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zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津100ー25『小林一茶』と「榛名神社⇒草津:望雲」

<<   作成日時 : 2018/03/17 07:30   >>

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『小林一茶』は江戸時代を代表する俳諧師の一人である。
湯宿「望雲」を経営する7代目:黒岩鸞白と俳諧での親交が深
く、3度、草津温泉に訪れたとされる。寛政3年(1791)と寛政5
年(1793)と文化5年(1808)である。2回目の寛政5年(1793)5月
29日は、『湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌(かお)』と詠
んだ。この句は湯けむりの向こうに見える旧友:黒岩鸞白の顔
と月の貌をかけて詠んでいる。再会と温泉をしみじみと楽しんで
いる様子が句碑はに書かれている。榛名神社にも寄っている。
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●北国街道の柏原宿
箕輪初心▲2015スキーbT:『小林一茶』&『戸隠スキー場』
&妙高温泉
http://53922401.at.webry.info/201501/article_27.html

●湯畑から光泉寺の山門をくぐった脇=階段下の句碑。
「湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌」
句は小林一茶が望雲七代目を訪ね 再会を喜び 呼んだ一句である。


●草津温泉「望雲」
箕輪初心◆2014スキーbX【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html

望雲7代目黒岩忠右衛門は 雲嶺庵露白と号して、俳諧を支えた
俳人であった。
望雲には「弥次喜多珍道中の十返舎一九、高村光太郎・智恵子夫妻
     俳人・斎藤茂吉」も逗留している

現在、望雲は草津温泉の2つの源泉を引いた掛け流しの6つの風呂
がとってもいい。温泉を満喫できる。
私は望雲の風呂には10回以上入っている。




●小林一茶は湯畑の石柵にその名が刻まれている。
★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。
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◆小林一茶の生涯
・宝暦13年(1763) 信濃柏原(長野県上水内郡信濃町柏原:北国
街道柏原宿)で農家の長男として生まれた。
  早くに生母が死去し、継母が迎え入れられた。
継母が一茶をいじめた?一茶がなじめなかった。

・安永6年(1777) 小林一茶は14歳の時に江戸に立った。

・天明3年(1783) 天明の飢饉
  20歳を過ぎた頃には、俳句の道をめざすようになった。
  小林一茶は、葛飾派三世の溝口素丸に師事した。


・天明8年(1788) 25歳の時 小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して
  俳諧を学んだ。
二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学んた。
  小林一茶は「い橋」・「菊明」・「亜堂」と名乗った。
  やがて、小林一茶の俳号を用いるようになった

寛政3年(1791) 草津温泉1回目

  29歳の時、故郷に帰った。

・寛政4年(1791)30歳〜36歳にかけては西日本を中心に
   俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。
  俳諧修行の旅・・・。
  関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、知り合った俳人
  と交流した。
  句集「たびしうゐ」・「さらば笠」を出版した。


寛政5年(1793)草津温泉2回目
・寛政10年(1798) 江戸蔵前の札差:夏目成美は江戸本所相生町
 五丁目裏長屋に住んでいた小林一茶の朝食を賄った。そして、
留守番や仏画の手入れを手伝わせた。
小林一茶は、夏目成美の句会に入って指導をうけていた。
 房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてた。
 俳人としての一茶の評価は高まっていった。



・寛政11年(1799) 黒岩忠右衛門は雲嶺庵露白と号するよう
 になった。多くの句を残した。

・享和元年(1801) 39歳のとき再び帰省した。
  病気の父を看病したが。
  父は、「一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるように」
  と遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまった。
父の発病から死、初七日を迎えるまでの約1ヶ月を描いた
  『父の終焉日記』は、私小説の先駆けと言われる。

  以後、遺産相続の件で継母と12年間争うことになる。

その間、再び全国を歴訪を様々な句を残した。
 既に江戸時代を代表する俳諧師となっていた。

・文化5年(1808) 小林一茶は帰郷の際、榛名神社を訪れた。
 この日は、江戸太々講の倉掛岩の倉掛不動尊と二脇童子を
 再興し、開眼供養を行った。
 小林一茶は神楽所で「刀の舞」を見た。
 「坊々は雲霧かかりて、安居一夏の鐘声渓々にひびきて、
 胸の雲、忽ち(たちまち)晴るる心ち」
 (★『榛名山に祈る』P24コラムより)
★つまり、遺産相続の件で、柏原宿に向かっていることに
なる。
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榛名神社⇒草津温泉へ
文化5年(1808) 草津温泉3回目
*****************************
『草津道の記』…榛名神社⇒草津温泉:黒岩鷺泊宅⇒柏原宿
・(5月)廿五日 曇 草津道の記
 「卯一天に久松丁を立て、糀町なる河内屋武兵衛と云ふ人を誘いて
・・・(後略)

