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zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津100ー70【若山牧水T9・T11】の「草津温泉の印象」

<<   作成日時 : 2018/05/24 05:30   >>

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草津の湯畑の標柱には『若山牧水歌人大正9年(1920)』とあった。
草津温泉観光協会の本やHpには『44.若山牧水:旅に生き、酒
とともに暮らした、歌壇の寵児。草津を訪れた牧水は、吾妻川の
渓谷や周囲の山並みに心酔し、『上州草津』などの紀行文、多く
の詩歌に自然の美しさを表現しました。紀行文の多くは時間湯の
描写に割かれており、「湯もみの板の音がいよいよ激しく、その
唄もつぎからつぎへとつづく。(中略)料理屋の三味線のさわぎ
がきこえ、あんまの笛もまじる。」と、夕暮れ時の草津の情景が描
かれています。』とある。
草津1回目は大正9年(1920)5月12日若山牧水は弟子:門林兵
治と共に草津温泉「一井旅館」に泊まった。独特の高温入浴治療法
「時間湯」とその時唄う「湯揉み唄」に興味を持ち、詳述した。
草津2回目は大正11年(1922)軽井沢から草津軽便鉄道を利用し、
嬬恋からは自動車で草津に向かい一泊している。
「上野の 草津に来り 誰も聞く 湯揉の唄を 聞けばかなしも」
画像



◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅@水上〜川原湯温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_23.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅A「妙義&磯部温泉」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_24.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅B榛名湖&伊香保温泉 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_25.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅C川原湯温泉&草津温泉 ◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Dロマンチック街道 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水の上州旅Eロマンチック『旧六合村」 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_28.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Fロマンチック『四万温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Gロマンチック『法師温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_30.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Hみなかみ『猿ヶ京&湯宿温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_31.html

◆◆ 箕輪初心★若山牧水Iみなかみ紀行『老神温泉』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_32.html

箕輪初心:生方『老神温泉&若山牧水』復刻版&「老神の伝説2」
http://53922401.at.webry.info/201504/article_3.html

箕輪初心★若山牧水11みなかみ紀行「白根温泉〜金精峠」
http://53922401.at.webry.info/201302/article_1.html

箕輪初心:生方★西伊豆B【若山牧水と沼津千本松原】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201510/article_11.html

箕輪初心:生方★西伊豆Q『土肥の若山牧水』
http://53922401.at.webry.info/201609/article_19.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201609/article_19.html


【1】1回目の草津
●「一井旅館」
若山牧水が泊まった一井旅館は、湯畑の熱の湯のすぐ裏手にある。
・江戸時代を通じて山本十右衛門(明治初年の改名)と湯本三家が
 草津村を支配していた。

「ホテル一井」のHpには
「江戸時代中期に一井旅館として創業してから、すでに300余年。一井
 という名前は、一番井戸の「一井」に由来しています。古くから変わら
 ぬ「おもてなしの心を大切に」しつつ、一番の「一」の心を持ち続けて
 います。」とある。

・明治2年(1869)4月7日、明日から冬住みが空けて営業開始と
 いう日の未明出火し、一夜にして全村を焼失した。
 岩鼻権知事は民部省に宛てて、緊急援助を申し入れた。
 当時は、村高50 石、家数167 軒、人数714 人であった。
 有力者は山本十一部(山本館)を筆頭に湯本安兵衛(日新館)
 ・湯本平兵衛(大東館の場所)・中沢善平衛(現一井の場所)
 ・湯本角右衛門(現奈良屋の場所)・宮崎文右衛門
 ・坂上治右衛門(白山神社通り両脇)・坂上七兵衛などであった。
 大災を契機に借金により経営者交代をせざるをえなくなった。
 代って市川善三郎(一井) ・黒岩忠四郎(望雲館)・中沢市郎次(大阪屋)
 ・山本与平次(大東館)などが新興勢力として勃興した。

 「江戸時代の地図」によると、中沢善平衛の土地は現ホテル一井
 の場所にあるので、中沢善平衛(現一井の場所)は土地を市川善
 三郎(一井) に売り渡したのかもしれない。

・明治34年(1901)発行の「一井善三郎の邸宅図」を見ると、
 2階建てで現在地に立っている。
(一井の歴史・・・一井Hp写真)
  ベルツ博士は一井旅館を常宿としてご利用いたという。

・明治40年(1907)一井旅館は新しく建てられ、洋風の要素を取り入れた
 3階建ての前面に連続する逆U字のアーチをつけた外観をもっていた。
 浴場は逆L字型で湯畑につきだした部分にあった。
(一井の歴史・・・一井Hp写真)
  ★若山牧水が泊まった時は、洋風な建物であった。

・現在、「ホテル一井」は洋風なモダンな建物になっている。
  3階テラスからの湯畑の眺めは最高にいい。



【1】草津温泉1回目
★大正9年(1920) 5月 若山牧水「上州草津」
「渓ばたの温泉」(『静かなる旅を行きつゝ』アルス、1921年)
「上州草津」によれば、
若山牧水は渋川から軌道馬車で中之条へ行き、川原湯に宿泊して歌
集を編むため10日間滞在している。


