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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?

<<   作成日時 : 2018/01/04 07:21   >>

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滝沢寺の由緒には「永正元年(1504) 井伊直政の叔父某が中興開基
となった。
緑埜郡(みどのぐん:旧鬼石町)浄法寺の永源寺5世:
厚山大和尚を招請して住職とした。」とあるが、年代的に合わない。
※滝沢寺の境内の墓地に青柳治部正忠家の墓がある。従って、井伊
直政家臣:長野業実の祖父:元箕輪城主長野業政、または、長野業
政の娘婿:青柳昌信の子の青柳金王(忠家)が再興したと考えられ
る。天正18年(1590)井伊直政が箕輪城に入城した。そして、中野
越後守直之が滝沢寺を庇護したと思われる。何故なら、中野直之の
妻?母?:恵徳院(井伊直政伯母と表記)
が日向峯(箕郷町松之沢)
に庵を建てたと由緒記にある。その後、箕輪の万松寺を
大獄山滝沢寺4世大光普照禅師が開山した。そして、慶長3年(1598)
高崎の松骼R恵徳院も瀧沢寺4世大光普照禅師が開山した。

松骼R恵徳院は滝沢寺の末寺となる。井伊直政は高崎城の入城後、
「松隆山東向院恵徳寺」と格上げした。従って、滝沢寺は中野家・井
伊家と関係が深かったことになる。また、慶長9年(1604)、酒井家次
(酒井忠次の子)は井伊直政が造った高崎城に入り、 箕輪の滝澤寺
を中興開基したと思われる。何故なら、滝澤寺の屋根瓦の家紋は
酒井家の紋である。慶長13年12月5日瀧沢寺4世大光普照禅師
が(示寂)亡くなった。滝沢寺には小野一族
の墓もあることから、もしかして、井伊直政の家老:小野万福(源造
→朝之)も関わりあったかもしれない。井伊直政の母、中野直之の
妻、小野朝之の母は小野朝利の娘であるからである。

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「家紋3つ「酒井家が含まれる。」




箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html



【1】滝沢寺散策:箕郷町白川1584

・滝沢寺の巡り経蔵・・・高崎市指定史跡
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・池
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・山門
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・本堂
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・鬼瓦
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・青柳治部正忠家(母が長野業政の娘)の墓
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・青柳一族の墓
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・青柳金王(青柳勤也系図:群馬県立文書館コピーでは、長野業政の娘
 を貰っている。)の墓 
棟治氏のHp
http://kouzuke1059.wiki.fc2.com/wiki/%E9%9D%92%E6%9F%B3%E9%87%91%E7%8E%8B%E4%B8%B8%E5%BF%A0%E5%AE%B6
・小野一族の墓…もしかして、井伊直政の家老:小野万福(源造→朝之)
 の子孫かも知れない。
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★和尚様と話した。
 「秋月家…九州の秋月家の末裔」

・本堂
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・江戸時代中期の作?
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・徳川の家紋入り
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・重要文化財クラスか?
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【2】滝沢寺由来・・・・・
・大同年間、創建時は榛名山の相馬嶽連峰に不入山あった。「満行山不
 入院滝沢寺」は天台宗で比叡山2世慈覚大師の開山したと伝わる。
・天喜4年、千葉左衛門常胤は鎮守府将軍:源頼義が奥州安倍頼時を
 討伐する軍に従って、この地を過ぎた時、常胤の一子相満を寺に修
 学のために預けた。
 その後、千葉相満が一人行方知れずとなった。 
千葉常胤がこの地にもどってきた時に、「寺僧が隠した。」と思い
 火を放って、一山を焼いた。しかし、千葉相満は見つからなかった。
 僧侶の一人某が不動の尊体を持って難を逃れ夢に霊感をみて一宇
 を結んだ。現在の滝沢寺である。

「駿東村の柳沢寺」千葉常将の息子:相満伝説もある。
 平安末期、千葉常将は天狗にさらわれた息子:相満を船尾山大寺院
 の仕業と誤解して宗徒と争い、堂宇の全てを焼き払った。後に悔恨
 して千葉常将は自害した。、常将の夫人が菩提を弔うために寺を建
  てた。柳沢寺である。柳沢寺は後に山子田に移った。
 
 相馬山=黒髪山=相満山である。

3沢寺…「水沢寺・柳沢寺・滝沢寺」である。


 その後、無住興廃した。〜〜〜〜〜

・永正元年(1504) 井伊直政の叔父某が再興し、中興開基となった。
 緑埜郡浄法寺の永源寺5世:厚山大和尚を招請して住職とした。
(※永源寺5世:厚山大和尚は長野氏の菩提寺:長純寺も開山と
 なっている。)
 曹洞宗滝沢寺として発足した。
(★でも、年代が完全に違っている。上記参照:慶長元年(1595)
  の可能性がある。)
後、3回に及ぶ祝融にあって古記録を失ってしまった。

・寛政2年、26世代が現在の堂宇を竣工した。





★明日は「箕輪万松寺」と「高崎の万松山恵徳寺」かな?

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