城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町・蓮着町?』

<<   作成日時 : 2018/02/05 07:35   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市
に調査に出かけた。★本町から芹川までの間には町人が住み、芹川
堤下には足軽屋敷を置いて二重三重に城下町を包囲していた。
古い町名には、紺屋町、桶屋町、魚屋町、鍛冶屋町、油屋町、
瓦焼町など職種別に住まわせた町名が残る。町名として伝馬町、
伊賀町、鷹匠町、餌差町、牢屋町、江戸町、小道具町など身分、
職業によって町割りが行われた。
ちなみに、箕輪の紺屋町・鍛冶町・白銀丁→高崎元紺屋町・新紺屋町
・中紺屋町・鞘町→彦根の紺屋町 ・鍛冶屋町に職人が移った可能性が
高い。
画像




*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100
1)山門
2)清涼寺の客殿
3)本殿:位牌堂★通常は見せていただけない。
4)清涼寺本殿
 寺宝…歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されている。
5)清涼寺境内
6)清涼寺座禅所
7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も龍門寺の行事に見えていた。
●開基:井伊直孝
・慶長7年(1602) 井伊直政が佐和山で死去。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5,000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
開山した。


【4】佐和山城での井伊直政の居住区&大手口
1)愛宕山
 石田氏滅亡の後、井伊直政が佐和山城に入城した。
 井伊直政は佐和山城の南東部の愛宕山に居住

2)大手口・・・東山道が近くを通る


【5】鳥居本宿
中山道69次の内、滋賀県の中山道宿場は東海道と交わる草津宿まで
9宿がある。
★中山道には62次程、見物しているので、紹介予定。
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がある。
多賀大社の鳥居があったことからその名がついた(伝)。
鳥居本宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。
江戸時代の面影を物語ってくれる。

【6】天寧寺遠望
 井伊直弼腹臣:長野主膳の夫妻の墓
 長野義言(よしとき)
 説@…上野国箕輪城主だった長野氏の末裔説
    群馬県人の信じている人が多い。

 説A…伊勢の長野氏の子孫説(2009年の野田浩子氏の話) 
 
説B… 伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐
  の弟で先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで
  出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。
(★ウィキペディア)



17:00 サンルート彦根
18:30 夕食
20:30 宿泊


***********************
◆2日目・・・2月26日
06:00  参加者2名が佐和山城登山

【7】彦根龍潭寺
・慶長6年(1601)
1月 大坂にいた。
1月 井伊直政は佐和山城に入った。
 (★木俣土佐武功紀年自記:井伊達夫氏所蔵)
2月 井伊直政は佐和山城に入った。(★井伊年譜)

?月 彦根龍潭寺の創設が始まった。
龍潭寺五世昊天禅師を招いて遠江国から分寺し、建立した。
  昊天禅師が方丈南庭と書院東庭はの作庭した。
  枯山水と池泉式庭園となっている。


3月18日 相良長毎(ながつね)に
     「佐和山で養生する。」(★相良家文書)

◆井伊軍志〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
井伊直政・・・愛宕山米蔵付属曲輪
木俣守勝・・・二の丸
中野直之・・・三の丸
広瀬将房・・・二の丸・三の丸(後、美濃丸と呼ばれた。)
  広瀬将房は中野直之の3男で武田旧臣:広瀬美濃守景房の養子である。
犬塚正長・・・愛宕下屋敷
本丸&5重天守は消失していたので、入れなかった。
(★「当城下近辺絵図附札写」)

井伊直政は石田三成の威光を払拭するべく、新たに彦根城築城を計画
した。しかし、直政は築城に着手できないまま、死去した。
計画は嫡子:井伊直継が引き継ぐこととなった。
彦根城は大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用し
つつ、天下普請によって彦根城を完成させている。

・慶長11年(1606) 完成した彦根城天守に井伊直継が移ったことに
 ともない佐和山城は廃城となった。

・慶長14年(1614) 井伊直孝が彦根城主になった。
  2代藩主:井伊直孝の代に彦根龍潭寺の諸堂が完成した。

・????年 蕉門十哲のひとり森川許六(1656~1715)が方丈の襖絵
  を描いた。(森川許六の墓が彦根長純寺)