5月10日
上野駅===高崎駅===渋川駅==(馬車鉄道)==
中之条駅・・・同行者と別れ独り旅・・徒歩20km・・・

@「渓ばたの温泉」=2回目の川原湯温泉
敬業館(泊)・・・10泊 
当時、一番大きかったのだ。若山牧水は湯治客になった。
毎食前に、副食を伺いにくる。
10泊の目的は、3年間分の短歌をまとめて、1冊の歌集に
するのだ。・・・若葉・ヤマツツジ・山藤・ヤマブキなどが
咲いている。吾妻渓谷はさらに美しかった。
『上州吾妻の渓にて』
「静かなる 道をあゆむと うしろ手を
 くみつつ思ふ 父が癖なりき 」
「荒き瀬の 上に垂りつつ 風になびく
 山藤の花の 房長からず」
 など、4首。

◆◆ 箕輪初心■川原湯温泉の湯かけ祭り ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201201/article_21.html
●箕輪初心日帰り温泉
@柏屋 A養寿館? B共同浴場2つ など

「雁ヶ沢橋を渡って下ること2丁ほの所を北におれて
 川中温泉というへゆにゆく小さな径がある。この分岐の
ところにある一軒の茶屋に麦酒を飲みにゆくのだ。」
★かつて、横谷氏の雁ヶ沢城は真田幸隆が岩櫃城の斉藤
憲弘を攻める時に、使った城である。この地点は天明の
浅間の大噴火で泥流が流れ、4mの堆積した場所である。
現在は「天狗の湯」の在るところである。八ッ場ダム工
事が再開され、バイパスが通っている。川中温泉は美人
の湯として知られているが、男性は日帰り温泉はできない。」
◆◆ 箕輪初心●吾妻渓谷の城:飯森康広 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201201/article_11.html

5月20日
「5時・・・川原湯温泉発・・・ 」

箕輪初心:生方▲群馬:吾妻2−1『20170906八ッ場ダムの工事:含動画』
http://53922401.at.webry.info/201709/article_6.html?pc=on


「長野原を出はずれると浅間山が見えた。・・・
 日影というところから右に折れた。・・」

★日影=現大津の分岐
2年前は、ここから嬬恋の鎌原から六里ヶ原・・軽井沢へ
向かった。今回は、
・・・・草津街道へ ・・・

「ここから見る浅間山は、はなはだすぐれた姿を示している。」
やがて、峠に出た。
★現在の道の駅である。反対側は山本一太の事務所である。

5月20日 徒歩で草津に向かい、一井旅館に宿泊した。
 
A 「上州草津」=1回目の草津温泉
坂を下って、突き当たりの湯畑へ行った。

12時
1)一井旅館(泊)・・・「西洋まがいの大きな建物だった。」 
「坂を降りて突き当りの一井旅館といふへ入る。西洋まがひの大き
 な建物だか、今は余り客はないらしく、ひつそりとした二階の一室
 に通さるゝと共に私はぐつたりと横になつた。時計は十二時を少し
 すぎてゐた。歩いたのは僅か五里ほどだか、何といふことなくひど
 く疲れた。…(略)…「原文」

2)一井旅館の内湯
「硫黄色に濁つた内湯に入る。この地の湯は直ちに人の皮膚を糜爛
 さすと聞いてゐるのでまさか一日や二日ではと思ひつゝも何となく
 気味が悪くて長くは浸つてゐられない。匆々に出て昼飯を呼ぶ。一
 杯飲みながら縁さきの欄干の陰にまだ充分さきかねてゐる桜の蕾を
 ぼんやり眺めてゐると、突然一種異様なひゞきの起るのを聞いた。
 …(略)…

3)時間湯「熱ノ湯」
「それは私の室のツイ前面に建つて、多角形をしたペンキ塗の建物の
 中から起つてゐるのだ。その建物は疑ひもなく浴場である。さう思
 ふと私は直ぐ感づいた、噂に聞いてゐた草津の時間湯の浴場が其処
 で、あの笛はその合図に相違ないと。…(略)…」「原文」
  
「案のごとくその異様な響きの止むか止まぬかに何処からともなく
 二人三人、五人六人づゝ怪しい風態をした浴客が現れてそのペンキ
 塗の家にぞろ/\集つて来始めた。まことにそれは何といふ不思議
 な、滑稽な、みじめな姿であることぞ。普通にちやんとした足どり
 をとつて歩いてゐる人とては殆んど一人もない。…(略)…
 すべて湯の強さにあてられて皮膚の糜爛を起してゐる人たちである
 のだ。男あり、女あり、皆褞袍(どてら)姿で、それ/゛\に柄□を
 持ちタオルを提げ、中には大きな声で唄か何かをどなりながら、えつ
 ちらおつちらやつて来るのである。やがて浴場内では拍子木の鳴る音
 がした。
  私は大急ぎで飯をすまして其処に出かけて行つた。そして恐々ガ
 ラス戸の破れから中を窺き込んだ。…(略)…」

★若山牧水が「そして恐々ガラス戸の破れから中を窺き込んだ」光景は、
それは多くの人たちが熱い湯に一心不乱に長い板をかき混ぜる三、四十
人の人がおり、唄や掛け声を出していた。
・・・お湯をもむ音や掛け声、唄、
「宜しくばそろ/\下りませう。」
 「揃つて三分。」
 「改正に二分。」
 「限つて一分。」
 「ちつくり御辛抱」
 「辛抱のしどころ。」
 「サツ宜しくば上りませう。」
  という号令とともに時間湯のことを詳述している
  そして入浴時の静寂。
  当時の時間湯が生々しく描かれていた。
  
