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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根I『長純寺』姉:高瀬姫の墓

<<   作成日時 : 2018/02/02 20:04   >>

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今日は雪の中、人間ドック。キャタピラー付き運搬車に木材の
除雪機を改造→雪掻き。郵便局・JAのなくした通帳・カードの
再発行申請。村の写真展の展示、凄え、忙しい。昨日は高崎
市民フェスティバル地域展示に陶芸作品を展示。酷え事態。
平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市
に調査に出かけた。慶長8年(1603) 鷹留長野業通の次男:
業茂=珠山玄宝は彦根長純寺を開いた。(★大雲寺記録)
画像



*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100
1)山門
2)清涼寺の客殿
3)本殿:位牌堂★通常は見せていただけない。
4)清涼寺本殿
 寺宝…歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されている。
5)清涼寺境内
6)清涼寺座禅所
7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も龍門寺の行事に見えていた。
●開基:井伊直孝
・慶長7年(1602) 井伊直政が佐和山で死去。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5,000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
開山した。


【4】佐和山城での井伊直政の居住区&大手口
1)愛宕山
 石田氏滅亡の後、井伊直政が佐和山城に入城した。
 井伊直政は佐和山城の南東部の愛宕山に居住

2)大手口・・・東山道が近くを通る


【5】鳥居本宿
中山道69次の内、滋賀県の中山道宿場は東海道と交わる草津宿まで
9宿がある。
★中山道には62次程、見物しているので、紹介予定。
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がある。
多賀大社の鳥居があったことからその名がついた(伝)。
鳥居本宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。
江戸時代の面影を物語ってくれる。

【6】天寧寺遠望
 井伊直弼腹臣:長野主膳の夫妻の墓
 長野義言(よしとき)
 説@…上野国箕輪城主だった長野氏の末裔説
    群馬県人の信じている人が多い。
説A…伊勢の長野氏の子孫説(2009年の野田浩子氏の話) 
説B… 伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐
  の弟で先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで
  出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。
(★ウィキペディア)



17:00 サンルート彦根
18:30 夕食
20:30 宿泊


***********************
◆2日目・・・2月26日
06:00  参加者2名が佐和山城登山

【7】彦根龍潭寺
・慶長6年(1601)
1月 大坂にいた。
1月 井伊直政は佐和山城に入った。
 (★木俣土佐武功紀年自記:井伊達夫氏所蔵)
2月 井伊直政は佐和山城に入った。(★井伊年譜)

?月 彦根龍潭寺の創設が始まった。
龍潭寺五世昊天禅師を招いて遠江国から分寺し、建立した。
  昊天禅師が方丈南庭と書院東庭はの作庭した。
  枯山水と池泉式庭園となっている。


3月18日 相良長毎(ながつね)に
     「佐和山で養生する。」(★相良家文書)

◆井伊軍志〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
井伊直政・・・愛宕山米蔵付属曲輪
木俣守勝・・・二の丸
中野直之・・・三の丸
広瀬将房・・・二の丸・三の丸(後、美濃丸と呼ばれた。)
  広瀬将房は中野直之の3男で武田旧臣:広瀬美濃守景房の養子である。
犬塚正長・・・愛宕下屋敷
本丸&5重天守は消失していたので、入れなかった。
(★「当城下近辺絵図附札写」)

井伊直政は石田三成の威光を払拭するべく、新たに彦根城築城を計画
した。しかし、直政は築城に着手できないまま、死去した。
計画は嫡子:井伊直継が引き継ぐこととなった。
彦根城は大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用し
つつ、天下普請によって彦根城を完成させている。

・慶長11年(1606) 完成した彦根城天守に井伊直継が移ったことに
 ともない佐和山城は廃城となった。

・慶長14年(1614) 井伊直孝が彦根城主になった。
  2代藩主:井伊直孝の代に彦根龍潭寺の諸堂が完成した。

・????年 蕉門十哲のひとり森川許六(1656~1715)が方丈の襖絵
  を描いた。(森川許六の墓が彦根長純寺)

【8】佐和山城
  佐和山城跡入り口
  龍潭寺が全山を所有で無料での入山を許可している。

【9】井伊神社
 ・天保13年(1842) 彦根藩12代藩主:井伊直亮が、井伊家の始祖
  井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷八幡宮(現静岡県浜松市)か
  ら井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのが
  はじめとされている。
 井伊直政・井伊直孝が祭られている神社である。

