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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政172彦根22『長野業実』と縁者開山の寺

<<   作成日時 : 2018/02/13 08:22   >>

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長野業実は@『系図纂要』・『長野十郎左衛門家系図(侍中由緒帳)』
では、箕輪城主:長野業政(正)の孫となっている。A『新編高崎
市史』では庶流としている。別系図では鷹留長野業氏の孫としている。
箕輪・高崎から彦根に移った寺は、開山には長野業実の親戚縁者・
関係者が関わっている。彦根の大信寺・大雲寺・宗安寺(←安国
寺)・長純寺があるが、長野業実の親戚:鷹留長野氏の末裔が開山
となっている。清涼寺も箕輪長純寺(長野氏菩提寺)僧であった
愚明正察が開山となっている。蓮着寺(←法華寺)も高崎の僧が
開山となっている。その他、井伊直政の家臣には、長野業実の祖父
:長野業政(正)の親戚縁者が多くいると思われる。
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(★長野十郎左衛門家→彦根東高校)


【1】長野業実とは?
【系図1】「長野弾正氏所蔵の長野氏系図】
@長野業尚→A長男憲業→長男:業氏:鷹留城→業通
      次男:信業
       3男:方業     
            次男:B業政→吉業
                  C業盛→亀寿丸=鎮良
                  女子12人 
  3男:直業(箕輪富岡)

 

【系図2:「長野記・・・長野氏系図?」】
@長野業尚→A憲業→長男:業氏(鷹留城)
          B次男:業政→吉業 
氏業
女12人

※長野業尚・・・箕輪に城を築き・・とある。
●長野業氏の子ども*******************
●長男:長野業通 (?〜?)
長野業氏の長男。鷹留城主。
長野業正の12女を娶ったという系図もある。
鷹留城は箕輪城に近く、箕輪長野氏の重要な拠点だった。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ兵数100で防戦。
しかし、鷹留城が落城し、弟の業固とともにに吾妻に
逃れた。子は広賢とある。

●女5人
●次男:大森別当 (?〜?)
「長野記」、「箕輪城及鷹留城子孫記」に長野業氏の子として
 記されている。
●3男:長野業勝 (?〜1566)
 長野業氏の次男または3男である。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。
●4男:長野業固 (?〜?)
 長野弾正忠。
「箕輪城及鷹留城子孫記」では信州上諏訪に移り、長野次郎
 右衛門と名を改め、上諏訪で没したという。
 子は業利である。
●5男:長野業広 
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。

●6男・長野勝業 (?〜?)
 ※「和田山極楽院長野氏系図」には長の業正の末弟:信業
 の長男と記されている。
 長野新六郎。長野方業の養子となった。
・永禄9年(1566)、武田信玄に攻められ箕輪にて討死した。
    
【系図3】(略)

【系図4】(略)

【系図5】「箕輪城及鷹留城子孫記」
@「箕輪城及び鷹留城子孫記」・・・天保9年8月9日
 {群馬県議会図書室所蔵文書}」
業政・・→業鷹(沼田腹の子・・★たぶん沼田顕定の娘
    →女子12人
    →氏業右京進業盛(保渡田腹の子)・・・
        後、鎮良。極楽院の長野。
       →忠業=後、道場(浜川町道場)の長野
→次男:大森の別当
        →三男:忠業(信州に在住後、○○城で死亡)
         ・・・・→正業(★下仁田の長野氏)
三河守業氏・→長男:業通・→長男:業広(春日山高田在)
      →次男:彦根長純寺の僧(井伊家中老・家老)
     →三男:上州岡本(富岡市神農原)の西法寺住職。
        →女三人
        
「長年寺所蔵文書長野氏系図」
{新編高崎市史1964資料編4}」
@長野業尚→A憲業→業氏(鷹留城)→業通
   ↓       ↓    女子3人
   ↓       ↓   大森別当
  ↓       ↓    業固
  →方業(厩橋城)↓    勝業(箕輪城討死に)
          ↓      業固
         ↓    
         →B業政→吉業
              D業盛(=氏業)→業国 亀寿丸
       「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
                      女子12人 
 


