箕輪初心●新田義貞①「誕生~楠木攻め」

箕輪初心●新田義貞①「誕生~楠木攻め」
◆◆新田義貞38年の栄華&挫折の歴史◆◆
 ①新田義貞・足利尊氏 VS   鎌倉幕府  
 ②新田義貞        VS   足利尊氏 
   新田義貞の「後醍醐天皇南朝方天皇制国家」
       VS (ビジョンの違い)
足利尊氏の「鎌倉幕府に似た武家政権国家」
→結果・・・女に溺れた新田義貞の敗北。
          力に勝った足利尊氏の勝利。

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   (福井の新田神社=新田義貞の自刃の場所)

資料・・・①群馬県史・・・・・・・・・・・・・・・(峰岸純夫氏・久保田順一氏)がベース
      ②「新田義貞」・・・・・・・・・・・・・(峰岸純夫著)吉川弘文館
      ③「上野武士団の中世史」・・・・(久保田順一著)みやま文庫
      ④「新田 太田 史帖」・・・・・・・(正田喜久著) みやま文庫
      ⑤「新田一族の~~」2巻・・・・・(久保田順一著)
      ⑥「中世の合戦と城郭」・・・・・・・(峰岸純夫著)吉川弘文館
      ⑦「足利尊氏と直義」・・・・・・・・・(峰岸純夫著)吉川弘文館
      ⑧新田義貞の鎌倉攻め・・・・・・・(峰岸純夫氏の講演会20100724)
      ⑨新田義貞のHP多数・・・・・・・・??
      ⑩福井新聞の「新田義貞」特集・・福井城ボランティアの??氏からの寄付。

【足利氏と新田氏の系図】(新田町史他参照し、作成)
義家┬義親―─────為義―義朝─頼朝
   │
   └義国─┬(新田)義重─・・・・・・・・義兼─義房─政義─政氏─基氏─朝氏─義貞─義顕・義興・吉宗
               │        │                           └(脇屋)義助
                                         └(細谷)国氏(4親等)・・・
                                         └(下細谷)知信・・
                                         └(西谷)重氏・・・・
                                         └(安養寺)快義・・
                                         └(今井)惟氏・・・・
                                         └(安養寺)貞氏・・・
                               └(谷島)信氏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                                                    └(大館)家氏・・○・・○・・・○・・・・・・宗氏(7親等)
                                                               └(綿打)為氏
                                                 └(堀口)貞氏=貞満?・・貞義・一井貞政
                            └(荒井)覚義
                                  └女が足利義純へ・・・岩松時兼・・・経兼・・・・・・・・・・・・・・
                                                       └分家は村田・寺井・金井・田部井
                                                           ・藪家・田島
                    └(里見)義俊─義成─義直・・・・・・・・・・・・・・・・・・義胤
                                └(鳥川)時成
                                       └(大島)義継・・・子孫(大井田姓)・・・
                                             └(羽川)刑部
                                └(田中)義清・・・
                       └(山名)義範・・・・・・・・・・・・・・・・                    
                            └(世良田)義季・・頼氏
                                └(得川)頼有・・・?・・・系図差し替えで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳川家康
                    └(額戸)義俊─義成       
        │
        └(足利)義康─義兼─義氏─泰氏─頼氏─家時─貞氏─尊氏─義詮・基氏・直冬


■鎌倉時代初期の新田・足利の地位
 ①新田一族・・・源頼朝が石橋山で挙兵→新田義重は平氏に遠慮して挙兵しなかった。
→新田氏は軽視。
   ※理由・・・源義家の嫡男:義国系列なので、自尊心?あった?
     しかし、新田義成(義重嫡子)は源頼朝にすぐに参加。・・・源頼朝の側近。
  ・治承4年(1180)12月 富士川の合戦で源頼朝に属した。
  ・寿永元年(1182)7月 新田義重の娘で源頼朝の兄:源義平に嫁いでいたが、
                未亡人になったため、源頼朝は妾にしようとした。
                新田義重は北条政子を気遣い、他家に嫁がせた。
                →源頼朝怒り爆発~~~は~あ、女がらみの世界。
                (吾妻鏡:まんが新田の歴史・県史)
 ②足利一族・・・源頼朝が石橋山で挙兵→足利義兼はすぐ味方
     →御家人=源氏の中枢。・・・宝戒寺。

■鎌倉時代の中期の新田・足利の地位
 ①新田一族・・・在地領主=分家が小字名でひしめき合っている。
    御家人でないので、貧困生活。
    4代新田政義は御家人になったが、低い身分。
 ・仁治2年(1241)・・・囚人に逃げられ、東大寺過怠金を払った。
 ・寛元2年(1244)・・・京都大番頭の役を勝手に止め、出家・・・所領没収。
   →新田政義は台源氏館を設立。~~~~⑤⑥⑦代と継続。
 ②足利一族・・・御家人=源氏の中枢
    →御家人筆頭+一部の足利反発組は在地で耕作。

■鎌倉時代の後期の新田・足利の地位
 ①新田義貞の時代・・・新田氏本宗家の領地は広大な新田荘60郷のうち、
               わずか数郷に過ぎなかった。
    新田義貞も無位無官で日の目を浴びない存在であった。(ウキペディア)
 ②足利尊氏の時代→御家人筆頭 従五位上で、前治部大輔。

