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zoom RSS 箕輪初心:生方▲草津100人23『徳川将軍への「御汲湯」の歴史』

<<   作成日時 : 2018/03/15 09:01   >>

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延宝8年(1680)、江戸両国橋の架け直しのために用材を沼田藩から
差し出すことを請け負っていたが、真田伊賀守信利(信直)用材の
納期に間に合わなかった責任を問われて改易となった。真田氏が改
易されると草津は幕府の直轄領(天領)になり代官が置かれた。
全国に草津の名が知られて、さらに多くの著名人が訪れるようにな
った。湯屋は約60軒あり、一大温泉地になった。湯銭は廃止され、
湯治客はどこの外湯に何回入っても湯銭(入浴料)が無料となり、
宿に泊まる費用だけで湯治ができるようになった。徳川家康は草津を
訪れたことはないが、草津の湯を江戸城へ運ばせて入浴している。
→徳川秀忠→徳川家光や徳川家の有力家臣は草津を訪れた記録は
今のところ発見されていない。
享保2年(1717)8代将軍:徳川吉宗が温泉を汲み上げて江戸城に
運ばせた。8代将軍:吉宗が汲み上げた際のものと伝えられる徳川家
専用の湯枠は、現在も「将軍おくみ上げの湯」として残されている。

画像




10代将軍:家治も草津の湯を好み、湯を樽詰めにして江戸城へ運ば
せたというエピソードが残っている。また、草津からは氷室が設けら
れ、夏、江戸城に氷が運ばれた。歴代の将軍に愛された草津の湯は、
江戸時代初期〜現在も湯畑の湯ノ花が約2ヶ月に一度の割合で採取さ
れている。映画「お前はグンマをまだ知らない」では、湯ノ花は年6
回採集されている。」と登場してきている。実に歴史の長さを感じさ
せる。江戸時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、訪問客は1年に
1万人を越える「草津千軒江戸構え」と言われるほどの盛況賑ぶりであ
ったそうである。小林一茶・十返舎一九などの文人も訪れている。

★説明がちがっているかもしれません。
 巴御前と静御前を勘違いしています。











・戦国時代**************************
戦国時代以降、草津温泉は、各地の武将が湯治に訪れた。
記録が残っている。
06●文明4年(1472)−蓮如(本願寺・吉崎御坊住職)
○○○文明18年(1486)−堯恵(二条家歌学を継ぐ天台宗常光院流の歌僧)
○○○長禄2年(1488) 万里集九は草津には来ていないようである。
  詩文集『梅花無尽蔵』の中で
 「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者下野之草津、津陽之有馬、
 飛州之湯島三処也」
 意味…我が国の六十余州毎に霊湯:名湯がある。其の内最もよい
 のは下野(上野国の誤り)の草津、摂津の有馬、飛騨の湯之島の
 三か所である。
 「日本三名泉」は、万里集九 → 林羅山によって言葉が生まれた。

07▲延徳2年 (1490) −長野業尚 (榛名鷹留城主)
   ★文亀3年(1503) 長野業尚が死亡なので草津の大永6年(1526)
  の年号は間違っている。     
08▲延徳2年(1490)−長尾為景 (越後国守護代)
   ★長尾為景が2歳?
09▲延徳2年(1490)−大光宗猷禅師(曇英恵応:越後林泉寺&榛名長年寺)
   ★大永6年(1526)まで生きていなかった。
10●明応4年(1495)−横瀬成繁(太田金山城主)
11●文亀4年(1502)−飯尾宗祇(連歌師)
★宗祇は越後の帰りに伊香保に行っちゃったので来ていない。
○○○文亀 2年 (1502) 3月 連歌師:宗長が越後より草津に来る。
○○○永正 6年 (1509) 9月 連歌師宗長、駿河より草津に来る。
※永正6年(1509)の「東路の津登」が有名である。
◆◆◆戦国時代     湯本善太夫は草津温泉を支配していた。
12●永禄 3年 (1560)−小幡重貞(→信貞→信実:国峰城主)
 ★「関東古戦録」がベースなので、信憑性は疑わしい。
13●天正10年(1582)−丹羽長秀(織田信長家臣)
14●天正10年(1582)−堀秀政(織田信長家臣)
15●天正10年(1582)−多賀新左衛門常則(織田信長家臣)
○○○天正15年(1587)−光佐・光寿・佐起(本願寺座主と2人の息子)
16●天正15年(1587)−朝日姫(豊臣秀吉の妹:徳川家康の正室)
  豊臣秀吉の妹である朝日姫は、徳川家康の正室であり病気療養
 のために草津を訪れたとされている。
17●天正16年(1588)−豊臣秀次(関白:豊臣秀吉の甥:養子)
   豊臣秀吉の異父兄弟:豊臣秀次も来ている。
18●天正16年(1588)−松平(依田)康国(小諸城主)
19●文禄3年(1594)−大谷吉継(豊臣秀吉家臣:石田三成親友)
20●慶長3年(1598)−前田利家(豊臣秀吉親友:加賀100万石)
  前田利家なども遠路はるばる草津の地を訪れて、温泉に入湯した
という記録が残っている。
△△△徳川家康は、草津を訪れたことはないものの、草津の湯を江戸
 城へ運ばせて入浴していたらしい?。史料はないので推測の域を
 でない。