【系図18】『長野十郎左衛門家系図』(★侍中由緒帳)
美濃守業正→出羽守業親→@伝蔵・十郎左衛門・民部・業実(真)
→A業輝「朝翁」・・・(略)
(付箋)「四千」 (付箋)「伊豆」
長野十郎左衛門
(付箋)「三代目」
是ハ父十郎左衛門書出シ之趣
一右拙者祖父長野十郎左衛門(業実)儀、上州長野信濃守(業正)
 子出羽守(業親)与申者之嫡子二而御座候、未幼少二而伝蔵与
 申時分、伝蔵母、直政様兼而御存知被遊候者故、御言を被為添
 大権現樣江伝蔵被召出候、其以後右之御由緒二付
 大権現様江直政様被仰上、伝蔵御家江被召寄、直政様御小姓御奉公
 相勤候、件之士合故、大権現樣御代二者御奥方迄奉窺御機嫌、
 献上物、就夫
 大権現様御近習之御城中より御披露御機嫌之御事御文被下、御
 奥方御取次黒田御左衛門(光綱)殿預御状候、南光坊(天海)・
 竹之坊より書状給、
 大権現様十郎左衛門之先祖之事迄御尋被遊候由被申聞、右之書状
 共至唯今所持仕候
一甲州新府若神子台、信州真田御陣、小牧御対陣、長久手、蟹江
 (旧字使用)小田原、九戸、関ヶ原、大坂両陣毎度御供仕候、
 就中、天正十八年寅年、小田原御陣二而笹曲輪御東御乗取被遊
 候刻、伝蔵儀、備前三郎国宗之御刀、従直政様被下置、於唯今
 所持仕候、且又其節太閤秀吉公御前江伝蔵被召出、御懇之上意
 其上栗毛之御馬、木下半助殿(吉隆)を以拝領仕、殊二椙原伯耆
 守(長房)殿、御陣屋二而御料理被下置、別所豊後守(吉治)殿、
 蒔田権之助殿、竹中丹後守(重門)殿御出、御馳走被成候、
一小田原御陣御帰陣之年、天正十八年、上州浜川之郷(現在の高崎
 市浜川町…長野氏が一番最初に住んだ場所)二而御知行千貫五百
 文拝領仕候、則御役人衆地方配当之書付所持候
一関ヶ原御陣翌年、慶長六年(1601)丑之年、御知行弐千石、地方割
 御役人衆書付所持仕候、
一大坂御陣之後、古庵原助右衛門(朝忠)与同時二御家老役并侍之
 組頭被仰付候
一元和四年(1618)午之年、御加増五百石拝領仕候、
一寛永四年(1627)卯之年、御加増五百石拝領、都合三千石被仰付候、
 此時分十郎左衛門、名民部与申候
一寛永拾壱年(1637)戌之年より御家中御仕置役被仰付相勤候得共、
 年過病者二罷成、御断申上候二付、御免被遊候、病中慰二可由
 御懇之御意二而、郡内栗毛之駒拝領仕候、其後、御鷹之鶴被置、
 段々難在御意共二而御直筆之
一慶安弐年(1649)丑之十月、病死仕候、病中従
 直孝様色々御墾之御意二而御家老中へ
 御書被下置、并十郎左衛門父子江も御書被成下、煩養生仕候儀
 御奉公与付、油断無之様二被下、右三通之御書頂戴仕・翌日
 相果候
一右祖父十郎左衛門儀、年若キ時分名字匂坂与申候時節茂御御座
 候得共、其後本名二被仰付候



【系図19】「系図纂要」の「長野氏系図」(★群馬県立図書館蔵)
★私が知り得た長野氏系図は19となる。
長野業綱→業行→業高→業景→業久
信業→業正→業盛→業輝→業真
定俊→藤井豊前守
●長野業正・・・信濃守。右衛門大夫。永禄四年六廿一卒七十一
●長野業盛
●長野業輝・・・長野伝蔵。天正十八年属井伊直政、在小田原
※久保田「井伊家に仕えた家系伝承と一致する。」
似た系図に「石井泰太郎氏所蔵系図:箕郷町誌」
箕輪長野氏と室田長野氏の系譜を示している可能性がある。


