箕輪初心●高崎の城一覧表「154分の71」

箕輪初心●高崎の城154城00番「高崎の城一覧表」
新編高崎市史資料編3・・・154城
①鼻高の砦△  達磨寺西1km福泉寺東隣*築城・・・長野氏の砦?
        *武田方の本陣か?
■訪問記・・・
②八幡館×   八幡神社西300m*築城・・・上杉顕定か?
■訪問記・・・
③八幡神社△ *築城・・・長野氏の砦 *武田方の本陣か?
■訪問記・・・20回以上。

②木嶋屋敷△   八幡神社東350m*築城・・・木嶋氏の砦?  
          *武田方の本陣か?
   ■訪問記・・・
⑤鳴熊城×     小島鉄工所西300m 永正4年?      
  ・戦国時代      福田忠政が築城   
  ・永禄9年(1566) 武田方の倉賀野16騎の筆頭で、箕輪城攻略の先鋒
           倉賀野秀景が先陣。
          武田信玄より剣崎・藤塚・豊岡を拝領・・・廃城か?
  ■訪問記・・・
⑥剣崎小路城△   剣崎(鳴熊・・・剣崎神社)
訪問記・・・①2007年7月1日など2回
        ・・・数100回通っているが、車が止まれない。
        20年前の仕事場近くだったが、気づかなかった。
        駐車場がないためでもある。
  剣崎小路城の歴史
  ・天正18年 柴田勝家の孫勝雲  徳川家康より2000石で入城。
⑦福田屋敷×・・・・ 豊岡とりせん西隣
 ・永禄9年(1566) 武田方の倉賀野16騎の筆頭で、箕輪城攻略の先鋒福田氏一族。
          武田信玄より剣崎・藤塚・豊岡を拝領。
 ・天正10年(1582)武田氏滅亡。北条氏に従属。→板鼻に転居。
 ■訪問記・・・
⑧峰岸屋敷×  豊岡の宗傳寺東隣 
 ・戦国時代・・・・・築城は峰岸氏
⑨豊岡の砦→根津陣屋×豊岡中学校東300m
 ・戦国時代・・・長野氏配下の吉田伊豆守文頼の築城。東山道の押さえか?
 ★私説・・・武田支配下になった時には、領土安堵されたが、内藤時代に反旗。
       北条の時代に、榛名本郷の領主に復帰。?
 ・天正18年(1590) 徳川家康配下根津甚平が1万石で入封。
  ■訪問記・・・

⑩下並榎の砦△ 並榎の常仙寺:君が代橋東300m築城
 ・戦国時代・・和田業繁(長野業政の娘婿)が築城。
 ・永禄元年(1557)着到帳:飯塚左衛門丞忠則並榎砦在住。(長野氏の配下)
 ・慶長5年   常仙寺は飯塚常仙が開基?
 ・江戸時代   板垣籐九郎在住。
 ■訪問記・・・高崎市の赤坂。現在は常仙寺。比高5m。
       ・・・逆に並榎砦のことを聞かれた。

⑪並榎城△  天竜護国寺・墓~向こう岸
 ・築城・・・永禄~天正
 ・永禄元年(1557)の着到帳:飯塚左衛門丞忠則並榎砦在住。(長野氏の配下)     
 ・永禄4?年・・・和田業繁(長野業政の娘婿)は武田方になった。
 ・永禄6年(1563) 上杉輝虎(謙信)の攻撃
 ・永禄9年(1566)  武田方の箕輪城攻略に参陣。
 ■訪問記・・・高崎経済大学の南東1kmに天竜護国寺
            +南部丘陵地域が並榎城である。
 ★烏川を南面に望む地域。城の形跡はないが、地形をうまく利用している。

⑫住吉城×  沖町郵便局南
 ・永禄元年(1557)頃・・・住吉城住吉玄蕃在住。(長野氏の配下)
 ・永禄8年(1565) 箕輪城長野氏 VS 武田信玄  
  (若田原の戦い)・・・出陣拠点?
 ■訪問記・・・高崎市の沖町。現在は長野堰の水路が印象的である。
       榛名白川の流れの変化で城の痕跡消滅。 (原型なし)

⑬井野屋敷△   楽間町石田(西地区) 
 ・○○○○年 築城年代不明・・・井野氏(箕輪城の保塁)  
         井野与五右衛門屋敷
 ■訪問記・・・双子の井野さんが末裔
⑭石神の砦×  楽間町石神(西地区)
 ・○○○○年     築城年代不明 (箕輪城の保塁)早瀬川を利用した砦
 ■訪問記・・・鰻神社

