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zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津100人ー32『佐久間象山』:目的は火薬づくり研究か?

<<   作成日時 : 2018/04/08 06:58   >>

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草津に歩みし百人 | 湯Love草津(草津温泉観光協会ホームページ)
https://www.kusatsu-onsen.ne.jp/youkoso/hyakunin02.php
では、「24.佐久間象山:公武合体、開国に奔走。幕末が生んだ俊才。
. 攘夷はたまた開国・維新と日本が大きく変革を遂げようとした
幕末そのまっただ中にいた佐久間象山も訪れている。」
佐久間象山は、松代藩からの依頼で、硫黄から火薬を製造する目的
で、草津に度々来た。その際、渋峠を開削した信濃出身の小林家
(現古久長旅館)を常宿にしていた。  (★『旧吾妻郡誌』)
弘化元年(1844)佐久間象山は砲術の研究の一環で硝石から
火薬を作ることも研究した。大砲も試し撃ちしていた。藩主:
真田幸貫に火薬を使って、犀川の洪水を防ぐ提案もしていた。
大量の火薬が必要であった。
従って、弘化元年(1844)頃から
佐久間象山は草津温泉に来たことになると考えられる。
ウィキペディアでは「嘉永元年(1848) 兵学者・佐久間象山
(松代藩士)が来草・入湯し、『トウ野日記』を著す。とあった。
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★★ 箕輪初心★佐久間象山@「象山神社など」 ★★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_15.html

箕輪初心★佐久間象山A「佐久間象山の生涯」
http://53922401.at.webry.info/201309/article_16.html

●● 箕輪初心●長野:海津城=松代城 ●●
http://53922401.at.webry.info/201309/article_14.html

★● 箕輪初心◆長野:松代藩の家臣の家 ●★
http://53922401.at.webry.info/201309/article_13.html




『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
箕輪初心◆2014スキーbX【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

箕輪初心▲群馬百名山A26〜50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
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箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』@「日本武尊:開湯伝説」
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』C木曾義仲・D巴御前
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』E蓮如と番外編「孫:顕如」
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』F「長野業尚:榛名鷹留城主」
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人G長尾為景:上杉謙信の父
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人H大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』10『横瀬成繁』太田金山城主
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『J宗祇』&番外編『宗長』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
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箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣L丹鋳キ秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣M堀秀政】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣N多賀常則】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_15.html

箕輪初心:生方▲草津100人『16(近衛晴嗣→前嗣→前久→)近衛龍山
http://53922401.at.webry.info/201803/article_9.html

箕輪初心:生方▲草津100人『17朝日姫・18豊臣秀次・
幻の豊臣秀吉&井伊直政』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_10.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
http://53922401.at.webry.info/201803/article_11.html

箕輪初心:生方▲草津温泉100人20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_12.html

箕輪初心:生方▲草津100人『21:前田利家』死の予感?
http://53922401.at.webry.info/201803/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津100人『22真田支配116年』&真田ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201803/article_14.html

箕輪初心:生方▲草津100人23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_15.html

箕輪初心:生方▲『草津100人24林羅山』三名泉
http://53922401.at.webry.info/201803/article_18.html

箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「草津:望雲」と「上州」
http://53922401.at.webry.info/201803/article_19.html

箕輪初心:生方▲草津100−26『十返舎一九と草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_23.html

箕輪初心:生方▲草津100--27『清水浜臣』:高崎に移住した国学者
http://53922401.at.webry.info/201803/article_31.html

箕輪初心:生方▲草津100人-28『良寛』:
http://53922401.at.webry.info/201803/article_32.html

箕輪初心:生方▲草津100ー29『高野長英と上州の弟子たち』
http://53922401.at.webry.info/201804/article_1.html

箕輪初心:生方▲草津100ー30【田川鳳朗・一夏庵坂上竹烟&松尾芭蕉句碑】
http://53922401.at.webry.info/201804/article_2.html