3)鷹留長野氏・・長野業氏(長野業政兄)鷹留長野氏の祖。 
@「珠山玄宝」=鷹留(室田)長野業茂
   (★彦根藩の長野初代業実の8親等)
  長野業氏(長野業政兄)→長野業通(長野業政の娘婿)
   →次男:業茂
  業通の次男:業茂は、箕輪城落城後に仏門に入った。
  「珠山玄宝」と名乗って、和田山の金富山長純寺の住職になった。
  井伊直政・直勝・直孝に従い、彦根に移住し、彦根長純
   寺を開いた(伝)
A「曇廊」=鷹留(室田)長野業亮
  (★彦根藩の長野初代業実の7親等)
   長野業氏の次男:業亮は、長野氏が健在の頃から和田山
  大雲寺にあり、大森別当・曇廊などという。
   箕輪城落城後に住職となり、井伊氏の移動に従って高崎
   大雲寺住職になった。
   彦根大雲寺を開いた。(大雲寺記録)。
B「珠山玄宝」の長野民部は「珠山玄宝=長野業茂」の出家前にもうけた
    次男:業源のことだとされている。
(天保9年(1838)徳川家が長野業正の子孫を探した時、
   長野氏関係の寺院が連署で幕府に提出した報告書)
  向坂伝蔵(→長野業実→長野民部と名乗った。)となるので、
  この系図であると、@、Aとは別系図と違う長野業氏の孫となる。 
C長野業氏→長野業通→業亮(=曇廊和尚)
   →業亮の子:成誉典応
   彦根宗安寺の開山   
  (天保9年(1838)「大雲寺寺歴書」)
D長野業氏→長野業通→長野業亮(=珠山玄宝)
   の子:業連(「宗安寺記」)

E源宝説(★『彦根市史』p606~607)



*******************************
▲【1】箕輪の大雲寺→高崎の大雲寺→彦根の大雲寺
@箕輪大雲寺(東明屋
箕輪城落城後、鷹留長野業氏の次男:業亮は和田山大雲寺の住職と
なった。大森別当:曇廊と名乗った。
A高崎大雲寺
B彦根大雲寺
・慶長10年(1605) 
A、箕輪の曇都が開山した。
B、箕輪の大森別当:曇廊は井伊氏の移動に従って彦根大雲寺を開いた。
  長野曇廊和尚の出家前の子:鷹留長野業亮?=成誉典応も
  彦根宗安寺の開山した。
   (★大雲寺寺歴書:天保9年)
 ※榛名長年寺の僧「宗誉」の子どもではないだろうか?
 
C,珠山玄宝の子:長野業連?とされる。
   (★「宗安寺記」)   
 ★いずれにしても、鷹留(室田)長野氏の子孫である。


・平成21年(2009) 長純寺は廃寺になっていた。
★箕輪初心「2009年5月、現在は、寺の敷地のみで、
 寺院はなかった。長野氏の墓を捜したが見つからなかった。」
・平成24年?大雲寺小川良絋住職は彦根長純寺の再興をした。
   箕輪長純寺:長野信道和尚様も参列した。  
・平成26年 小川良絋住職に箕郷歴史文化調査研究会のメンバー
 としてお会いした。その節はありがとうございました。
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@箕輪・・・箕郷町西明屋の現「青龍山松山寺」のあった場所にあった。
      今はない。
箕輪城落城後、鷹留長野業氏の次男:業亮は和田山大雲寺の住職となった。
大森別当:曇廊と名乗った。
井伊氏の移動に従って彦根大雲寺を開いた。
長野曇廊和尚の出家前の子:鷹留長野業亮?=成誉典応も
彦根宗安寺(安国寺)の開山した。
(★大雲寺寺歴書:天保9年)
珠山玄宝の子は長野業連?とされる(★「宗安寺記」) 
    
