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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」

<<   作成日時 : 2018/02/09 08:21   >>

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井伊直政の徳川家康への出仕から家臣団形成の過程を2年
掛かりで書いているレポートの一部である。井伊直政の徳川
家康への出仕に関する史料は『藩翰譜』・『井伊家伝記』、
『井伊年譜』、『花筵記』、『寛政重修諸家譜:井伊家』、『直政
公御一代記』、『徳川実紀』、『井伊氏系図』・『侍中由緒帳』
・『貞享異譜』などを参考にまとめているところである。
彦根藩の家臣団は、知行取家臣の侍中(さむらいちゅう)、扶持
取家臣の歩行(かち)、足軽や武家奉公人で構成されていた。
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 (★井伊谷の歴女探検隊作)
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★侍中(さむらいちゅう)の仕官時期と出身国をまとめると、

@天正3年〜井伊万千代につけられた家臣
  井伊谷からの直臣・今川氏滅亡後に仕官した今川氏旧臣
  遠江・駿河が多い。

A天正10年〜井伊直政につけられた家臣
  木俣・椋原・西郷など徳川家康からの御付人
  (旧武田家臣:山県昌景衆・土屋昌恒衆・原衆・一條衆)
  +松岡衆・三枝(山県)昌吉衆、芦名、依田など
  甲斐・信濃が多い。

B天正18年〜井伊直政に仕官した家臣
  上野関係者(旧武田家臣→旧後北条家臣→井伊直政家臣)
  が多い。かなりいろいろな国から仕官している。
  ★結構、家老:長野業実の縁者も多くいる。
  
C慶長6年〜佐和山入城後から井伊直継時代に仕官した家臣
  ★近江にいた武士

D慶長19年〜大坂の陣に仕官した家臣。
 15万石から30万に加増されたことにより、近江国の佐々木
  ・浅井・石田氏の遺臣が多く召し抱えられた。
  がだいたいの目安である。



【1】天正3年(1575)〜 井伊直政の出仕からつけられた家臣
「井伊谷からの直臣・今川氏滅亡後に仕官した今川氏旧臣」
  遠江・駿河の武士
・天正3年(1575) 井伊直政が徳川家康に出仕した。
 家臣・・・松下(井伊直政養父)・小野(井伊直政従兄弟)
      ・今村(古くからの家臣:勝間田一族)
菅沼・鈴木・近藤(井伊谷3人衆:井伊年譜では)
      渡辺・
・天正4年(1576)〜天正9年(1591)      
奥山(井伊直政叔父の子)・中野(井伊直政叔父)
松居
     酒居など親戚衆

長野

【2】天正10年(1582) 〜井伊直政が侍大将になった時
  木俣・椋原・西郷:徳川家康の御付人
  旧武田家臣…
    山県昌景衆…広瀬・三科・孕石・川手・曲淵・石黒
    土屋昌恒衆…脇・早川
原昌胤衆…功刀(くのき)
    一條信龍衆…青木・蜻など

  ★木俣が物頭であった。
松岡貞利衆
  三枝(山県)昌吉衆

  庵原(親戚衆)

【3】天正18年〜井伊直政に仕官した家臣
  上野関係者(旧武田家臣→旧北条家臣→井伊直政家臣)
旧武田家臣で牢人していた者など

・天正18年(1590)〜箕輪城時代・高崎城時代
宇津木・石原・岡本・五十嵐・和田・内藤など・・・
※上野国(群馬県)出身の家老クラスの屋敷・・・・・・・・・・・
@長野十左衛門業実(天正10年以前)
A長野無楽斎(長野業通の子:大信寺・宗安寺開山の関係者)
B熊井戸姓→岡本半介家
  (武田信玄家臣:小幡信貞家老→北条氏の上泉流家法)
C宇津木治部右衛門
 (玉村出身→由良国繁家老→北条氏の玉村稲富流砲術)
D和田主殿(内匠)和田城:和田信業:跡部勝資長男の子ども→)
E里見内蔵充
  榛名里見城:里見河内守の子ども?
  長野業政の養子で安房里見義尭の子:里見義樹=石井信房の子?
  同族安房里見義尭の一族?
(★侍中由緒帳では、天正18年、安房の里見が箕輪でぶらぶらし
    ていて井伊直政の家臣になった。としている。)
F萩原図書(安中)
 井伊直政の箕輪城時代〜高崎城時代、安中で井伊直孝を養育した。
 文禄4年〜
G内藤信矩・・・箕輪城代:保渡田城代:内藤昌月の次男?3男?
 の名もあった。