「私は一心にそれらを見詰めてゐるうちに自づと瞼の熱くなるのを
 感じて来た。今は珍しさや好奇心などの境ではなくなつて、一心に
 なつた多人数の精神が其処に一種の物凄さを作つてゐるのを感ずる
 のだ。見たところ、さして眼に立つ病人風の者はゐない、が、斯う
 した荒行の入浴法がどうしても人に或る真剣さを覚えさせずにはお
 かぬらしい。それが相寄つて一種の鬼気を成してゐるのである。
 …(略)…」
 
3)湯畑散策 
「見終つて何となく頭の重くなつたのを覚えながら、私は其処を離
 れた。恰度そこへ宿の番頭が来て見物の案内をしようといふ。それ
 をば断つて自分一人でぶら/゛\歩いてみることにした。私の見た
 時間湯(それは熱の湯と呼ばるゝのであつたが、其他全部で六個所
 に在り、それ/゛\毎日四回づゝの入浴にきまつてゐるのだ相だ)
 の直ぐ側にまた眼を欹 そばだ たゝしむるものがあつた。湯畑とい
 ふので、やゝ長方形になつた五十坪ほどの場所一面に沸々として熱
 湯が噴出してゐるのである。一面に大小の石が敷き詰められてある
 が、硫黄が真黄に着いたそれらの一つ/\の蔭から間断なく湯の玉
 の湧きつらなる様は誠に壮観である。場内には幾つかの大きな桶の
 様な物が設けられて硫黄を採つてゐる。
  徳川三代将軍(★本当は8代将軍)が其所の湯をどうかしたとい
 ふ札の掲げてあるその柵に添つてとろ/\と曲り下れば旅館や商店
 のぎつしりと建ち並んだ狭苦しい賑かな街路に出る。宿屋などは下
 よりも二階三階と次第に大きく造られた様にも見えるものなどがあ
 る。…(略)…」

4)湯畑の下部
「その街を通りすぎた所に一つの激しい渓が流れてゐた。何の気なしに
 その側に立寄ると、思ひもかけぬかなりな熱気がむつと面を撲つて来
 た。即ちこの渓は諸所に湧いた温泉の末が一つの渓流を成して流れ下
 つてゐるのである。」

5)滝下町(中町)
★若山牧水は湯畑から下って、湯元屋・日新館・大阪屋・村松屋?
 高松屋?など主屋の柱から腕木を出して桁をのせて一階よりせり出
 した「せがい出し梁づくり」の旅館を見た。 

6)湯の沢(下町)「瀟洒な裸木の門」 
「その湯に沿うて尚ほ少し下るとその道の行きどまりになつた所に
 瀟洒な裸木の門があつた。誰に訊くまでもなく私はそれも兼ねて噂
 に聞いてゐた癩病患者の入浴場と定めてある湯の沢であることを直
 覚した。…(略)…
 
★湯之沢の門「瀟洒な裸木の門」に行きついた。
そこで、 12 歳くらいの少年がお使いから帰り、家の人と話をして
いるのをみた。
ライ病=ハンセン病の集落、「湯の沢」であった。
少年もハンセン病の患者であったことを知った。
それらの光景があまりにも鮮烈だった。
「草津。ここに大きな高原のくぼみに出来ている古びた温泉場は
 余りにも不思議な境界であった。今まで知っている温泉場に較べて
 の手触りが、余りにも異なり過ぎ強すぎだ。」

※湯之沢のミニ歴史
・明治2年(1870) 草津が大火ととなった。
  復興の手段として、ライ病(ハンセン氏病)に効くと宣伝した。

・明治19 年(1986) ライ病患者と「梅毒患者・怪我治療者・健常者」
   と混浴・混宿を避けるために、温泉改良会を設立した。
・明治20年 (1887) 草津の湯の沢に4つのライ病患者の建物を建てた。
        草津でライ病患者を湯の沢に移した。
        御座の湯も湯の沢に移した。
上町…一般用
    下町…ライ病患者用の町:湯ノ沢
 ハンセン病患者専用の療養地区として設けられた。
・大正4年(1915) リーは湯の沢の訪問で、風紀の粛正・医療施設の
  開設を考えた。リーは宿沢薫に湯の沢の上の丘陵地帯の購入を依頼
  した。
 温泉街と湯之沢には「瀟洒な裸木の門」関門が建てられ、応急隔離
  が講じられていた(加藤・山本一九九二)。
・明治43年(1910) 電話が架設された。
・明治44年(1911) 自動車も入った。
・大正5年(1916) リーは草津の湯之沢のライ病(ハンセン病者)の
  ために全財産を使う覚悟で草津にやって来た。
・大正8年(1919 )には電気が入った.。
(草津温泉誌第2巻)
 草津水力電気(株)の創立により電燈が使われるようになった。