箕輪初心:生方▲草津100人ー31『安積艮斎(ごんさい)』
&小栗上野介のブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201804/article_8.html


★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。










〜〜〜〜〜★佐久間象山の生涯★〜〜〜〜〜
1)幼年時代・・・父母の愛にはぐくまれて
・文化8年(1811)
  2月21日(★購入した本では)
 2月28日(★ウキペディアでは)
  信濃松代藩10万石の城下町松代で藩士:佐久間一学国善の
  長男として、松代字有楽(現浦町)で生まれた。
  母は松代城下の東寺尾村に住む足軽の荒井六兵衛の娘で「まん」
  である。父佐久間国善が50歳、母まんが31歳の時に生まれた
  男児であった。佐久間家では久しぶりの男児が誕生したので、
  国善は大変喜び、将来に大きな期待をかけた。
  中国の諺の明けの明星=「東に啓明あり」から選んで「啓之助」
  と名づけた。

  佐久間一学国善は、5両5人扶持という微禄の下級武士であった。
 
 ※5両5人扶持=5人の武士の部下を持つ約30石取りの武士。
  しかし、父は藩主の側右筆兼表右筆(=書記官)を務めていた。
  卜伝流剣術の達人で藩からは重用されていた。
 また、和漢学で神渓という号を持っていた。書も達人であった。

・文化10年(1813) 満3歳
逸話・・寺に書いてある「禁」という字を書いた。


・文化11年(1814) 5歳
逸話・・陰陽道で使う易の「64掛け」を暗唱してしまった。

・文化13年(1816) 満6歳
父から学問を習い始めた。

・文政2年(1818) 満8歳
硯石を拾う。・・・父「勉強しなさい。」
論語を真剣に勉強した。


2)腕白少年時代・・
・文政3年(1819) 満9歳
※逸話・・・友達を泣かせることもあった。
「妻女山から 槍が降る 佐久間の門から 石が降る
  石投げ小僧の 啓之助  や〜い や〜い」
とはやし立てられた。

※逸話・・・「テテツポウ」(梟の方言)と渾名されていた。
 ・・・顔は長く、額は広く、二重瞼で眼は少し窪んでいて、
  瞳は大きくて梟の眼のようであったという。

※逸話・・・乾した籾の上で相撲をとって、叱られた。  


・文政4年(1820) 満10歳
 ・烏帽子親:藩儒の窪田岩右衛門馬陵恒久からを儒学を習った。
   象山は必死に儒学(朱子学)を学び、頭角を現していった。
 ・馬奉行:竹村七左衞門から馬術を習った。
※象山は家老などの子どもからねたみを買った。
喧嘩して、父から謹慎を言い渡された。


・文政6年(1823) 満12歳
8代藩主:真田幸貫が老中:松平定信の子で、真田家に養子に
なった。・・・国元に入った。

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・文政7年(1824) 満13歳
  藩儒の竹内錫命に入門して詩文を学んだ。
初めての漢詩を作った。

・文政8年(1825) 満14歳
元服をした。

・文政9年(1825) 満15歳
  @佐藤一斎の門下生:鎌原桐山に入門して経書を学んだ。
(★鎌原の先祖は真田幸隆の弟で群馬県嬬恋村出身)
  A藩士:町田源左衛門正喜に最上流会田流の和算を学んだ。   
    ★最も象山に影響を与えた。
  B河野左盛から水練を学んだ。

・文政10年(1826) 満16歳
  家老:恩田頼母と知り合いになった。
  (★松代に銅像あり)
  易学に没頭した。

  上田に琴を習いにいった。


3)8代藩主:真田幸貫との出会い=仕官〜国元での活動
・文政11年(1828)満17歳 
 家督を継いだ。

・天保2年(1831) 満20歳
3月 藩主:真田幸貫の世子:真田幸良の
    近習・教育係に抜擢された。
 
「わが家臣のうち、ずばぬけた逸材は啓之肋である。
 将来どんな人物になるか楽しみだが、その性格は駻(かん)が
  強すぎるきらいがある。この難物か馭(ぎょ)しうるものは
  自分のほかあるまい。」
5月に辞任。理由は高齢の父への親孝行をするためであった。
しかし、真田幸貫は象山の性格を癇が強いとしつつも才能は
  高く評価していた。(★本では)

・天保3年(1832) 満21歳
4月11日 藩老に対して不遜な態度があったとして真田幸貫
から閉門を命じられた。3月の武芸大会で象山が国善の門弟
名簿を藩に提出した所、序列に誤りがあるとして改めるよう
に注意を受けたにもかかわらず、象山は絶対に誤りなしとし
て自説を曲げなかったためである。
真田幸貫の逆鱗に触れた。

8月17日真田幸貫は国善の病が重くなったため、赦免した。
8月23 父:国善が死去。

  
・天保4年(1833) 満22歳
佐久間象山は漢文100篇を作って鎌原桐山に提出。
鎌原桐山ばかりか真田幸貫からも学業勉励であるとして評価された。
 銀3枚を下賜された。


4)江戸出府→兵学家の地位の確立
・天保4年(1833)11月 7両が必要だった。
家老の矢沢家(★初代矢沢頼綱は真田幸隆の弟子孫)から、
 借用証文は自分の学問として、金を借りた。

  江戸に出た。

儒学の第一人者昌平黌:佐藤一斎に詩文・朱子学を学んだ。
   山田方谷と共に「二傑」と称された。
 佐藤一斎はこっそり陽明学も教えた。(本では)
 ◆@「信州人」さんから「佐久間象山は陽明学に批判的とのご指摘
  がありました。ですから、詩文だけ教わった。」とのことでした。
◆A「佐藤一斎は林家の塾頭であり、表は幕府の官学の朱子学を唱
 えたが、ひそかに陽明学に心酔していた。純然たる朱子学の徒であ
 った象山は、師の態度にあきたらず、一斎の説に反対して一歩も譲
  らなかった。
 ついには、師に対し経学は教えていただかなくてよい、文章・詩賦
 (しふ)だけを教えてほしいと宣言し、経書の講義には一度も
  出席しなかった。
(★『佐久間象山』原田伴彦著)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki3/aiko3.htm
 とあった。

儒学の林鶴梁とも問答をした。
 藤田東湖(草津温泉に入湯)・安井息軒・塩谷岩陰などとも
 知り合った。



・天保7年(1836) 満25歳

故郷:松代に帰った。
 松代学問所の先生になった。

*大塩平八郎の乱

 佐久間象山は陽明学を藩主:真田幸貫に説いた?。
  (★本にはこう書いてあったが、「信州人」さんのご指摘では
    佐久間象山は陽明学に批判的だった。とありました。
    しかし、2018年4月6日?7日、ラジオ番組で、陽明学を
    実践していたと某学者が言っていた。わからない。)
 松代文武学校の建設となった。

飢饉を救った。
 佐久間啓之助は「象山」と号した。
 この寺から取ったと言われている。
 佐久間象山の家から250m程・・・


・天保10年(1839) 満27歳
再び江戸に遊学が許された。
佐久間象山は、神田お玉ヶ池に塾を開いた。私塾「象山書院」である。
 儒学を教えた。
 この間、梁川星巌・藤田東湖・安井息軒・塩谷宕陰(しおのやとういん)
 ・大槻盤渓(ばんけい)・渡辺崋山・羽倉簡堂(かんどう)川路聖謨
 (としあきら)などと付き合った。
名声はさらに広がった。

※5月 蛮社の獄・・・鳥居耀蔵が・・・
  高野長英が牢に入れられた。後、渡辺崋山は田原に蟄居となった。



・天保12年(1841) 満30歳
主席老中水野忠邦が天保の改革が進めた。
  松代藩主の真田幸貫は、幕府の老中となった。
 
 ・佐久間象山は松代藩江戸藩邸学問所頭取となった。
・ 詩文「望岳賦」・・・

・天保12年(1841)
 江川英龍は高島流砲術をさらに改良した西洋砲術の普及に努めた。
洋式砲術師範を許され、江戸芝に縄武館を開いた。
 全国の藩士を教育した。
 ・幕臣:川路聖謨(としあきら)
 ・幕臣:大鳥圭介 
 ・福井藩士:橋本左内
 ・長州藩士:桂小五郎(木戸孝允)などが学んでいる。