A高崎・・・慶長3年「青龍山 洞珠院大雲寺」  
開山:然室玄廓大和尚(安中桂昌寺5世:天山曇廓の師。)
     ・北通町の清龍山洞珠院大雲寺
 井伊直政時代の旧中山道沿いの北通町。
 酒井家次時代九蔵町
 (酒井家次時代に北爪九蔵の功績で九蔵町が創設)に変わった。
※彦根大雲寺寺歴書の説
B彦根・・・慶長10年「青龍山大雲寺」
開山:天山曇廓大和尚(長野行業?)
2代:奪心東輿?和尚)(高崎大雲寺4世)
現在・・2014年長純寺再建。小川良紘住職は開眼供養
箕輪長純寺:長野氏も参加。
 1名、長純寺の檀家がいる。


******************************

▲【2】箕輪の法華堂→高崎の法華寺→彦根の蓮華寺
@箕輪法華堂(椿山)
A高崎:日蓮宗西郷山法華寺(西郷の局親戚:西郷正次開基)
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B彦根:日蓮宗妙法山蓮華寺
  慶長8年(1603)上州箕輪より移転とあるが、正確には
  西郷山法華寺から分寺した。開基は西郷正次である。
  開山は不明である。高崎法華寺の墓に開基が石碑に
  書いてある。


*******************************

▲【3】箕輪の安国寺→高崎の安国寺→彦根の宗安寺
@箕輪安国寺(東明屋)
●応永元年(1394)以前 箕輪に安国寺が建てられた。
足利尊氏は南北朝の動乱が収まって、後醍醐天皇をはじ
 めとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68ヶ
 所に安国寺を建てた。応永元年(1394)が最後の68番目の
 国東(大分)の安国寺である。上野国の安国寺は旧箕郷町
連雀町(井伊時代の呼び方)448−2に建てられた。
箕輪上之宿にあった。現徳田邸である。
『新編高崎市史資料編』応永元年(1394)以前説である。
 『新編高崎市史通史編』高崎→箕輪となっている。
※彦根観光案内Hp
「井伊道政の正室:東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に
  建立された。」とある。
※滋賀県:歴史・観光・見所>彦根市:歴史・観光・見所>宗安寺
「天正18年(1590)、井伊直政が箕輪城(群馬県高崎市)に
 なると正室である東梅院が両親の菩提を弔う為、光誉上人を招いて
 中興開山したのが始まりと伝えられています。・・・(略)。」
井伊直政の妻:花(唐梅院)の墓は安中の大泉寺にある。井伊直勝が
 一緒に安中に連れてきたのであると思われる。

A高崎安国寺
B彦根宗安寺
 安国寺恵瓊の名前を嫌って、・・・・・名前を変更した。
箕輪城落城後、鷹留長野業氏の次男:業亮は和田山大雲寺の住職と
なった。大森別当:曇廊と名乗った。
大森別当:曇廊は井伊氏の移動に従って彦根大雲寺を開いた。
長野曇廊和尚の出家前の子:鷹留長野業亮?=成誉典応が
  彦根宗安寺の開山した。
   (★大雲寺寺歴書:天保9年)
  珠山玄宝の子:業連?とされる。
   (★「宗安寺記」)   
「安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後
 彦根城築城のさい現在の地へ再度移転された。」
 
※彦根宗安寺パンフレット
・天正18年(1590)井伊直政公が箕輪城主になった時、正室:東
  梅院が両親の菩提のために(開基し、)光誉上人を住持とし、
  再興した。
・慶長3年(1598)安国寺を高崎に移転、
・慶長5年(1600) 佐和山山麓に移り、
   (★井伊直政は佐和山に移ったのは翌年の6年、
     1月(木俣文書)、2月(井伊家文書:井伊達夫氏所蔵)
毛利の参謀:安国寺恵瓊の名前が気に入らなかったので
 正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した
(松平康親の法名は「空閑院殿厳誉豊月崇輝大居士」)
     戒名「無月宗九居士」
母の戒名「心誉理安大姉」
   宗安寺は住持:成誉上人を開山一世とする。
   成誉上人は長野氏の一族で、長野氏は宗安寺を菩提寺とした。