⑮我峰屋敷△  我峰町
  ○○○年    築城年代不明 (箕輪城の保塁)
  永禄元年(1557)頃・・・清水氏が住吉城住吉玄蕃と入れ替わる。
  我峰在住。(長野氏の配下)
 ■訪問記・・・

⑯行力上屋敷× 箕郷線工場南隣
  ○○○○年       築城年代不明  (箕輪城の保塁)

⑰行力中屋敷△  箕郷線西
  ○○○○年       築城年代不明  (箕輪城の保塁)
  永禄9年(1566)  武田方の大熊氏(元上杉謙信配下箕冠城主)が箕輪城攻略に参陣。
  永禄10年(1567)  武田信玄より大熊氏がこの屋敷を拝領。

⑱行力下屋敷×箕郷線西
  ○○○○年    築城年代不明  上杉氏の所轄置
  天文20年(1551) 長野氏に編入? (箕輪城の保塁)
  永禄10年(1567)  武田信玄より大熊氏がこの屋敷を拝領。

⑲北新波の砦◎   長野小北西200m  満勝寺砦と隣接
  ■訪問記・・・きれいに公園として整備されている。土居がはっきりしている。見所・・・復元城郭
   ○○○○年        築城年代不明
   永禄6年(1563)9年? 城主新波新右衛門は那波(伊勢崎)が高浜砦攻撃に来た時、
              青柳金王丸と共に撃退。(箕輪軍記)
⑱北新波の砦・・・発掘調査は昭和60年に終了。

⑲満勝寺館
   ①満勝寺・本堂裏の土塁と空堀・・砦跡の2碑     
     紫陽花の咲く北新波砦と隣接する満勝寺 
⑳乙業の館 △ (浜川町乙業 館跡)
   14??年 長野乙業の築城。(箕輪城へ移動前の長野氏初期の館)
  ■訪問記・・・ 浜川来迎寺北200m・火薬工場.。実家から南200m?なのだ。
         かみつけの里博物館の竹藪だ。
  ■見所・・・北面の堀一部・」井野川沿いの5m土居が明確。
       +来迎寺(長野氏累代の墓)+対岸に箕輪城4代目長野業盛の墓

21与平屋敷×   箕郷高崎バス路線   出光GS東500m
   ○○○○年 築城年代不明  (箕輪城の保塁?)・・・与平築城。  
   鍛冶遺構の発見・・・圃場整備で消滅。

   ①北新波の砦 ⑥満勝寺館 ⑤北爪の砦 ④寺の内館 G御風呂遺跡(浜川運動公園) 
   ③矢島砦  ⑦隆業館=浜川館 ⑧乙業(おとなり)館 ⑨来迎寺(長野氏累代の墓) 

22高田屋敷×ローソン北500m 新幹線下(消滅)
   ○○○○年 築城年代不明  (箕輪城の保塁)
   1560年   関東幕注文の中に妙義町の「高田小次郎・・・。」の名があり、長野武士団に所属。

23長町屋敷×浜川信号北の3つ目の右に入る道付近
   ○○○○年 築城年代不明  (箕輪城の保塁)
   ○○○○年 武田氏に焼き払われた。(伝)       

24 矢島の砦×(数万回通った道から)・・・前橋高崎線の浜川ファミリーマート北西100m。
 
○○○○年 築城年代不明 (箕輪城の保塁)矢島久左衛門貞勝(長野業政4家老)
         楼台や鉄砲を意識しての構造に改築。矢島氏は松井田城の後詰に出陣。
○○○○年   武田氏に焼き払われた。(伝)
永禄9年(1566) 箕輪城滅亡後浪人→吾妻岩櫃城下で酒屋(
■訪問記・・・1979年発掘調査見学会に参加・・・埋め戻し。  
      *北新波の砦と同じ構造・・・100m×100mの本郭+外郭(副郭式=囲郭)
       前橋安中線焼き肉箕輪屋・蕎麦屋北100m・浜川セブンイレブン北西200m
       「あの正方形の屋敷に二重の堀?・・・今どこに?」

25浜川砦(浜川館)△
■訪問記・・・北高校の野球グランド西。川を挟んで100m。うまく川を利用している。
  ○○○○年 築城年代不明  (箕輪城の保塁) 長野隆業か?
       城郭の中で最も堅固な自然の要害・・・井野川と小川の間に囲郭を築城。
        藤井豊後守友忠(長野氏執事・筆頭家老)・・・長野氏の出身か?
■見所・・・土塁・堀
  