箕輪初心■福井「6回目奥・7回目」=奥の細道番外編
http://53922401.at.webry.info/201104/article_26.html
★橋本左内の像:福井市



5)儒学→西洋学問&西洋の研究
・天保13年(1842) 満31歳
  松代藩主:真田幸貫が老中兼任海防掛に任ぜられた。
  真田幸貫から洋学研究の担当者として白羽の矢を立てられた。
   真田幸貫は佐久間象山を海防顧問に登用して、海外事情の調
   査にあたらせることにした。
  佐久間象山は、海外に目を向けざるをえなくなった。
 学問生活は、儒学をめぐる机上の理論的研究に終始していた。
  しかし、欧米の政治情勢や西洋の実用的技術などの未知の世界
  が対象となった。
 佐久間象山は蘭学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)らと交わって、
 西洋の情報をえた。
9月 佐久間象山は藩主:真田幸貫に『海防八策』を献上した。
    高い評価を得た。
11月には 海防をめぐる上書を提出した。

 佐久間象山の西洋についての知識は、蘭学者たちからの耳学問に
 よるものだった。少しは西洋に関する訳書を読んだが、・・・


 佐久間象山は、真田幸貫のすすめで、松代藩士ら十数名
 とともに、高島流砲術の江川太郎左衛門英龍の塾に入った。
 佐久間象山は伊豆の江川太郎左衛門英龍の門下生になった。
    芝の縄武館で、兵学・砲術を学ぶことになった。
 
 江川太郎左衛門・高島秋帆の門の火術の英傑である。
  和漢洋の学に秀で、多くの門弟がいた。
  中に二人の弟子が有名である。
  一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。
 
江川太郎左衛門英龍は伊豆の韮山代官所の役人だった。

 西洋式の大砲の研究をし、韮山反射炉を造った。

  後に伊豆川奈・富戸・下田などに大砲を設置した。
品川砲台=お台場も造った。

 江川は象山のことを嫌っていた。
  洋式砲術を使った戦略を短期間で習得しようとしたからである。
 江川は「秘伝」といった旧来の教育方法であったからである。
江川英龍に西洋兵学をほとんど教えなかったらしい。
  (★本では、2018年4月6日のラジオ番組で、江川は象山が
   大の苦手であったと言っていた。)

箕輪初心●静岡:韮山城&江川邸★江川太郎左衛門
http://53922401.at.webry.info/201106/article_17.html

箕輪初心★「江川太郎左衛門英龍」=国防に捧げた幕末偉人
http://53922401.at.webry.info/201309/article_23.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201309/article_23.html

箕輪初心▲伊豆:【韮山反射炉&飾り雛】
http://53922401.at.webry.info/201503/article_10.html


 高島秋帆の門下生:下曽根信敦から文書資料を借り、自学学習を
  進めた。
  

 江川英龍や高島秋帆の技術を取り入れつつ大砲の鋳造に成功
    した。その名をより高めた。

・天保14年(1843) 満32歳
藩主:真田幸貫は海防掛けから、勝手掛け(会計担当)
なった。その後、老中も辞任した。
水野忠邦の天保の改革は2年で終わったのだった。



6)松代での西洋の学問研究
・天保14年(1843) 満32歳
 松代藩で郡中横目役(奉行の補佐)100石どりに抜擢された。
 
※これ以降、佐久間象山は西洋の学問に大きな関心を寄せるように
 なった。
・江戸での殖産興業策に着手した。


弘化元年(1844) 満33歳 
  黒川良安に蘭学を学んだ。
  オランダ語文法を約2ヶ月でマスターした(伝)?