・(5月)廿六日 雨 昼より晴れ
「寺山、シク領、細代、シグリ、福田などいへる村を過ぎて、・・
(中略)・・・深谷橘屋泊。

・(5月)廿七日 晴
 「ゆきゝの人に笠ぬげぬげと呼る声、近寄り見れば、赤地ちりめん
 の肌着して、三人揃ひたる罪人囚人、籠より銭を蒔いて、乞食に
 とらす。・・・
 新丁(高崎市新町)中島屋松五郎に休む。
 高崎より本郷(高崎市榛名町本郷)といふ村まで二里四丁、四十八
 文にて馬に乗る。・・・諸田(=室田)⇒三之倉(倉渕)⇒群馬郡
 浜名上の原漁師次郎左衛門に泊。深谷より十三里十八丁となんいふ。
 是ハルナ山の下也。
 蚊の声や 足を伸ばせば 草の原 
(★おそらく群馬郡に浜名はないので、浜川の可能性が高いが
 順序が違う。深谷⇒本庄⇒新町⇒高崎⇒たぶん浜川⇒本郷⇒室田
 ⇒三之倉(倉渕)⇒上の原

・(5月)廿七日 晴
「門を出る日より・・・
 山神の 物とがめかよ 袖の蛭
 姫百合の 咲々蛭に 住まわれり
 なでしこの 花の蛭にぞ さゝれたり
 行くこと五十町にて、八本松といふ茶屋有。汗をさませて
  なでしこの 折ふせらるゝ 清水哉
 ハルナ町に入る。
・・・・
 鶯も としのよらぬや 山の鮭 一茶
 岩のしたたりをとくとくと落つる谷をへだてゝ、石の不動
 の像を彫りて、けふ開眼行ふとて、わざわざ登山の人も有けり。
 幸に来かかるこそ本意なれ。誦経の・・
 ・・・・(中略)・・・
 山清水 守らせ玉ふ 仏哉
 岩に添ふて過ぐれば、ハルナの神の社ありて、神楽所の刃の舞など、
 所からすず吹く風もかみさびて見よ。
 夕立に とんじゃくもなし 舞の袖
 夏山や 目にもろもろの 草の露
 
 又股戻りて、茶屋より右に下りて行き、山の番所(現在は跡
 の看板がある)を過ぐるに、波◇◇として、閑に、雲片ゝとして
 水底いそぐ御池有り。(現在は砂防ダムである。)
 ・・・・・
  片袂 芒(★すすき)の風に 荒れにけり
 
 (★旧榛名神社⇒榛名湖への旧道=塩原太助も通った道)
 身を投げし姫のゆかりの築きぬらん。竜女となるも、終には
 天上の仏果を得たらん。と有る石の上に昼飯す。
 (★榛名湖の木部姫伝説)
  痩脛や 涼めば蛇に 見込まるる

 四里(16km)山を下りて、長藤村(東吾妻町)に出る。
 大戸平村など過ぎて、大戸の入り口より右に入って橋を渡りて
 漸本堂に出でたり。
  (★国定忠治が捕らえられた関所から浅間温泉郷に向かった。)

 稲田駅に休。峠を越して、すがを駅(須賀尾)高橋屋に泊。
  麦わらの マンダラもおれ 筥根山(はこね山)
  (★しかし、箱根山はここにはない。)
  (★麦畑の切り株が曼荼羅に見えたのかな?相模の箱根を
   思い出したのであろうか?)

廿九日 雨
 長野原など過ぎて、草津の雲嶺庵に入。
 十八年へだたりての再会也。スワの若人□宇に逢ふ。
  湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の皃(貌の異体字)

*****************************
「草津道の記」
小林一茶は江戸から草津まで4泊5日の道中を「草津道の記」
 を書いた。
5月25日 江戸を発ち、雑司ヶ谷(東京都豊島区)の鬼子母神
  に道中祈願し、板橋、上練馬を経て白子宿(板橋区)で昼食、
  川越街道を下り大寺院である平林寺を横切った。
5月26日 、箭弓稲荷神社を参拝し、松山宿(東松山市)で昼食、
 荒川は舟渡しを利用して久下村林屋勘六宅で休息をとり、深谷宿
 で宿泊した。
5月27日、神川村の金讃神社を参拝して本荘宿を経て新町宿
  (高崎市新町)の中島屋松五郎宅で宿泊した。
5月28日、榛名神社を参拝し、句を詠んだ。
「鶯も としのとらぬや 山の酒」
 大戸宿(東吾妻町大戸)大雲寺でも句を詠んだ。
「花ちるや 称名うなる 寺の犬」
  須賀尾宿(東吾妻町須賀尾)の高橋屋に宿泊した。
5月29日草津温泉を訪れた。
  俳諧の仲間のいる念願の草津温泉に入った。
  友人である望雲7代目黒岩忠右衛門(雲嶺庵露白)との再会
  を果たした。
  黒岩忠右衛門は草津温泉を代表する俳人である。
 「湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貎」
 と句を詠んだ。
★湯畑背後の高台にある光泉寺には小林一茶の句碑
 (湯けむりにふすぼりもせぬ月の貎)が建立されている。
 望雲(温泉旅館)は湯畑のすぐ近くに店を構えている。
 句の中の「湯けむり」は湯畑からの湯煙とことかもしれない
 し、望雲の「内湯」の温泉かもしれない。
 まだ、内湯はないかもしれない。

 柏原(信濃)に戻った。



・年の末には、遺産の半分を貰うことに成功している。
 取り分は田4〜6反、畑3反歩、山林3ヵ所、家屋敷半分、
 世帯道具一式。
 財産規模は柏原では中の上位だという。
★生方家の分家のボクの方が多い。
 
 小林一茶は柏原村の本百姓として登録された。
 ※本百姓は年貢を納める百姓のことである。
水呑百姓は田を持たない百姓のことで、
 6年目からは弥太郎名義で年貢も納めている。

●文化7年 (1810) 5月11日 新町(高崎市)宿高瀬屋に逗留したいた。
 神流川の増水で川止めになっていた。
 「夜中起こす人が居た。見ると、専福寺の提灯を持った男が
  立っている。公許の見通し灯籠建設でことで寄附を求めた。
 一茶は懐中が寂しいので断ったが、せがまれて12文寄進させ
 られてしまった。」
 (★『七番日記』)




 
・文化9年(1812年)11月半ば
 「いざいなん 江戸は涼みも むつかしき」

 江戸を経ち、永住すべく郷里柏原村に向かった。
 50歳の冬、故郷の信州柏原に帰った。
借家住まいをして遺産交渉を重ねた。

・文化10年(1813) 小林一茶は弟との間に取り交わした熟談書付
  の家屋敷分譲の実行と文化4年(1807)以前の収入と利息を払
  えという中味で、最後の激しい遺産争いをした。
  ようやく和解しました。

・文化11年(1814)52歳で、28歳のきくを妻に迎えた。
 長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子ども
 が生まれたが、3男1女は幼くして亡くなった。

・文政3年(1820) 58歳で脳卒中で半身不随になった。

・文政7年(1824)62歳で2番目の妻(田中雪)を迎える


・文政8年(1825) 63歳のときに言語症を起こしても、なお
    交合への意欲はやむことがなかった。
半年で離婚する。
一茶はひとりぽっちになった。
 家庭的にはめぐまれなかった。
北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、
句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、
句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ
俳句を残した。

・文政9年(1826) 64歳で再々婚した。
  3番目の妻:やをであった。
 
・文政10年(1827)
閏6月1日(7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭った。
 母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。
11月19日、小林一茶は土蔵の中で64年半の生涯を閉じた。
  法名は釈一茶不退位。
 一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれた。
 1女・やたが生まれた。
 やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、
 一茶の血脈を後世に伝えた。
 1873年に46歳で没した。

◆群馬の小林一茶
@蝶々の 婦ハリととん多 茶釜哉  館林市 茂林寺
A時鳥 我身ばかりに 降雨か    伊勢崎市 境 織間本陣跡
B手枕や 小言いふても 来る蛍 高崎市 旅籠高瀬屋跡
Cとぶ蛍 うはの空呼 したりけり 高崎市 旅籠高瀬屋跡
D山伏が 気に喰はぬやら 行蛍   高崎市 旅籠高瀬屋跡
E鶯も としのとらぬや 山の酒   高崎市 榛名神社参道
F花ちるや称名うなる寺の犬     東吾妻町 大戸 大運寺
Gゆけむりにふすぼりもせぬ月の貌  草津町 草津 光泉寺



●『草津に歩みし100人』のブログ一覧************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
箕輪初心◆2014スキーbX【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

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箕輪初心:生方▲『草津100人23林羅山』三名泉
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★今日の夜からフィリピンにジュゴン探しダイビングに行くので
 ブログは5日間、休憩である。

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