・大正9年(1920)5月12日若山牧水は弟子:門林兵
 治と共に草津温泉「一井旅館」に泊まった。独特の高温入浴治療法
「時間湯」とその時唄う「湯揉み唄」に興味を持ち、詳述した。
「上野の 草津に来り 誰も聞く 湯揉の唄を 聞けばかなしも」
・大正11年(1922)軽井沢から草津軽便鉄道を利用し、嬬恋からは
  自動車で草津に来て「一井旅館」に一泊している。
・昭和元年(1926) 草津軽便鉄道株式会社が全線開通した。
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「山道であつたり、道草を食つたりして来たにせよ、今日歩いた五
 里の里程に合せて私の疲労が普通でなかつた。殊に身体より心の方
 が余計に疲れてゐた。そして妙に感傷的になつて、見るもの聞くも
 のにつけ、すべて可笑しいほどおど/\する様になつてゐた。さう
 した心に映つた草津は、この大きな高原の窪みに出来てゐる年古り
 た温泉場は、余りにも不思議な境界であつた。今まで知つてゐる温
 泉場に較べての手触りが余りに異り過ぎ強過ぎた。いはゆる湯治の
 覚悟で来るならば又此処ほど信頼出来る湯はあるまいと思はれたけ
 れど、…(略)…」
「兎に角一夜泊りの身にとつては何となく親しみ難いものがあつた。」
★若山牧水の印象は、「草津は不思議な境界で、手触りが余りに
 異なって強過ぎる。湯治客ではない一夜泊まりの私には、何と
 なく親しみ難く異様な光景である。」であった。

7)一井旅館
 一巡り町を巡つて宿に帰つて来ると故知れぬ心細さが病気の様に身を
 包んでゐた。実は二三日此処に滞在してそれから信州の渋温泉に越す
 つもりであつたが、いかにも気持が落つかないので明日すぐ信州の方
 へ入り度いと思ひ立つた。…(略)…」

「この落ちつかぬ心を消すために夕飯を待ちかねて酒を取り寄せた。
 飲みかけてゐると例の笛だか喇叭だかゞ鳴り出した。夕方の入浴
 時間が来たのである。なるほど、一個所でなく其処でも此処でも鳴
 つてゐる。そして庭を距てた前面の浴場からは程なくゴツトン/\
 といふ板の音が聞え始めた。次いで、その寂しい唄が其処此処で起
 つた。…(略)…」
「三浦の三崎のようで、・・・」
「そのうちに附近に料理屋などあるらしく、賑やかな三味線の音が
 聞え出した。宿のツイ裏手の山の上にも雪の残つてゐるほどで、夕
 方かけて増して来た寒さと共に其処らに立ち騰る湯気が次第に深く
 なつた。そしてその中にそちこちとうるんだ様に電燈が点つてゐる
 のである。湯揉みの板の音がいよ/\烈しく、その唄も次ぎから次
 ぎと続く、そしてその間には料理屋の三味線の騒ぎが聞え、按摩の
 笛も混る。」
★若山牧水は草津の異様な風景に嫌気が差していた。
 そして、夕方、宿に戻って、「酒仙」の牧水は酒を注文した。
酒を飲み始めた。湯もみ歌を聞きながら・・・
三味線の音も聞こえ始めた。湯もみ歌が、激しく聞こえてくる。
「飲みかけていると、例の笛だかラッパだかがなり出した。
(『喇叭』金管楽器の総称。また、無弁のナチュラル:トランペット)
そして、若山牧水は「ラッパ飲み」したのだろうか?・・・
・・・夕方の入浴時間が来たのである。なるほど、一ヶ所でもなく、
そこでもここでもなっている。そして、庭を隔てた前面かたは程なく、
ゴットンゴットンという板の音が聞こえ始めた。次いで、その寂しい
唄がそこここに起こった。」

「・・・付近に料理屋などあるらしく、賑やかな三味線の音が
 聞こえてきた。」
★「そちこちと電燈が点っている」とあるのは、大正8年(1919)
 に電燈が使われるようになった翌年の光景が描かれている。
 

◆参考資料
 「いでゆ 第605号 10 」
 「上毛のうたの旅」田島武夫著
 「紀行文に描かれた近代の草津温泉」関戸明子著
 「若山牧水 みなかみ紀行」:青空文庫

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◆◆ 箕輪初心■草津→尻焼→四万→伊香保 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html

5月21日
 休養

「今までに知っている温泉場に較べて手触りが余りに異なり過ぎ
強過ぎた」
若山牧水は数日の滞在予定を繰り上げ、一泊で信州方面に向かおう
とした。しかし、雪が多く宿屋の番頭からは
「馬では無理だ。」と言われてしまった。
案内者を探し出してもらった。

5月22日
朝6時  草津を後に渋温泉に向かった。
 その道中、
「さようなら不思議な時間湯、いつか私もお前の厄介になりにやって来
たいものだ。」
と述べた。

いよいよ、峠。渋峠である。
「我らの座っている山の背はあたかも上州と信州との国境に当たって
 いることを知った。・・・」

 
★芭蕉句碑・・・
『 夏の夜や 谺(こだま)にあくる 下駄の音 』
 (★草津の光泉寺) 
『 山なかや 菊は手折らぬ 湯の匂ひ 』
 (★草津の白根神社)

◆◆ 箕輪初心■草津の2つの芭蕉句碑 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

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【2】 ☆『みなかみ紀行』の旅
@大正11年(1922)10月14日
・沼津の自宅「千本松原」・・・


◆◆ 箕輪初心■沼津のグルメ紀行 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201010/article_47.html


