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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政176『家臣:里見内蔵丞』と「安中秋間の里見家の墓の謎」

<<   作成日時 : 2018/02/17 07:57   >>

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『侍中由緒帳』に、「天正18年(1590)?里見内蔵丞は安房里見家
であったが、上野国の箕輪?でいる時、井伊直政に出仕した」とあ
る。里見内蔵丞は安中藩初代:井伊直勝とともに安中にやってきた。
里見内蔵丞は長野業実の祖父:長野業政の親戚であると考えら
れる。長野十郎左衛門業実は、@『侍中由緒帳』・『系図纂要』で
は長野業政の孫、A新編高崎市史では長野業政庶子、B別系図では
鷹留長野業氏の孫とある。里見内蔵丞が箕輪でぶらぶらしていたの
は、長野業政の養子:里見義樹(石井信房)の一族であった可能性が
高い。安中秋間の「石井泰太郎氏所蔵系図」との繋がりが根拠であ
る。
「安中秋間の里見家の墓の謎」が深まるばかりである。先祖は
新田義重の榛名の里見の子孫には違いないのであろうが、里見吉
政の子孫なのか、里見内蔵丞の子孫なのか、はたまた、別系統の
里見氏なのか?安房館山藩・板鼻藩の里見家と分裂していた里見
一族か?私は里見義樹に限りなく近い長野業実の又従
兄弟:里見であると考える。また、長野業実は井伊直政は親戚の
孫・曾孫として、里見氏、安中氏、和田氏、小幡氏などを推挙した
可能性もあると考えている。

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 ★合掌、合掌、
  ごめんなさい。人様のお墓に勝手に詣でて・・・
  K中嶋さん、こんな考え如何でしょうか?。




箕輪初心:生方▲箕輪城170【黒田基樹説を加味した長野氏の系譜】
http://53922401.at.webry.info/201510/article_2.html

箕輪初心:生方▲群馬富士見【石井岡城】&箕輪城181長野業正養子
:里見義樹=石井信房
http://53922401.at.webry.info/201512/article_5.html

 【系図2「安中秋間の石井泰太郎氏の長野氏系図】

@長野業行→長男:業高
      A次男:憲業=信業 
       妹=安中忠政妻
       妹=里見義堯妻
              女=和田重能妻
              女=倉賀野為広妻        
       藤井定俊

●藤井定俊(=藤井豊後守友忠:一般的には)
「石井泰太郎氏所有の長野氏系図」には藤井定俊は長野憲業の
  弟と記されている。浜川城主。
・永禄6年(1563) 若田ヶ原合戦
住吉城(高崎市沖町)より500騎を率い、武田信玄の家臣:
 内藤昌秀を安中まで撤退させた。

●藤井友安 (?〜?)
 藤井定俊の長男である。

●藤井忠安 (?〜?)
 藤井定俊の次男である。

※長野憲業=長野信業家督は次男業政が継いだ。
→B業政→女子12人(★長野弾正系図では)
  
長野業政の子どもは@女=娘11人(★石井泰太郎系図でが
女:和田新兵衛朝常妻・・・
   ★和田城の木部範虎が一般的である。
女:長尾弾正正景妻・・・・
   ★惣社城?・・・越後上田の長尾政景は上杉景勝の父であるが?
女:沼田万喜斎入道妻
   ★沼田城:沼田顕泰のことであるが、長野業正の母が沼田顕泰
    となるので、不思議である。
女:岡本兵部少輔持村妻
   ★この時は岡本は熊井土姓のはずである。小幡重貞の家老とし
   て、小幡館(現小幡城)に住んでいた。
   岡本姓は井伊直政の家臣になった岡本半助宣就からである。
   後、岡本半助宣就の父は群馬サファリの地区に住んだ。
女:小幡尾張守信定妻・・・
   ★小幡館→国峰城。この時は、小幡重貞である。武田信玄から
    「信」を貰って、小幡信貞→小幡信実になった。
女:小幡図書之助妻・・・・
   ★宮崎城・神成城
女:木部弾正宮内少輔妻
   ★高崎木部町堀の内&山名城
女:倉賀野淡路守妻
   ★倉賀野16騎の金井淡路守であるが、武田信玄の家臣に
    なって、倉賀野姓になる。別系図では、倉賀野直行である。
女:安中越前守妻
   ★松枝城(松井田城)安中忠政=安中重繁である。
    黒田基樹先生説では安中越前守忠政の妻は沼田顕泰の
    娘:次女を養女にした長野業正(妻は沼田顕泰の長女)
    が関東享禄の大乱後、安中忠政に嫁がせたとしている。
  
A義樹・・・(養子・信房)・・★石井城(現前橋市富士見)
     石井讃岐守・・・・・★鷹留城(旧榛名町)
B業盛→曽平之進
女:・・・舞鶴姫
C宗誉
※石井系図は業正の末子:宗誉の名を記している。僧籍?