26 北爪の砦(北城)△
   ○○○○年     築城  (箕輪城の保塁) 北爪周防守=土佐守政勝
   永禄9年(1566) ?武田氏に焼き払われた。(伝)
   ■訪問記・・・浜川信号を南に行き、浜川郵便局南50m~ローソン/早瀬川北

27 寺ノ内館 ×
  ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁) 築城者不明・・・松田加賀守?
           本郭・二郭・三郭・・・・推定東山道北道が南の端を通る。
  近藤義雄先生説・・・建久元年(1190)長野氏先祖の石上氏が在地国司の
     官僚№3と№4で来たが、鎌倉時代には
             不要になった。それで、東山道ぞいに館を一番早く築いた。
  ■訪問記・・・浜川のバス通り北・浜川自動車整備工場北早瀬川の北面
  ■見所・・・土塁・堀・虎口

28 芦田貝戸屋敷 × 高碕経済大学附属高校すぐ裏 ・浜川運動公園
   ○○○○年    築城 (箕輪城の保塁)  単郭・・・・推定東山道北道の北
  ※訪問記・・・

29 八木屋敷 △ 上小塙大森院南隣・・・・でも、烏子稲荷も古墳兼城郭では?
   ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁)  八木氏?
   ■訪問記・・・見所・・・堀一部

30 下小鳥神戸屋敷×
   ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁) 
    ■訪問記・・・上越新幹線と信越新幹線の分岐地点・元おのや家具北
            ・赤ちゃん本舗裏・・・川向こうは熊野堂館
 
31 大八木屋敷△ (一番東側の土塁)
  ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁) 茂木氏か?
  ■訪問記・・・上越新幹線・上信越新幹線の分岐下。30と隣接.元おのや家具北
      自然の要害・・・井野川と早瀬川の合流地点の南に二重堀の複郭を築城。
  
32 熊野堂館 ×
   ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁)  
   失火宇の訪問記・・・自然の要害って感じ。猿府川と唐沢川の合流地点の
                南西の複郭を築城。

33 小八木環濠遺構△ 中川小の南に隣接。
   ○○○○年    築城  (箕輪城の保塁)
          金井氏は倉賀野城主金井淡路守の子孫?
   ■見所・・・土居の一部
34 小八木新井屋敷△(青木屋敷)17号線群馬三菱の道反対 
   ○○○○年    築城  
   ★見所・・・堀

35 妙典寺 仁治3年(1243) 北条家臣真山善助?
36 浜尻八幡屋敷 ○○○○年 築城年代戦国 
   ■m見所・・・堀・土塁の一部  37 井野環濠遺構 △井野駅東100m
   ○○○○年 築城年代戦国    与五右衛門屋敷+砂田屋敷
   ★見所・・・堀・土塁の一部   

38 専福寺 ○・・・・貝沢野球場反対 ○○○○年
   真っ黒・・・築城年代戦国 
   ★見所・・・堀・土塁の一部 

39 貝沢東新井屋敷△ 貝沢スーパー東隣接
   ○○○○年 築城年代戦国  新井雅楽之助    
     210m×150mの外郭  
   滋賀&見所・・・堀・土塁の一部 

40 塚越屋敷 △ 万日堂南50m
    ○○○○年 築城年代戦国  塚越氏?  
    ■見所・・・土居の一部

41 貝沢八幡屋敷×塚沢小北300m。日本たばこ貝沢アパート前
   ○○○○年 築城年代室町  新井若狭守
       後北条に従属し、国府台の戦いに参戦。
   ■見所・・・堀一部

42 原環濠遺構・・・中尾団地北に隣接
   ○○○○年 築城年代戦国  
   ■見所・・・堀一部

43 黒崎屋敷 ○ 42の北に隣接 34小八木新井屋敷東隣  44中尾城に隣接
   ○○○○年 築城年代戦国  
   黒崎氏(先祖は浅利信種の弟:下条氏(武田信玄の娘婿)・・・
   ※下條家末裔:現かみつけの里友の会会長:黒崎氏は、
      「下條讃岐守や子孫」の見識の第一人者である。 
   ■見所・・・堀・曲輪