・静岡県沼津市
    ↓ 汽車・・
・東京駅・・・経由
・上野駅
   ↓ 汽車・・・

・長野県
・御代田駅で下車。
   ↓ 自動車で移動
   ↓ 歩きで・・・

・岩村田
  「佐久ホテル」泊
   ↓

A10月15日
 佐久新聞社の短歌会出席
 岩村田「佐久ホテル」泊
   ↓

※初め岩村田の歌會に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其處で東京
から一緒に來た兩人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む、それか
ら片品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とさういふのであつた
が、斯うして久しぶりの友だちと逢つて一緒にのんびりした氣持
に浸つてゐて見ると、なんだかそれだけでは濟まされなくなつて
來た。




B10月16日
※翌朝、まだ日も出ないうちからM―君たちは起きて騷いでいる。
長年あこがれていた山の國=国:信州へ来たといふので、寢てい
られないらしい。M―は東海道の海岸、K―は畿内平原の生れで
ある。
「あれが淺間=浅間、こちらが蓼科、その向うが八ヶ岳、此處=
所からは見えないがこの方角に千曲川が流れているのです。」
と土地生れのS―、O―の兩人があれこれと教へて居る。四人と
も我等が歌の結社創作社社中の人たちである。今朝もかなりに寒
く、近くで頻りに山羊の鳴くのが聞えてゐた。
私の起きた時には急に霧がおりて來たが、やがて晴れて、見事
な日和になつた。遠くの山、ツイ其處=所に見ゆる落葉松からま
つの森、障子をあけて見て居ると、いかにも高原の此處に來=来
ている氣=気持になる。私にとつて岩村田は七八年振りの地であ
つた。
 お茶の時に山羊の乳を持つて來た。
「あれのだネ。」
と、皆がその鳴聲=声に耳を澄ます。
 會=会の始まるまで、と皆の散歩に出たあと、私は近くの床屋
で髮を刈つた。今日は日曜、土地の小學校の運動會があり、また
三杉磯一行の相撲があるとかで、その店もこんでゐた。床屋の内儀
が來る客をみな部屋に招じて炬燵に入れ、茶をすすめて居るのが珍
しかつた。
 歌會は新聞社の二階で開かれた。新築の明るい部屋で、麗らか
に日がさし入り、階下に響く印刷機械の音も醉つて居る樣な靜かな
晝であつた。會者三十名ほど、中には松本市の遠くから來てゐる人
もあつた。同じく創作社のN―君も埴科郡から出て來てゐた。夕方
閉會、續いて近所の料理屋の懇親會、それが果てゝもなほ別れかね
て私の部屋まで十人ほどの人がついて來た。そして泊るともなく泊
ることになり、みんなが眠つたのは間もなく東の白む頃であつた。


B10月16日
※翌朝は早く松原湖へゆく筈であつたが餘=余り大勢なので中止し、
輕便鐵道で小諸町へ向ふ事になつた。同行なほ七八人、小諸こもろ
町では驛=駅を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の
長詩で名高い懷古園に入つた。そしてその壞れかけた古石垣の上に
立つて望んだ淺間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせ
た。過去十四五年の間に私は二三度も此處に來てこの大きな眺めに
親しんだものである。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の
季節に於てであつた。急に千曲川の流が見たくなり、園のはづれの
嶮=険しい松林の松の根を這ひながら二三人して降りて行つた。
林の中には松に混つた栗や胡桃が實を落してゐ=いた。胡桃を初め
て見るといふK―君は喜んで濕つた落葉を掻き廻してその實=実を
拾つた。まだ落ちて間もない青いものばかりであつた。久しぶりの
千曲川はその林のはづれの崖の眞下に相も變=変らず青く湛へて流
れてゐ=いた。川上にも川下にも眞=真白な瀬を立てながら。
昨日から一緒になつてゐ=いるこの土地のM―君はこの懷古園の
中に自分の家を新築してゐ=いた。そして招かれて其處=所でお茶
代りの酒を馳走になつた。杯を持ちながらの話のなかに、私が一度
二度とこの小諸に來=来る樣=様になつてから知り合ひになつた友
達四人のうち、殘=残つてゐるのはこのM―君一人で、あと三人は
みなもう故人になつてゐるといふ事が語り出されて今更にお互ひ顏
が見合はされた。ことにそのなかの井部李花君に就いて私は
斯ういふ話をした。
私がこちらに來=来る四五日前、一晩東海道國府津の驛前の
宿屋に泊つた。宿屋の名は蔦屋と云つた。聞いた樣な名だと、
幾度か考へ出したのは、數=数年前その蔦屋に來てゐて井部
君は死んだのであつた。
 それこれの話の末、我等はその故人の生家が土地の料理屋
であるのを幸ひ、其處に行つて晝飯=昼飯を喰べようといふ
ことになつた。
 思ひ出深いその家を出たのはもう夕方であつた。驛=駅で
土地のM―君と松本から來てゐたT―君とに別れ、あとの五
人は更に私の汽車に乘=乗つてしまつた。そして沓掛驛下車、
二十町ほど歩いて星野温泉へ行つて泊ることになつた。
この六人になるとみな舊知=周知の仲なので、その夜の酒
は非常に賑やかな、而(しか)もしみじみしたものであつた。
鯉の鹽燒だの、しめじの汁だの、とろゝ汁だの、何の罐詰=
缶詰だのと、勝手なことを云ひながら夜遲=遅くまで飮=飲
み更かした。丁度部屋も離れの一室になつてゐた。折々水を
飮むために眼をさまして見ると、頭をつき合はす樣にして寢
てゐるめいめいの姿が、醉=酔つた心に涙の滲むほど親しい
ものに眺められた。