●石井義樹=里見義樹(1533〜1563) 
「石井泰太郎氏の所有長野氏系図」には長野業正の養子
と記される。安房稲村城主:里見義堯の次男:文悟丸である。
系図は長野業正の妹を里見義堯室としている。
★この縁で養子縁組みしたのかもしれない。
1)里見繁美先生はこの説を強調している。

***************************************************
箕輪初心●箕輪城81「大悍猿=風「見繁美氏の講演会」
http://53922401.at.webry.info/201209/article_12.html
****************************************************

2)黒田基樹先生も『西上州の中世』において、
  「石井泰太郎系図」を引用されている。

 @長野憲業の子ども
  長男:長野業氏
  次男:長野業正 
  娘・・・・・・・石井信房の妻
 A安中重繁(忠成)・・妻:沼田顕泰の娘(長野業正の妻と姉妹)
  ※石井系図では、
  長男:安中(忠成)景繁・・妻は長野業氏の娘→長野業正の養女
  ※長年寺系図では、妻は長野業氏の娘
 ・安中重繁の妻はほかに妻は甘利昌忠の妹がいる。
(★甲陽軍艦)




◆◆里見義樹=石井左京大夫讃岐守信房 ◆◆

・享徳3年(1454)〜 享徳の乱
 南総里見八犬伝は千葉県館山市を舞台に繰り広げられている。
「南総里見八犬伝」(★江戸時代:滝沢馬琴著)

・ 文明年間(1469〜1487)
 長野業尚(尚業:なりなお)が室田鷹留城(高崎市下室田町)を築いた。

・文明5年(1474)頃  箕輪城が築かれた。★箕輪初心説・・
  @長野氏の箕輪の菩提寺:石上寺の石どうの銘が1474年
  A長野氏の神社:箕輪の東向八幡宮石どう(せいどう)1474年
   従って、寺より家の方が先に作られるのが当然であるから、
   1474年以前に箕輪城が築城された。

・????年 長野憲業の娘が里見義尭に嫁いだ。

・享禄3年(1530) 長野業正が継承した。

・享禄4年(2531) 関東享禄の乱
上杉憲寛+長野業正
    VS
上杉憲政+小幡+安中+高田
  
 結果・・・ 上杉憲寛+長野業正が敗北。
 上杉憲寛は小弓公方:足利義明のところに
 逃げ込んだ。

・天文2年(1533)
 里見義樹が里見氏始祖義俊から16代目:安房稲村城主(館山市)
 の里見義堯の次男として生まれた。
 母は箕輪城主:長野憲業の娘であった。
 幼名を文悟丸と言った→里見義樹と名乗った。
  

・天文2年(1533) 安房天文の内訌(稲村の変)
  7月27日 里見義豊が叔父:里見実堯と一族:正木通網
   を殺害したことから勃発した。
   ★里見氏の内紛である。
   ★里見義堯の妻は長野業正の父と言われている長野憲業
   の娘:即ち長野業正の妹である。
   (★黒田基樹説では、長野憲業の養子:長野方業の子
    が長野業正としている。)

・天文3年(1534)
 4月6日 里見実堯の実子:里見義堯が、後北条氏の力を得て、
  里見義豊の籠もる稲村城を攻め、里見義豊を自害に追い込
  んだ。
  父:里見義豊を殺された里見義堯が里見義豊を討つという
  里見氏内の全面抗争であった。
  里見義堯が第5代当主となり、家督を継いだ。
  
  ※天文の内訌は、里見分家:里見実堯・義堯父子による宗家
  に対する下克上であったとの見方が強まっている。
   (★ウィキペデイアの説)
  第5代当主:里見義堯はその後は後北条氏と手を切り、
  再び小弓公方方についた。後北条氏や上総武田氏と
  交戦した。

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箕輪初心○千葉【大巌寺館・生実城】&「生実城と小弓城の関係」
http://53922401.at.webry.info/201404/article_12.html
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 ★小弓公方:足利義明の庇護下の前関東管領:憲寛は
  長野業正の養子ととして、里見義樹を斡旋・仲立ち
  可能性がある?
  