44 中尾城 △ 日高病院北200m~関越自動車道下
   13??年 築城年代戦国              430m×530m 
   ■訪問記・・

45 金尾城 △  前橋インター北~群馬高専グランドまで
   ■訪問記・・・
   15??年 築城年代戦国    金尾佐渡守  550m×500m
   156?年 倉賀野城主金井淡路守の弟右源太ひろ時が入城?
   ■見所・・・堀一部 高専からICを望む

46 上日高屋敷 △ 日高遺跡の東~日高神社周辺
   15??年 築城年代戦国   田村氏 
   ■見所・・・堀一部 

47 日高環濠遺構× 村主神社付近
   15??年 築城年代戦国   湯浅氏 

48 日高大下環濠 ×東京電力の変電所
   15??年 築城年代戦国   

49 湯浅屋敷 △ 染谷川沿い
    15??年 築城年代戦国   湯浅氏 
   ■見所・・・堀一部 

50 上新保環濠遺構△ 49の関越南
    15??年 築城年代戦国   阿久沢氏・串田氏の屋敷 
   ■見所・・・堀一部 

51 諏訪環濠集落・・・48と50の間染谷川沿い
   15??年 
   築城年代戦国   井草氏等の屋敷 
   ■見所・・・堀一部 

52 上新保北屋敷△  染谷川と関越の交差東
   15??年 築城年代戦国   
       高橋氏の屋敷・・・太田金山城由良氏家臣→平井城上杉氏家臣 
   ■見所・・・堀一部 

53 下新保環濠遺構× 染谷川橋付近:高碕インター西1km
   15??年 築城年代戦国     
    自然の要害・・・染谷川と井野川川の合流地点の南西の屋敷群。

54 華王寺 △サンピア高碕南に隣接
   15??年 築城年代戦国 
   天正11年(1583) 新保村の土豪・・小嶋・反町・井草・阿久澤・登坂(北条家朱印状)
   ■見所・・・堀一部 

55 山王屋敷× 高崎インター西700m
   15??年 築城年代戦国  箱田氏?
    天正12年(1584) 新保村の土豪・・小嶋・反町・井草・阿久澤・登坂(北条家朱印状)

56 猿田屋敷×  55に隣接
   15??年 築城年代戦国 

57 上飯塚城△ 第1病院信号南東300mの常福寺周辺
   15??年 築城年代永禄期か?  和田氏が有力? 飯塚常仙か?
    永禄6年(1563) 武田信玄は和田業繁を臣下にし、
                  長野氏領の大八木屋敷に対抗か?
    ■見所・・・堀・土塁 

58 長泉寺 ×  59北100mアピスタ? 
    15??年 築城年代戦国

59 鼠屋敷 × 高崎北駅北200m高碕貨物敷地~南
    15??年 築城年代戦国

60 飯塚左近屋敷×  群スイミング北の線路下
    15??年 築城年代戦国

61 西沖屋敷 ×  問屋町駅前
    15??年 築城年代戦国

62 赤戸屋敷 ×  塚沢小西隣
     15??年 築城年代戦国

63 高関屋敷 △(角田屋敷)環状線沿い・城東自動車教習所東50m
   15??年 築城年代戦国
   ■訪問記・・・見所・・・堀一部

64 岡田屋敷 △城東小南西100m三角公園北
   ○○○○年 築城年代平安か?   奥州の岡田将監
   ■見所・・・土居の一部

65 新後閑屋敷 △琴平神社
   15??年 築城年代戦国   
       新後閑右京亮は和田信業の馬廻衆で、上杉輝虎(謙信)を
               和田城で撃退。→大類城へ
   天正11年(1583) 清水寺に布を献上。

66 長井屋敷 ×環状線から駒形線東に500m
   15??年 築城年代戦国  島名城主長井豊前守政実→長井三河→部
           長井三河は和田信業に従属。

67 上大類新井屋敷×  66の北隣り・北に井野川
    15??年 築城年代戦国  新井刑部か?和田信業の馬廻衆

68 天田館 × 高崎インター西1km駒形線染谷川橋を南500m
    14??年 築城年代室町  天田か?・・・・子孫は焼き物の同門

69 村北屋敷 × 68の東200m 」
     14??年 築城年代室町  天田か?