●岩村田駅
   ↓軽便鉄道
●小諸駅へ
   ↓歩きで
●小諸懐古園を散策。
★島ア藤村を訪ねることになった。

「小諸なる古城のほとり」  -落梅集より-
                       島崎藤村

小諸なる古城のほとり   雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず   若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺    日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど   野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて    麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか    畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず  歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよふ波の    岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて   草枕しばし慰む


★島ア藤村「千曲川のスケッチ」の「懐古園」
 「一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に
懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋れていた。
……旧士族で、閑散な日を送りかねて、千曲川へ釣に行く隠士風の人
もあれば、姉と二人きり城門の傍に住んで、懐古園の方へ水を運んだり、
役場の手伝いをしたりしている人もある。旧士族には奇人が多い。
時世が、彼等を奇人にして了った。・・・・懐古園内の藤、木蘭、躑躅、
牡丹なぞは一時花と花とが映り合って盛んな香気を発したが、今では
最早濃い新緑の香に変って了った。千曲川は天主台の上まで登らな
ければ見られない。谷の深さは、それだけでも想像されよう。・・・・。」


   ↓
●小諸駅
   ↓汽車
 (★追分宿の堀辰雄の家)

●沓掛駅
★追分蕎麦が旨いのに・・・
   ↓下車後徒歩で

   ↓
 星野温泉(泊)
★4回、温泉に入った。
   

C10月17日
※それでも朝はみな早かつた。一浴後、飯の出る迄とて庭さきか
ら續=続いた岡=丘へ登つて行つた。岡の上の落葉松林の蔭に
は友人Y―君の畫=書室があつた。彼は折々東京から此處へ來
て製作にかゝ=かるのである。今日は門も窓も閉められて、庭
には一面に落葉が散り敷き、それに眞紅な楓の紅葉が混つてゐ
た。林を過ぐると眞上に淺間山の大きな姿が仰がれた。山には
いま朝日の射して來る處=所で、豐かな赤茶けた山肌全體=体
がくつきりと冷たい空に浮き出てゐる。煙は極めて僅かに頂上
の圓=円みに凝つてゐた。初めてこの火山を仰ぐM―君の喜び
はまた一層であつた。
朝飯の膳に持ち出された酒もかなり永く續=続くいていつか
晝=昼近くなつてしまつた。その酒の間に私はいつか今度の旅
行計畫を心のうちですつかり變更してしまつてゐた。初め岩村
田の歌會に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其處で東京から一
緒に來た兩人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む、それから片
品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とさういふのであつたが、
斯うして久しぶりの友だちと逢つて一緒にのんびりした氣持に
浸つてゐて見ると、なんだかそれだけでは濟まされなくなつて
來た。もう少しゆつくりと其處等の山や谷間を歩き廻りたくな
つた。其處=所で早速頭の中に地圖をひろげて、それからそれ
へと條(すじ)をつけて行くうちに、いつか明瞭に噸序がたつ
て來た。
「よし・・・」
と思はず口に出して、私は新計畫を皆の前に打ちあけた。
「いゝ=いなア!」
と皆が言つた。
「それがいゝでせう、どうせあなただつてもう昔の樣にポイポ
イ出歩く譯には行くまいから。」
とS―が勿體=体ぶつて附け加へた。
さうなるともう一つ新しい動議が持ち出された。それなら
これから皆していつそ輕井澤まで出掛け、其處の蕎麥屋で改
めて別杯を酌んで綺麗に三方に別れ去らうではないか、と。
無論それも一議なく可決せられた。
輕井澤の蕎麥屋の四疊半の部屋に六人は二三時間坐り込ん
でゐた。夕方六時草津鐵道で立つてゆく私を見送らうといふ
のであつたが、要するにさうして皆ぐづぐづしてゐたかつた
のだ。土間つゞきのきたない部屋に、もう酒にも倦いてぼん
やり坐つてゐると、破障子の間からツイ裏木戸の所に積んで
ある薪が見え、それに夕日が當つてゐる。それを見てゐると
私は少しづつ心細くなつて來た。そしてどれもみな疲れた風
をして默り込んでゐる顏を見るとなく見廻してゐたが、やが
てK―君に聲をかけた。
「ねヱK―君、君一緒に行かないか、今日この汽車で嬬戀=
嬬恋まで行つて、明日川原湯泊り、それから關東=関東耶馬
溪に沿うて中之條に下つて、澁川高崎と出ればいゝぢやない
か、僅か二日餘=余分になるだけだ。」
みなK―君の顏を見た。彼は例のとほり靜かな微笑を口と
眼に見せて、
「行きませうか。行つてよければ行きます、どうせこれから
東京に歸=帰つても何でもないんですから。」
と言つた。まつたくこのうちで毎日の仕事を背負つてゐない
のは彼一人であつたのだ。
「いゝなア、羨しいなア。」
とM―君が言つた。
「エライことになつたぞ、然し、行き給い、行つた方がいゝ、
この親爺さん一人出してやるのは何だか少し可哀相になつて
來た。」
と、N―が醉つた眼を瞑ぢて、頭を振りながら言つた。
小さな車室、疊を二枚長目に敷いた程の車室に我等二人が入
つて坐つてゐると、あとの四人もてんでに青い切符を持つて入
つて來た。彼等の乘るべき信越線の上りにも下りにもまだ間が
あるのでその間に舊宿まで見送らうと云ふのだ。感謝しながら
ざわついてゐると、直ぐ輕井澤舊宿驛に來てしまつた。此處で
彼等は降りて行つた。左樣なら、また途中で飮み始めなければ
いゝがと氣遣はれながら、左樣なら左樣ならと帽子を振つた。
小諸の方に行くのは二人づれだからまだいゝが、一人東京へ
歸つてゆくM―君には全く氣の毒であつた。
我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車
はそれからごつとんごつとんと登りにかゝつた。曲りくねつ
て登つて行く。車の兩側はすべて枯れほうけた芒ばかりだ。
そして近所は却つてうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が
眺められた。
疲れと寒さが闇と一緒に深くなつた。登り登つて漸く六里
が原の高原にかゝつたと思はれる頃は全く黒白あやめもわか
らぬ闇となつたのだが、車室には灯を入れぬ、イヤ、一度小
さな洋燈ランプを點したには點したが、すぐ風で消えたのだ
つた。一二度停車して普通の驛で呼ぶ樣に驛の名を車掌が呼
んで通りはしたが、其處には停車場らしい建物も灯影も見え
なかつた。