・????年 長野業正の養子となり、長野信房を名乗った。
@里見義樹:長野信房は長野業正の甥?に当たる。
A里見義樹:長野信房は長野業正の養子となった。
 B里見義樹:長野信房は後に長野業正の娘を結婚し、養子
   となったのかもしれない。
★危険な状態のため、里見義樹を長野業正に養子として
  預かって貰った可能性が高い。
 また、長野業正が身内として、喜んで養子にした可能性が
 高い。


・天文7年(1538) 第一次国府台合戦
  北条氏綱2万 VS 小弓公方:足利義明・里見義堯など
 小弓公方:足利義明が戦死した。
  里見義堯が大敗した。
  北条氏綱による安房攻めで苦境に陥った。
  
  越後守護:上杉定実と里見義堯が同盟を結んだ。
  
 里見義堯は上総に勢力を伸張した。
安房国の里見義堯は真里谷氏の弱体化により空白地帯となった
 上総国南部に進出した。真里谷氏の配下だった久留里城、大多
 喜城などを攻略し、房総半島での勢力を拡大していった。

・天文13年(1544)長野業正2男:長野氏業(業盛)が生まれた。

・天文15年(1546) 川越の合戦
  長野業正の長男:長野吉業が負傷・・・
  没? 
  
・天文18年(1549) 里見義光没 

・????年 富士見:石井岡城主:石井信房(現前橋市富士見)
  となった。
   里見義樹は長野業政の養子になったが、業盛が生まれたので
   行くことになった。
  ★石井岡城は石井信房が築城したのか、下田大膳の一族が先に
   住んでいたのか不明である。
   現在は下田氏が住んでいるが・・?
  

・天文20年(1551) 長野信業没
 (★黒田基樹先生説では長野信業はいない。)
 (★近藤義雄先生説では長野憲業=長野信業なので1530年没)
 (★長年寺の墓に長野信業はない。) 
  2月 長野信房が鷹留城守将となった。
     鷹留城主は長野業氏であった。
     (★長年寺系図などでは長野業正の兄である。)
石井讃岐守信房と名乗る。


・永禄元年(1558) 石井信房が鷹留城主となった。

・永禄3年(1560) 里見義堯が長尾景虎に越山要請した。
   (★正木家文書)
      長尾景虎の第一次関東出兵

・永禄3年(1560)箕輪城着到帳(★江戸時代に作られた)
客分筆頭に、石井左京大夫讃岐守信房:鷹留城主とある。

「長野氏家臣録」に富沢伊八、十郎衛の名もある。富沢氏は
  『群馬県姓氏家系大辞典』(角川書店)によると、新田一族
  里見系で、始祖義俊とともに里見に移り住んで里見氏の武将
  として仕え、新田荘富沢(太田市富沢町)を領して富沢を
  名乗った。
  (★中嶋講二さん:上毛新聞 2012年6月10日掲載)


・永禄4年(1561) 長野業正没 
  父:長野業正の死により、長野氏業(業盛)が14歳で家督を
  継いだ。

・永禄6年(1563) 石井信房没 2月21日、討死。31歳。
武田勢に滅ぼされた。
  ※石井信房ではなく、長野業氏が死んだとする説
  (黒田基樹先生説)
  
・永禄9年(1566) 箕輪城落城


〜〜〜箕輪城シリーズ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
箕輪初心:生方▲箕輪城180【長野業正の妻】&子ども
http://53922401.at.webry.info/201512/article_4.html


箕輪初心:生方▲箕輪城179●20151126森田真一先生講演会
『上杉氏・長野氏・里見氏』
http://53922401.at.webry.info/201512/article_1.htm


*****(中略)********************

・慶長7年(1602) 2月 井伊直政が死去した。
  「花」は出家し、東梅院(後唐梅院)と号した。
  出家後は12歳の直継をささえていた。

「花」が高崎安国寺を分寺させ、宗安寺を建てさせた。
  
井伊谷譜代・徳川御附人・今川遺臣・武田遺臣・上野国出身者
 らは井伊家は直政の死をきっかけに制御を失い、家臣間の内紛が
 始まる。鈴木重好 VS 椋原・西郷・・木俣が抑え役・・・
 騒動は家康の介入で収まった。
 しかし、井伊直継は指導力不足を問われることになったとされる。