Hその他
八木・八木原・関・小板橋・山口・五十嵐など

*****
I飯島半右衛門・・・信濃飯島城主→武田信玄家臣で高崎に
  味噌屋を開業→井伊直政家臣


★12万石になったので、上野国以外にも家臣が増えた。


★箕輪城時代に「井伊軍法」が出され、34〜35名の家老
 中老(・侍大将クラス)が設定された。


【4】慶長6年(1601)〜佐和山入城後から井伊直継時代に仕官した家臣
  近江が多い。
・慶長7年(1602)2月 井伊直政が亡くなった。

 彦根藩の家臣は287人であった。
 (★『彦根市史』)

『慶長七年十一月 今寅年御家中分限帳』より藩士家名
井伊直孝5000
鈴木5500、川手4000、木俣4000
庵原3500、西郷3500、松下2000
長野2000●、石原2000、庵原2000
中野1800、和田1500●、広瀬1500
奥山1500、中野1500、小野1500
鈴木1000、橋本1000、岡1000
菅沼1000、岡1000、鈴木1000
青木1000、稲富1000、横地1000
芦名1000、孕石1000、加藤1000
戸塚1000、宇津木800●、

※(●印…上野国出身・▲は上野国と思われる人物)

 あ)青木・芦名・渥美・安間●・阿部・相原▲・青柳●・雨宮
   ・相木・秋山・浅居・朝比奈・天野
 い)石原・庵原・稲富・今村・五十嵐●・伊平・一瀬・市川●
    ・石黒・飯嶋(信濃→高崎)●・石貝・池谷・石川・岩居
    ・伊与田・犬塚・伊藤・一海・伊黒・伊上・犬飼・石居
 う)宇津木●・内山●・上野・鵜山・植原・上松・上崎・宇津野
 え)海老江・江坂・江川・遠藤
 お)奥山・小野・岡・岡本●・大窪・小野田・荻原・大塚・大村
   ・小幡●・小原・大久保・大嶋・小沢●・沖・大河原・大留理
   ・奥平(鎌倉時代高崎の吉井)▲・大鳥居・大田・大沢・大野
 か)川手・加藤・柏原・梶田・河合・加々瓜・川喜多・勝・金子
   ・神山・神戸▲・金丸・河上・神尾●・片桐・勝山・影山▲・桂
 き)木俣・岸●・北村・木崎・刑部・絹田・木村・木戸・衣笠
 く)窪田・功刀・熊谷・久野・黒川
 こ)越石・小暮▲・後藤●・河野・小瀬村・小山・小林・小嶋・甲上
   ・小瀬
 さ)西郷・酒居・齋藤▲・佐藤・笹本・佐内・沢村・里見●・佐成
   ・佐場
 し)白居・塩野・下屋・嶋田・下居・芝田
 す)鈴木・菅沼・杉山
 せ)関口
 た)竹原・田中・只木・高木・田部・田村▲・田名村・高橋
  ち)千草
 つ)鶴田・塚原・土屋・柘
 と)戸塚・所・百々・伴・轟・富上・戸田・鳥山・徳田
 な)長野●・中野・長田・長坂・中沢●・中村・鯰江・成嶋
   ・内藤●・中嶋・中西・長居・長瀬
 に)西村・新美・西尾・匂坂
 ぬ)布下
 の)野呂・野付・乗松・野田
 は)橋本・孕石・長谷川・原・花木・早川・初鹿・八田・原畑
   ・浜野●・林
 ひ)広瀬・平子・日置・平居・平野・平山・日比
 ふ)藤田・福嶋・古屋・藤本・深見・福智
 ほ)細野・本郷▲
 ま)松下・松居・松平・松野・松沢●・町居・前嶋・丸山
 み)三浦・三居・水野・皆川・宮崎・薬袋・三沢●(諏訪→箕輪)
    ・三室・宮川▲・宮地
 む)椋原・向山・武藤
 も)森部・両住・森
 や)安居・矢野・八木●・八木原●山下・山寺・山田
   ・柳沢(甲斐武川衆・箕輪にもいる?)▲
   ・山上・山路・柳島・八幡林
 ゆ)湯浅●
 よ)横地・吉川・横打・横森・横山・依田・世継・吉村・吉田
 わ)和田●・脇・渡部・若林・脇田 