  佐久間象山は藩から40両という大金を出してもらって
  『ショメール百科全書』16冊を手に入れた。
 
  オランダ語のシュメール百科事典からガラスの製造に成功した。

 「8ヶ月後には、辞書を使えば、全て理解できるようになった。」
  と手紙に書いている。

佐久間象山は藩の郡中横目役を命じられ、松代に戻った。


  馬鈴薯(じゃがいも)の栽培法を故郷に持ち帰った。
 また、江戸で飼っていた豚を松代に連れて帰り繁殖させた。

 「ショメールの百科全書」を読みながら、さらに石灰製造、
  硝石の精製、ぶどう酒醸造などを実際に行った。

・嘉永2年(1849) 満38歳
  松代で日本初の指示電信機による電信を行った。
松代藩鐘楼〜70m〜御御使者屋に電信を張り、実験に成功した。
 (★松代に残存)

  地震予知器の開発に成功。
  牛痘種の導入・・・息子にした。

・嘉永3年(1850)
 松代で砲術を演じた。
江戸に出た。
 
 江戸木挽町の深川:松代藩邸に私塾を開き、砲術を教えた。
中津藩士が入門。
  幕臣:勝海舟が入門。

・嘉永4年(1851) 佐久間象山40歳
  長岡藩:小林虎三郎が入門。
   (★映画「米百俵」:後、長岡県大参事)
※小林虎三郎へ送った文書
「宇宙に実理は二つなし。この理あるところ、天地もこれに異なる
 能わず。鬼神もこれに異なる能わず。百世の聖人もこれに異なる
 能わず。近来西洋人の発明する所の許多の学術は、要するに皆実
 理にして、まさに以って我が聖学を資くる足る。」
 (★ウキペディア)

  長州藩:吉田寅次郎=松陰が入門。
  3月 吉田松陰21歳は江戸に留学にきた。
   木挽町の佐久間象山に入門した。
    吉田松陰は佐久間象山を尊敬した。

  12月、吉田松陰が叔父の玉木文之進手紙を書いた。
「真田侯藩中、佐久間修理と申す人、すこぶる豪傑卓異の
   人にござ候。そもそも一斎門下にて経学は一斎より優れたる
   由、古賀謹一郎申しおり候。一斎もまたしばしばこれを称し候」

  長州藩:宮部鼎蔵(★松陰の友達、池田屋事件で死亡)
  

 ※江戸で大砲演習に大失敗。
   砲身が爆発して周囲から大笑いされた。
   佐久間象山は「失敗するから成功がある。」と平然としていた。
   「大玉池 砲を二つに 佐久間修理 
     この面目を なんと象山」
   というものがある。
   
 ※「大玉池」は、象山の住む「お玉が池」に「おおたまげ」をかけた
   洒落である。 (★ウキペディア)

・嘉永5年(1852)   
  佐久間象山に勝海舟の妹「順」が嫁いだ。   
  ★勝海舟は義兄となったが、当時は、傲慢な象山をあまり高く
   評価していないようである。

 長岡藩:河井継之助は入門。
  ★河合は殆ど勉強しなかったとラジオ番組で言っていた。
 長岡藩:三島憶次郎(★河井継之助や小林虎三郎と近所の幼なじみ)

 出石藩:加藤弘之(川崎尚之助と同じ出石藩→後の東大総長)

・嘉永6年(1853)
   坂本龍馬が入門。

6月3日 ペリー提督がアメリカ合衆国大統領の国書を持って浦賀に
  やってきた。
  佐久間象山はただちに浦賀へ急行し、妻の兄である勝海舟から貰った
  望遠鏡で黒船をつぶさに観察した。

