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zoom RSS 箕輪初心●箕輪城シリーズ59「木部範虎」 

<<   作成日時 : 2010/12/11 21:55   >>

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箕輪初心●箕輪城シリーズ59「木部範虎」
木部範虎は、箕輪城主:長野業政の娘(4女)を娶り、長野業政の同心になった。
しかし、武田信玄の猛攻から逃亡し、長野氏の復興を願った。木部姫の榛名湖
入水伝説なども追ってみたい。 
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■木部の出自
 ・鎌倉時代・・・源範頼→後裔吉見一族
  能登(現石川県)の守護:吉見氏頼の孫の右馬頭満隆の次男三河守氏範。
  説@・・石見国→上野国三戸野郡木部(高崎市)に移住。木部を称した(伝)。
  説A・・木部氏範は石見国木部(現島根県吉賀郡野々郷木部)に居住
      →上野国三戸野郡に移住(伝)。
  説B・・熱田大宮司の一族→古河公方:足利持氏の宿老:木戸駿河守氏範
      木部三河守氏範=木戸駿河守。
  説C・・武蔵七党猪俣党に、猪俣行兼を祖とする小野氏→木部氏。
  ※木部氏の出自は不明。

・室町時代・・木部氏は三戸野郡木部一帯(現高崎市木部町)を支配する士豪。
   木部氏範より5代目まで不明。
   ※足利持氏の妻が木部氏からもらった。
   ●倉渕村も領地だった。

・戦国時代・・木部駿河守範虎=木部氏範より6代目
■木部駿河守範虎木部範虎 永正7年(1510)?〜天正10年(1582)
  箕輪城主長野業政の娘婿。
 「箕輪衆」の一員として長野業政の同心。
  長野業正は武田信玄の6回の上州侵攻を食止め続けた。
永禄4年(1561)11月 長野業政が病死。
  武田信玄は2万の兵力で箕輪城に侵攻。
  上野国に軍兵を進め、吉井の砦・河内、塩川城も続いて落し、
    更に木部、山名に迫ってきた。
・倉賀野城の通り道なので、木部城を攻撃。(上州の城S50年)
   →★箕輪初心「@木部範虎は逃亡。
       ◆木部範虎は妻子を喜連川義氏に預けた(伝)。
     ★その後、箕輪城に在城したのではないだろうか?
     ・・・そして、木部城が2年は、無住状態ではなかろうか?
  ※誰も言ってない考えなので、
・永禄6年(1563) 武田氏家臣甘利昌忠 箕輪城周辺に放火
         →木部に陣を寄せ・・・(浦野家文書) 
 ◆木部範虎は武田家家臣として50騎の将? 100貫文の所領
★箕輪初心「武田信玄によって長野氏滅亡後、武田氏に仕える。」という説は
間違いである。永禄6年には、すでに武田信玄の家臣になっている。
根拠@・・・上述の「浦野家文書」
根拠A・・・榛名町の長年寺の和尚「受連は制札(襲わない約束札を
      金を出して、もらいに木部城に行った」(長年寺文書)
 ◆木部範虎は「木部十騎」と呼ばれる家臣団を率い、数々の軍功を挙げた。
  木部・阿久津・根古屋など五ヶ村に領地を拡大した。

・永禄9年(1566)9月29日 木部範虎は武田信玄家臣として箕輪城を攻撃。
        箕輪城は落城。長野業盛は自刃。
・?? 「木部十騎」と呼ばれる勇猛な家臣団とともに数々の合戦で活躍。
 ●木部十騎  
   ・萩原壱岐守・田口石見守・田中美濃守・増尾新兵衛尉・高橋出羽守
   ・松原織部正・戸塚又助・田口采女正・小池和泉守・富澤又左衛門
 ◆木部木部・阿久津・根古屋・山名・藤岡の五ヶ村を領する。
・天正3年(1575) 長篠の戦い(愛知県)・・◆木部範虎も参戦。
※武田信玄が敗戦〜〜〜→転落の一途。
★→◆木部範虎は、上野東部戦線に参加中?。記憶が???
 (現前橋城)→大胡城→女ヶ淵城→山上城→桐生城???
・天正9年(1581) 高天神城(静岡県)の合戦
◆木部範虎は一番槍の軍功を挙げた。
※武田勝頼が敗戦〜〜〜
・天正10年(1582) 織田・徳川軍の甲州侵攻。
  3月    武田勝頼は真田昌幸の「岩櫃城の来城を却下」
★箕輪初心「群馬?岩櫃城のB?で、紹介した潜竜寺が勝頼館予定地。」
        新府城を60日で放火・・・
  3月11日 織田・徳川連合軍の甲州侵攻。
   武田勝頼は新府城を後にし天目山で自刃。
   ◆木部範虎も同日討死。(享年72歳?)

■木部宮内少輔高成・・木部範虎の嫡男
・天正10年(1582)
  3月  武田氏滅亡後の上野国を領した滝川一益に仕えました。
  6月2日  本能寺の変   織田信長が自刃。
神流川の戦い 滝川一益 VS 北条氏邦
        小田原の北条氏政が上野国を奪取。
  以降北条氏政・氏直2代の家臣。
天目山で討死。
★木部一族の北条家家臣としての働きは資料にない?