07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 ボランティアガイドによる「彦根城」見学
:久々宮さん・宮嶋さん


【8】彦根城


0)全体的な縄張りについて
@箕輪城・・・北条の時代の改修
 ・本郭を御前曲輪側にさらに広げた。(★発掘調査より)
・郭馬出の出撃門を建造した。
 ・本丸西に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・御前曲輪に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・新曲輪を増設した。
 ・木俣曲輪・松下曲輪などを補修工事した。
 ※現在残っている箕輪城の遺構である。

A高崎城
 築城関係者は以下であった。
 木俣土佐守守勝・・・★殆どいなかった。
 鈴木石見守重好
 孕石備前守泰時・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 早川弥惣右衛門・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 らに任せていた。
 (★井伊軍志P181)
 川手良則・・・(井伊直政の姉:高瀬姫の夫)が留守を守っていた。
 (★井伊谷400年記念の歴史冊子:武藤全透著)

B彦根城
築城の関係者以下であった。
◎縄張り  
 :早川幸豊(土屋昌恒→井伊直政)150石だが、一番始めに記載。
:石原主膳(山県昌景鉄砲奉行→北条氏政鉄砲奉行→井伊直政の槍奉行)
  :横地吉晴
 :孕石泰時  
◎普請奉行 
  :富上喜太夫
  :伴加右衛門
  :加藤金左衛門
◎作事奉行 
:宇津木新九郎(由良国繁→北条氏政→井伊直政)
  :横内弥左衛門
C大工棟梁  
:浜野喜兵衛
★同じようなメンバーが起用された可能性が高い。

【10】玄宮園
「近江八景」に置き換えて作庭されたといわれる。天守を借景として、
中心の入り組んだ池には4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、
鳳翔台、八景亭などの建物が配されている。
(★彦根市HP)



【●】昼食
12:00 〜13:45 昼食 兼 情報交換会
歴代の5代彦根城ボランティアガイドさんがおみえになった。
*箱弁当

ガイドさんは家臣団の史料をを用意して下さった。


*****************************

14:00〜15:30 彦根城博物館の野田学芸員講義「彦根城」
野田浩子先生は「徳川家康天下掌握過程における井伊直政の役割」
(『彦根城博物館研究紀要』18号、2007年)の中で、出展史料:
「真田家武功口上之覚」(『真田家文書』中巻、1982年)から、
「井伊直政は東軍に味方した真田昌幸の長男:真田信之の懇請を
受け入れ真田昌幸と次男:信繁(幸村)の助命にも進退を懸けて
まで尽力した。真田信之は将来まで徳川家に尽くすだろうと考え
ての行動だった」とという考えを発表した偉大な学芸員である。
特に井伊家の儀礼の研究などに優れた先生である。
※個人1回目の個人旅行での野口先生
「井伊直弼の家老:長野主膳は伊勢の長野氏と教え
て下さった」先生である。

*井伊直政の歴史について、野口先生の講演のほか、井伊谷
400年記念の史料や井伊軍志などを参考に加筆した。


15:30〜17:00 彦根城博物館での調査・見学
・大坂の陣の彦根藩士資料の展示。
・井伊家伝来の甲冑・刀剣武具を展示。
・井伊家に伝来した美術品(絵画、能装束、茶道具、日本の楽器など)展示。
・彦根藩に関する古文書。
・特別公開・・・「井伊直弼の次女:弥千代の雛道具・婚礼調度」
弥千代は13歳で高松藩に嫁いだ。井伊直政の死後、高松松平家にも
  累が及ぶことを恐れて、弥千代は離縁して井伊家に戻った。
  明治維新後、井伊弥千代は再び松平頼聡に嫁いだ。
・紙本金地著色風俗図:彦根屏風(国宝)
・我宿蒔絵硯箱(重文)


18:30 〜20:30 夕食


21:00 宿泊



*****************************
3)●3日目・・・2月27日
07:30 朝食
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08:30 出発
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09:00〜12:00 見学調査
【1】金剛山長純寺・・・滋賀県彦根市佐和町5-49
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@箕輪城時代:長純寺
・明応6年(1497)長野業政の父:長野信業が現高崎市箕郷町上芝
 (水草)に創建した(伝)。現箕郷町下芝の第五保育園付近である。
・明応7年(1498)長純寺が榛名白川の洪水で流出した。
・ 弘治3年(1557) 長野業政が菩提寺:長純寺(高崎市箕郷町
  原山)を再建した。(★長純寺文書)
   梁14丁、柱78本・・・
長野業氏の次男:長野業亮=大森別当:曇廊は和田山大雲寺に
 いた。
 