70 大類館 △
    14??年(嘉吉) 築城年代室町  大類城に先行する館。
           大類中務丞→大類五郎左衛門尉か?
    ■訪問記・・・高関交番から東に1km。
       大類中学校の東の一貫堀川の渕ヶ上橋の南の藪 
    ■見所・・・堀一部

71 大類城△ 高関交番から東に1km信号を北に300m・大類中東100m
    15??年 築城年代戦国  和田業繁か子信業が築城。   400m×400m
    天正3年(1575) 和田業繁が長篠の戦いで討ち死に後、
                新後閑右京亮や天田(甘田)氏が城代。 
    ■訪問記・・・見所・・・堀・土居
    *和田城の保塁・・・上並榎城・上飯塚城・新井屋敷・大類城・和田下ノ城      

72 大類寄居 ×
    14??年 築城年代室町  上杉氏の配下※寄居は中世の古い時代の言い方

73 降照(ぶってん)屋敷・・・群女短大の北東
     14??年 築城年代室町  高井氏 

74 塚ノ越屋敷 △宿大類町
     13??年 築城年代室町  塚ノ越屋敷→大類館→大類城。

75 佐野屋敷 ×上佐野の常世神社
     13??年 築城年代鎌倉  佐野源左衛門常世の屋敷
      室町時代にも存続・・・烏川の水運を利用

76 堀口屋敷 △ 下佐野の定家神社東
     14??年 築城年代室町 漆山古墳を背後に建造 

77 清水屋敷・・・下佐野の定家神社南
    14??年 築城年代室町 

78 夕日長者屋敷・・・下佐野新幹線下 ?

79 江木環濠遺構・・・江木食品工業の西・北
   15??年 築城年代戦国  南屋敷・北屋敷など5つの環濠

80 丸茂屋敷 △ 上中居ヤマダ電機北東
    14??年 築城年代室町 
   ■見所・・・水堀

81 宇名室環濠遺構×  上中居のヤマダ電機東
    15??年 築城年代戦国  堤氏など

82 反町屋敷× 旧上中居のヤマダ電機付近
    15??年    反町氏 反町美濃守は極楽寺に墓地
           反町大膳亮は和田信業の和田城で上杉輝虎(謙信)を撃退。
    天正3年(1575) 和田業繁が長篠の戦いで怪我をしたので、駒場まで
               連れてきた。討ち死に。
           越前松平忠直に2000石で仕えた。→高崎で浪人。
   ■訪問記・・・見所・・・水堀5m~8m

83 新堀の砦× 旧ヤマダ電機に隣接 
   15??年 築城年代戦国  反町氏の中居砦

84 下中居新井屋敷×・・・下中居飯玉神社西
    15??年 築城年代戦国  新井氏の砦・・・・五角形の砦

85 高尾屋敷くぐり窓×・・・下中居飯玉神社西
     15??年 築城年代戦国  高尾佐渡守?の砦・・・・五角形の砦
       和田氏の騎馬衆「高尾三騎」(甲陽軍艦)
       高尾屋敷・福田屋敷・佐藤屋敷・・・長野堰近く

86 下中居福田屋敷×
     15??年 築城年代戦国  福田氏の屋敷

87 下中居佐藤屋敷×
     15??年 築城年代戦国  佐藤氏の屋敷

88 島野環濠遺構 △
    15??年 築城年代戦国  阿久澤氏?の屋敷群

89 柴崎西浦屋敷 中居団地北
     15??年 築城年代戦国  高井氏?の屋敷
    ■見所・・・堀・土塁

90 高井屋敷  ○・・・高崎駅の東に2km国道354号
    15??年 築城年代戦国  高井氏?の屋敷
   ■見所・・・堀・土塁

91 柴崎桜井屋敷 ○国道354号
    文明6年(1474)  築城年代戦国  桜井与左衛門の屋敷
    ■見所・・・堀・土塁

92 光明寺 ×・・・国道354号
    14??年 築城年代戦国  桜井氏?

93 村間屋敷 ×・・・ながいスイミング敷地
    14??年 築城年代戦国  桜井氏?

94 蟹沢屋敷 △
    14??年 築城年代戦国  桜井氏?

95 大下屋敷 △  (柴崎東屋敷)
     14??年 築城年代戦国  田口吉真の屋敷
96 隼人屋敷 ×・・・・354号高井屋敷反対
    天文年間 築城年代戦国  原隼人(太田金山城横瀬氏に負けた那波氏の家臣)

97 道場屋敷 × ・・・・谷中堰沿い
    14??年 築城年代戦国  桜井氏?

98 矢島西城  ×・・・・矢島彦島神社南西。高碕インター西1kmを南に200m
     文明9年(1477)  築城年代戦国  足利成氏の陣城か?