【8】佐和山城
  佐和山城跡入り口
  龍潭寺が全山を所有で無料での入山を許可している。

【9】井伊神社
 ・天保13年(1842) 彦根藩12代藩主:井伊直亮が、井伊家の始祖
  井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷八幡宮(現静岡県浜松市)か
  ら井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのが
  はじめとされている。
 井伊直政・井伊直孝が祭られている神社である。

07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 ボランティアガイドによる「彦根城」見学
:久々宮さん・宮嶋さん


【8】彦根城
0)全体的な縄張りについて
@箕輪城・・・北条の時代の改修
 ・本郭を御前曲輪側にさらに広げた。(★発掘調査より)
・郭馬出の出撃門を建造した。
 ・本丸西に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・御前曲輪に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・新曲輪を増設した。
 ・木俣曲輪・松下曲輪などを補修工事した。
 ※現在残っている箕輪城の遺構である。

A高崎城
 築城関係者は以下であった。
 木俣土佐守守勝・・・★殆どいなかった。
 鈴木石見守重好
 孕石備前守泰時・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 早川弥惣右衛門・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 らに任せていた。
 (★井伊軍志P181)
 川手良則・・・(井伊直政の姉:高瀬姫の夫)が留守を守っていた。
 (★井伊谷400年記念の歴史冊子:武藤全透著)

B彦根城
築城の関係者以下であった。
◎縄張り  
 :早川幸豊(山県昌景→井伊直政)150石だが、一番始めに記載されている。
:石原主膳(山県昌景鉄砲奉行→北条氏政鉄砲奉行→井伊直政の槍奉行)
  :横地吉晴
 :孕石泰時  
◎普請奉行 
  :富上喜太夫
  :伴加右衛門
  :加藤金左衛門
◎作事奉行 
:宇津木新九郎(由良国繁→北条氏政→井伊直政)
  :横内弥左衛門
C大工棟梁  
:浜野喜兵衛
★同じようなメンバーが起用された可能性が高い。

【10】玄宮園
「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。天守を借景として、
中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、
鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。
(★彦根市HP)



【●】昼食
12:00 〜13:45 昼食 兼 情報交換会
歴代の5代彦根城ボランティアガイドさんがおみえになった。
*箱弁当

ガイドさんは家臣団の史料をを用意して下さった。


*****************************

14:00〜15:30 彦根城博物館の野田学芸員講義「彦根城」
野田浩子先生は「徳川家康天下掌握過程における井伊直政の役割」
(『彦根城博物館研究紀要』18号、2007年)の中で、出展史料:
「真田家武功口上之覚」(『真田家文書』中巻、1982年)から、
「井伊直政は東軍に味方した真田昌幸の長男:真田信之の懇請を
受け入れ真田昌幸と次男:信繁(幸村)の助命にも進退を懸けて
まで尽力した。真田信之は将来まで徳川家に尽くすだろうと考え
ての行動だった」とという考えを発表した偉大な学芸員である。
特に井伊家の儀礼の研究などに優れた先生である。
※個人1回目の個人旅行での野口先生
「井伊直弼の家老:長野主膳は伊勢の長野氏と教え
て下さった」先生である。

*井伊直政の歴史について、野口先生の講演のほか、井伊谷
400年記念の史料や井伊軍志などを参考に加筆した。


15:30〜17:00 彦根城博物館での調査・見学
・大坂の陣の彦根藩士資料の展示。
・井伊家伝来の甲冑・刀剣武具を展示。
・井伊家に伝来した美術品(絵画、能装束、茶道具、日本の楽器など)展示。
・彦根藩に関する古文書。
・特別公開・・・「井伊直弼の次女:弥千代の雛道具・婚礼調度」
弥千代は13歳で高松藩に嫁いだ。井伊直政の死後、高松松平家にも
  累が及ぶことを恐れて、弥千代は離縁して井伊家に戻った。
  明治維新後、井伊弥千代は再び松平頼聡に嫁いだ。
・紙本金地著色風俗図:彦根屏風(国宝)
・我宿蒔絵硯箱(重文)


18:30 〜20:30 夕食


21:00 宿泊



*****************************
3)●3日目・・・2月27日
07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 見学調査
【1】金剛山長純寺・・・滋賀県彦根市佐和町5-49
@箕輪城時代:長純寺
・明応六年(1497)長野業政の父:長野信業が現高崎市箕郷町上芝
 (水草)に創建した(伝)。現箕郷町下芝の第五保育園付近である。
・明応7年(1498)長純寺が榛名白川の洪水で流出した。
・ 弘治3年(1557) 長野業政が菩提寺:長純寺(高崎市箕郷町
  原山)を再建した。(★長純寺文書)
   梁14丁、柱78本・・・
長野業氏の次男:長野業亮=大森別当:曇廊は和田山大雲寺に
 いた。
 
