箕輪初心●箕輪城シリーズ③「長野氏の系譜」

箕輪初心●「箕輪城の歴史詳細編①」 平成20年6月9日作成
*長野氏の先祖
■平城天皇→阿保親王→在原業平→在原業重(上野国司)…{??代}・・・子孫
■物部氏…石上…の子孫 (群馬県史の近藤義雄先生・峰岸純夫先生)
①奈良時代・・・
 長野氏の先祖の石上氏は奈良県天理市布留町の石上神宮(神社ではない。)の神官だった。
※奈良天理市の石上神宮(天理教本部北)の宮司の話
「神宮・・・伊勢神宮と二つだけ。」
「布瑠山の「る」を「おうへん」使っていれば、確定的・・。」
「群馬に行った石上一族の記録はない。」
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★箕輪初心私見「奈良時代の記録がないが、惣社神社の神官の可能性はある?」

                 ■牛池(牛の牧の水場)
         国分寺      国分尼寺
           □        □
              国府
               □  
               :  最初の総社神社
               :    □
               :        
               :       今の総社神社
               :         □
     :::::::::::東山道:::::::::::::::::::

  ※東山道・・・国府の北に牛池=牛の牧は上野で1か所。貴族が牛車に乗るため。
  ※国府の手前に東に総社神社(各社を一つにまとめた)。
    左に国分寺・右に国分尼寺。(近藤義雄先生)
  *万葉集の防人の歌「伊香保・・」4首読まれた。
   上野の国の歌は全部で25首? (群馬町誌他)

②平安時代
■天喜2年(1054)「上野権介正六位石上朝臣兼親」(除目大成抄→峰岸純夫先生) 
■建久元年(1190) 榛名神社に「石上」姓が登場(みさとの歴史)
 ※在原業平の子孫である奈良の石上氏(後の箕輪城・鷹留城・厩橋城=前橋城の長野氏先祖)が
 在地国司の惣検校(国の社寺点検)・散位(上級役人)として2名の石上(いそのかみ)
  の名と花押があった。目代(もくだい:国司代理人)は藤原であった。
「榛名神社に健児(こんでい)や検非違使を入れていけない。」という内容が榛名神社に
 残されている。  (近藤先生)


■建久元年(1190) 奈良の「布留(ふる)」→浜川に「御風呂」の地名(秋本先生)
★箕輪初心「布留山石上寺は、長野氏・井伊氏関係で3つある。
  ①旧箕郷町の箕輪城の鬼門・②旧群馬町の三ツ寺の堤隣・③井伊氏の移転の石上寺
 
 ※千葉氏の上野支配
   長元元戊辰年(1028) 上総介平忠常が下総国より入国。
             嫡子下総介常重→孫の千葉介常胤。
        千葉常胤が蒼海城として使用。
治承4(1180)  源頼朝より加勢依頼の使者→千葉常胤が鎌倉に赴任。
         →平家方の足利太郎俊国に総社の民家が焼き払われた。
年代不詳 千葉介常胤の7人の子
      長男千葉胤正・・・・・・総社(前橋市)在住。家督を継
      2男相馬小次郎師常・・・高井
      3男武石三郎胤盛・・・・武石(現在の立石)
      4男大須賀四郎胤信・・・須賀谷(現在の高崎市旧群馬町菅谷)
      5男国分五郎胤道・・・・国分(現在の高崎市旧群馬町国府)
      6男東六郎胤頼・・・・・台村(現在の高崎市岩鼻町台新田)
      7男・・・・出家。
築城年代は不明。 蒼海城は千葉常胤が築城。(伝)

※建久元年(1190) 国司在地官僚の石上氏(→長野氏)は、国府から東山道西の長野郷に移住。
★箕輪初心私見「石上氏=長野氏は千葉氏の上野に勢力を持ったため、国府(前橋市総社町)から   
→東山道の10kmの西の長野郷に移住せざるを得なかった。
    そして、石上氏は南に東山道が通る長野郷浜川に住居か?長野姓に改称か?」
※御風呂遺跡・・・高崎市浜川公園内
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■鎌倉時代・・・国司の役人ながら、鎌倉幕府には無用な役人。→在地役人。
  石上氏(長野氏先祖)は鎌倉幕府の役人ではない。足利氏が役人であった。

■南北朝時代・・・新田氏は鎌倉幕府の倒幕に関与。石上氏は参加せず。
■弘安8年(1285) 安達泰盛の死→滅亡。・北条得宗家の支配。長野氏の御家人化?