この草津鐵道の終點=終点:嬬戀驛=嬬恋駅に着いたのは
もう九時であつた。
驛前の宿屋に寄つて部屋に通ると爐が切つてあり、やがて炬
燵をかけてくれた。
「濟まないが今夜風呂を立てなかつた、向うの家に貰ひに行
つてくれ
といふ。提燈を下げた小女のあとをついてゆくとそれは線路を
越えた向う側の家であつた。途中で女中がころんで燈を消した
ため手探りで辿り着いて替る替るぬるい湯に入りながら辛うじ
て身體=体を温める事が出來た。その家は運送屋か何からしい
新築の家で、家財とても見當らぬ樣ながらんとした大きな圍爐
裡端(いろりばた)に番頭らしい男が一人新聞を讀んでゐた。

 星野温泉発

 沓掛駅
 軽井沢駅

 軽井沢駅前の蕎麦屋で昼食
   ↓(草津軽便鉄道)

◆◆ 箕輪初心■軽井沢スキー場 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201301/article_8.html
http://53922401.at.webry.info/201201/article_31.html


・旧軽井沢

・三笠館

・白糸の滝

・群馬県に入った。====================

・峠の茶屋分岐

★浅間の眺め
◆◆ 箕輪初心◆冬の湯ノ丸からの浅間山 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201102/article_20.html


★応桑
※漸く一つ、やゝ明るい所に來て停つた。「二度上」といふ驛
名が見え、海拔三八〇九呎と書いた棒がその側に立てられて
あつた。見ると汽車の窓のツイ側には屋臺=台店を設け洋燈
を點=点し、四十近い女が子を負つて何か賣つてゐた。
高い臺=台の上に二つほど並べた箱には柿やキヤラメルが
入れてあつた。そのうちに入れ違ひに向うから汽車が來る樣
になると彼女は急いで先づ洋燈を持つて線路の向う側に行つ
た。其處=所にもまた同じ樣に屋臺店が拵へてあるのが見え
た。そして次ぎつぎに其處へ二つの箱を運んで移つて行つた。


★鎌原
◆◆ 箕輪初心●鎌原城 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201201/article_25.html

●嬬恋駅前「嬬恋館」(泊)
※この草津鐵道の終點=終点:嬬戀驛=嬬恋駅に着いたのは
もう九時であつた。
驛前の宿屋に寄つて部屋に通ると爐が切つてあり、やがて炬
燵をかけてくれた。
「濟まないが今夜風呂を立てなかつた、向うの家に貰ひに行
つてくれ
といふ。提燈を下げた小女のあとをついてゆくとそれは線路を
越えた向う側の家であつた。途中で女中がころんで燈を消した
ため手探りで辿り着いて替る替るぬるい湯に入りながら辛うじ
て身體=体を温める事が出來た。その家は運送屋か何からしい
新築の家で、家財とても見當らぬ樣ながらんとした大きな圍爐
裡端(いろりばた)に番頭らしい男が一人新聞を讀んでゐた。   
    ↓
★中居屋重兵衞さんの蕎麦が最高だろうな。
江戸〜 明治の生糸仲買貿易のbPだからである
横浜で銅御殿・・・◆◆ 箕輪初心★『中居屋重兵衞』◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html
http://53922401.at.webry.info/201210/article_8.html