京橋通りにある浄土宗の寺。佐和山城の正門を移築された(伝)。
 大坂夏の陣で戦死した、豊臣家の忠臣として名高い木村長門守重成
 の首塚がある。
 
**************************

▲【5】箕輪の大信寺→高崎の大信寺→彦根の大信寺

@箕輪大信寺(東明屋):廃寺
A高崎大信寺
B彦根大信寺




▲【6】箕輪龍門寺→末寺:龍広寺→独立:彦根清涼寺 
@箕輪龍門寺:白庵開山
箕輪初心●箕輪城シリーズ61「松下源太郎=稲荷郭&龍門寺」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_24.html
・井伊直政養父:松下家3代の墓

A高崎龍廣寺:白庵開山
箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201507/article_28.html

B彦根清涼寺:独立() 井伊直政の墓
A、井伊谷龍譚寺5世:昊天開山説
 B、安中長源寺→箕輪長純寺→上州双林寺15世:愚明正察
    が井伊直孝の要請で開山した説。
 ※彦根市観光Hp
「祥寿山清凉寺の創建は嘉永年間(1624〜44)、彦根藩2代藩主
 井伊直孝が父親である井伊直政の菩提を弔う為、愚明正察禅師(叢林寺
 :群馬県)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。寺号は井伊
 直政の戒名「祥壽院殿清涼泰安大居士」に因むもので関係性が窺えます。」
 ※彦根市Hp
「慶長7年(1603)、彦根藩初代井伊直政の死去により、直政の墓所と
  して創建されました。その後、2代藩主直孝が高僧愚明正察(ぐみょう
 しょうさつ)を招いて開山とし、しだいに寺観を整えていきました。」
C世田谷:豪徳寺
 井伊家一族の墓石の数は清凉寺が58基、豪徳寺が87基。
箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html

D東近江市:永源寺
箕輪初心■滋賀bS−2おじん3人組「湖東五山」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_36.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201012/article_36.html



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▲6箕輪の長純寺→・・・・・・・彦根の長純寺 
@箕輪長純寺
・弘治3年(1557) 長野業政が菩提寺:長純寺(高崎市箕郷町
  原山)を再建した。(★長純寺文書)
・永禄9年(1566)箕輪城落城
鷹留長野業通の次男:業茂が仏門に入り、珠山玄宝となって
長純寺住職となった。
A彦根長純寺
・慶長年間、
・平成20年? 彦根1回目、長純寺はなかった。
・平成24年?小川良絋住職は彦根長純寺の再興をした。
・平成26年   彦根5回目
  小川良絋住職に箕郷歴史文化調査研究会のメンバー
  としてお会いした。
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箕輪初心★箕輪城121【長純寺】=長野業政の木造&供養塔&
箕輪亭(きりんてい)
http://53922401.at.webry.info/201403/article_27.html

箕輪初心▲箕輪城151【C長純寺2:長野氏の菩提寺】&
「本郷堰・長純寺堰」
http://53922401.at.webry.info/201412/article_13.html
★井伊直政時代の「長野主膳=長野義言」
★井伊直弼時代の「長野主膳」
・文久2年(1562)8月27日に「長野主膳は井伊直弼の死後、突然藩
の方針が変わって、家老:岡本黄石(宇津木家からの養子)の命で
 斬首された。35万石が幕府から??万石に減らされたが、財政
 改革で彦根藩を救った。戊辰戦争で岡本黄石は彦根藩を率いて西軍
 と戦ったが、赤備えで、目立ちすぎてたくさんの藩兵が亡くなった。



▲【4】井伊谷龍潭寺→彦根龍潭寺→安中龍潭寺

@井伊谷龍潭寺
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html


A彦根龍潭寺:井伊谷龍譚寺5世


B安中龍潭寺
・慶長15年・元和元年(1615) 2月 井伊直政の長男:井伊直継
 は井伊直勝と改名し、彦根から安中藩3万石として移った。
 中野直由の妻(中野直之の母)が安中藩の菩提寺として井
 徳山龍潭寺の建立を家老・松下一定に願い出た。
 安中藩家老松下志摩守一定(中野直之次男)が安中龍潭寺を
 建立した。井伊谷の龍潭寺 5世昊天・宗建が「井徳山龍潭寺」
 を開山した。
 龍潭寺跡:群馬県安中市安中3-19-25:

●昊天の話*********************
・天正12年(1584)、小牧長久手の戦い
井伊直政が出陣した際、昊天(長刀の名手)は傑山(弓の名人)と
共について出ている。
「於井伊谷南渓和尚弟子衆両人被遣候 出家といへとも武芸達者に
 御座候 壱人ハ傑山ト申候亭 強弓なり 壱人者(は)彦根龍潭寺
 開山昊天なり 長刀(なぎなた)上手にて今以て一宗とて長刀昊天
 と申候、於長久手、池田勝入、森武蔵守、両備追崩、敵数多討取、
 直政公御自身高名勝利を得也」
 (井伊家伝記:祖山著)
★ちなみに井伊谷龍潭寺4世は傑山である。
・慶長5年(1600)頃、井伊谷龍潭寺4世:悦岫永怡より昊天の号を授かる。

・慶長7年(1602)、関ヶ原の戦いの鉄砲傷がもとで井伊直政が亡くなる。
 井伊直政の遺言により佐和山に豪徳庵を建てる。
 (★『彦根龍潭寺史』)

・慶長14年(1614) 2月 井伊直継は井伊直勝を改名し、
 分地され安中藩3万石になった。
その後、
 松下一定は中野直由の妻(松下一定祖母)の依頼で安中に
 井徳山龍潭寺を創建した。昊天は開山となった。

・慶長15年(1615) 昊天が井伊谷の萬松山龍潭寺5世となった。

・元和3年(1617)、彦根に弘徳山龍潭寺を創建した。
  昊天が開山として迎えられた。

・寛永8年(1631)近藤秀用没・奥山方広寺院代:昊天が法要する

・正保元年(1644)昊天 示寂

******************************

▲【6】井伊谷龍潭寺→彦根龍潭寺→安中龍潭寺

@井伊谷龍潭寺
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html

A彦根龍潭寺:井伊谷龍譚寺5世
井伊直孝の妻の墓がある。

B安中龍潭寺
・慶長15年・元和元年(1615) 2月 井伊直政の長男:井伊直継
 は井伊直勝と改名し、彦根から安中藩3万石として移った。
 中野直由の妻(中野直之の母)が安中藩の菩提寺として井
 徳山龍潭寺の建立を家老・松下一定に願い出た。
 安中藩家老松下志摩守一定(中野直之次男)が安中龍潭寺を
 建立した。井伊谷の龍潭寺 5世昊天・宗建が「井徳山龍潭寺」
 を開山した。
 龍潭寺跡:群馬県安中市安中3-19-25



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▲【7】安中北野寺→佐和山「養春院」→彦根「北野寺」
@ 安中北野寺
  2代:井伊直孝は子どもの頃、6〜7年、秀算について学んだ
 A佐和山「養春院」安中北野寺の「養春」が開山・井伊直政開基。
   初めは井伊家祈願所であった。
 B彦根「北野寺」(金亀山彦根寺)
   2代:井伊直孝は安中北野寺の慶算の紹介で、大和の長谷寺の
  住職となった秀算を招き、「北野寺」と寺号とした。
  4代:直澄が北野寺を井伊家祈願所とした。
  長野氏の祈願所でもあった。

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201801/article_18.html



▲【8】安中の大泉寺
井伊直政の正妻:花、松平康親の娘、徳川家康の養女
        →戒名:唐梅院殿台誉崇玉大姉、

井伊直勝の側室:お岩の方→2代藩主井伊直好生母
        →戒名:隆崇院殿念誉寿専大姉、


箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html

箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_8.html

箕輪初心:生方▲彦根N『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪
・高崎類推足軽長屋
http://53922401.at.webry.info/201802/article_9.html

箕輪初心:生方▲彦根O『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_10.html

箕輪初心:生方▲彦根P『近江牛』→『キリスト教会』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_12.html

箕輪初心:生方▲彦根Q『彦根城二の丸=2郭の井伊家家老』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_14.html

箕輪初心:生方▲彦根S3郭『埋木舎』&「池田太右衛門家」
・「鈴木権十郎家」
http://53922401.at.webry.info/201802/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政171&彦根21『木俣守勝と木俣守安』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_17.html




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