***************************



●徳川家康と温泉
・慶長2年(1597)徳川家康が初めて熱海を訪れた。
  長福丸(徳川頼宣)を連れて熱海に5日間滞在した。
 徳川家康は熱海の湯が大変お気に入りとなった。

・慶長3年(1598)
  伊東の地主:下田氏が湯小屋(和田の湯)設けた。

・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
 
・慶長9年(1604)
3月、徳川家康は義直、頼宣の2人の子供や連歌師などを引き連れ
 て、熱海を訪れた。7日間(17日説あり)も熱海に逗留した。

 戦国武将の温泉湯治・・・
 武田信玄の隠し湯・・・湯村温泉など甲州の温泉。
 真田家吾妻13湯の管理・・特に草津温泉・沢渡温泉・四万温泉
武田勝頼が真田昌幸に命じて石段街を造らせた伊香保温泉
 豊臣秀吉の大好きだった「有馬温泉」

9月、徳川家康は京都で病気療養中の吉川広家の見舞いとして熱海
   のお湯を周防(現山口県)まで運ばせた。
 ※徳川家康は全国レベルの名湯と知られていた「有馬の湯」・「草
  津の湯」ではなく、「熱海の湯」を運ばせた。
 
・慶長9年(1604) 徳川家康が立花宗茂の願いを聞き入れ、熱海から
汲湯をとりよせ宗茂の病気治療にあてさせた
(★「熱海市史」)

1)「汲湯」はやがて将軍家への「御汲湯(献上湯)」へと発展していく。
 つまり、「御汲湯(おくみゆ)」のきっかけ・始まりとなった。
 
それ以降、歴代将軍たちは、徳川将軍家御用達の温泉から江戸城へと
 温泉を湯樽を舟で運ばせ、温泉気分に浸ったのであろう。
 90℃の源泉は舟で江戸城に運ばれる頃には、ちょうどいい湯加減に
 なっていたという。
徳川家康をはじめ歴代の将軍は、温泉のもつパワーに魅せられた
のであろう。

●2代将軍:秀忠
熱海の湯(大湯)に入った。


●3代将軍:家光
・寛永3年(1626)3代将軍:家光はに熱海に御殿を造らせた。
徳川家光は熱海に湯治に行く計画を立てたが、一度も訪れる
  ことなく、やがて御殿は取り壊された。
  将軍は江戸城を離れるわけにいかなかった。
 そこで、温泉の湯を樽に詰めて江戸城まで運ばせることになった。

 @熱海の湯
  熱海の温泉は約90℃と非常に高い温度である。
  熱海から江戸城まで昼夜兼行で陸路で15時間かかった記録が
  残っているそうである。
将軍への献上湯は「御湯樽奉行」が樽の封印を見届け、樽は地面
  へ決して置かないように人の手から手へ、肩から肩へと移して運
  ばれた。湯は幾度に大量に送られ、将軍は14日間、毎日新しい
  湯に入ることができたそうである。

 ※やがて、伊東の湯・箱根の湯も献上されるようになった。
 
A伊東の和田の大湯…(「看板」) 
 
B箱根の湯 
・正保元年(1644) 箱根温泉のからの「御汲湯」も始まった。
    正保元年(一六四四)十月五日
     幕府老中より箱根木賀温泉へ、湯樽二つ届く
(★「永代日記」小田原城主稲葉家)
   3代将軍家光への献上湯が箱根木賀温泉から汲み出された。
・正保2年(1645) 11月 湯本  三代家光へ献上
・慶安元年(1648) 11月 木賀  三代家光へ献上
 
※草津の湯には残念ながら、徳川家康・秀忠・家光が運ばせた
  記録はない。しかし、草津温泉の源泉温度は、なんと約95
  ℃・・・ほぼ熱湯でである。
  草津からは大戸を経て、高崎・倉賀野から舟で2日間かかる。
  徳川家康は妻:朝日姫・豊臣秀吉・前田利家などが草津温泉で
  療養したことは分かっている。
 徳川3代将軍:家光へ献上湯を行っていたと考えるべきであろう。