D10月18日 雨
※十月十八日
 昨夜炬燵(こたつ)に入つて居る時から溪流の音は聞
えてゐたが夜なかに眼を覺=覚して見ると、雨も降り出し
た樣子であつた。
氣になつてゐたので、戸の隙間の白むを待つて繰りあけて
見た。案の如く降つてゐる。そしてこの宿が意外にも高い
崖の上に在つて、その眞下に溪川の流れてゐるのを見た。
まさしくそれは吾妻川の上流であらねばならぬ。雲とも
霧ともつかぬものがその川原に迷ひ、向う岸の崖に懸り、
やがて四邊(あたり)をどんよりと白く閉して居る。
便所には草履(ぞうり)がなく、顏を洗はうにも洗面所
の設けもないといふ。
 この宿屋で、難有いのはたゞ炬燵であつた。それほどに
寒かつた。聞けばもう九月のうちに雪が來たのであつた
さうだ。
 「寒い寒い。」
と言ひながらも窓をあけて、顎を炬燵の上に載せたまま
二人ともぼんやりと雨を眺めてゐた。
 これから六里、川原湯まで濡れて歩くのがいかにも佗
しいことに考へられ始めたのだ。それかと云つてこの宿
に雨のあがるまで滯在する勇氣もなかつた。
 醉つた勢ひで斯うした所へ出て來たことがそゞろに後悔
せられて、いつそまた輕井澤へ引返さうかとも迷つてゐる
うちに、意外に高い笛を響かせながら例の小さな汽車は宿
屋の前から輕井澤をさして出て行つてしまつた。それに乘
り遲れゝば、午後にもう一度出るのまで待たねばならぬと
いふ。
 が、草津行きの自動車ならば程なく此處から出るとい
ふことを知つた。そしてまた頭の中に草津を中心に地図を
擴=広げて、第二の豫定=予定を作ることになつた。
さうなると急に氣も輕く、窓さきに濡れながらそよいで
ゐる痩せやせたコスモスの花も、遙か下に煙つて見ゆる溪
の川原も、對=対岸の霧のなかに見えつ隱れつしてゐる鮮
かな紅葉の色も、すべてみな旅らしい心をそゝりたてゝ來
た。

 
雨に濡れてまで、川原湯温泉に行くのが煩わしかった。
 偶然、草津まで自動車が出ることを知った。
※やがて自動車に乘る。かなり危險な山坂を、しかも雨中
のぬかるみに馳せ登るのでたびたび膽を冷やさせられたが、
それでも次第に山の高みに運ばれて行く氣持は狹くうす暗い
車中に居てもよく解つた。ちらちらと見え過ぎて行く紅葉
の色は全く滴る樣であつた。 

●嬬恋館発    
   ↓自動車で草津温泉へ
 草津温泉「一井旅館」泊


草津ではこの前一度泊つた事のある一井旅館といふへ
入つた。私には二度目の事であつたが、初めて此處へ來た
K―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。
宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の佗しい笛の
音が鳴り出した。それに續いて聞えて來る湯揉みの音、
湯揉みの唄。
私は彼を誘つてその時間湯の入口に行つた。中には三四十人
の浴客がすべて裸體=体になり幅一尺長さ一間ほどの板を持つ
て大きな湯槽の四方をとり圍みながら調子を合せて一心に湯を
揉んでゐるのである。そして例の湯揉みの唄を唄ふ。先づ一
人が唄ひ、唄ひ終ればすべて聲を合せて唄ふ。唄は多く猥雜
なものであるが、しかもうたふ聲は眞劍である。全身汗に
まみれ、自分の揉む板の先の湯の泡に見入りながら、聲を絞
つてうたひ續けるのである。
 時間湯の温度はほゞ沸騰點=点に近いものであるさうだ。
そのために入浴に先立つて約三十分間揉みに揉んで湯を柔ら
げる。柔らげ終つたと見れば、各浴場ごとに一人づつついて
ゐる隊長がそれを見て號=号令を下す。汗みどろになつた浴
客は漸く板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓を取つて頭に
湯を注ぐ。百杯もかぶつた頃、隊長の號令で初めて湯の中へ
全身を浸すのである。湯槽には幾つかの列に厚板が並べてあ
り、人はとりどりにその板にしがみ附きながら隊長の立つ方
向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が經つ。隊長が
一種氣合をかける心持で或る言葉を發する。衆みなこれに應=
応じて「オオウ」と答へる。答へるといふより唸るのである。
三十秒ごとにこれを繰返し、かつきり三分間にして號令のも
とに一齊=変に湯から出るのである。その三分間は、僅かに
口にその返事を稱ふるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。
動かせばその波動から熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためで
あるといふ。
この時間湯に入ること二三日にして腋の下や股のあたりの
皮膚が爛れて來る。軈ては歩行も、ひどくなると大小便の自
由すら利かぬに到る。それに耐へて入浴を續くること約三週
間で次第にその爛れが乾き始め、ほゞ二週間で全治する。そ
の後の身心の快さは、殆んど口にする事の出來ぬほどのもの
であるさうだ。さう型通りにゆくわけのものではあるまいが、
效=効能の強いのは事實=実であらう。笛の音の鳴り饗くのを
待つて各自宿屋から(宿屋には穩かな内湯がある)時間湯へ
集る。杖に縋(あやつ)り、他に負はれて來るのもある。
そして湯を揉み、唄をうたひ、煮ゆるごとき湯の中に浸つて、
やがて全身を脱脂綿に包んで宿に歸つて行く。これを繰返す
こと凡そ五十日間、斯うした苦行が容易な覺悟で出來るもの
でない。
草津にこの時間湯といふのが六箇所に在り、日に四囘=回
の時間をきめて、笛を吹く。それにつれて湯揉みの音が起り、
唄が聞えて來る。

夜、湯揉み唄と時間湯を見る。

「たぎりわく 出で湯のたぎり しずめんと
  病人つどひ もめりその湯を  」

「湯をもむと うたへる歌は 病人が
  命をかけし すとすじの歌  」

「かみつけの 草津に来たり 誰も聞く
  湯もみの唄を 聞かばかなしき  」





★明日は「若山牧水」の湯宿温泉「金田屋」である。

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