■正慶2年(1333) 楠木正成への攻撃時、新田義貞などのほか、「連一族」の名がある。
★箕輪初心私見・・・「連一族」=長野氏の可能性?物部連(私見)」

■室町時代・・足利関東管領+上杉氏関東管領代理+長尾氏は上杉家執事
 永享元年(1429)足利直義は戦功により、関八州と伊豆・甲斐・越後の行政権を獲得。
      足利直家臣の長尾佐衛門景忠が上野・越後守護代。                      
     4男の長尾忠房を上野国府を支配。
      長尾忠房は国府跡を蒼海城を城郭化。元の総社神社を今の場所に移築。
      ~以後、総社長尾氏の本拠地。(上野国守護代総社長尾景行入城説あり。)。
      ・越後栖吉城長尾・白井城長尾・蒼海城長尾・足利両崖山城長尾。
      以降惣社長尾忠房→→景棟と続く。
         白井長尾氏、山内上杉氏と対抗するがよりを戻す。

●長野??氏 
・寺ノ内館
●長野乙業の時代・・・・乙業館(青木の用水池東)に居住。
   1)寺内館:(元高崎市浜川公園南西部300m・・・東山道に隣接北部)
   2)乙業館(おとなり)(高崎市浜川町道場・・火薬工場・工場北)でも、心配。
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   3)寺内館・矢島館・北爪館・北新波砦・満勝寺砦・  

●長野隆業の時代・大きな浜川館=隆業館(高崎北高西・来迎寺東200m)に在住。
  ※来迎寺に乙業・隆業などの墓がある。一番大きいのが長野業政(伝)
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  隆業館(=浜川館/東西200m×南北130m)・・→蒼海城に対抗。



 ★箕輪初心私見「乙業・業尚父子と為兼・房兼とは、同時代の人物である。」
 ★箕輪初心私見「長野氏には、2つの流れがあったのではないか?」
 ①山内上杉氏に仕える「本家筋属系」・長野乙業・隆業・業尚系が長野氏の「業」がつく主流。
■嘉吉元年(1441) 結城の合戦の終結 長野周防守・・「守」がつくので本家筋。乙業では?
   長野乙業の子業尚(尚業?)は、関東管領上杉顕定の執事に抜擢。
 ★箕輪初心私見「1位長野業尚 2位小幡一族、いじけた長尾一族は足利成氏に味方?」
  長野業尚は浜川から下室田に居を移し鷹留城を築いたと伝えられている。
  しかし、業尚に関しては系図以外にその存在を語る確実な史料はない。(群馬県史)
 ②山内上杉氏に仕える一揆旗頭「分家系」・・・長野為兼・房兼系の長野氏勢力→
                  1477年戦死・1504年戦死で没落?        
将軍足利義政から御内書を発給された長野左衛門尉は為兼。
 ※峰岸純夫氏の説・・・「兼」→「業」への下克上説

@永享10年(1438)に起った永享の乱後の結城合戦(1440)。
  長野氏は上野一揆の一員として、周防守・宮内少輔・左馬介の3名が参陣し、
結城方武士の首をとる戦功をあげた。
 ★箕輪初心私見「長野周防守は、長野乙業(守がつくので本家筋)では
・長野宮内少輔は厩橋系の2代目・「前橋の風土記」
  長野氏は上野一揆として編成。
     関東管領の上野守護山内上杉氏の軍事力の一翼を担っていた。(近藤先生)
■応仁の乱・永享の乱→戦国時代「上州旗揚げ一揆・・・下克上の時代」
■享徳3年(1454)年~文明14年(1482) 享徳の乱
■文明3年(1471)享徳の乱で功績のあった長野左衛門尉は足利義政から感状(感謝状)をゲット。
 ★箕輪初心私見「1470年代には、長野氏と小幡氏は上野国人層の有力武将に成長。」
■文明8年(1476)関東管領山内上杉氏の家臣長尾景春(群馬白井城主)が鉢形城を築城。
         長尾景春の乱・・・鉢形城に立て籠もり、上杉氏と対立
   山内上杉(平井城) VS 古河側についた長尾景春(白井城:旧子持村)+長野為兼  

■文明9年(1477) 
   ?月広馬場(榛東村:箕輪城から北北東4km)の戦い
     山内上杉(平井城) VS 古河側長尾景春(白井城)+古河公方
     旧榛名町白岩砦:長谷寺→×←旧榛東村←渋川:白井)
                                   (「関東古戦録」→秋本氏)

■戦国時代・・近くて安心な城=箕輪城の築城。
   詰め城として鷹留城
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         烽火城として金古城。(惣社長尾氏対策)


         東毛本面拠点として厩橋城=前橋城(現在の前橋の県庁)
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★箕輪初心私見「箕輪城は1477年、以前に存在した可能性もある。」
●箕輪城築城・鷹留城築城は1480年代か?・・・・・・・(秋本氏)

■長享元年(1487)~長享の乱 山内上杉(平井城) VS 扇谷上杉(川越城)
■延徳4年(1492) 長野業尚が榛名に長年寺を創建?
■明応6年(1497 ) 長野業尚が長純寺を創建(みさとの歴史)
■文亀元年(1501) 長野業尚か憲業が雲英(+恵応)和尚を招いて長年寺を創建?(秋本氏)
■文亀3年(1503) 長野業尚が死亡。(みさとの歴史)


●長野乙業→長野隆業・・・・・
→①長野業尚(尚業)→②信業(=憲業)→業氏(鷹留城)→業通
              ↓           ↓          女子5人
              →方業(厩橋城)  ↓           勝業
                            ↓          男子2人
                          →③業政→吉業
                                  ④業盛(=氏業:近藤説)→亀寿丸:鎮良
                                  女子12人 

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