佐久間象山はペリー来航の際には老中:阿部正弘に「急務十言」を
老中:阿部正弘に「急務十条」を提出した。
  第一、堅固の船を備へて水軍を調練すべきこと。
 第二、防堵(ぼうと)を城東に新築し、相房(そうぼう=
     相模と房総)近海のものを改築すべきこと。
 第三、志気鋭精・筋骨強壮の者をえらびて大砲隊を編成すべきこと。
 第四、慶安(けいあん)度の軍制を改正すべきこと。
 第五、砲政を定めて広く硝田を開くべきこと。
 第六、警急のために将材をえらぶべきこと。
 第七、その短を捨てその長を用ひ、その名にしたがはずその実を
講ずべきこと。
 第八、綱紀を正し、士気を振るふべきこと。
 第九、大小銃を演習し、四時間断なからしむること。
 第十、諸藩海防人数、聯事(れんじ=同僚)の法をもって編成すべきこと。
◆参考サイト
「佐久間象山  原田伴彦著」
http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki3/aiko3.htm
  進言し、浦賀警護に当たった。

 
 6月12日 ペリーは国書の回答を1年後の延期を認め江戸湾を去る。
 
「太平の 眠りをさます 上喜撰(じょうきせん)
    たった四はいで  夜も眠れず 」

・嘉永7年(1854)
  福井藩:橋本左内が入門
 久留米藩:真木和泉(寺田屋事件で幽閉。蛤御門の変を起こし自刃)

        

7)ペリーの再来航=失脚〜死まで
・嘉永7年(1854)
 江戸幕府は下田を開港を決めたが、佐久間象山は有事の際に
  江戸から遠い下田開港に反対で、横浜を考えていた。


1月16日 日米和親条約の締結で、ペリーが軍艦七隻を率いて
      再び来航した。

3月27日 吉田松陰の密航
 夜、ミシシッピー号に二人の男の乗った小舟が近づいた。
  小舟には吉田松陰と同僚の金子重輔が乗っていた。
  アメリカへの渡航を希望したが、ペリーに断られ、実現しな
  かった。吉田松陰が密航を企て失敗するという事件である。
  密航の企てが露見し、吉田松陰は伝馬町から萩の野山獄に
  護送された。

 佐久間象山も事件に連座して伝馬町に入獄することになった。
伝馬町につながれ、さらに国元の松代での蟄居となった。
 
・安政元年(1854) 
 佐久間象山は吉田松陰の米国密航未遂に連座して松代に蟄居を
 命じられる。

〜〜〜〜松代謹慎中〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 (★象山神社の池の奧が住まい)
●蟄居生活は8年間・・その間も西洋研究に没頭した。
 大砲製造、地震予知、電池の政策、電信実験などを成功させた。
 また、高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎らが佐久間象山を訪ね
   ている。

・安政2年(1855)
  松代文武学校が完成した。


・安政3年(1856)
  

・安政4年(1857)
  望遠鏡で月面を観察した。

・安政5年(1858)
    電気治療器を完成させた。
   地震計を完成させた。

・万延元年(1860) 佐久間象山は「桜賦(おうふ)」を詠んだ。
 桜の詩文…桜に寄せて尊王愛国の大義を述べたものである。
  (★長野市蔵)

・文久元年(1861)
母「まん」が死亡。

・文久2年(1862) まで、松代で蟄居。
長州藩・薩摩藩が佐久間象山の要請・・・
〜〜〜〜謹慎・蟄居が解除〜〜〜〜

・文久3年(1863)
藩主:真田幸教に藩政改革を箴言。

・元治元年(1864)
  佐久間象山が上洛した。
 薩摩の島津久光が佐久間象山の識見を知って、
 「是非、薩摩藩に招きたい。」と考え、高崎正風や西郷隆盛に
 佐久間象山を説得させた。
 象山は、「自分は幕府の命令で上洛したのだから、・・・」
 と断わった。
 西郷隆盛は佐久間象山の開国論に感慨を得たと言われている。
 
 佐久間象山は一橋慶喜に招かれて上洛した。
   海陸御備向海防掛手付となった。
   一橋慶喜に公武合体論と開国論を説いた。

 京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏の拠点となっていた。
 しかし、佐久間象山は京都の街でも供を連れ、いなかった。