【5】慶長年間「大坂の陣に仕官した家臣」。
 15万石から30万に加増されたことにより、近江国の佐々木
  ・浅井・石田氏の遺臣が多く召し抱えられたと思われる。


【6】慶長12年(1607) 御家中分限帳(★『井伊年譜』)
鈴木5500、木俣4000、川手4000、
椋原3500、西郷3500、松下2000
長野2000●、石原2000、庵原2000
中野三信1800、和田1500●、広瀬(中野将房)1500
中野三宣1500、奥山1500、小野1500
岡本1500●、井伊采女(鈴木重好の子)1000
橋本1000、岡1000、菅沼1000、吉田1000
鈴木1000、横地1000、岡1000、青木1000
孕石1000、戸塚1000、沢村1000、西尾1000
宇津木800●・・・(略)
  




【7】慶長19年(1614) 井伊直継(直勝)が安中藩に分地された時
安中藩に来た者92名
 (★『井伊達夫氏所蔵文書』:彦根市史P374)
・松下一定・高冬(井伊直政従兄弟中野直之次男:安中藩第一家老)
・小野朝之(井伊直政従兄弟:安中藩第2家老)
・萩原図書(井伊直孝の養育者→安中に戻った?)
・里見内蔵丞●(安中藩・・・安中の秋間に墓がある。)
・鈴木主馬(鈴木重好…第一家老であったが、トラブった)
・和田主殿●
・菅沼淡路
・岡
・浜野喜兵衛●
・小沢弥兵衛●
・三沢与五郎右衛門●
・松本与十郎▲

・・・・(略)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
・飯島半右衛門(高崎で町人になり、味噌・糀屋になった?)
・関(箕輪に戻ったのだろうか?)
・岸(高崎金古に戻ったのだろうか?)
・和田(一族のだれか高崎に戻ったようである。)




【7】江戸時代中期
『侍中(さむらいちゅう)由緒帳』の階層をまとめると、
1)「大身列」「詰衆」
 1000石以上の家老・侍大将クラス(最上級家臣)
  30家〜35家
・元禄時代
 重臣クラスとして、
  家老には木俣・椋原・庵原・長野・西郷・中野・三浦
     ・岡本・宇津木・脇など10家が勤めた。
   中老には宇津木・印具・沢村・三浦分家・岡本・広瀬
   ・脇・戸塚など21家が勤めた。
 ★家老・中老は時々入れ替わっている。
   長野家が中老の時もある。 
・元禄8年(1695) 禄の多い順に書くと
 木俣8000、庵原5000、長野5000●、
 中野3500、三浦3500、西郷3000
 宇津木2500●、脇2000、沢村2000
 広瀬2000、西山2000、岡本2000
 大久保1600、戸塚1600、増田1500
 大塚1500、石居1500、内藤1500●
吉用1300、木俣1300、三浦1200
 青木1200、椋原1000、今村1000
 横地1000、天野1000、小野田1000
 西尾1000


2)「武役席」950石〜300石の上級家臣
 ・貞享時代…138家(★『貞享異譜』)

