箕輪初心●里見一族シリーズ②「初代:里見義俊→2代・義成~3代:義基」

箕輪初心●里見一族シリーズ②「初代:里見義俊→2代・義成~3代:義基」
①里見義俊1137~1170?1204?・・・新田義重の長男。
・保延3年(1137) 新田義重の長男。庶子で嫡男ではないため、新田宗家は継げず。
・仁平3年(1153)★新田義重が39郷を所有。里見家分家し、里見を名乗る。
  ●新田庄:高林郷(太田市新田の東半分)・・高林・大島・鳥山・長勝寺
田中義清の子孫・・・千利休。  
  ●八幡庄里見郷(高崎市榛名町・高崎市八幡町)・・・光明寺
     ※竹林郷に住んだ。
 
▲里見の館(現光明寺&里見堀之内)建築・・
   ・母親(豊島下野権守源親広の娘)と同居。
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▲里見城築城・・・・(写真は築城当時ではない。永禄年間である。)
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 ▲上里見の築城?・・・(※詳細の写真のあるが、・・・)
    ・碓氷貞次(新田義重の家臣→里見義俊の側近)の力が大。
     妻(新田義重の家臣→里見義俊の側近:碓氷貞次の娘)
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   ●長男:里見義成(高崎市旧榛名町里見在住)
   ●次男:里見千代丸→碓氷貞次の養子→碓氷三郎里見義雅
       →塚越氏の祖(★箕輪初心の母方先祖・旧榛名町・旧倉渕村)
            
   ●3男:田中義清(太田市新田町田中)
           →田中重政→田中重継→田中経村→                                  
└田中経氏→田中政継 └田中氏政(太平記)      
   ●4男:中里見政氏(高崎市旧榛名町猪毛に現在10軒)
           →○→○・・・・・★友達の中ちゃんの先祖
■嘉永2年(1170) 里見義俊が34歳で死亡?(光明寺縁起)1204年説あり。
   (光明寺(高崎市榛名町中里見)・・・
※平安後期の治安元年(1021)頃里見義俊?
   義時が創建時代が変?(箕輪初心)

②里見義成 1157年~1234年「源頼朝の側近として活躍」 
■保元2年(1157) 里見義俊の長男として、生まれた。
■治承年間(1177)~京都大番役。・・・皇居の警護&洛内外の警備。
             高倉天皇の御代ではあるが、平清盛が隆盛中であった。
■治承3年(1180) 平教盛が延暦寺を焼き討ち。平清盛が関白の交代や貴族39人の更迭。
■治承4年(1181) 
 4月9日  源頼政の平家追討の挙兵。
 6月     宇治川の合戦 源頼政の戦死。
 8月17日 源頼朝が伊豆:蛭が小島(静岡県長岡市)で挙兵。
 8月22日 石橋山の戦い(神奈川県小田原市) 敗北。
       →土肥(湯河原町岩)から船に乗って、逃亡。
 9月7日  木曾義仲が挙兵。
 9月30日 新田義重(里見義俊の祖父)は源頼朝に呼応せず、
       寺尾城(高崎市寺尾茶臼山城・・城山団地奥)の籠城。
       (理由①・・・足利俊綱が上野国府を焼き討ち。)
       (理由②・・・木曾義仲は上野:多胡庄に進出。)
       (理由③・・・先祖源義国の3男で、俺は嫡流である。
               頼朝先祖:源為義は6男。)
 10月     源頼朝が鎌倉入り。
 10月20日 富士川の合戦   
 12月12日 山名義範が源頼朝に所属。
 12月20日 里見義俊は源頼朝に呼応。(安達盛長の説得で)
 12月22日 里見義成が京都より源頼朝に呼応。
■治承5年(1182)     平清盛が死亡。
■文治3年()       源頼朝の側近=御家人
■文治5年    奥州藤原氏征伐・・・源頼朝・新田義兼
                ・山名義範・里見義成・佐貫広綱達
■建久元年(1189)  源頼朝が入京。
 +新田・山名・里見・佐貫・沼田・大胡・倉賀野・那波・小林など上野勢
■建久3年(1192)   源頼朝が征夷大将軍。鎌倉幕府を開く。
■建久4年(1193)  源頼朝が信濃?上野三原野(群馬県吾妻郡三原では)で猟。
          草津温泉で休憩?。
■建久5年?    里見義成が源頼朝の側近として活躍。
          里見義成が「伊賀守」に抜擢。
   ●新田の庄:高林郷・里見郷・新田の庄:大島郷・鳥山郷・八幡の庄
■建久8年(1197)  源頼朝が信濃善光寺を参詣。
           新田義兼・里見義成・海野幸氏?らが随行。
■承久の乱(1221)・後鳥羽上皇敗退。里見氏は恩賞で所領を2倍に増加。
     →越後:波多岐庄(新潟県十日町)・・・次男:大島義継
     →越後:有妻庄(新有庄潟県津南町)・・三男:鳥山時成
     →美濃:平野庄(岐阜県大垣市平野町)・四男:里見義直
■分暦元年(1234) 里見義成が78歳で死亡。
■建治2年(1257) 京都六条八幡宮の造営で、「
        里見伊賀入道跡 七貫文」・・・金を集めて、寄付