・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃。
    (木部城:木部高成や和田城の和田信業も籠城)     
   →北条氏の滅亡で、木部氏は没落。
北条氏直は、徳川家康の娘婿であったことで助命。
    高野山へ。木部高成・和田信業は北条氏直に随行(伝)。
・天正19年(1591)北条氏直が高野山で病死。木部高成は殉死(伝)。■

■藤左衛門尉直時・・木部高成:弟小次郎直高の嫡男:藤左衛門尉直時(後直方)
  が徳川秀忠に仕えた。直時の曾孫庄八郎直年の時に改易。
★参考文献・・・「源範頼の後裔吉見一族の系譜と歴史」など

1)山名城=寺尾下城 山名町城山   木部氏の山城=詰め城 
 ■訪問記・・・★別記「箕輪初心●高崎の城「山名城」を参照〜〜〜。

2)木部北城   阿久津町北城玄頂寺
 ■訪問記・・・
  ★箕輪初心住職へのインタビュー
   住職の妻の話 「慶長5年〜。大井氏(実家は小諸)の創建・・・
  ★箕輪初心私見「佐久内山城→根小屋城の大井氏の末裔では?」
 ・戦国時代  木部氏の北城は武田氏の倉賀野攻略の拠点?
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3)木部氏の家老:増尾家→現飯島氏(増尾家の現当主)の話・・・
  ●木部十騎の増尾新兵衛尉の子孫・・飯島氏=箕輪城の石川系  
   ・萩原壱岐守・田口石見守・田中美濃守・増尾新兵衛尉・高橋出羽守
   ・松原織部正・戸塚又助・田口采女正・小池和泉守・富澤又左衛門
  「堀之内という地区が心洞寺南西部100mにある。そこが木部館。」
  「心洞寺が木部館というのは絶対変です。・・・」
★増尾様の養父飯島氏・石原氏 & 箕輪初心父
  父は・・ある意味では、50年前、主従関係であった。 
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※飯島氏(増尾家の現当主)の話・・・
  「堀之内という地区が心洞寺南西部100mにあるので、そこが木部館。」
  「心洞寺が木部館というのは変です。・・・」
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  ・萩原壱岐守・田口石見守・田中美濃守・増尾新兵衛尉・高橋出羽守
  ・松原織部正・戸塚又助・田口采女正・小池和泉守・富澤又左衛門

4)木部氏館 木部町の心洞寺・・木部範虎の居城
 ※※※※・・・全部のHpが「心洞寺=木部館」である  
 ★箕輪初心「館ではない。全てのHpで木部城である。」
※飯島氏(増尾一族子孫)「心洞寺は絶対に木部館=城ではない。」
「何年か前に、渋川市から入って来た和尚さんだから、
 歴史を聞くことは難しいこと?無理だと思う。」
 って、聞いちゃったのだ。〜〜〜どうしよう?。
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 ■歴史
 14??年 古河公方足利利成の配下:木部氏?
 15??年 心洞寺創建。  木部駿河守範虎は長野業政の娘婿? 
 15??年 山名城に在住?
  ○木部範虎の墓
   「木部氏の「当寺の開祖木部駿河守範虎公は、清和源氏の直流化蒲冠者源範頼の
    後裔にして、箕輪城主長野業政の姫を娶り長野氏の武将として活躍せしが、
    武田信玄により、箕輪城が落城。
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 ○須川勘解由の墓・・・木部城落城後に、佐野窪の地に帰農土着。
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 ▲榛名湖伝説・・木部範虎の奥方が榛名湖に入水した伝説・
   
5)木部氏館  木部町堀之内(飯島氏の言う木部氏の里城) 
 ○木部城は烏川と鏑川が合流する南に位置する平城である。
  土塁と濠で囲まれた典型的な方形館で70〜80m四方である。
  ★箕輪初心「周囲は旧河川の低湿地を利用した水濠で囲まれている。
    外側には濠祉と思われる用水路がある。
   ※現在、城址周辺は心洞寺境内・水田・宅地になり改変・消滅。
   南側には土塁が残存・外側にはが水田が残っている。
 ★飯島氏(増尾家子孫&箕輪城の石原系の子孫)・・・     
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6)榛名湖の「木部姫伝説」&「腰元蟹の伝説」・・・
  榛名の山郷に古くから語り継がれてきた物語である。
  木部姫は箕輪城2代城主(★箕輪初心3代):長野信濃守業政の
  4女として生まれ、成長して木部城主木部駿河守範虎に嫁いだ。
  ※説@・・木部宮内少輔彈正室
  ※説A・・木部宮内之輔定朝(貞朝)室・・・貞朝は範虎の長男。
  ■訪問記・・榛名湖に「甲子亭」「ふじや」という二軒の旅館がある。
   「ふじや旅館」の近くの森に御社がある。御沼オカミ神社である。
   地元の人達は「木部様」と呼んでいる。
※説@・・木部範虎が箕輪城で殉死して、妻が入水なのだ。
★説A・・本当に入水なら。木部の裏切りに激怒し、入水自殺?説なのだ。
        たぶん、夢のない男なのであろう。
    「何故なら、歴史ロマンがないかもしれないおいら。
      箕輪城の防御を手伝ってないかもしれん。」
   入水自殺伝説は、3人いる。〜〜〜


■近くのレストラン・名物
  @山名の生姜屋

■近くの名所旧跡
  @高崎ファミリーパーク   A高崎観音山
  ○山名八幡宮 ○上毛3碑 ○寺尾中城

■近くの温泉 
 

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