3)「平士」270石〜50石の中級家臣
   全知行取家臣の3分の2を占めていた。
 
4)「歩行(かち)」は軍役で騎馬を許されない身分であった。
  江戸時代末期には彦根歩行96家、江戸歩行38家、伊賀歩行20家、
  七十人歩行63家があった。
  
 
5)足軽
 ・慶長11年(1606)中藪組6組・善利組12組が結成された。
彦根藩の足軽衆は、二十二俵三人扶持の禄高であった。
・元和3年(1617) 足軽の増強により、川原町裏手に8組が設置された。
・寛永6年(1629) 瓦焼町東側に切通上・下組、安清町南側にも大雲
寺組の組屋敷が設置された。
※中組・北組が設置された時期は不明である。
足軽1120人を鉄砲組と弓組に分けた。
 弓組(20人6組)と鉄砲組(30人25組・40人5組・50人1組)
  に分かれ、「武役席」の物頭が支配した。
  足軽は居住区として城下外堀の外「外ケ輪」4郭に組屋敷が与えら
  れた。善利に住んだ足軽が一番多かった。
 通常足軽は一代限りの身分であったが、次第に世襲が認められた。

6)奉公人 (元禄8年)
例、木俣清左衛門 8000石
 在彦根 知行取格29名 歩行格36名 足軽9人 奉公人85 等
 上屋敷 知行取格12名 歩行格16名 足軽4人 奉公人38
                  家族も含めると451人 

例、長野十郎左衛門 5000石
 在彦根 知行取格24名 歩行格14名 足軽8人 奉公人76 等
家族も含めると250人 
(★『彦根市史』)


【8】江戸時代中期〜幕末期の彦根藩の家臣
『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト(50音順)
青木角次 5 ・青木津右衛門 10 青木半次 11 ・青木平左衛門 3
秋山源十郎 13 ・秋山忠兵衛 10
浅居勝太夫 4(●上野国松井田)
朝倉進弥 13
麻田十介 14
朝比奈清右衛門 8 ・朝比奈藤右衛門 3
浅見三左衛門 12
渥美平八郎 5
荒居治太夫 4
荒木儀太夫 8 ・荒木半右衛門 11
安藤長三良 7・ 安藤孫左衛門 9 (●上野国箕輪)
安東七郎右衛門 8
安中佐右衛門 13 ・安中沖右衛門 14 ・安中半右衛門 4(●上野国安中)
飯田左仲 14
五十嵐半次 8 (●上野国倉賀野)
池田太右衛門 7
石居三郎左衛門 5 ・石居次郎兵衛 3 ・石居八郎兵衛 14
石尾太右衛門 7
石黒伝右衛門 13
石原甚五左衛門 4 ・石原善太右衛門 9 ・石原善兵衛 6 ・石原伝左衛門 9
石原西右衛門 13
礒嶋新七 8 ・礒嶋与五右衛門 14
伊丹助内 8
一瀬九左衛門 8
一色七郎兵衛 10
伊藤勘助 8
伊東又右衛門 13
稲垣弥五右衛門 6
犬塚求之介 3 ・犬塚十左衛門 4
庵原奥左衛門 4 ・庵原源八郎 12 ・庵原三郎左衛門 8 ・庵原助右衛門 1
今泉源左衛門 11
今村源右衛門 3 ・今村源之進 5 ・今村小兵衛 7 ・今村十郎右衛門 5
今村忠右衛門 4 ・今村八郎右衛門 7・今村彦十郎 10
印具徳右衛門 2
上田八右衛門 10 ・上田彦四郎 8
植田又兵衛 11
上松助左衛門 10
宇多市郎左衛門 12
内田源太夫 5
内山次右衛門 10 (▲上野国か?)
宇津木源五右衛門 11 ・宇津木小左衛門 9・ 宇津木三四郎 10
宇津木治部右衛門 2 ・宇津木舎人 9・ 宇津木武兵衛 3 (●上野国玉村)
浦上孫左衛門 10
江坂清次郎 9
海老江勝右衛門 10 ・海老江門平 11
大泉市右衛門 13
大川権右衛門 6
大久保新兵衛 14 ・大久保忠兵衛 12 ・大久保藤助 6 ・大久保平介 6
大久保孫左衛門 5 ・大久保弥七郎 10 ・大久保与左衛門 4
大嶋五太夫 10
大塚与一左衛門 4
大鳥居左吉 12 ・大鳥居佐太郎 14 大鳥居彦右衛門 8 大鳥居彦三郎 10
大西与九郎 10
大根田猪右衛門 11
大野清兵衛 4
大洞沖右衛門 14
大堀小右衛門 10
大家長兵衛 9
大和田七郎左衛門 12
岡嶋七右衛門 14 ・岡嶋丹蔵 7
岡武左衛門 10
岡見太郎左衛門 12
岡本半右衛門 8 ・岡本半介 5 (●上野国小幡)
荻原勘太夫 13 ・荻原丹下 3・ 荻原与惣次 3
奥平源八 12
奥山伝右衛門 7 ・奥山又市 9 ・奥山六左衛門 3
小野源太右衛門 7・ 小野半左衛門 7
小野田小一郎 2
小幡甲介 11 ・小幡平太夫 10 ・小幡与五兵衛 5
   (●上野国甘楽小幡→伊豆の土肥で家臣:小幡大膳になった。)
河西源五左衛門 5
柏原惣左衛門 13 ・柏原与兵衛 5
加田孫兵衛 6
勝五兵衛 9
勝野五太夫 4・ 勝野五郎八 13 (★?)
勝平次右衛門 3
加藤彦太夫 11 ・加藤彦兵衛 4
金田勘解由 8
神谷茂右衛門 7
河北勝兵衛 4
川口加左衛門 13
河嶋彦左衛門 11
河手藤十郎 8 ・河手藤兵衛 7 ・河手文左衛門 5 ・河手为水 3
河手四方左衛門 9
河野六兵衛 11
河村与一兵衛 12
神尾源太左衛門 6 ・神尾門左衛門 12 (▲上野国)
木代利右衛門 10
木田余兵左衛門 12
喜多山十蔵 9
木俣十蔵 10 ・木俣清左衛門 1・ 木俣多宮 3 ・木俣長介 5
君田十助 9
木村勝左衛門 10 ・木村半八 8・ 木村六郎兵衛 14
日下部三郎右衛門 4・日下部弥平右衛門 13
草刈次郎右衛門 9
朽見助六 9
功刀千右衛門 6
久保田勘之丞 12 ・久保田惣九郎 10 久保田又市 3
熊谷太郎兵衛 12
栗林弥一左衛門 12
黒谷作兵衛 13
黒柳孫左衛門 6
小泉弥一右衛門 5
小板橋茂左衛門 13 (●上野国松井田:新編高崎市史)
上坂丈右衛門 12 ・上坂太兵衛 13
後閑新兵衛 7 (★上野国安中?榛名?)
越石何右衛門 6
小島新吾 14
児島寅太郎 11
後藤弥惣右衛門 8 (▲上野国箕輪?)
小塙喜兵衛 10 (●上野国小塙:長野一族)
小林仁左衛門 3
小森作兵衛 13
小森理右衛門 14
小山門右衛門 13
小山門左衛門 9
西郷五郎右衛門 3 ・西郷精太 14・ 西郷藤左衛門 2 ・西郷与次兵衛 6
酒居三郎兵衛 4 ・酒居又左衛門 13
匂坂市右衛門 6
向坂縫殿介 4
桜居彦太夫 8 ・桜居安右衛門 14
佐藤次郎兵衛 13 ・佐藤新五右衛門 14 ・佐藤隼太 13
佐藤与左衛門 7
佐成源五兵衛 6 ・佐成左太右衛門 8 ・佐成左太郎 11
佐原善右衛門 10
沢村角右衛門 2 ・沢村左平太 4 沢村新介 10 ・沢村与一郎 7
塩野左近右衛門 9
宍戸四郎左衛門 6
閑野源左衛門 6
島田左次右衛門 12
杉原三右衛門 7 ・杉原三平 4 ・杉原重太夫 5 ・杉原惣左衛門 4
杉山伝右衛門 14
鈴木権兵衛 5 ・鈴木平兵衛 4