・永禄9年(1566)5月 鷹留城落城
曇廊は落城後に住職となった。
 鷹留長野業通の次男:業茂が仏門に入り、珠山玄宝となった。
 箕輪:和田山長純寺(高崎市箕郷町原山)の住職となった。
A高崎城時代・・・高崎城下にはない。
し明治8年(1876)廃寺となった。
B彦根城時代
・慶長8年(1603) 鷹留長野業通の次男:業茂=珠山玄宝は
 彦根長純寺を開いた。(★大雲寺記録)
・元和3年(1617) 開山説
※高瀬姫(春光院)の墓・・・井伊直政の姉:川手主水の妻
(ちなみに、川手主水良則の墓が彦根市南川瀬町にある。)

※森川許六の墓・・300石。
宮嶋さん(★長純寺総代だそうである。)
「松尾芭蕉の門下生「蕉門十哲」の1人である。
 俳句、武術、馬術、絵画、書、能、茶にも優れたいた。」
・平成26年(2014) 本堂など建物は全て喪失されてい
  たので、長純寺の本堂が再建された。
 大雲寺:井上良紘氏が新築記念の祝詞をあげた。
 箕輪長純寺の和尚様も来られた。
(★井上良紘)
 「米原の??寺が兼任住持? 」
・平成27年(2015) 句会が行われた。

【2】切通口・・・「ここで、下馬した。」
彦根の城下町は彦根城築城と並行して進められた。
築城当初は
彦根城1郭(平山城部分)には3〜4名の重臣
彦根城2郭(本丸堀と内堀の間)には33〜34名の家老・侍大将
 クラスを置く。
彦根城城家町には、内堀から中堀に面して中級家臣の屋敷があった。
その外側に町人居住区が設定された。
外堀近くの内側に武家が囲み外堀がめぐらされていた。

【3】俳遊館
大正時代の信用金庫を利用したレトロな外観である。
彦根ボランティアガイドの活動拠点である。
今日も広報会議が行われていた。

【4】蓮華寺
蓮華寺は俳遊館&城東小の間にある。
東の突き当たりにある。
蓮華寺・・・
@箕輪城時代・・・椿山法華堂
A高崎城時代・・・日蓮宗:西郷山法華寺
・第?世:日儀が開基した。
B彦根城時代・・・現彦根市中央町3−64
 本尊:十界曼荼羅・・・・
・慶長8年(1603) 妙法山蓮華寺第?世:日儀が開基した。
・江戸時代・・・朝鮮通信使宿所として活用された。


*********************
【●】願通寺 真宗 大谷派
    開基:元和年間(1615-1624)明心


【●】来迎寺 浄土宗 
   開基:建久7年(1196)

【5】大信寺
▲山門

▲石垣…彦根城築城のときの残石である。
  彦根城天守閣石垣と同じ牛蒡(ごぼう)積でなされている。

@箕輪城時代・・・箕郷町西明屋・・光徳寺北隣。
・天正18年(1590)徳川家康の関東移封に伴い箕輪城に入城した。。
A高崎城時代・・・北通町に移された。
・慶長3年(1598)箕輪大信寺を廃寺し、高崎に移転した。
 (★『高崎志』川野辺寛著)
 高崎大信寺Hpでは、
開山:総誉清巌上人
 開基 内藤大和守(北条氏房の叔父)
 ★内藤大和守昌明(保科正俊次男?3男?)だとすれば、天正7年
 (1579)2月、内藤昌月はそれまで不在であった箕輪城代として
  赴任した。(★瀬下家文書)その後、大和守を称した。
天正10年(1582)北条氏邦(氏政の弟)が箕輪城に入城
  している。従って、天正7年〜天正10年の間に高崎大信寺が
  創建されたことになる。
 ・天正10年(1582)内藤昌明は北条氏政の家臣として、箕輪城から
  保渡田城(旧群馬町)に移住した。北条の家臣として、倉賀野
  秀景・宇津木氏久・和田信業(跡部勝資長男)・小幡信貞らと
  同様、高い地位にあった。