<新田義貞年表>
正安3年(1301)(1300年説あり)
●新田義貞 7代新田朝氏の子として上野の国世良田で生まれた。
●新田義貞 幼名は「小次郎」。 (幼年期、少年期の記録は殆どない)  
 ①新田館説・・・・・現世良田の総持寺  ※1~3代が在住
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 ②台源氏館説・・・現新田円福寺東   ※4~7代が在住
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③安養寺説・・・・・現新田明王院    ※方形の館
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   峰岸純夫先生は:義貞住居の安養寺説を採っている。
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④榛名:里見館・・現榛名:光明寺   ※里見小五郎義貞 ・榛名の住民
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■鎌倉時代の末期の時代背景
 ・文永の役(1274年)   
 ・弘安の役(1281年)
  →二度の蒙古襲来は御家人層の大負担のもとに戦われた。
  →幕府は御家人に対して十分な恩賞を与えることができなった。
  →御家人の不満は高まった
    ※御恩と奉公の原則が崩壊~~~
  →皇室における持明院統と大覚寺統の対立
      +幕府の皇位継承に干渉への公家の反感。
      ※後醍醐天皇は、倒幕計画推進
 ・元徳3年(1331) 
   5月  後醍醐天皇の倒幕計画が発覚→首謀者:日野俊基ら鎌倉に護送。
 ・元弘元年(1331)
   8月  後醍醐天皇挙兵に失敗
      →後醍醐天皇は三種の神器を持って、奈良:笠置寺に逃亡。
                楠木正成が蜂起。
   9月  幕府軍が鎮圧。三種の神器は光厳天皇へ
  10月 楠木正成の赤坂城落城。    
 ・元弘2年・正慶1年(1332)
  3月   後醍醐天皇は隠岐に、尊長親王は土佐・宗長親王は讃岐に流罪。
 11月  ★護長親王(大塔の宮)が吉野で挙兵。
       楠正成が再蜂起。楠木正成は赤坂城でゲリラ戦を展開。 
      ●新田義貞が楠正成の千早城攻めに参加。
 
※【楠木合戦注文】
  ①紀伊手・・佐貫一族・大胡一族・高山一族・山名伊豆入道跡・寺尾入道跡
         ・和田五郎跡・山上太郎跡・一宮検校跡(★=小幡?)・・・
         ・連一族(★=長野氏?)17家
  ②大和道・・・新田一族・里見一族・飽間一族・・・・など7家。
  ③河内道・・・
 
 ・元弘3年(1333)
  1月 ●新田義貞は大軍を組織して河内の赤坂城、千早城をめざして出動。
      ●新田義貞に豊島氏一族(現東京都)も従い、楠木正成討伐に参加。
        鎌倉幕府は護良親王・楠木正成を討ち取れば、
          荘園一ヶ所を与える懸賞を出した。
      ●新田義貞は千早城の搦め手に在陣(太平記)。
     
 3月11日→護良親王は吉野・熊野山伏を使い、倒幕の挙兵の令旨(親王の命令文書)。
      ●新田義貞が病気を理由に上野に兵をひきあげ、帰郷。
      →新田義貞が幕府軍から後醍醐天皇側に寝返ったことを意味する。
    
 3月27日 足利尊氏は鎌倉を出発。
   
  閏2月  後醍醐天皇は隠岐を脱出→伯耆国(鳥取県)の船上山に籠城。
        後醍醐天皇は伯耆豪族:名和長年の助けを借り脱出→倒幕の詔。
 4月16日 足利尊氏が入京。・・・この頃、倒幕の決意。
 4月29日 足利尊氏が後醍醐の綸旨を受けて丹波:篠村(京都府亀岡市)で挙兵。
        全国の有力な武士への参加をよびかけ。六波羅探題を攻撃。
 5月7日  足利尊氏の軍が京都に突入。
          赤松則村・千種忠顕の軍が六波羅探題を攻撃。
 5月8日  六波羅探題は壊滅。

 10月   楠木正成の赤坂城落城。  

■新田義貞の鎌倉攻撃挙兵理由
 1)鎌倉幕府から重用されなかった不満。
 2)元弘3年(1333)3月・・・護良親王の倒幕の挙兵の令旨をもらったこと
 3)楠木正成の征伐の途中棄権後、
   鎌倉幕府からの「臨時の兵糧税の六万貫(六千貫説あり)を5日以内に払え。」
   という命令に反発。
    北条得宗家被官:池田出雲介親連(上野守護:長崎高資一族?)と
 黒沼彦四郎(淵名郷=群馬伊勢崎)を派遣。
   →新田義貞は「勝手に、我が地の辺りを馬の蹄で懸けさせつること返す返すも無念なり。」
     (太平記)・・・二人を捕らえ、黒沼を惨殺。・・・鎌倉幕府への反逆。
 4)足利尊氏は鎌倉から出発後の4月に倒幕を決意。
    →新田義貞と足利尊氏は秘密の協定が存在(久保田説)
   鎌倉の足利尊氏の子:千寿王(=後の2代将軍:義詮)を紀五左衛門尉が脱出させた。
   田島○○(岩松経家の一族)は千寿王の側近であり、
   岩松家をつうじて、新田軍に合流させた。

★次回は、「新田義貞の鎌倉攻め」

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