城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政174「家臣安中氏の歴史」と『井伊直勝と安中城』

<<   作成日時 : 2018/02/15 08:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

安中城は戦国時代、安中氏が武田信玄の侵攻に備え、碓氷川と九
十九川の間の台地に築いた城である。松井田城主:忠政(重繁)
の妻は長野業政の娘であった。子は元安中城主:安中忠成(景繁)
は武田信玄の侵攻で武田家臣になった。安中景繁の妻は長野業政
の娘である。武田に屈すると甘利昌忠の妹を嫁にした。真田昌幸と
の付き合いも深かった。しかし、安中景繁は長篠の戦いで甘利昌忠
の傘下に入り、戦死した。子は真田に世話になった子もいる。
天正18年(1590)以降、安中忠成(景繁)一族は井伊直政の家臣
になった。
が、北条家の家臣になっていた一族か武田氏の家臣
のまま牢人して過ごした一族かは不明である。
・慶長19年(1614) 井伊直政の長男:直継(→直勝)は彦根藩
2代藩主となるはずであったが、病弱を理由に弟:直孝が彦根藩を
継いだ。井伊直勝が安中藩に分地され、安中藩3万石で入封した。
安中一族は彦根に留まった。安中佐右衛門家・安中沖右衛門家・
安中半右衛門家 (★上野国安中)である。
画像



箕輪初心●安中一族の城【原市城→榎下城→松井田城→安中城】
http://53922401.at.webry.info/201211/article_13.html

◆◆ 箕輪初心★安中一族:安中忠政&忠成 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_10.html

◆◆ 箕輪初心★安中の城一覧35城  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_11.html

◆◆ 箕輪初心●安中城  ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_12.html

箕輪初心●群馬【安中城】=安中一族→井伊一族・・・板倉一族
http://53922401.at.webry.info/201211/article_12.html

◆◆ 箕輪初心◆安中の遠足 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_4.html

◆◆ 箕輪初心★大山融齋などの安中藩学者 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_26.html

◆◆ 箕輪初心★新島襄 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201110/article_27.html

◆◆ 箕輪初心★安中自性寺焼:青木昇【黄綬褒章】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201211/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html



◆◆ 安中城の歴史 ◆◆
・戦国時代
安中氏は碓氷郡に古くからいた一族ではなく、越後国から
 碓氷郡の野尻・松井田へ移住してきたとされる。
・永正4年(1507)安中顕繁がいたことが分かる。
(★貫前神社所蔵兜前立裏銘にある永正四年安中宮内大輔顕繁
   の文)
 
 安中忠清によって、榎下城(えげ:元久昌寺)が築かれた。
 

・永正4年(1507) 上杉顕定の養子:上杉憲房と上杉朝良の妹の婚姻
 が成立して山内・扇谷両家の同盟関係が復活した。
★私見・・この時、同時に長尾顕忠の娘は扇谷上杉朝良の室になった
 のではないだろうか。

・永正7年(1510)長森原の戦い(永正の乱の一部)
山内上杉顕定が戦死すると山内上杉憲房も撤退した。

・永正9年(1512) 6月 上杉憲房の長年寺禁制を出した。

10月 前長野憲業の壁書・・・吾妻出陣祈願。
(★長年寺文書)
・永正10年(1513) 長野憲業が 榛名神社巌殿寺宛に
  大戸要害の落居を願文を出した。
(★長年寺文書)
★何故、長年寺か?
最初の長純寺は水草(箕郷町下芝)にあり、
水害で流されていた。

  箕輪初心:生方▲箕輪城180【長野業正の妻】&子ども
http://53922401.at.webry.info/201512/article_4.html

「長野業正の正妻は扇谷上杉朝良の娘である。」
 私は理由を考えた。★上杉憲房が自分の妻の兄:上杉
朝良の娘を長野業正に嫁がせることで、権勢を維持しようとした
からであると考えた。