 ・天正15年(1587)岩槻城主:太田氏房(北条氏房)のにより岩槻
に淨国寺が開創された。また、鴻巣に惣誉清巌が浄土宗の名跡を
  残すために浄土宗勝願寺として中興した。
・天正16年(1588)内藤昌明が亡くなった。
  ★北条氏房は北条氏政の子で生母は武田信玄の娘の黄梅院である。
  北条氏直の同母弟にあたることから、内藤昌明は北条氏房の伯父
  という高崎大信寺のHpも疑問が残る。
 ・天正18年(1590) 徳川家康が開山の惣誉清巌上人に帰依した事
により岩槻の淨国寺50石の御朱印状寺領が寄進された。
  天正18年(1590)井伊直政が箕輪城に入城している。
 ・天正19年(1591) 鴻巣勝願寺は徳川家康から50石の御朱印状
  寺領が寄進された。惣(総)誉清巌上人の隠居寺になったようだ。
  ★高崎大信寺の惣(総)誉清巌上人の跡を継いだのが、照誉和尚
   ということになる。
  ★高崎大信寺が内藤昌明によって創建されたという根拠はどこに
   あるのあろうか?文書がみたいものだ。
  ★ちなみに内藤昌明の3男:内藤知矩や和田信業の子ども:和田
   内匠や小幡信貞の子ども:小幡大膳などは井伊直政の侍大将ク
   ラスの家臣となっている。彦根では当初2郭(内堀と中堀の間)
   に住んでいる。 

B彦根城時代・・・大信寺を開いた。
・慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで大功で佐和山城に移封が決定となった。
・慶長6年(1601)1月〜2月? 佐和山移転
  彦根藩初代藩主:井伊直政が大信寺を開いた。(伝)
・慶長7年(1602)2月 井伊直政が死んだ。

・慶長8年(1603) 彦根城の築城が始まった。
  宝厳山大信寺の創建した。
高崎大信寺(群馬県高崎市)の住職:照誉和尚が大信寺を開山した。
  (後、増上寺17世貫主?)
  2代藩主井伊直孝も篤く帰依し大信寺に参拝に訪れた。
・宝治2年(1659) 井伊直孝は死去。
  遺骸は江戸の菩提寺である豪徳寺に葬られた。
  歯骨の一部は大信寺の境内に葬られた。
  御廟(直孝鎮魂の銘)が建立された。
 以来、歴代彦根藩主から庇護された。
・元禄から寛永年間(1688〜1710)5代藩主井伊直通が本堂を再建した。
  山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、2重楼門
  山門の両脇には彦根城の残石を利用した石垣
   (彦根城の石垣と同様に牛蒡積。)が積まれた。
  宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

【●】本町一丁目〜二丁目〜三丁目・
画像

●本町一丁目
2)明治時代
四番町
五番町(一部)
三番町(一部)
本町(一部)

1)江戸時代
西内大工町
東内大工町
白壁町
紺屋町
元川町
鍛冶屋町
上本町
埋堀
寺町
京橋通
上細工町

●本町二丁目
2)明治時代
本町
五番町(一部)
1)江戸時代
上魚屋町
下藪下町 京橋通
中本町
下本町
元川町
上魚屋町
下藪下町


●本町三丁目
2)明治時代
連着町
下魚屋町(一部)
職人町
上魚屋町(一部)
桶屋町(一部)
1)江戸時代
連着町
桶屋町
下魚屋町
職人町
上魚屋町
八百屋町
明性寺門前町

結果・・・・
(上魚屋町・職人町・紺屋町・鍛冶屋町・彦根町・大工町・佐和町
 ・伝馬町・油屋町) 
「紺屋町・鍛冶屋町・連着町・桶屋町・鉦叩町(かねたたきまち)など
 といったように、職人町に区分された町割りが今も残り、古い町並み
 が残っている。」
@箕輪…紺屋町・鍛冶町・連雀町・??町・時宗の人の鉦
A高崎…紺屋(こうや)町3町・鍛冶町・連雀町・大工町?・かね打町
B彦根…紺屋町・鍛冶屋町・連着町・桶屋町・鉦叩町
箕輪→高崎→彦根へと町人が移動した可能性が高い。


画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像



箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html


★明日も「彦根関係」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町・蓮着町?』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる