箕輪初心●里見一族⑨「里見城&上里見城など(高崎榛名)」=武田信玄に抵抗。

箕輪初心●里見一族「榛名里見に戻った里見一族」
桐生仁田山に114年いた里見一族は→高崎榛名へ移動した。
箕輪城主:長野業政の親戚になると、武田信玄に抵抗した。

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   (里見城本丸)


桐生仁田山の里見一族
8)里見氏連(里見義連3男)・・・現桐生市仁田山城
   桐生氏との婚姻説・・・桐生国綱の娘が妻。
9)里見成義・・・仁田山八郷の支配。仁田山紬の生産。
10)里見時連・・8代将軍足利義政が二階堂行旨を城主に
11)里見国義・・・高津戸城を強固に~~?
12)里見宗連(家連)・・・
 ・永禄3年(1560) 長尾景虎の第一次関東出兵。
   ①長尾景虎の仁田山城攻撃。→自刃説。
     (関八州古戦録)(上杉文書)
   ②長尾景虎への寝返り→桐生氏への攻撃。
     桐生氏の反撃説→自刃。
   →長尾景虎(=上杉謙信)は桐生氏と和睦。
 ・永禄9年(1566) 由良の援助で、古河公方配下。 


榛名里見の里見一族
13)里見宗義(河内)・・・114年の仁田山を捨て、榛名へ移動。
 ・天文24年(1555) 現高崎榛名に手勢30騎で逃亡。
  長野業政の娘?を妻とする。
    ※長野一族の有力家臣の娘説(里見義弘氏説)
 ・永禄5年(1562)雉郷山城を修築。
①里見館・・・・高崎市榛名:光明寺
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②上里見城・・・高崎市榛名上里見
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③里見城・・・・高崎市榛名中里見
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④?砦・・・・・榛名梅林の西の山頂。
⑤雉郷山城・・・浅間山。反対の鷹留城・神戸砦の展望が最高。
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  ⑥堂尾根砦・・・天神山323m。天神堂尾根から東山道の監視。
現在、梨畑の上にパラグライダーの発着場もある。
南隣は高崎市八幡町で、観音塚古墳などをがある。
 
 ・永禄9年(1566) 武田信玄の箕輪城攻撃
   ・高浜城攻撃。
   ・雉郷城攻撃・・・高橋隼人正勝則が城代が守り。
   ・長谷砦・・
   ・箕輪城総攻撃→落城。
     ・・・里見宗義は自刃・討ち死に?

14)里見義宗(宗義の弟)・・・榛名里見の祖
  ※安中氏の庇護・・帰農
  ●里見家代々??・・・帰農
  ※武田16年支配→滝川一益2ヶ月支配
    →北条8年支配
  ※井伊直政支配

15~??代・・・帰農
 ■元和年間・・・大部分は酒井忠清の支配地
 現在・・・●榛名里見に7軒・中里見に5軒。

この記事へのコメント

富岡武蔵
2011年09月25日 23:23
宗連は川内町にある仁田山城にいたのであって、ここに安房里見の実尭がたよってきたことになります。
そして桐生重綱のときに実尭は疎まれて身の危険を感じ
息子等を謙信のもとへ逃れさせたわけです。息子等は
敵討ちのために廃墟であった高津戸城に入ってきたといいます。しかし、高津戸城の規模からすれば、桐生氏が
手付かずで城を機能させていなかったとは疑問です。
富岡武蔵さんへ
2011年09月26日 06:11
関八州古戦録には、高津戸城の支城に仁田山城があるので、長尾景虎は桐生城が落とせなかったので、仁田山城を落としたという記述があります。景虎は仁田山城の宗連=家連の自刃は、景虎についた宗連が桐生氏に反撃された説もあるので、実のところ、よく分かりません。高津戸城は里見氏の城だと思います。仁田山八郷を支配していたので・・・。研究の余地がありますね。

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