99 矢島反町屋敷 ×・・・矢島西城の東駒井病院
    天正期(1572~)?     反町氏
100 鈴ノ宮屋敷×  高崎市カントリーエレベーター   不明

101 元島名城 △  高碕インター~南西部~井野川まで
     応永年間(1393~)  島名伊豆守が桜屋敷を築城か?
     永禄年間(1557~)  永井(長井)備前守が居住
     永禄13年(1570)   永井氏は武田方として小幡氏と共に忍城・深谷城を攻撃。
     天正10年(1582)   永井氏は北条氏に追われ、箕輪や赤城に分散?
     ■訪問記・・・高崎ICの南西部。でも、遺構は?

102 元島名内出×・・・元島名城の南東
     15??年 築城年代戦国  阿久澤氏?の屋敷

103 栗原・矢中屋敷△矢中町
     15??年 築城年代戦国  栗原内記の屋敷
             倉賀野城主金井淡路守の弟矢中新左衛門の屋敷

104 下村北屋敷 △・・・矢中中学校西
     15??年 築城年代戦国  矢中7騎の屋敷(松本九郎兵衛・大澤備後)

105 宝昌寺裏屋敷 ×・・・・矢中小学校敷地内
     15??年 築城年代戦国  矢中新左衛門関係か?
106 中島屋敷 ×・・・京目町・前橋川曲町
      15??年 築城年代戦国  中島氏か?

107上京目深沢屋敷・・・・長泉寺~東へ
     15??年 築城年代戦国  深沢氏?
    (大間々の阿久沢氏が北条氏に追われ、京目に定住。)

108 上滝中屋敷  高南中学の東の関越下
       13??年 築城年代南北朝  か訪問記・・・?
109 江原屋敷○
      15??年 築城年代戦国  江原重安→江原重久
      江戸時代 江原氏は農民になった。
             江原源左衛門は天狗岩用水の引き込みの用水路を造った。
     ■訪問記・・・見所・・・堀・土居・郭

110 榎町内出
     15??年 築城年代戦国  矢中新左衛門関係か?

111 下滝館 文明9年(1477)  築城年代戦国  足利成氏の陣城か?

112 八幡山館?

113五左右衛門原屋敷・・・  滝川小敷地 ?

114 慈眼寺
      文和元年(1352)  足利尊氏の命で中興
      戦国時代      武装化   2郭・3郭
      ■訪問記・・・

●●和田城○・鎌倉初期   和田正信が築城。
    ・戦国期     和田業繁・信繁父子の和田城
             +下之城砦・並榎砦の二つの外城。 (立体交差付近が、和田城)
            (高崎城を参照)
115 和田下之城 高碕操車場北 *下之城グランド&善如寺さん宅
      15??年 築城   和田氏  *和田城(和田業繁)の支城
     ■訪問記・・・とりあえず、諏訪神社に行った。信玄の影響がこれほどとは思わなかった。
       諏訪神社の祭りによって、地元民との交流を図る作戦は見事だ。
     ■訪問記・・・下の城グランドのフェンスに下の城の看板があった。
           和田業繁の弟が入ったことが記されていた。

116 上稲荷前屋敷 *倉賀野城の外砦

117 倉賀野新堀屋敷 *倉賀野城の外砦

118 養報寺 *倉賀野城の外砦

119 朝日長者屋敷 *倉賀野城の外砦
120 万福寺屋敷  大鶴巻古墳南 *倉賀野城の外砦


121 宮之前屋敷 ・・・・倉賀野中学校西 *倉賀野城の外砦

122 倉賀野西城・・・倉賀野中学校北西50m *倉賀野城の支城

123 永泉寺の砦 ×・・・倉賀野駅前北西 *倉賀野城の外砦

124 倉賀野城× (上記別掲) 倉中~倉賀野河岸  800m×400m
     ○○○○年 武蔵児玉党の一派秩父三郎高俊が倉賀野氏を名乗る。
              上杉憲政幕下の重臣
      天文15年(1546) 川越の夜戦で、倉賀野行政が戦死。倉賀野党16騎が城を守護。
      天文16年(1547) 小田井原合戦で、上杉憲政が武田晴信(信玄)に攻撃を志賀城後詰.
             倉賀野十六騎の倉賀野秀景が先陣。 800m×400mの城
      弘治3年(1557)  武田晴信(信玄)による西上州侵攻が激化。
             長野業政は、箕輪城と倉賀野城などの支城網を駆使し撃退。 
      永禄2年(1559)  9月 武田信玄が板鼻に陣取った際に従ったと言われているが・・・・?
            武田信玄の家臣となり、金井淡路守秀景→倉賀野秀景に改名。(現地説明板より)
              倉賀野城で内部分裂があったとも見られている。(高崎市史?)
      永禄8年(1565)   倉賀野城落城。信玄の家臣となり、金井淡路守秀景→倉賀野秀景に改名。
                               (子孫の会と高崎市の街巡りパンフレットを参考。)
      永禄9年(1566)   武田信玄の箕輪城攻撃に剣崎城主として参加。
      永禄11年(1568)  武田信玄は倉賀野城南西方向2.5㎞の所に根小屋城を築城。
               (根小屋城・・・佐久の伴野氏・大井氏が城番1566年説在り不明) 
      天正10年(1582)  武田氏滅亡。→倉賀野氏は滝川一益に従属→本能寺の変で織田信長死去
             滝川一益+倉賀野秀景 VS 北条氏邦+私説(敵にまわった元長野・武田の人質軍団)
             滝川氏撤退→倉賀野氏は北条氏に従属。
             北条氏康の重臣:塀賀(はが)伯耆守康忠(私説:駿河興国寺城主兼任)が城主。
             →金井淡路守は小田原城へ出勤~~~あああ~~~。
      天正18(1590)年 豊臣秀吉の小田原征伐で落城。金井秀景は小田原で籠城し死去。
             (ご愁傷様でした。人生楽ありゃ、苦もあるさ~~~苦がありすぎかも。)
  ■訪問記①・・・いつ?     倉中~倉賀野河岸おまけ
  ■訪問記②・・・2007年12月  倉賀野宿のおまけで行ったよ。倉賀野宿。古墳
  ■訪問記③・・・2008年4月   倉賀野河岸の場所確認+????


125 倉賀野東城 *倉賀野城の支城

126 東中里城・・・倉賀野オイルターミナル北西200m      太田氏か?

127 堀米屋敷・・・綿貫町観音山古墳東300m        堀米新左衛門

128 岩鼻の砦=岩鼻陣屋跡+県立博物館
     元亀~天正  和田氏の砦か(伝)?
         武田信玄が箕輪城の城代内藤豊後守に守らせた。
     江戸時代   岩鼻陣屋 ・・・・戊辰戦争で渦中に。
     ■訪問記・・・

129 下斎田城・・・・原研の川向こう    田口氏

130 大道端屋敷・・・・群馬の森の井野川向こうの新幹線下 ?

131 八幡原館 ・・・・群馬の森の井野川向こうの新幹線下  安達屋敷(伝)

132 若宮館 △・・・・日本化薬高崎工場東の橋向こう八幡宮・烏川
      15??年  ○○庄兵衛
     永禄年間  田中氏が屋敷に入った。江原氏と一緒に・・・・。

133 灰塚屋敷・・・・原研の川向こう      足利成氏の関係か?

134 八幡原城 ×  ・・・・日本化薬高崎工場東関越の先・烏川

135 八幡原中内出

136 中島内出(田口屋敷)・・・宿横手町
     永禄・・・・・・・・屋敷      田口兵庫業祐は長野業政の使番頭
     永禄9年(1566)  武田方の箕輪城攻略で戦死。
                 田口兵庫業祐の子孫は密かに帰郷?

137 萩原城・・・高崎IC東1km昭和大橋手前        萩原氏

138 新居屋敷・・・宿横手町 ?

139 寺尾上城◎ =乗附城:下乗附蓮浄坊城山
     南北朝時代  野付治部左衛門が築城。
     戦国時代   城の改修
     ■訪問記・・・

140 乗附屋敷 ×・・・高崎高校北西200m
     南北朝時代  野付治部左衛門が築城か?
     ■訪問記・・・ 

141 前田屋敷 ×・・・・高崎高校西100m ?

142 石原屋敷 ×・・・石原利済寺
     天正18年(1590)  由良一族矢場十騎の石原喜兵衛が居住。
            和田氏の家臣になった石原作太夫・作右衛門

143 寺尾館×(=治部屋敷)  特別養護老人ホーム
    南北朝時代  世良田氏か 佐藤氏が築城。
     ■訪問記・・・
144 寺尾左近屋敷 ・・・・養護老人ホーム川向こう
     南北朝時代  藤巻氏が築城。

145 寺尾中屋敷 ?