・慶長19年(1614) 井伊直政の長男:直継(→直勝)は彦根藩
 2代藩主となるはずであったが、病弱を理由に弟:直孝が彦根藩を
 継いだ。井伊直勝が安中藩に分地され、安中藩3万石で入封した。
 井伊直勝は彦根藩2代藩主であった履歴も抹消された。

★安中藩に来た者92名*******************
 (★『井伊達夫氏所蔵文書』:彦根市史P374)
・松下一定・高冬(井伊直政従兄弟:中野直之次男:安中藩第一家老)
・小野朝之(井伊直政従兄弟:安中藩第2家老)
・鈴木主馬(井伊直政従兄弟:鈴木重好:井伊直政従兄弟)
  (彦根藩第一家老であったが、トラブって飛ばされた。上記)
・菅沼淡路(井伊直政の従兄弟)
★井伊直勝には遠江の井伊谷(静岡県浜松市)以来の家臣が従ったと
単純に言う人がいるが、大物は6人だけである。

●上野国出身者と思われる家臣*****
・萩原図書(井伊直孝の養育者→安中に戻った?)
・里見内蔵丞●(長野業実の祖父の親戚)
  @長野憲業の娘は安房里見義尭に嫁ぎ、子ども:里見義樹
    (石井信房)は長野業政の養子となった。
   (★『安中・石井泰太郎氏所蔵系図』)
   ※『中世の西上州』では、黒田基樹氏は石井系図を
    採用している。

  A「安房里見一族であるが箕輪でぶらぶらしていて井伊直政の
    家臣になった。」
   (『侍中由緒帳』:里見家)
   安房の里見家の一族には違いない。
  @Aのことから、箕輪に来ていた理由を考えると
  「長野憲業の娘の嫁ぎ先:里見義尭の子:里見義樹(石井信房)
  の子孫は石井家と里見家に分かれた一族の末裔とも考えられる。
  安房里見義尭・義樹の一族には違いないと思われる。
B 彦根から安中藩家老として入った:里見内蔵丞一族の帰農した
   分家の墓とも考えられる。
  
 ※「里見吉政戦功覚書(館山市立博物館収蔵文書)」:竹井英文著
  (★『里見の郷再発見伝bR冊子』)
里見吉政は天正5年(1577)生まれである。
里見吉政が寛永5年(1628)2月9日に息子:里見金平・源四郎
   里見吉政自身の戦歴を書き綴った覚え書きである。
 ※榛名のK中嶋氏がHpで「里見吉政の墓はかつては秋間の善応寺
  (現山吹保育園)の場所と思われる。新幹線榛安中駅開設為入り
  口道路ため、北野寺近く安中の秋間馬場?の共同墓地移ってきた。
   墓石に「寛永5年 (1628)」と読めませんか?」
  とあるが、宝永3年(1706)と書かれているようである。

●群馬県立文書館  
@ 書状(御機嫌伺い並び上州の山林売却の件お尋ね)
  8月18日 井 掃部 直孝(花押)
  宛手先…里見内蔵丞・青木五郎兵衛・小野八右衛門  折・1通
A書状(兵糧馬飼料、伝馬の件並び小袖など贈呈)
 9月5日 浅 弾少 長政(花押)
  宛先…里見 蔵丞 折・1通




・和田主殿●(和田城主:和田信業の子ども)
▲和田(一族のだれか高崎に戻ったようである。)
★彦根藩家老・侍大将クラスが3人いる。

・浜野喜兵衛●(高崎の大工頭→士分→安中へ)
・小沢弥兵衛●(旧富士見村→長野業政の
・三沢与五郎右衛門●(★諏訪一族→武田家臣→)
・松本与十郎▲(安中ふるさと学習館上の城→武田家臣→・・)
・・・・(略)
●印…上野国確実、▲…たぶん上野国、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
▲飯島半右衛門(信濃飯島城主→和田で味噌屋高崎で町人になり、
    味噌・糀屋になった?)
▲関(箕輪に戻ったのだろうか?)
▲岸(長尾一族→旧群馬町在、高崎金古に戻ったのだろうか?)
★上記の3人は『侍中由緒帳』に出ていない。

★安中景繁の一族は彦根に留まった。


・元和元年(1615)
一時期は廃城となっていたが、井伊直勝が安中藩の初代藩主とな
なったので、井伊直勝は安中城を再建した。築城当初は陣屋程度の規
模であった。また、町割りを行い、宿場の整備を進めた。
 安中宿も上野国の宿で一番小さかった。