②里見伊賀守義成→●長男:③里見義基
           └●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)→・・・・・・・→○→○→○→○→
                     └●大井田氏継(越後十日町在住系)→○→○→○→○→
           └●3男:鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→・・・・・・・・・
                         ●鳥山頼成(越後十日町在住系)→○→○→○→○→
           └●4男:美濃義直→○→○→○・・・・安房里見初代か?(峰岸純夫説)
           └●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×?  

③里見義基 1178~1244「親の七光りで幕府に仕えた」
■治承2年(1178) 里見郷で生まれた。
    父里見義成は京都大番役・源頼朝の側近だったので、家にはいなかった。
    ★おもり役・後見人・・・碓氷一族などに守られて成長したのであろう。
                 留守を守ることになった。
■建久4年(1193) 源頼朝が鎌倉上道・・・山名郷(高崎市)→寺尾城(高崎市)
             →八幡郷(高崎市)で父と会見?
             →倉田(倉渕)→蕨平・茶釜坂「馬の鞍の荷物が解け、
                   茶釜が転げ落ちた伝説」→二度上峠→
  (浅間山の東)→信濃?上野?三原野(群馬県吾妻郡三原では)で猟。
   草津温泉で休憩。
■    ※里見義基は、新田の庄:高林郷・里見郷・鎌倉にも邸宅を持っていた。
■寛元2年(1244) 里見義基が66歳で死亡。  
■正嘉2年()80歳説あり。
 

★越後に流れた里見一族(★新潟県:十日町市の城は別掲)
   →八幡庄(高崎市榛名町)の里見一族→群馬の四万・稻包山越え
      ・越後の里見一族(久保田順一説)
   →八幡庄(高崎市榛名町)の里見一族→群馬の野反・越後秋山郷越
      ・越後の里見一族(峰岸説)
  ①里見義成の弟:田中五郎義清
   ●次男:田中五郎義清(太田市新田の田中)→田中重政→田中重継→田中経村                                    └田中経氏→田中政継
                                               └田中氏政(太平記)
   田中義清の長男系+義清の養子?長慶寺(太田市新田町上田中町)千利休の先祖   田中義清の次男系+義清の養子?・・・越後十日町での分家は中条氏・下条氏・小森沢氏。
    廿日城・・・十日町市下条2丁目廿日城
    坪野館・・・・十日町市中条中町
  ●田中氏政(太平記)・・・
  ●千利休・・・・・・・・・・・・・     

②里見義成の次男:大島蔵人義継→大井田
 ●里見伊賀蔵人義成の●次男:大島義継=里見伊賀蔵人義継が
    越後国波多岐荘大井田郷(新潟県十日町市)に土着。
   →●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)→・→○→○→○→○→
     ※八幡庄:高崎八幡町大島に所領・・・高崎市豊岡町&高崎市榛名町下里見の間(箕輪初心)
    
