箕輪初心●滋賀№4-3「百済寺城&膳所城」

箕輪初心■滋賀№4「滋賀の寺&彦根城」
画像



■滋賀4人組写真ツアー「彦根城&湖東三山ツアー」
平成19年(2007)11月22日(木)~11月24日(日)2、5日間
【1】11/22(木) 
  22:20家 →酒タイム  
  23:45 高崎駅 高速バス・・・(名古屋泊まりの特別便。3列)
【2】11/23(金) 5:25名古屋 地下鉄・・・
06:20 ①名古屋城    朝飯・・・・蕎麦屋600円
07:55 名古屋駅→(新幹線25分)→米原駅
08:40 米原駅前マツダレンタカー   
09:30 ②彦根城(井伊の城:400年祭)   
    ・楽々園&玄宮園・・・開国記念館・・・埋木社(井伊直弼の部屋)
・・・東門・彦根城博物館
12:30 ④高宮宿 ⑤多賀大社 ○昼食・・・多賀大社前
   ⑥西明寺 ⑦金剛輪寺
   ⑧百済寺+百済寺城       
     ★1回目・・・2001年。湖東三山の名刹ということで訪問。
     ★2回目・・・2007年。紅葉が綺麗だということで訪問。
 ■訪問記・・・平成19年(2007)11月23日(金)
  ○駐車場は下の方だった。
  ●大きな石垣が続くと思っていたが、空堀や土塁には全く気がつかなかった。
  ★紅葉は本当に綺麗であった。
  ●総門を登り、朱印をいただいた。
  ●裏山のに登った。もう、近江盆地は暗かった。          
画像

  ★城址とは全く知らなかった。この看板は何?===城だ。
画像

  ★説明書きの看板・・・  
画像

  ★百済寺だけでなく、金剛輪寺・西明寺も城砦化されていたのかもしれない。
  ●下山・・・★百済寺城の遺構はどこだ。275もの僧院??凄い。
    捜しながら、降りた。
    参道を下ると、両側に僧院跡?。百済寺境内に築かれた石垣。 
★参道脇の百済寺の境内や本坊喜見院の池泉回遊庭園の紅葉は見事だった。
   単に紅葉見物の箕輪初心さんはここが城だったことに改めてびっくりした。
   「室町から戦国時代にかけて、僧坊275?の城郭寺院:百済寺は城だった。」・・・
   総門=大手門の石垣、左右に空堀・土塁がある。 
  ★滋賀から群馬の箕輪城シンポジウム前日箕輪城を訪れ、
    10分ほど話した元文化庁の中川均先生は
   「織豊時代の城の3要素は、①石垣・①礎石(寺院様式)・天守閣瓦である。」
   とおっしゃっていた。百済寺の石垣は安土城の石垣となったことを知り、
   織田信長のすごさを感じた。 石垣・・・城と思ってみると、城に見えてくる。
  ★安土城・・・天守閣は寺院建築の採用していたはずだ。
    礎石・瓦屋根・・・・これが、織田信長のアイデアだったと思った。   
  
 後日、Hpで調べた。
  ①百済寺の総門(=赤門)の左右の土塁と空堀・・・
   ・赤門南の土塁・・・約50mの土塁と空掘。井伊直滋墓所の裏へ。
   ・赤門北の土塁・・・赤門横の道路を少し登った左の雑木林。
    土塁は赤門南側で総延長450m、北側は230m
     (滋賀県中世城郭分布調査委員会資料・・・  
 ②赤門から本堂に至る左右の砦・・北要害,南要害。階段状の曲輪。
 ③赤門から本堂まで両側の石垣の参道
 ④本堂の石垣・・3~4mの石垣の上に建てられている。 (近江の城郭より)