  碓氷郡関長原の関と吾妻川の杢ヶ橋関所の警護のために安中に
 下り、安中の地に屋形を造り、中山道沿いの町割りを行った。
直勝は城下町建設に尽力した。寺も保護した。

▲安中の龍潭寺
 安中藩家老松下志摩守一定が建.立した。
 井伊谷の龍潭寺 5 世昊天.・宗建が「井徳山龍潭寺」
 と名付.け、弟子の大龍和尚を遣わした。
 安中市安中3-19-25. 龍潭寺跡
   ※小字名「龍丹寺」として残っている。


▲安中の長源寺
 愚明正察は安中の長源寺住職→箕輪の長純寺住職
   →彦根の清涼寺(長源寺末寺)→白井の双林寺

箕輪初心●群馬【後閑城@】&長源寺&満行寺
http://53922401.at.webry.info/201211/article_19.html


▲安中の西廣(光)寺
井伊直勝が開基した。


・元和4年(1618) 井伊直好が井伊直勝の長男として
  安中で生まれた。

・元和9年(1623) 井伊直政の最初の長者ガ原から、
 現在地:上横川に関所を移した。
井伊直勝は碓氷の関所と堂峰番所を造らせた。

  井伊直政の正室と直好(二代藩主)の生母の墓は大泉寺
  にある。

▲北野寺
 直孝(直勝の弟、彦根藩主)が幼少期を過ごした北野寺
  (安中市下後閑)は、その後も彦根藩から庇護を受けた。

▲威徳神社
・寛永3年(1626) 井伊直孝が下後閑に威徳神社を建立させた。
  (★北野寺隣)

・寛永9年(1632)12月15日、井伊直勝は家督を子の直好に譲って
  隠居した。

▲補陀寺
・寛永13年(1636) 松下一定と鈴木重信は松井田補陀寺の
  本堂を再建した。


▲大泉寺
・寛永16年(1639) 7月3日唐梅院が死去。
  戒名:唐梅院殿台誉崇玉大姉。法名:清泉院
夫:井伊直政の死後、息子を見守り続けた人生だった。
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▲大泉寺
・正保元年(1644)井伊直勝の側室:お岩の方が亡くなった。
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・正保2年(1645)安中藩2代目:井伊直好の時、三河国西尾へ
  転封となった。

・万治2年(1659)6月28日(8月16日)井伊直孝が亡くなった。
 久昌院殿豪徳天英大居士
  墓所…東京都世田谷区大溪山豪徳寺
▲安中久昌寺に安中忠政と井伊直孝の位牌がある。


箕輪初心●群馬【安中城】=安中一族→井伊一族・・・板倉一族
http://53922401.at.webry.info/201211/article_12.html

◆◆ 箕輪初心★安中忠政&安中忠成 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_10.html

◆◆ 箕輪初心◆安中の遠足 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_4.html

◆◆ 箕輪初心★大山融齋などの安中藩学者 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★新島襄 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★安中自性寺焼:青木昇【黄綬褒章】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html



************************

箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
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箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
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箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
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箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
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箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
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箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
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箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
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箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
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箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
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箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
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箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
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箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
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箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
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箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
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箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
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箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
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箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
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箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
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箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
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箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
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箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
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箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
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箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
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箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
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箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
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箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
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箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
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箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
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箕輪初心:生方▲彦根N『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪
・高崎類推足軽長屋
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箕輪初心:生方▲彦根O『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』
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箕輪初心:生方▲彦根P『近江牛』→『キリスト教会』
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箕輪初心:生方▲井伊直政170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
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箕輪初心:生方▲彦根Q『彦根城二の丸=2郭の井伊家家老』
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箕輪初心:生方▲彦根S3郭『埋木舎』&「池田太右衛門家」
・「鈴木権十郎家」
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箕輪初心:生方▲井伊直政171&彦根21『木俣守勝と木俣守安』
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箕輪初心:生方▲井伊直政172彦根22『長野業実』と縁者開山の寺
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箕輪初心:生方▲井伊直政173&彦根22『井伊直政の生涯』復刻版
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箕輪初心:生方▲井伊直政174「家臣安中氏の歴史」と『井伊直勝と安中城』
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箕輪初心:生方▲井伊直政175『井伊直政正室:唐梅院と安中大泉寺』
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箕輪初心:生方▲井伊直政176『家臣:里見内蔵丞』と「安中秋間の里見家の墓の謎」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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