   →●3男:大井田氏継(越後十日町在住系)→大井田義隆→大井田継隆→大井田経兼・・・・・
         ※里見の主流系。当時、里見で一番力を持っていた。          └●大井田氏経(太平記)
         大井田氏継・・・信濃:市川氏の娘をもらって、大井田氏を名乗った。
  ●大井田弾正少弼氏経(太平記では、新田義貞軍)大井田城築城・・・十日町市中条字城山
     
   (戦国時代の城・・・・・大井田城&節黒城)

③里見義俊の3男:里見時成=鳥山時成
  里見義成の三男:里見時成は鳥山姓「鳥山左京亮」を名乗った。
  息子●長男:鳥山太郎経成(上野新田在住系) 
●五男:鳥山五郎頼成(越後十日町在住系)
  └●3男:鳥山時成→●鳥山太郎経成(上野新田在住系)
           →鳥山家経・信成・・義俊?→○→○→
    ※烏山時成は長男:鳥山太郎経成に新田荘鳥山(群馬県太田市)所領を任せた。
     ●鳥山五郎頼成(越後十日町在住系)→鳥山氏成→○→○→○→
    ※烏山時成は五男:頼成に波多岐荘の入馬・今泉・深見・倉俣
          (新潟県十日町市・津南町・中里町)など。
         (長楽寺文書群馬県太田市尾島町・・・徳川発祥の地で徳川家康も寄進)
     
    節黒城・・・十日町市新町字新田(旧川西町)
    二田城・・・十日町市坂田1291(旧川西町)
    鎌田城・・・十日町市鎌田字西ヶ崎(旧川西町)
    高内城・・・十日町市別山字高内(旧川西町)だと思う。
  ●羽川刑部(太平記)・・・系図不明 
    琵琶懸城=羽川城・・・十日町市城之古字原
    大崎城・・・・・・・・・・・・・十日町市大崎字抜山
  ●大井田系?里見義俊(式部大輔を名乗っている・・・峰岸純夫説
     鳥山系三代鳥山家成の子:里見義俊・・
           (・里見繁美先生の説:里見義基→里見氏基系の子孫の説)
   ・建武2年(1335) 里見義成が播磨国:国府で自殺。
       →山内首藤(山内一豊・山内容堂祖先)が嫡子:土用鶴丸を養子にして、
        備後・遠江・伊賀・京都の
       所領を譲渡する願いを足利尊氏に提出し、受理されている。
                              (山口県 山内首藤文書)
     なんと、土佐藩主:山内容堂公は、里見の血筋だったのだ。  
     (久保田順一氏講演会・峰岸純夫講演会・新潟県十日町博物館・新潟の城一覧)

  (節黒城・・・当時は?)                            
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(大井田城・・・当時は大井田館)
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★美濃に流れた四男:里見義直(美濃に所領+京都殷富門蔵人)
  ■里見義直→●長男:里見義秀→里見義綱・・・(養子:里見義成)
           ●次男:里見義継
           ●次男:里見頼成→頼成→経頼→●経成(養子へ)
                                 ●基成
                                 ●行實
           ●3男:里見義貞・・・美濃:円興寺へ
           ●4男・里見義直→里見義秀→里見義綱→里見経成(養子)・・・・
                      └里見頼成→里見継頼→里見基成・・・・・・・・・
                      └  里見義貞→里見為貞→里見為宗→里見義景→里見義宗

  ■承久の乱(1221)・・・戦功
          →美濃に所領=美濃:平野庄・・・岐阜県大垣市平野町円教(興?)寺内
               里見義直は次男:里見頼成に美濃:平野庄に在住させた。自分は、
          +京都殷富門蔵人・・・後白河天皇皇女:富子内親王の領地を守る蔵人で、京在住。)
 
●里見義景・・・出羽(山形県天童市)に移住。・・・子息養子説・嫡子:里見吉宗説あり。
●里見義宗・・・康永4年(1345) 民部少輔(従五位下)に任じられ、
                足利尊氏の天竜寺供養の随行者
           享徳の乱・・・鎌倉に下り、鎌倉公方足利成氏の家臣として活躍。
           →安房里見初代?(峰岸純夫説・・・久保田氏は否定)


★上掲の高崎市の城は、戦国時代の遺構である。
★戦国時代の里見系の遺構は、ほかに、雉郷城・堂尾根砦などがある。   

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