瀬下平内 14 (●上野国富岡)
仙波久右衛門 10
仙波笹兵衛 13
相馬右平次 9 ・相馬彦右衛門 7
佐乙女八郎左衛門 4
曽根惣三郎 7
高杉喜左衛門 9
高田半太夫 14(●上野国?)
高野久兵衛 10 ・高野瀬喜介 10・ 高野与惣右衛門 11
高橋義兵衛 11 ・高橋建五郎 9・ 高橋源次 11 ・高橋四郎兵衛 9
高橋新五左衛門 4・ 高橋与兵衛 11
高宮辰右衛門 12 ・高宮兵右衛門 12
多賀谷左内 11
武居杢右衛門 13
竹岡彦左衛門 8
竹中清太夫 9
竹花小右衛門 7
竹原与五兵衛 11・ 竹原与惣左衛門 11
只木次郎右衛門 6
龍衛門 12
田中喜兵衛 10 ・田中三郎左衛門 6 ・田中与左衛門 8
田辺長左衛門 14 ・田辺与八郎 12
辻岡助兵衛 13
辻助左衛門 14 ・辻平内 8
津田叶 8
土田甚五郎 6
土田仁右衛門 8
都筑弥次右衛門 10
坪岡七郎兵衛 12
鶴見治部左衛門 6 ・鶴見孫八郎 14
寺嶋長太夫 8
藤堂次郎太夫 3
玉米軍蔵 12
所藤七 12 ・所藤内 8
戸塚左太夫 2
百々五郎助 14 ・百々久弥 7
富田権兵衛 3
内藤喜右衛門 10・ 内藤五郎左衛門 3
    (●甲斐→上野国箕輪城主・保渡田城)
奈越江忠蔵 7
中居十次兵衛 4
中川治部太夫 6 ・中川次郎左衛門 11
永田権右衛門 6
長野宇右衛門 6 長野十郎左衛門 1(●上野国箕輪城主:長野家)
中野助太夫 2 ・中野平馬 4
長浜文蔵 6
中村加助 6 ・中村三右衛門 5 ・中村惣左衛門 10・ 中村太郎右衛門 5
中村彦左衛門 3
夏目外記 5
成嶋彦左衛門 6
新野左馬助 2 (親戚衆)
西尾治部之介 3 ・西尾隆治 7
西堀源蔵 7 ・西堀才助 3 ・西堀太郎左衛門 5
西村藤右衛門 8 ・西村半太夫 6
西山内蔵丞 2
貫名筑後 2
布下次郎兵衛 14
野津藤兵衛 11
乗松市右衛門 12
芳賀津右衛門 11
橋本勘七郎 11 ・橋本儀右衛門 11 ・橋本太右衛門 13 (親戚衆)
羽田六兵衛 7 (★上野国東吾妻:元長野一族)
八田金十郎 11 ・八田四郎兵衛 11
花木伝左衛門 12 ・花木伝蔵 8
林久右衛門 13 ・林久五郎 12 ・林与兵衛 3 ・林六右衛門 7
孕石又七郎 10
埴谷助八郎 14
平居五郎兵衛 14
平石弥右衛門 8
平岡半兵衛 14
平山忠左衛門 13 ・平山藤九郎 13
広瀬郷左衛門 3 ・広瀬助之進 7・ 広瀬清兵衛 3 ・広瀬茂兵衛 14
福村八郎左衛門 13
藤嶋作太夫 11
藤田衛門次 3 ・藤田勝右衛門 4 ・藤田四郎左衛門 4 ・藤田貞蔵 9
舟越安左衛門 10 ・舟橋六左衛門 5
古沢六右衛門 11
戸次治部 10
細居広太 8
細江次郎右衛門 4
堀久左衛門 12
堀部源蔵 6・ 堀部左門 11
本上源之丞 8
本城善右衛門 5
本多七左衛門 5
本間九左衛門 10
前嶋弥次右衛門 5
増嶋百介 6
増田次右衛門 2 ・増田次郎左衛門 5
松居久右衛門 13 ・松居金右衛門 12 ・松居善五兵衛 14 ・松居善三郎 11
松居善兵衛 12・ 松居武太夫 10 ・松居八郎左衛門 13
松岡弾右衛門 14
松沢新四郎 13 (▲上野国箕輪?)
松下十太 3
松平倉之介 3
松野又右衛門 11
松宮角左衛門 12
松村角太夫 11 ・松村仁左衛門 13
松本瀬兵衛 12 ・松本伝兵衛 9 ・松本猪兵衛 14 (▲上野国安中?)
真野善次 7
丸山一太夫 6
三浦九右衛門 4 ・三浦銀右衛門 11 ・三浦五郎右衛門 3・ 三浦左膳 5
三浦十左衛門 6 ・三浦半蔵 5 ・三浦茂右衛門 14 ・三浦为水 11
三浦与右衛門 2
箕形惣左衛門 10
水上六郎右衛門 11
溝江彦之右衛門 9
三田村新左衛門 9
三居孫太夫 8
三岡長兵衛 13
薬袋佐助 9 ・薬袋藤市 7
三宅庄左衛門 9
宮崎軍介 11 ・宮崎甚太夫 7 ・宮崎惣右衛門 8
武笠魚兵衛 5 ・武笠七郎左衛門 9
武川源左衛門 8
椋原治右衛門 3
向山次郎太夫 12
武藤源助 5
村上十右衛門 11
村山宮内 5
毛利十兵衛 8
桃居杉右衛門 7
森藤七郎 14
八木三太夫 7 (●上野国箕輪)
八木原太郎右衛門 6 (●上野国渋川:元長野一族)
山県新左衛門 12
山角弥左衛門 14
山上弥次右衛門 8
山口善九郎 13 (●上野国松井田?:新編高崎市史)
山下藤太夫 8 ・山下又右衛門 7 ・山下弥惣兵衛 7・ 山下六郎左衛門 13
山路武介 12
山田源八郎 14 ・山田甚五右衛門 4
山中宗十郎 9
山本運平 3・ 山本岡右衛門 9 ・山本権左衛門 11
湯本戸右衛門 7 ・湯本弥五助 7 (▲上野国草津・榛名?)
横内頼母 6 ・横内平右衛門 12
横田治平 11 ・横田与左衛門 6
横地修理 2
横山彦右衛門 9
吉川軍左衛門 4 ・吉川藤之丞 10
吉田太郎右衛門 13 吉用十郎右衛門 4
吉用隼之丞 3
脇源太兵衛 7・ 脇五右衛門 2・ 脇十次右衛門 5
和田甚五右衛門 11  (●上野国和田=高崎)
渡辺勘之丞 12・ 渡辺九郎左衛門 9・ 渡辺弥五左衛門 5 ・渡辺弥次左衛門 14
(★『侍中由緒帳』より引用)




・明治元年(1868) 彦根藩の「侍中」は543人となった。



箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_19.html

箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
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箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
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箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
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箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
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箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
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箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
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箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
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箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
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箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
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箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
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箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
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箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
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箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
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箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html

箕輪初心:生方▲彦根G『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_31.html

箕輪初心:生方▲彦根I『彦根城博物館の展示品』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政167&彦根J『長純寺』姉:高瀬姫の墓
http://53922401.at.webry.info/201802/article_3.html

箕輪初心:生方▲彦根K「旧鈴木家屋敷→俳遊館」と『蓮華寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政168&彦根L箕輪→高崎→彦根『大信寺』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_6.html

箕輪初心:生方▲彦根M箕輪→高崎→彦根に移った『紺屋町・鍛冶屋町
・蓮着町?』
http://53922401.at.webry.info/201802/article_8.html

箕輪初心:生方▲彦根N『善利(せり)の足軽長屋』と箕輪
・高崎類推足軽長屋
http://53922401.at.webry.info/201802/article_9.html

箕輪初心:生方▲彦根O『箕輪安国寺→高崎安国寺→彦根宗安寺』
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箕輪初心:生方▲彦根P『近江牛』→『キリスト教会』
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箕輪初心:生方▲井伊直政170「直政の家臣団形成と彦根藩の家臣団」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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