7月11日 京都三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等に暗殺される。
  享年54。
  河上彦斎は後に佐久間象山を経歴を知って、暗殺をやめて
  しまった(伝)。


・安政6年(1859) 5月 佐久間象山が主張した横浜が開港された。


★佐久間象山は自信家で、自説を曲げなかった。傲慢で時には人
 を見下したような態度で周囲の評判は非常に悪かった。藩主の
 真田幸貫は才能を高く評価したが、性格が悪いと謹慎も命じた
 こともある。・・・と、本には書いてあった。
 しかし、佐久間象山のまわりに有能な人材が集まってきた。
 当時の日本においては佐久間象山は洋学の第一人者だったから
 である。弟子達は後に時代を動かした英雄になっていく。
 幕臣:勝海舟・・・・・幕府海軍の創設、江戸城無血開城。
 長州藩士:吉田松陰・・高杉晋作・久坂玄瑞などを育成。
 長岡藩士:小林虎三郎や河井継之助や三島憶次郎(★上記)
 福井藩士:橋本左内・・福井藩主:松平春嶽の側近→安政の大獄。
 中津藩士:岡見清熙・・慶應義塾の創設者。福沢諭吉を輩出。
 出石藩士:加藤弘之・・八重の桜:川崎尚之助と同郷。後東大総長。
 土佐藩士・坂本龍馬・・長州藩&薩摩藩を結びつけた偉人。海援隊。
 など・・・
★佐久間象山は幕末の動乱期に日本を担う人材を多数輩出し、日本の
 歴史に多大な影響を与えた人物の一人である。
★★長岡藩士:小林虎三郎・三島憶次郎・河井継之助のその後★★
  小林虎三郎は佐久間象山の意向に従って、下田開港反対の建白書を
  老中長岡藩主:牧野忠雅に提出した。佐久間象山は虎三郎を使って、
  海防掛老中の忠雅から筆頭老中:阿部正弘に働きかけたのである。
  筆頭老中:阿部正弘は岩瀬忠震に命令を下した。
 小林虎三郎は帰郷謹慎を命じられた。・・・後。長岡県大参事
  三島憶次郎も帰郷謹慎を命じられた。・・・後、長岡県大参事
 河合継之助の献言は評価され、部屋住みから評定方賄役に抜擢され
  たのである。
 しかし、後に、アームストロング砲2挺を買い、戊辰戦争で
 ・・・家老として戦死した。
箕輪初心◆三国街道C:26堀の内〜30長岡〜31与板〜35寺泊
http://53922401.at.webry.info/201311/article_19.html
★長岡博物館:大砲2門 河合継之助


★★勝海舟のその後 ★
勝麟太郎は佐久間象山の弟子であり、義兄弟でもある。
 佐久間象山とは、「海舟」を勝麟太郎に贈った。
  勝麟太郎は勝海舟と名乗った。
 勝海舟は佐久間象山の意志を引き継ぎ、幕府海軍を造ることになる。



◆参考図書
「佐久間象山生誕200年記念:長野市の先人に学ぶ佐久間象山」
 (★象山神社で購入)




★★ 箕輪初心★高山彦九郎
http://53922401.at.webry.info/201110/article_15.html
http://53922401.at.webry.info/201106/article_15.html


★★ 箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

★箕輪初心★中原街道:勝海舟・伊藤博文など 
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201010/article_18.html

★★ 箕輪初心★土方歳三35年の生涯 ★★
http://53922401.at.webry.info/201305/article_23.html

箕輪初心★小栗上野介G「道子夫人の逃避行と北越戦争&会津戦争」
河井継之助も出てくるよ。小林虎三郎は「米百俵」で見たが・・
http://53922401.at.webry.info/201108/article_12.html


箕輪初心★幕末偉人【西郷頼母】=西郷隆盛と同じ先祖。
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201301/article_7.html


★箕輪初心★中居屋重兵衛=貿易商
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html




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