17:00⑨永源寺

18:00 宿探し・・・八日市・近江八幡・・(高速)・・・
      ・・草津町のBHは二人なら、OKと言われ、×
      ・南草津駅・瀬田駅周辺など、約20軒に電話したり、行ったりした。
    結局、×・・・大学受験のため、満室とのこと。
20:00 南草津の銭湯・・・20:00~2:30まで      
風呂代の600円+食事代2000円

【3】11/23(金)  
03:00 南草津のインターネット・まんが喫茶・・・会員1000円で、
3:00~6:30で、睡眠。・・・一畳半程度で、ゆっくり寝られた。
     朝・・お茶漬サービス 
06:40 駐車場・・・20歳位のお姉さんがいきなり下着姿で着替え中?
    ★あれま??この娘、朝帰りかな?・・・さようなら?   

07:00・⑩中山道草津宿(★後日、「中山道」現在50次?で紹介予定)
    ★昨日、通った所をもう一度散策。
    ●近江大橋?・・・
画像

  
  
⑪膳所城
  
■訪問記・・・平成19年(2007)11月24日(日)
画像

画像

画像

  公園入り口にある城門。
  膳所城の城門は大津市の神社等に合計9門が移築。(余湖氏のHp)
篠津神社の表門=北大手門・膳所神社の表門=北東二の丸門(中井氏)
画像

 ・慶長6年(1601)6月 大津城に入った徳川家康は本多正信の箴言で、
    天下普請といった形で築城が開始。
   「大津城は関ヶ原の役の際の西軍の攻撃で、大津城に防備上不利である。」
    大津城の東南2kmの膳所に城を築くことにしたのである。
    大津城主は戸田一西3万石であったが、大津城を廃して、膳所城に移封。  
 ※ 琵琶湖の著名な水城。
   ①明智光秀の坂本城 ②羽柴秀吉の長浜城 ③京極高次の大津城などは、
    ・・・次期の琵琶湖の城のモデルとなった城郭である。
    膳所城もその系譜を次ぐ水城であった。(余呉氏のHpより)
   ※水城・・・琵琶湖に本丸&二の丸が突出。
 ・寛文2年(1622)琵琶湖大地震・・・→本丸&二の丸の合体工事。
 ・その後・・・城主は、本多、菅沼、石川、再び本多と交替。(余湖氏)
(★箕輪城で少し説明させていただいた中井均先生の「日本の城」より)
(★余湖氏のHpを参照させていただきました。)
※???のHpでは、
 ・慶長6年(1601) 藤堂高虎の縄張。
              関ヶ原の戦い後の徳川家康の天下普請の第1号。
    徳川家康は京都の守りと大坂への備えとして、東海・中山・北陸三街道の要所と
     琵琶湖上を制するために築城。
     城は水城で、琵琶湖中に石垣を築いて本丸と二の丸を設置。
     本丸西隅に四層四階の天守閣。
      大津城の戸田一西3万石が初代城主。
 ・元和3年(1617)  戸田一西子の戸田氏鉄時に尼崎に転封。
             西尾から本多康俊が入封。
 ・元和7年       菅沼定好が入封。
 ・寛永11年(1634) 石川忠総が入封。
 ・慶安4年(1651)  伊勢亀山より本多俊次が7万石で入封。
 ・明治まで本多家が続く。    (忘れちゃった。すみません。)


  ・大津の「瀬田の唐橋」・・ ⑫立木観音 ⑬石山寺 ⑭三井寺(園城寺)
 ○近江神宮⑮坂本の町並み ⑯坂本城 ⑰日吉神社
  ⑱延暦寺(世界遺産)
   
14:30米原駅前レンタカー返し   15:06 米原駅・・(新幹線15080円)    18:43東京駅
19:43高崎駅  →20:30 家
  *宿泊交通 30000円  レンタカー5000円 雑費 10000円    
~~~~~~~~~~~~~計 45000円

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 犬山城

    Excerpt: oojijisunです,青春18切符で行きます お城巡りを準備中です、参考になります。 Weblog: 青春18切符で行く,日本の「城」巡り45 racked: 2011-01-14 11:32