の登場
 第五章 長野業政を支えた最強“長野軍団”
 第六章 箕輪城攻防戦
 第七章 長野氏が信仰した神社・寺院
 第八章 箕輪城の変遷
 あとがき
 箕輪城と長野氏関係 略年表
 
 ★近藤義雄先生の思い出
 近藤先生は90歳を越された。10回位講義や現地説明会を聴い
 たり、個人的に直接話をしたりしている。でも、覚えてもらえない。
 講義・・・「箕輪城」
 話・・・・「パプアニューギニアでの戦争体験」
 現地説明会・・・「金古宿」「群馬町の史蹟」などである。
「パプアニューギニアでの戦争体験」では、マダンからオーエン
 スタンレー山脈を越え、ポートモレスビーに近づいた。でも、オース
 トラリア軍が攻めてきた。私たちは台八車に積んだ大砲を運びながら
 退却した。ヴィルヘルム山4509mの脇の山脈をコースにとり、ゴロカ
 ?に向かった。でも、途中、餓死者が続出した。ヘビはタンパク源とし
 て貴重だった。ベルトも食った。・・と話して下さった。
 私のパプアニューギニアにアロタウ&ミルンベイのダイビングに行き
 親戚(父の従兄弟)の供養をした話から始まったのだった。

■【2】 「箕輪城関係資料」群馬県立文書館館発行「双文」
    秋山正典著 2011年7月
 
 8月3日・・・飯森康広先生に面会でき、新情報を得た。
 飯森先生は『関東の名城を歩く』の北関東編の著者の一人でもある。
 「箕輪城」の講演会を一度聞いたことはあったが、話したことはなかった。
 群馬県立文書館の双文(館発行の冊子)に「箕輪城関係資料」を教えて
 戴いた。それは、浦野安孫(やすひこ)氏宅の古文書である。
 群馬県立文書館の秋山先生が平成23年(2011)3月~が調査に入り、
 7月に発刊した最新の情報である。これは、箕輪城主:長野業政の子
 長野業盛の子:鎮良(落城後、極楽院に匿われた。?)の行方とも
 繋がっている。
『中世~近世初期の浦野安孫(やすひこ)家文書について』秋山正典著  
1)浦野家の出自
①滋野姓海野氏(信濃国小県郡)→真田氏・羽尾氏・鎌原氏と同族。
②大戸城主:浦野(=大戸)右衛門尉重俊の次男:村信が本山:聖護院
から跡目を許され、吾妻郡長野原町林の諏訪神社別当大乗院の住職に
なったことより始まった。以来、280余年、明治5年まで続く。

2)浦野家文書
①浦野恒彦(のぶひこ)氏・・・・・・・・・・115点の文書
②浦野安孫(やすひこ)氏=恒彦氏従兄弟・・・約4000点
 ※長野正夫氏=極楽院受給文書・・・高崎市箕郷町和田山
※写しのみである
★長野正夫氏は父の恩師である。

3)浦野2家伝来の極楽院受給文書・・21点の一部より抜粋
●足利義昭→聖護院&武田信玄→・・・武田信玄→極楽院
 ⑤永禄10年(1567)(秋山説)8月4日の「足利義昭御内書」
内容・・聖護院が極楽院を「上野年中行事職」に任命。
足利義昭が武田信玄にも通達した。
 ⑥永禄10年(1567)(秋山説)9月5日の「足利義昭への聖護院の返事」
内容・・足利義昭御内書の返事=足利義昭家臣の曽我と朽木宛
 ①永禄11年(1568)(秋山説)1月23日の「武田信玄の極楽院安堵書

●織田信長重臣:滝川一益→極楽院
⑨天正10年(1582) 3月28日の「上野年中行事職の安堵状」

●北条氏邦→極楽院
⑪天正10年(1582) 7月11日の「上野年中行事職の安堵状」


4)浦野安孫(やすひこ)氏の極楽院受給文書の新発見=最重要
★今回のメインである。
  足利義昭→聖護院」
 ⑲●永禄10年(1567)(秋山説)5月19日の「足利義昭御内書」
 
任鴻信染帋毫候彼亀寿事(=長野業盛=氏業の子:鎮良)
信玄依為敵筋者被属御門弟儀
御斟酌尤存候併分國中彼徒
不恐申軍働依申一旦雖加誅罸
悪其罪不悪其人者智者金言
三尺験重信玄茂不便二存行之
  取立可遣之由相聞へ更後難
沙汰不可有之候条任頼申一二
吹聴候也謹言
  五月十九日   足利義昭花押
聖門(=聖護院)
待中
 
 
 内容・・ 足利義昭が聖護院に依頼し、
      極楽院安堵と亀寿庇護のを武田信玄に要請。

★飯森氏「初公開の資料で、大変重要である。」
★私には、さっぱり解りません>>>

5)大乗院にある徳川家康の黒印状   
⑲●天正20年(1592)1月23日 「徳川家康→極楽院」
北条家から徳川家康に支配が移った後の、家康の安堵状。
※長野正夫氏(父の恩師)の徳川家康の御朱印状と同じ。
 ⑳●慶長5年(1600)9月11日の「極楽院→徳川家康へ発給」
  「関ヶ原の戦いの戦勝祈願」の守札の持参したことに対し、
※徳川家康の黒印状の写しがある。

6)浦野家の大乗院関係文書
 ○天正13年(1584)5月5日 浦野重俊書状「重俊→大乗院参」
※浦野重俊(=浦野右衛門尉の子・・天正9年高天神城で討ち死に)
 
 ○??年     7月25日 浦野秀幸書状「秀幸→大覚坊」
  内容・・大覚坊?に対する、大乗院の召仕(傘下)&門被官願い
※浦野秀幸(=浦野右衛門尉の孫・大乗院三代の弟・真田幸隆の家臣) 

 ○???年 7月18日 羽田筑後守奉書「羽田→大覚坊」
内容・・大乗院領諏訪免8貫400文の所領安堵 &
       浦野左衛門尉秀幸に召仕を一任。
★真田幸隆に仕える方法は任せるが、頼むぜってとこか?
  ※永禄3年(1560)の「関東幕注文」にある羽田藤太郎の子?
滋野姓海野一族の真田幸隆・浦野氏・羽尾氏(羽根尾)
 ・鎌原氏と同族
★羽田氏は長野業政の娘婿で、東吾妻町の大柏木城の城主
★元総理大臣:羽田孜の先祖・・・(★羽田孜次男の言)
 
 ○???年 3月28日 鎌原宮内丞書状「鎌原→大乗院」
★内容・・萩原源左衛門に1貫文あげた。・・・。
  ※鎌原宮内丞(=鎌原宮内少輔・又は子孫?)
  ★永禄4年(1561)頃、鎌原宮内少輔は、同属の海野幸全(ゆきまさ)
  &羽根尾幸光兄弟と長野原の所領を巡って対立し、鎌原城を乗っ
  取られた。鎌原宮内少輔は、真田幸隆→甘利昌忠経夕で武田の配下
  になる。そして、鎌原宮内少輔は、真田幸隆?昌幸?の家臣団に
  編入し、海野・羽根尾と戦う。・・・永禄7年(1564)には、鎌原と
海野幸全&羽根尾幸光・輝光は真田幸隆の家臣になる。
鎌原氏はずうっと、真田家の重臣として江戸時代も存続した。 
★鎌原城・・・嬬恋村の鎌原観音堂の北西500m

【6】おわりに
 ★あ~あ、難しかった。俺の文章も難しいが、もっともっと難しい。
難しい事を簡単に説明するにはどうしたらよいだろうか?
 俺のブログなんて、難しいままなのだ。

■【3】 「関東の城を歩く」北関東編 2011年?月
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 ★高崎市教委の秋本太郎先生の書いた「箕輪城」を読んだ。
秋本太郎先生・・・箕輪城発掘8年→保存整備の原案作成
私のブログでは、秋本先生の発掘調査報告を多数公表。
 ★群馬県埋文の飯森康広先生の書かれた城も読んだ。
飯森康広先生・・・「箕輪城の歴史」の講演会で聞いた。
八ッ場ダム付近の城は飯森先生が初めての調査である。
館林市史編纂の担当もされた。
★峰岸純夫先生・・・・「館林城」など 

■【4】 「中世の合戦と城郭」峰岸純夫著 2009年5月15日
(★平成22年9月の「里見一族の歴史」講演会で購入。
 直筆サイン入りの本なのである。親戚の方などとも話した。)

峰岸純夫先生・・・高崎市立六郷小学校・・慶応大学卒
宇都宮大学・都立大学・中央大学で教鞭・・
群馬県立歴史博物館館長・・・都立大学名誉教授
★平成22年2月8日の箕輪城シンポジウムの講演者だった。
★「箕輪落城」・・・P124~P154

この記事へのコメント

箕輪初心より
2011年09月21日 20:33
「南関東編」をもちろん購入しました。後で、先生の名前をこっそり調べます。コメントをありがとうございました。先生の城は行っていないので、いつか訪ねたいと思います。私自身、凄い本が出たので楽しみです。
富岡武蔵
2011年10月09日 22:28
南関東編はまだ購入していません。浦野安孫家文書についても購入したいと思います。浦野氏は手子丸城から
三の倉城と吾妻に君臨していた氏族で、私の実家周辺の富岡中澤集落に浦野の姓名を名乗る家が多く。浦野氏も
調べて行きたい氏族でもあります。
 最近は平瀬南支城、稲倉城、春日城(望月町)、望月城と攻めています。
富岡武蔵さんへ
2011年10月12日 07:07
①上のコメントは南関東編の著者の方からです。もの凄いHpです。②浦野安孫家文書は文書館の双文で、購入できるか不明です。電話で問い合わせするのがよいと思います。コピー依頼も一つの方法かもしれません。春日城・望月城は行っています。ブログ、楽しみにしています。

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