 こうして、温泉を江戸城に献上させる「御汲湯」の慣習が始まった。
  「御汲湯」は、歴代の将軍に継承されることになった。

 戦国武将の有馬温泉・草津温泉の療養、徳川家康の熱海湯治がき
 っかけとなって、江戸時代には庶民の間に温泉ブームが起こって
 いった。現代まで続く湯治のスタイルに繋がっていったのであろう。


●4代将軍:家綱
 「御汲湯」が本格化した。
・寛文7年(1667) 熱海大湯の温泉を檜(ひのき)の湯樽に汲み、
  頑強な男数人に担がせ江戸城まで運ばせるようになった。
  
 海の熱海と山の箱根という名湯が江戸城に続々と運ばれた。
・年不詳    宮之下(箱根)より献上された。
 
  熱海の湯は湯樽は舟で運ばれるようになった。
箱根の湯も毎年数回にわたり江戸城本丸・西の丸へと届けられる
  こととなった。「御汲湯」と称されるようになった。

将軍や大名だけでなく、一般庶民も「湯治願い」を出せば、許可を
 受けて湯治ができた。湯治には3週間程滞在していたそうである。

◆参考サイト
【将軍家の献上湯】 | 箱ペディア|箱根の温泉 公式ガイド「箱ぴた」
http://www.hakone-ryokan.or.jp/hakopedia/?p=253

●5代将軍:綱吉
 度々箱根から湯が運ばれた。
・元禄11年(1698)3月 木賀(箱根) 
・元禄12年(1699)4月 塔之沢(箱根) 
・宝永3年(1706)11月 木賀(箱根)

●6代:

●7代:


●8代将軍:徳川吉宗
  「御汲湯」は最盛期を迎えた。
  徳川吉宗は享保11年から19年までの8年間で3,643個
 もの湯樽を3640樽も運んだと伝えられているそうである。
 ★朝4時「暴れん坊」将軍は格好いいけど、本当は自分は贅沢
  三昧。世の中には質素倹約か?
 「慶安の御触書」なども出しているし、人口増加に伴い、
 「新田開発」も進めた。従って、農工商よりさらに低い身分が
  増加した。

 徳川家康が熱海を幕府の直轄領としたことで土地の治安・風紀
 が守られていた。

 お湯は、熱海温泉、箱根温泉に加えて、草津温泉からも献上される
 ようになった。

「草津温泉の御汲湯」

●11代:家斉

●12代:家治
 「草津温泉の御汲湯」


*********************
●草津温泉
・江戸時代初期 
  湯宿は基本的に素泊まりであった。
内湯はなかった。
  真田時代は資金源」確保のため、外湯に「湯銭(入湯税)
  をかけていた。管理は湯本家が行っていた。

  次第に「かこい湯」「幕湯」という貸し切り湯の習慣ができた。

・延宝8年(1680) 沼田藩主:真田信直(伊賀守信利)は両国橋改修
 の用材の調達を、材木商大和屋から請負った。しかし、台風により
 利根川、片品川が氾濫して用材は流出した。
・天和元年(1681)
 10月 用材の納入期日に間に合わなかった。
  杉木茂左衛門の直訴(代表越訴)となった。
 11月、沼田藩は幕府から治世不良、納期遅滞の責めを問われ
  改易となった。

箕輪初心◆群馬「池廼薬師堂の水牢」&「桃瀬の水牢」&「茂左右衞門地蔵尊」
http://53922401.at.webry.info/201202/article_16.html

  真田氏が改易になった後は、草津は幕府の直轄領になり、代官
  によって治められた。
  草津の湯屋は60軒あったと記録されている。
 
  幕府は真田5代の一廻り(7〜10日)の湯銭制度を廃止した。
  湯治客は宿賃だけの負担ですむようにされた。
  全般に湯治客を手厚く保護する政策がとられた。

  実際の支配は、旧真田家臣:湯本3家が「湯守・年寄り」とし
  て特権を継続した。
  湯守は、外湯や湯屋の管理・浴客の人別、温泉自治の役目があった。

・正徳3年(1713)湯樋事件
  湯本3氏は外湯から自家の湯屋に引湯して内湯を設けた
  村全体から訴えられた。温泉の湯は共有財産の入会権を
  持っていた。
  訴訟結果は湯本3家の引湯の湯樋は残す替わりに、3家の経営
  する湯屋の客が外湯に入ることを制限する、ということで決着
  した。

  次第に湯宿は湯屋に内湯を設置する動きが急激に増えた。

8代将軍吉宗・10代将軍:家治は江戸城まで「御汲湯」を運ばせた。
  草津の温泉の効能が全国的に知られるようになった。

・江戸後期
 江戸時代を通じて60軒に及ぶ湯屋が設けられ、内湯も増えた。
 訪問客は1年に1万人を越えるほどの盛況賑ぶりであったそうである。
 「草津千軒江戸構え」という大きな木造3階建ての
  湯屋がたくさんできていった。
 
 大勢の湯治客が草津に訪れた。
 草津温泉が強酸性泉であり、戦国時代から、刀傷・皮膚病に効く
 ことは知られていたが、将軍家の「御汲湯」になったことで、
 更に有名になった。
草津の湯の強酸性泉の殺菌力が効果的治療法とみなされていった。
 食中毒に次いで恐れられていた外傷からの感染症・腫瘍などの
 効能が広まった。最も永禄4年、上杉政虎(謙信)は食中毒なのに
 草津温泉に入ったようである。近衛前久(龍山)は病気の見舞いの
 手紙を書いたが、返事で温泉療養していたことが書かれている。
 ※長野業政も食中毒で死んだとみられている。
  (★久保田順一先生)
温泉効能についても、書物が書かれるようになり、草津の湯も
 取り上げられた。
 
 豊岡(高崎)の道標には、左草津・右榛名など、現道路標識も設置
 された。
冬場は草津の住人は長野原や旧六合で過ごしたり、PR活動を行っ
 たりした。
  また、小林一茶・十返舎一九などの文人も訪れている。
 文人墨客が草津を宣伝PRしたのはいうまでない。

★草津には全国から湯治客が押し掛けてきて賑わった。






*****************************
『草津に歩みし100人』のブログ一覧**************

◆1)草津温泉・・・・20回以上?
箕輪初心◆2014スキーbX【草津】& 『草津温泉:望雲』
http://53922401.at.webry.info/201402/article_13.html

箕輪初心▲群馬:日本百名山:草津白根山&草津温泉
http://53922401.at.webry.info/201107/article_4.html

箕輪初心▲群馬百名山A26〜50草津白根山・皇海山など
http://53922401.at.webry.info/201206/article_29.html

箕輪初心■群馬草津の松尾芭蕉句碑:ゴリラ50ccでGo
http://53922401.at.webry.info/201209/article_4.html

箕輪初心■プラドでGo【群馬の4湯巡り】 
http://53922401.at.webry.info/201206/article_26.html

箕輪初心:生方▲2018スキーbV『草津コース動画&昼食:月乃井
&温泉:山本館』
http://53922401.at.webry.info/201803/article_7.html




●草津温泉に来た有名人シリーズ*****************
箕輪初心:生方▲『草津温泉に歩みし百人』@「日本武尊:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_23.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』A「行基:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_24.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』B「源頼朝:開湯伝説」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_25.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』C木曾義仲・D巴御前
http://53922401.at.webry.info/201709/article_26.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』E蓮如と番外編「孫:顕如」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_27.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』「番外編:堯恵」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_28.html

箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』F「長野業尚:榛名鷹留城主」
http://53922401.at.webry.info/201709/article_30.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人G長尾為景:上杉謙信の父
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人H大光宗猷禅師=曇英恵応:林泉寺創建
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』番外編:万里集九『梅花無尽蔵』
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箕輪初心:生方▲『草津に歩みし100人』10『横瀬成繁』太田金山城主
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人:連歌師『J宗祇』&番外編『宗長』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人『草津管理人:湯本善太夫』
と『真田ブログ一覧』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人ー12『甘楽国峰城主:小幡信貞』
http://53922401.at.webry.info/201710/article_11.html

箕輪初心:生方:▲草津に歩みし100人:『戦国時代の草津温泉ブーム創作編』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣L丹鋳キ秀】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_13.html

箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣M堀秀政】
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人【織田信長家臣→豊臣秀吉家臣N多賀常則】
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幻の豊臣秀吉&井伊直政』
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箕輪初心:生方▲草津に歩みし100人19『依田(松平)康国』
:豊臣秀次の饗応役
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箕輪初心:生方▲草津温泉100人20『真田幸繁親戚:大谷吉継
とハンセン氏病療養』
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箕輪初心:生方▲草津100人『21:前田利家』死の予感?
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箕輪初心:生方▲草津100人『22真田支配116年』&真田ブログ一覧
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