・永禄9年(1566)5月 鷹留城落城
曇廊は落城後に金富山長純寺の住職となった。
 鷹留長野業通の次男:業茂が仏門に入り、珠山玄宝となった。
 箕輪:和田山大雲寺(高崎市箕郷町東明屋)の住職となった。
A高崎城時代・・・高崎城下にはない。
  「箕輪から金剛寺は移って来た。」(『高崎志』川野辺寛著)
  ★長純寺は「金敷平と富岡の地名を採って、金富山と
   名付けた。」と言われているが、本来は彦根同様「金剛山
   長純寺」であると考えられる。つまり、高崎に移ったと
  される金剛寺は長純寺の分寺ではないだろうか?


B彦根城時代
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・慶長8年(1603) 鷹留長野業通の次男:業茂=珠山玄宝は
 彦根金剛山長純寺を開いた。(★大雲寺記録)
・元和3年(1617) 開山説


※高瀬姫(春光院)の墓・・・井伊直政の姉:川手主水の妻
(ちなみに、川手主水良則の墓が彦根市南川瀬町にある。)
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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政76『高瀬姫』と【20話「第三の女」】と松源寺
http://53922401.at.webry.info/201705/article_21.html

※森川許六の墓・・300石。
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・明暦2年(1656)8月14日(10月1日)、宇多源氏佐々木高綱を遠祖
 とする300石取りの彦根藩士:森川與次右衛門の子として彦根城下
 藪下で生まれた。
・天和2年(1681) 27歳の時、父親が大津御蔵役を勤めたことから、
許六も7年間、大津に住んだ。

*森川與次右衛門
 剣術・馬術(悪馬新当流)・槍術(宝蔵院流槍術鎌十文字槍の名人)
 漢詩、書、絵(狩野探幽の弟で奥絵師の狩野安信に学んだ)
  ★彦根龍潭寺のふすま絵
 能、茶にも優れていた。
・延宝年間(1670年代前半)和歌や俳諧は北村季吟・田中常矩
  などに学んだ。談林派の俳諧に属していた。
・元禄2年(1689) 33歳、父が隠居したため跡を継いだ。
   本格的に俳道を志し、近江蕉門の古参江左尚白の門を叩いた。
・元禄4年(1691) 江戸下向の折、蕉門十哲の宝井其角・服部嵐雪の
  指導を受けた。
・元禄5年(1692) 江戸深川にいた松尾芭蕉に入門した。
入門時、許六は
  「十団子も 小粒になりぬ 秋の風」
 と言う句を詠んだ。
  松尾芭蕉は激賞した。
 森川許六が松尾芭蕉から指導を受けたのは10ヶ月に満たない。
 松尾芭蕉は森川許六に俳諧を教え、森川許六は松尾芭蕉に絵を教え
 た(伝)。
 松尾芭蕉より六芸に通じた多芸の才人であったことから「許六」
 と言う号を授けられた。。
・元禄6年(1693)年)彦根に帰る際、松尾芭蕉から「柴門之辞」と俳諧
  の奥伝書を授けられた。
※「松尾芭蕉の門下生「蕉門十哲」の1人となった。


箕輪初心★松尾芭蕉C【江戸日本橋8年〜深川〜母の死】
http://53922401.at.webry.info/201207/article_18.html

箕輪初心★松尾芭蕉F【新芭蕉庵】&『深川紀行』
http://53922401.at.webry.info/201207/article_21.html

・平成26年(2014) 本堂など建物は全て喪失されてい
  たので、長純寺の本堂が再建された。
 大雲寺:井上良紘氏が新築記念の祝詞をあげた。
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(★大雲寺:井上良紘和尚様筆)

 箕輪長純寺の長野信道和尚様も来られた。
 小笠原長清系伴野一族宗家の等ちゃんも総代なので来た
 んだって、・・・・。
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 「米原の宗青岸寺が兼任住持? 」
・平成27年(2015) 句会が行われた。
 ガイドの宮嶋さんは長純寺総代だそうである。
★宮嶋さん、凄い。
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箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

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http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html




★明日も「彦根関係」かな

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