146 寺尾中城 ◎  
     ■訪問記・・・①2008年4月 ファミリーパーク中央コースを北に進むと、
     「寺尾中城」の表示があり、歴史探求者以外あまりこないようなハイキング
     コースになる。・『いったいこの城が何?」と思いながら、金無駄使いを感じながら
     、本丸へ登頂。
    ファミリーパークから城へ→中央コース       寺尾中城の看板

     本丸へ                       二の丸へ

147 寺尾茶臼山城 農大二高の南東の山・・高崎葬儀場の東の裏山:城山団地
    南北朝時代   尹良親王(後醍醐天皇の皇孫で宗良親王の第二王子)が築城?
    応永4年(1397) 寺尾城を拠点。
    応永31年(1424) 三河へ向かう途中信濃で北朝方の軍勢に包囲され自害。
           茶臼山城は寺尾城郭群の一角を形成?
    南北朝の争乱後 茶臼山城の歴史や役割については不明???
    戦国時代    上杉、北条、武田の激しい争奪の舞台。
        丘陵続きにある根小屋城は武田信玄による築城。
        「烽火台?」と地元の人はいう。山名城も武田勢が在城。
    ■訪問記・・・20090416
    上信電鉄の根小屋駅の北西の小高い山が城址である。高崎駅から車で城南大橋を渡り右折する。吉井     方面に向かうと、正面に山が見える山が茶臼山である。葬式屋オンパレード街道をすぎ、右は観音山ファ    ミリーパーク(寺尾中城)で、左が茶臼山城の近道である。茶臼山を左に行くと、城山団地のどんづまりが    茶臼山である。
    階段を上ると、3m×5m程の郭がある。地元の人の「烽火台?」・・・でもちがう。」と思って、通行止めの     道を進むと、空堀があった。わくわくしながら下ると、「茶臼山城へ」の古くさい木製看板がある。空堀を10    m程行き、左折すると、みすぼらしい稲荷神社があった。わずかに草刈りをして下さった人がいるため、か    ろうじて道があるが、あまりにも草深いためはっきりとした遺構は確認しにくい。さぬ山関東ふれあいの道・    寺尾中城、山名城、根小屋城の自然歩道コースに比べると、茶臼山城は惨めであった。

148 根小屋城 根小屋城址・・・本丸跡・二の丸跡・三の丸跡 
    ●武田信玄は倉賀野城南西方向2.5㎞の所に根小屋城を築城計画。
    ●永禄11年(1568)武田氏が築城・・・佐久の伴野氏・大井氏が城代
    ①上州各地の狼煙の集約地根小屋→飛行機墜落の御巣鷹山近くの叶山→甲府
    ②上杉氏・北条氏の牽制の役目
    ■訪問記・・・   

149 山名城=寺尾下城  (山名町城山)       木部氏の山城 
    ■訪問記・・・高崎山名丘陵コース(高崎自然歩道)
    ①金井沢の碑(726年) 
    ②山名八幡宮(鎌倉時代) 源義朝→ 新田義貞孫が山名姓→山名宋全(応仁の乱 
    ③山の上の碑(681年) 国史と古墳(奈良)・・・10分で・・万葉歌碑27基あるそうだ。 
    ④山名城「マムシ注意の看板・・山名の古碑・古墳・33観音を見ながら進む。10分ほどで城址に着く。

150 山名館=山名の光台寺
    11??年  山名氏
    ■訪問記・・・

151 木部北城   阿久津町北城玄頂寺
    戦国時代  木部氏の北城    武田氏の倉賀野攻略の拠点?
    ■住職の妻の話 「慶長5年~。」  
     ※住職へのインタビュー・・・大井氏(実家は小諸」      
         ・・・私見「根小屋城の大井氏の末裔では?」)の創建」

152 木部氏館 木部町の心洞寺
    ■飯島氏の話・・・「堀之内という地区が心洞寺南西部100mにあるので、そこが木部館。」
    14??年 古河公方足利利成の幕下木部氏?
    15??年 心洞寺創建。  木部駿河守範虎は長野業政の娘婿? 
    15??年 山名城に在住?
    ■見所・・・木部氏の墓 
  
153 木部氏館  木部町堀之内(木部氏の里城)         
    永禄6年(1563) 武田氏家臣甘利昌忠 
              箕輪城周辺に放火→木部に陣を寄せ・・・(浦野家文書) 
             木部氏は武田家家臣として50騎の将? 100貫文の所領
     天正18年(1590) 北条氏の滅亡で、木部氏は没落。
    ※木部氏の家老クラス増尾家が近い。

154 和田城   (上記) (2007年10月立体交差のため、形跡が全くない。)  

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック