箕輪初心●群馬:権田城=武田信玄の長野氏への攻撃拠点

箕輪初心●群馬「権田城」=(上の久保城)
富岡武蔵さん、権田城を紹介しますよ。 
長野氏→武田氏→真田氏→北条氏→真田氏と支配勢力が代わった権田城。
権田城は倉渕村権田矢谷戸・上の久保・鉄火・花輪地区である。
ちょうど、東善寺の東奥の裏山にある。

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■訪問記・・・2010年秋。5回目の東善寺を訪問。
偉大な「小栗上野介忠順」の探索後、権田城へ行くことにした。
東善寺の村上和尚さんに「権田城」の行き方を教わった。
 国道406の東善寺前を道なりに30m上った所から東の山に回り込んだ。
上ノ久保地区で城を教わり、西から城の全貌を見ることができた。
★細長い丘陵を利用して築かれたのがよく分かった。
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上ノ久保から鋭角に右折して城の東に回り込んだ。
車を畑の入り口に停め、畑の中を横切った。民家の裏山の畑である。
本丸の東の空堀に出た。深い堀だった。★感動的であった。
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「なんで、こんな場所なのか?」 ひらめかなかった。
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  看板を見た。
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本丸脇から二の丸に下った。大きな空堀が走っていた。
本丸の空堀&二の丸を見ながら、さらに下った。
腰郭、空堀、土居の一部が残っている。
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  大手は鼻輪の南西方面かな?
二の丸から本丸に上がった。
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搦め手口から城の西側は竹藪になっている。
さらに行くと本丸二の丸下は急崖となっている。

  帰って来てから調べると、
 上ノ久保から花輪(鼻輪)まで南北に300m
 ・東西最大幅150m。であった
 細長い丘陵をうまく利用して築城したのが分かる。
 本丸・・・東西50m、南北40mの本丸
二の丸・三の丸・珍しい笹郭があった。

 
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   (山崎一氏作成の縄張り図)

■権田城の歴史
 ・古墳時代・・・・・・・鍛冶遺跡=(現倉渕支所)
               物部氏の武器製作集団が砂鉄を求めて在住
 ・鎌倉時代・・・  榛名神社の社領   板碑
 ・南北朝期~   五輪塔。
 ・室町初期・・・・   権田氏の館   
 ・永和2年(1376) 「石上神社に三ノ倉鍛冶に金をうたせた。」
 ・応永年間(1394~)高崎の木部氏(関東管領上杉氏の被官)の領地。
 ・延徳元年(1489)  木部新九郎が全透院を開基(伝)
 ・大永2年(1521)  浦野重勝が全透院を中興。
 ・永禄4年(1561)  浦野淡路守重勝は、長尾景虎の関東第一次出兵に
    「関東幕注文」長野一族で参加。
    ※権田の刀鍛冶権田重政は、矢の根を岩下城:斉藤憲広経由で
     上杉謙信に寄進(加沢記)
     ●城跡の南方には、権田城の抱え刀工権田政重の屋敷跡がある。
       ①権田城の打出=花輪の矢谷戸
       ②→移築。国道406道沿いの東善寺前から100m下った花輪下)
             
 ・永禄7年(1564)
    真田幸隆・甘利昌忠の攻撃。真田の調略で、大戸城浦野真楽斎が武田配下。
    大戸真楽斎と舎弟の権田城主:大戸但馬守は幸隆に人質を差し出した。
  *「大戸城主浦野真楽斎の弟の大戸(権田)但馬守重勝が永禄7年に武田に降伏。」          
        (加沢記)

   ①大戸城浦野真楽斎が弟の権田城に放火。
    ★真田幸隆の陰謀・・・味方になったかどうかの確認手段であった。
    ★私見・・・火坂雅志氏「真田三代」
        戦国の非道なやり方を人間模様として脚色して、ドラマ化。
   ②大戸城浦野真楽斎が室田(群馬県高崎市榛名町)の田んぼに放火。
                              (漫画みさとの歴史)
    ★私見・・・大戸浦野氏+権田の弟が長野氏から離脱し、
           武田の家臣として初仕事したのかも?
     →武田信玄は長野業政の親戚包囲網の一角:大戸氏を味方に引き込んだ。
     そして、甘利昌忠は、武田信玄に家臣として、安堵を申請をしたのでは?
   
 ・永禄9年(1566)    
   ※権田の刀鍛冶権田重政は、1月7日・23日など~何回も矢の根を
    武田信玄に寄進(加沢記・浦野文書)
  ★私見・・・・9月29日(新暦11月2日)に箕輪城攻撃に矢の根が
   使用されたのは確実。武田の強さが伺われる.

 ・江戸時代・・・
   鉄砲鍛冶:権田政重(名を継承)は沼田藩土岐氏&川越藩松平氏に仕えた。 

★参考文献 倉渕村史・高崎市教委の看板
        ・かみつけの里の「まほろば」原稿=市川光一氏作成。

★権田城の最も詳しい歴史は「市川光一先生」に教わるのがよいと思われる。
といっても、市川先生と、短い会話をしただけで、正式には紹介されていない。
 4月には、正式に紹介されるであろう。「小栗」講演会は2回聞いている。

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