・永正11年(1514) 長野一族?榛名神社に制札をだした。

・大永4年(1524)
惣社長尾家の長尾顕景と白井長尾家の長尾景誠が北条氏綱・長尾為景
と結んで関東管領上杉憲寛に叛旗を翻した。
長野方業が惣社長尾氏の重臣:徳雲斎を調略したことが知られている。
(★久保田順一先生講演会より)
箕輪初心:生方▲箕輪城180【長野業正の妻】&子ども
http://53922401.at.webry.info/201512/article_4.html



・大永6年(1526)長野信業は長子:業氏に
   鷹留城を与えた。
(★群馬県史)
 ※長野憲業=信業同一人物説もある。(近藤義雄先生)

・大永7年(1527)
11月27日 箕輪の長野左衞門太夫方業、総社長尾顕景・
白井長尾景誠の排除を徳雲軒と謀る。
12月16日 箕輪の長野左衞門太夫方業、厩橋宮内大輔と
ともに総社城を攻めすすめる。  
(★上杉家文書:山田邦明2002)

・享禄元年(1528) 長尾景誠が家臣に殺された。
長野信濃守業正、これを聞き白井を攻略し、惣社長尾に景房
を招き、正統をを継承させる。
長尾景誠の母は長野信濃守業正の母と記されている
(★史跡箕輪城発掘調査報告第8集:一般には限定100部)
★でも、長野業正の母ではなく、

●▲■長野左衛門大夫方斎は箕輪城主とみられている。
@『日本城郭大系』では、箕輪城主の長野信業
『箕郷町誌』(箕郷町1975年)では長野信業=方斎
   (★近藤義雄先生)
A『群馬新百科事典』(上毛新聞社2008年)の「長野氏」
  (飯森康広著)
 では長野方業=長野業正(★正式名:業正である)
 同一人物説・・・花押も同じ。
B『群馬県史 通史編3』では。長野方業=方斎』
C戦国のコミュニケーション』(山田邦明著2010)
方斎ではなく、方業である。
D黒田基樹論文 方斎は方業の誤読とする。
  厩橋長野方業が箕輪長野氏に養子に行った説。
E厩橋宮内大夫も諸説ある。
◆◆ 箕輪初心●【箕輪城87:飯森康広氏の新説】 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201212/article_2.html

箕輪初心★箕輪城101「長野氏」の研究:近藤・山崎・飯森・久保田
http://53922401.at.webry.info/201310/article_6.html



・享禄2年(1529)〜享禄4年(1531) 関東享禄の乱(黒田基樹説)
・享禄2年(1529)
1月24日 山内上杉家家臣:白井長尾景誠が長尾八郎に謀殺される
   (『続本朝通鑑』)
8月14日 上杉憲寛が上野国碓氷郡:安中城の安中氏討伐を開始
   した。同盟関係にあった扇ヶ谷上杉朝興からは制止されたが、
    これを無視した。
   (『続本朝通鑑』)
9月22日 西氏と小幡氏が上杉憲政を擁立した。
   上杉憲寛に対して謀反を起こした。
 ・・・・山内上杉家の内紛が発生した。
  上杉憲寛による安中氏討伐の背景には、長野氏と安中氏の対立が  
  あったと考えられる。

  (★黒田基樹)
  長野氏・高田氏が擁する上杉憲寛
     VS 安中城付近で交戦
  小幡氏・安中氏・藤田氏らが擁する上杉憲政

  上杉憲寛は長野方業を随行させながら、安中城から程田
  (高崎市保渡田)に後退した。
    (★『続本朝通鑑』) 

・享禄3年(1530)
5月 
「左衛門尉」(小幡)が上野国多胡郡仁叟寺(吉井町)に対して
 禁制を与えた。
  甘楽郡高田城(富岡市旧妙義町)周辺で合戦があった。
5月21日 上杉憲寛が高田憲頼の注進により、被官:守山与五郎の
  戦勲に対して感状を発給した。
10月25日 上杉憲寛が用土新三郎(業国)領の武蔵国男衾郡赤浜
  を被官:三富平六に与えた。
・享禄4年(1531)
9月3日 上杉憲政が関東管領を継ぎ、憲寛は上総国の宮原
(市原市)に退去して、晴直と名を改めた。
 (★黒田基樹著)
●結果
1)古河公方家では足利晴氏が公方の地位を確立し、高基は隠棲。
2)山内上杉家では上杉憲政が家督を継ぎ、憲寛は敗れて上総宮原
  (市原市)にて隠棲。
結果:足利晴氏が古河公方、上杉憲政が関東管領の地位を確立した。

※箕輪長野方業が敗れている。
上杉憲寛方の諸氏は許された。

長野方業の後継者とみられる長野業正(★黒田基樹)
あるいは長野方業の娘を小幡憲重に嫁がせた。
その後、箕輪長野方業の養女になっていたとみられる沼田顕泰の娘を
安中重繁に嫁がせた。
さらに、安中重繁の娘を高田繁頼に嫁がせた。
これによって、和解が図られている。
◆参考文献
・『戦国関東の覇権戦争』黒田基樹著 
・『戦国北条氏五代』黒田基樹著 
・『戦国期山内上杉氏の研究』黒田基樹 
・『西上州の中世』:黒田基樹著:安中市ふるさと学習館

箕輪初心:生方▲「関東享禄の乱」

箕輪初心:生方▲箕輪城189『古文書史料に基づく長野氏・箕輪城の関連年表』
http://53922401.at.webry.info/201606/article_24.html

 *箕輪城長野業政は沼田城:沼田顕泰の女:松尾姫を
  安中忠政に媒酌した。
 *長野業政の女を安中忠政の子:忠成の女婿にした。
  (★安中市誌)
 ※近藤義雄先生は、娘婿に安中忠政はいない説であるが、
 長野業政の系図16のうち、安中忠政に嫁いた女も
 いる。
★私見・・・絶対、地理的戦略上の都合で関係がある。

安中氏は、平井城上野国を支配していた関東管領の山内上杉氏の
 配下であった。
 安中顕繁の後継の惣領は安中長繁であったことが知られている。

 川越夜戦ののち北条氏康が上野に侵攻してきた。
 河西衆:長野・小幡・安中氏などは侵攻側の北条方についた。
 
 安中氏は北条氏康に変わった安中宗家長繁系統と、山内上杉憲政
 に従った安中七郎太郎系に分裂してしまった。

 ※惣領であった安中長繁については北条方に変わったとする説
 ※安中七郎太郎を長繁本人または後継者であるとして、上杉憲政
 の没落とともに惣領家の交替があったとする説。その後七郎太郎系
 は上杉憲政について越後へ行くが消息不明となっている。

黒田基樹「戦国期安中氏の動向」
  安中市学習の森ふるさと学習館編『西上州の中世』2010年
 『戦国期 山内上杉氏の研究』岩田書院、2013年


・弘治年間頃    武田信玄が西上野に侵攻。
瓶尻の戦い
  長野氏など  VS 武田信玄

・永禄2年(1559)  安中忠成が築城?(伝) 
   安中城の忠成は松井田城に移り、警護した。
   安中越前守忠政は長野業政の娘婿で武田信玄の野望を
   側面から脅かす目的で安中城を築城した。
 安中越後守忠政が古来野尻(のじり、野後)と呼ばれていた
   野尻を「安中」に改めたことに始まるといわれている。

  上野国は、北から越後の上杉、西から甲斐の武田、南から小田原
  の北条という戦国大名の三つ巴の戦いの場となっていた。

・永禄3年(1600)長尾景虎の第1次関東出兵


・永禄4年(1601) 第4次川中島の戦い
  武田・上杉間の争いは上野方面へ移った。
  長尾景虎が小田原攻めをしているとき。武田信玄は西上野侵攻
  を開始する。
  安中城を持つ安中惣領家:安中重繁が箕輪城主長野業政と結び
  上杉方に属し抵抗した。
6月24日 長野業政が死んだ。

・永禄5年(1562) 9月
   安中景繁は武田方に服属した。
   武田家臣曽根虎長が取次を務めている。
   安中景繁は武田方として箕輪城などの攻略に参加した。

・永禄6年(1563) 安中城は武田信玄の箕輪城後略の前線基地であった
   息子安中忠成は武田の支配下した。
  (ここで、説が分かれる。)
   甘利信景(昌忠)、原隼人、小幡信定等の武田軍に攻撃
      →安中左近忠成は善戦空しく降伏開城した。
   武田信玄は安中左近を戦振りと降伏の潔さから
    武田家臣団に加え、城代として安中城に留城。

・永禄7年(1564)安中城主:安中忠成は武田氏に降伏。
    父忠政は松井田城に籠って防戦したが力尽きて開城。
    父忠政は自刃または切腹を申し渡されたが、
    嫡子忠成は所領を安堵され安中城主となった。

・永禄8年(1565)  武田氏の箕輪城攻略に35000人・・・

・永禄9年(1566)  安中城はすぐ降参→武田氏の支配下。
  (安中城及び松井田城の落城は永禄9年説も有る。)
   
 ・安中左近忠成は武田家の重臣:甘利信景の妹と
      結婚し、重用された。
★安中忠成→安中景繁と改名?
 ※安中教育委員会での見解は
  安中忠成=景繁=広盛は同一人物である

9月29日 箕輪城は武田信玄に後略された。


・天正3年(1575) 長篠の合戦に安中景繁は従軍した。
      安中氏一族は安中景繁以下討死した。  
      →安中一家・家来全滅した。
      →廃城。50年近く、荒廃。

・天正18年(1590)?安中忠成(景繁)の子は井伊直政の家臣になっ
 た。井伊直政は上野国の12万石の所領から名門を探して家臣に
 していた。

・文禄4年  直孝(直勝の弟、彦根藩主)が幼少期を北野寺で
  過ごした。安中出身の萩原図書が面倒を見た。
  北野寺の秀算から学問を学んだ。

 
・慶長6年(1601)1月?2月? 井伊直政は佐和山城に入った。
 安中は飛び地として残っていた。
 
 安中の北野寺から豊山派本山:奈良の長谷寺に移っていた秀算
 に彦根北野寺を創建させた。

 
・慶長19年(1614) 井伊直政の長男:直継(→直勝)は彦根藩
 2代藩主となるはずであったが、病弱を理由に弟:直孝が彦根藩を
 継いだ。井伊直勝が安中藩に分地され、安中藩3万石で入封した。
 井伊直勝は彦根藩2代藩主であった履歴も抹消された。



★安中藩に来た者92名*******************
 (★『井伊達夫氏所蔵文書』:彦根市史P374)
・松下一定・高冬(井伊直政従兄弟中野直之次男:安中藩第一家老)
・小野朝之(井伊直政従兄弟:安中藩第2家老)
・萩原図書(井伊直孝の養育者→安中に戻った?)
・里見内蔵丞●(長野業実の祖父の親戚)
  @長野憲業の娘は安房里見義尭に嫁ぎ、子ども:里見義樹
    (石井信房)は長野業政の養子となった。
   (★『安中・石井泰太郎氏所蔵系図』)
   ※『中世の西上州』では、黒田基樹氏は石井系図を
    採用している。

  A「安房里見一族であるが箕輪でぶらぶらしていて井伊直政の
    家臣になった。」
   (『侍中由緒帳』:里見家)
   安房の里見家の一族には違いない。
  @Aのことから、箕輪に来ていた理由を考えると
  「長野憲業の娘の嫁ぎ先:里見義尭の子:里見義樹(石井信房)
  の子孫は石井家と里見家に分かれた一族の末裔とも考えられる。
  安房里見義尭・義樹の一族には違いないと思われる。
B 彦根から安中藩家老として入った:里見内蔵丞一族の帰農した
   分家の墓とも考えられる。
  
 ※「里見吉政戦功覚書(館山市立博物館収蔵文書)」:竹井英文著
  (★『里見の郷再発見伝bR冊子』)
里見吉政は天正5年(1577)生まれである。
里見吉政が寛永5年(1628)2月9日に息子:里見金平・源四郎
   里見吉政自身の戦歴を書き綴った覚え書きである。
 ※榛名のK中嶋氏がHpで「里見吉政の墓はかつては秋間の善応寺
  (現山吹保育園)の場所と思われる。新幹線榛安中駅開設為入り
  口道路ため、北野寺近く安中の秋間馬場?の共同墓地移ってきた。
   墓石に「寛永5年 (1628)」と読めませんか?」
  とあるが、宝永3年(1706)と書かれているようである。
  
  
・鈴木主馬(鈴木重好:井伊直政従兄弟)
  (…第一家老であったが、トラブった)
・和田主殿●(和田城主:和田信業の子ども)
・菅沼淡路(井伊直政の従兄弟)
・岡
・浜野喜兵衛●(高崎の大工頭→士分→安中へ)
・小沢弥兵衛●
・三沢与五郎右衛門●
・松本与十郎▲
・・・・(略)
●印…上野国確実、▲…たぶん上野国、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
▲飯島半右衛門(信濃飯島城主→和田で味噌屋高崎で町人になり、
    味噌・糀屋になった?)
▲関(箕輪に戻ったのだろうか?)
▲岸(長尾一族→旧群馬町在、高崎金古に戻ったのだろうか?)
▲和田(一族のだれか高崎に戻ったようである。)

★安中景繁の一族は彦根に留まった。


・元和元年(1615)
一時期は廃城となっていたが、井伊直勝が安中藩の初代藩主とな
なったので、井伊直勝は安中城を再建した。築城当初は陣屋程度の規
模であった。また、町割りを行い、宿場の整備を進めた。
 安中宿も上野国の宿で一番小さかった。

 碓氷関所・杢の両関所の警護を担う拠点でもあった。
井伊直勝は碓氷の関所を井伊直政の最初の長者ガ原から、
 現在地に移した。
直勝は城下町建設に尽力した。
 寺を保護した。

  井伊直政の正室と直好(二代藩主)の生母の墓は大泉寺
  にある。
 直孝(直勝の弟、彦根藩主)が幼少期を過ごした北野寺
  (安中市下後閑)は、その後も彦根藩から庇護を受けた。
 

・寛永9年(1632)12月15日、井伊直勝は家督を子の直好に譲って
  隠居した。

 
・正保2年(1645)安中藩2代目:井伊直好の時、三河国西尾へ
  転封となった。

・万治2年(1659)6月28日(8月16日)井伊直孝が亡くなった。
 久昌院殿豪徳天英大居士
  墓所…東京都世田谷区大溪山豪徳寺
  ★安中久昌寺に安中忠政と井伊直孝の位牌がある。




箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html

箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_8.html

箕輪初心:生方▲彦根N『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪
・高崎類推足軽長屋
http://53922401.at.webry.info/201802/article_9.html

箕輪初心:生方▲彦根O『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_10.html

箕輪初心:生方▲彦根P『近江牛』→『キリスト教会』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html

箕輪初心:生方▲彦根Q『彦根城二の丸=2郭の井伊家家老』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_14.html

箕輪初心:生方▲彦根S3郭『埋木舎』&「池田太右衛門家」
・「鈴木権十郎家」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政171&彦根21『木俣守勝と木俣守安』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_17.html

箕輪初心:生方▲井伊直政172彦根22『長野業実』と縁者開山の寺
http://53922401.at.webry.info/201802/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政173&彦根22『井伊直政の生涯』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201802/article_19.html






★明日は「井伊家と安中関係」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲井伊直政174「家臣安中氏の歴史」と『井伊直勝と安中城』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる