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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版

<<   作成日時 : 2018/01/03 07:46   >>

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竜門寺は天正18年(1590)井伊直政は箕輪城入城と共に白庵を下
野国:大中寺から呼んで創建した井伊家の菩提寺である。龍門寺
文書「慶長七年二月 竜門寺二代良雄」には井伊直政が龍門寺を
創建した時の文書が残っている。また、龍門寺にには3代将軍:
徳川家光以降の将軍からの朱印状がたくさん保存されている。さ
らに没後150回忌に井伊家から贈られた「井伊直政公の木像」
「井伊直政公の絵」が保存されている。
平成29年(2017)10月8日、「おんな城主直虎第40話」で、直
虎ゆかりの地で松下清景が住んだ【箕輪城の稲荷曲輪(松下)】と
井伊家菩提寺【竜門寺の松下3代の墓】が紹介された。最終回も
箕輪城と高崎城を出して欲しかった。


【1】箕輪龍門寺縁起「慶長七年二月 竜門寺二代良雄」
1)原文写し
井伊兵部殿 天正十八年庚寅之年
中 上州群馬郡箕輪之城御拝領にて入部被遊間も無く被仰出候も仏法興
驤艾ノ家の子孫為繁盛末代迄の儀
に候間能々境内を見立 新寺建立可
致し家老へ被仰渡 家老中御
見立にて城より北方五六丁程隔丸山御
蔵場にて御座候 此地尤と被仰上候
得婆境内四方五百軒地形被致候
処近所寺院之内御取立に預り度
願各々有之候得共御樣引無之為
末代兎角新地に建立可致と被仰出
住持之御吟味被遊候処下野国富
田大中寺八代白庵和尚名師と被為
及聞則請待被遊御対面にて住持に
御願相成寺御建立の節は城之近所
法太院にて御馳走被成其内諸堂建
立成就仕り吉日を選び城中にて寺号
山号榛名山竜門寺と定め鎮守を満行
大権現と定め白庵和尚に被仰渡則天正
十九年辛卯四月十五日に入院被成仏法王法
の祭事井伊の家繁昌被致御祈祷
登城相成候得婆殿様御機嫌能く
翌日御参詣境内之躰御覧被遊御
悦之上城中より杉苗御取寄寺中不残
杉山にし被仰付御自身為仏法繁昌二本
井伊家之子孫繁昌と二本手すから御家被
遊両家満足の侍従杉と名付被為置候
此杉之間に白庵和尚之座禅石有朝暮
座禅無懈

怠殿様折々御参請にて剣刃
上一句 巴陵吹毛剣 石筆一張弓 其他
古則数多参学被成其上千人法憧被
仰付 法門之内日々聴聞被遊御下向
之節 路次にて江湖山と境内之外に被
下候 城中にても折々御法問御聴聞
被遊御城高崎に引候とも不相替白庵
和尚に帰依被成候為後日良雄訳之
者也
       竜門寺二代良雄(花押)
 慶長七年壬寅 二月


2)箕輪初心:生方訳
井伊兵部大輔直政殿は 天正十八年きのえとら(一五九〇)
の年中に、上州群馬郡箕輪城を御拝領されて入部された。
 間もなく言われたことは仏法興隆と井伊家の繁栄・子孫繁
 昌のために境内を見立てて新しく寺を建立することにした。
 家老に場所を探させた。家老の見立てで箕輪城から北に五
・六町程離れた所に丸山御蔵場が最も良いと申しあげた。
「境内五百間(一,八m×500で900m)四方の地形に
 ございます。
近くに寺があるますが、水が流れていません。
 しかし、井伊直政公は兎に角ここに造れと仰せであった。
寺の住職も吟味遊ばされ、『下野国大中寺の八代白庵大和
 尚』がいいと聞き及び、来られるようにと請うた。井伊直
 政公はご対面の時に、寺の建立をお願いすることに相なっ
建立の節は御馳走を用意いたしまます。そのうち、いろい
 ろなお堂を建立していきました・
 吉日を選んで『榛名山竜門寺』として定め、鎮守を満行
大権現と定められた。
 白庵和尚は天正十九年辛卯(かのとう)四月十五日に入院なら
 れ、成仏法王の祭事として井伊家の繁昌を御祈祷になられ
 た。白庵和尚は登城相成りましたならば、殿様(井伊直政公
 は御機嫌がよくなられました。
 翌日、御参詣境内之躰(様子)を御覧遊ばれ、御悦(満足
 之上、箕輪城中より杉苗を御取寄になられ、竜門寺中に残
 らず杉山にしなさいと仰せられたのついて。(井伊直政公
 御自身の為に仏法繁昌として二本、井伊家之子孫繁昌とし
 て二本自ら植えられた。両家が満足の「侍従杉」と名付け
 られ、置かれた。この杉之間に白庵和尚の座禅石があり、
 朝晩座禅組んだ。懈怠(怠けること)なく、(井伊の)殿
 様は折々御参請にて剣刃を奉納した。
 一句 「巴陵吹毛剣 石筆一張弓 」
 其の他、数多く参学なられ、その上、「千人法憧」を仰せ
 なられた。法門の内、日々聴聞遊ばされ、(井伊直政公の
 御下向の時は、路次にて江湖山と境内の外にお出でになら
 れた。箕輪城中にても折々には御法問えお御聴聞遊ばされ
 御城を高崎に引こされても、相替らず、白庵和尚に帰依な
 されました。後日、良雄は御法の訳の者でございます。

     竜門寺二代良雄(花押)
慶長七年壬寅(みすのえとら) 二月


【2】龍門寺
1)石柱
画像



2)参道
参道には小さな石仏が並んでいる。参拝者をお出迎えって感じで
 ある。
「おそらく33観音であろう。馬頭観音・千手観音・如意輪観音
  など小品であるが・・・安永・享和・文化の年号がある。
 「東明屋石川文五郎」(★子孫は檀家世話役)「伊香保岸権右衛門」
 (★岸権旅館)などの銘がある。
(『箕郷町誌』:近藤義雄先生等)

3)山門「四本柱建唐破風造り」
・寛政8年(1796)井伊家の命により、柏木沢の青山貞宴が再建した。
高崎市指定重要文化財 指定年月日:昭和49年10月22日
四本柱、唐破風作りの向唐門の山門である。
「榛名山竜門寺」の産額が掲げられている。
屋根には○に橘の家紋の瓦が乗っている。
表の桁に「橘(タチバナ)」が刻まれている。
裏の梁に戦陣の「井桁」の紋が刻まれている。
画像

4)本堂
 屋根に橘瓦・・・
 須弥壇に橘マーク・・・
 布団も茶碗も橘マーク
画像

画像

※松下の家紋は「四つ目結」の家紋である。

4)松下家の墓 本堂裏手
@左から井伊直政の継父・松下源太郎の墓。(井伊直政のbR家老)
A真ん中の一番高い墓は中野直之の次男:松下一定
  (安中藩bP家老)
画像

画像

B右は松下一定の子:松下高冬


合掌

現住職のお母様:千鶴子先生と西原先生と大塚先生が竜門寺位牌の
法名を浜松龍たん寺の武藤全裕和尚様に調べていただいて確認した
のである。照合済みである。

@松下清景の墓:法名「大光院心月不染居士」
▲慶長2年(1597)松下清景が箕輪城で亡くなった。


A松下一定の墓:法名「正覚院傑堂天英居士」。
▲寛永18年(1642) 6月23日松下一定が没した。享年68。
 法名「正覚院傑堂天英居士」。墓は竜門寺


B松下高冬の墓:法名「慈通院一燈玄光居士」
▲寛永17年(1641)4月7日松下高冬が没した。


井伊谷龍たん寺の中野氏の墓は、初代:中野直房、2代:中野直村、
3代:中野直由、4代:中野直之と記されている墓がある。




【3】井伊家と松下家

●説@…永禄12年(1568)龍潭寺に匿われた井伊直政
 の生母=実母:奥山朝利の娘「ひよ」は松下源太郎清景
 (浜松頭陀寺城)と再婚した。
●説A…天正2年(1574)12月14日
  井伊直親の13回忌に井伊虎松は鳳来寺からやって来た。
  祐椿尼・次郎法師・母・南渓和尚が相談し、松下源太郎清景
 と再婚させることにした。
  松下清景は松下虎松(井伊直政)を養子に迎えた。(井伊家伝記)
●説B…天正2年(1574)松下清景の弟で松平元康(徳川家康)の家臣
  :松下清綱(安綱・常慶)に仲立ち・徳川家康への取次を頼んだ。
★一連の徳川の家臣にさせる作戦の一つであろう。


★@松下清景の姉は松平元康(徳川家康)家老:松下之綱であった。
  井伊家が今川氏から独立した松平元康との関係を模索した。
と考えられる。松下清景の弟:松下常慶のコネもあった。
 NHK大河では、松下常慶(寛政譜では安綱・常慶入道)
★A松下清景は虎松(井伊直政)井伊直政の養父となった。

●松下虎松の住んだ場所諸説
@松下虎松(井伊直政)は、実母:奥山朝利の娘・養父:松下清景と
共に頭陀寺の松下屋敷に住んでいたという説がある。
A松下虎松(井伊直政)は手習いを浄土寺で行っているので、浄土寺
 のある浜松城下の松下清景宅に住んでいた説もある。(井伊年譜)

しかし、織田氏家臣で長浜城主になっていた豊臣秀吉は松下之綱は家臣と
 して召し出された可能性がある。
(★『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著)
 ★冨永先生のサイン付を所有
(★通説天正11年(1583)10月6日*出典『松下文書』)


・天正3年(1575) 2月15日 松下虎松(井伊直政15歳)は浜松の
 徳川家康に小姓として出仕した。
誰と出仕したか?
説@…次郎法師(井伊直虎)説
説A…中野直之説
説B…小野亥之助と2人で
説C…松下常慶が見守る中で等
★実際は井伊直政の実母→養父:松下清景→従兄弟で義兄:松下之綱
 (清景の姉の夫)または松下常慶→松平元康(徳川家康)のライン
 であったであろう。
松下虎松(井伊直政)と 小野玄蕃の息子:亥之助(小野源造・朝之)
 が徳川家康に会った。
徳川家康から
 @松下虎松は復姓を許されて「井伊万千代」の名前を貰った。
 A小野朝之は「万福」の名前を貰った。
井伊直政と小野朝之は従兄弟であった。
 2人の母は奥山朝利の娘で、姉妹であった。

●松下清景は井伊家筆頭家老となった。
 松下清景は養子:松下虎松が井伊万千代(→井伊直政)と名乗って
 井伊家当主となったので、松下清景家に子がいなくなった。
 中野直之の次男:中野一定を養子に迎え、松下一定を名乗らせた。
 
●井伊直政と小野朝之・松下一定はともに数々の戦に出た。

・天正3年(1575) 長篠の戦い
 松下加兵衛は豊臣秀吉の前備として兵100を預けられた。
 (★山内一豊公紀:冨永公文氏の天正2年松下之綱の秀吉臣従説が
   有力視されたことになる。)

・天正8年(1580) 奥山朝忠(奥山朝利の孫・妻は中野直之の娘)は
 井伊直政に出仕した。中野直之も出仕した。

・天正10年(1582)
 3月11日 武田氏滅亡。
6月12日 本能寺の変  織田信長・織田信忠が死亡。

※天正10年(1582) 8月26日(9月12日)養母:井伊直虎が死んだ。
(★『遠江井伊氏物語』:龍潭寺前住職:武藤全裕著)
墓は井伊谷龍潭寺である。

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html
井伊谷龍潭寺→箕輪龍門寺→高崎龍廣寺→彦根龍潭寺・清涼寺&安中龍潭寺


・天正15年(1587) 3月 豊臣秀吉の九州遠征
  松下之綱は前備の直属部隊として兵150を率いて従軍した。
  (『久野保心氏所蔵文書』名古屋市立鶴舞中央図書館蔵)
  4月9日付け豊臣秀吉の前備17名に宛てた朱印状
  「松下加兵衛の事、先年(秀吉が)御牢人の時、御忠節の仁(人)
  に候」
  松下加兵衛長則か之綱との旧縁を書いている。
  (★『松下文書』)
松下之綱(妻が松下清景の姉)は従五位下・石見守に叙位・任官
  され、丹波3,000石を加増され6,000石となった。

(★『松下加兵衛と豊臣秀吉―戦国・松下氏の系譜』冨永公文著)
 
  松下之綱の娘:おりんは石田三成の紹介で、島左近のところで
  行儀見習いをしていた。柳生宗矩が訪ねてきて、結婚することに
  なった。

・天正18年(1590)
・3月29日 山中城攻めでは、徳川勢は西の丸から2の丸・本丸
       攻めになった。
・3月30日 井伊直政は単独で足柄山城を攻略した。
・6月22日 井伊直政と松平康親の部隊は小田原城の笹曲輪へ
        攻め入った。
  井伊直政は笹郭攻めでの功績を評価された。
  小田原城落城のきっかけを作った。
(★上杉謙信・武田信玄が入れなかった小田原城内に初めて攻め込んだ。)
・6月?日 豊臣秀吉から井伊直政は箕輪城支配を任された。
   (★箕輪城シンポジウム:中井均先生)

・7月5日 小田原城開城
・7月11日 北条氏直は父:氏政・叔父:氏照を介錯した。

・7月13日 篠(笹)郭を攻略した立役者は、井伊直政の家臣:長
   野業実(なりざね)であった。
  長野業実は@井伊直政から、名刀「備前三郎国光」、
       A豊臣秀吉から最上栗毛馬「木下半助」(侍中由緒記)
  を頂戴した。
    (★出典不明・真偽不明)
  長野業輝=長野伝蔵→長野業実。
  天正十八年属井伊直政、在小田原(★「系図纂要」)
 

※徳川家康が関東に入封。

・天正18年(1590)旧暦の8月3日〜7日の間に箕輪城に入封した。
   (★『井伊軍志』:井伊達夫著)

・8月7日付 豊臣秀吉朱印状 (★『彦根市史近世1−6』)
「今日七日於奥州長沼到来、可被見候、箕輪罷移之由尤候、
 知行方相改、普請等可申付  候、此方へ可見廻之由無用候
 ・・・(後略)」
 井伊直政が豊臣秀吉の命令で箕輪城主になった。
  (★『齋藤慎一先生講演会2006』)


・天正18年(1590)8月 井伊直政が箕輪城主となった。
井伊直政が12万石で箕輪城主に任ぜられ、

松下清景が家老として、【箕輪城の稲荷曲輪(松下)】住んだ


・9月 井伊直政次男:井伊直孝が駿河中里で生まれた。

・????年 箕輪城の改修工事をした。

・?月〜月 井伊直政は井伊家菩提寺:龍門寺を

 井伊直政が鬼門の寺として箕輪城北東に開基した。
 大中寺8世:白庵開山が開山した。
 関東の曹洞宗3名刹
  ・上総の関宿:総寧寺…北条氏政寄進・徳川家康寄進
  ・武蔵の越生:龍隠寺…太田道灌ゆかりの地
  ・下野の富田(栃木市):大中寺…上杉謙信の叔父:大中寺
    6世住職快叟(かいそう)→8世:白庵
 
・天正18年(1590)、松下清景は箕輪城(群馬)に入った。
慶長2年(1597) 箕輪で亡くなった。松下一定が跡を継いだ。
松下清景の子孫は箕輪城→高崎城(群馬)→佐和山城(滋賀)
→彦根城→安中城(群馬)→西尾城(愛知)→掛川城(静岡)
→与板陣屋(新潟)と移り住んだ。


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱と
徳川家康と豊臣秀吉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政30【松下清景】前編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_5.html

箕輪初心●箕輪城シリーズ61「松下源太郎=稲荷郭&龍門寺」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_24.html
★6年前に掲載したブログ

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱
と徳川家康と豊臣秀吉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政30【松下清景】前編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊31『殆どの歴史学者が知らない松下清景の墓
→松下一定の墓』後編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_6.html

箕輪初心:生方▲箕輪城258・井伊99松下清景が住んだ【箕輪城】
と松下3代の墓のある【竜門寺】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_7.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201710/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政100『第40話:天下の草履番』
と【箕輪城・竜門寺】
http://53922401.at.webry.info/201710/article_16.html




・酒井忠次・下総国臼井城3万7000石。家次が入城。
   ※酒井家次は高崎城に井伊直政の後に入り12年間。
   その後、越後高田10万石へ・・
・本多忠勝・・・下総国大多喜城10万石・館山城里見対策。
・榊原康政・・・上野国館林城10万石・・・・
・井伊直政・・・上野国箕輪城12万石・・・上杉・真田対策。
 

※近藤秀用は箕輪城の南300mの富岡(車郷小学校南)に居を
  構えた。
2年後、井伊直政を離れ、井伊谷金指で1000石を賜った。
 ※木俣守勝は、箕輪城内の「木俣」に居住した。

★箕輪初心私見「箕輪城の改修工事や城下町の建築。
 連雀町・本町・紺屋町・田町・四ッ谷などは町作りの
名残である。」
※松下源太郎(井伊直政養父)は松下=稲荷曲輪に居住。
 →墓は鬼門「龍門寺」にある。
※龍門寺を建立・・・白庵和尚 
井伊直政の開基の寺は「龍」がつく。
浜松龍たん寺→箕輪龍門寺→高崎龍広寺→彦根龍譚寺→安中
龍たん寺


井伊直政の「新旧附属与力衆の階級的安定と親和」 
@親戚衆と井伊谷の家臣(奥山・中野・今村)
 A徳川家康からの付家老(木俣・西郷・井伊谷3人衆・椋原)
B旧武田家臣山県昌景家臣衆と土屋昌恒家臣衆の家老
  川出良則(妻は井伊直政の姉:高瀬姫)・三科・広瀬・早川
 C今川家→武田家家臣
   庵原・孕石・横地・戸塚など
 D旧武田家臣→旧北条氏家老
   石原主膳(叔父は三枝守友?)・宇津木泰繁・岡本半助宣就  
 E新規召し抱え上州の家老衆
   長野業実・和田知矩など

★B・D・Eは武田信玄・武田勝頼・山県昌景・土屋
   昌恒・和田昌明(跡部勝資長男)からみで、みな、
   かつての武田家臣でお仲間であった。

★松下清景(妻は井伊直政の実母)が筆頭家老であったが、
  内政面・外交面から、
  木俣守勝(妻は新野矩親の娘)・川出良則(妻が直政の姉)
  西郷重員(西郷の局の一族)・鈴木重好(母は奥山朝
  利の娘)なとが発言権が強かった。
 

★徳川家康に随行して、井伊直政・木俣守勝が大坂、伏見に
 滞在している間は、木俣守勝のライバル:井伊直政の姉の夫
 :川出良則が内政面と箕輪城・城下町の整備を取り仕切った。

6)箕輪城の修築工事&城下町の整備
@箕輪城の曲輪に有力家臣を配置した。
  付家老:木俣守勝は、箕輪城内の「木俣」に居住。  
  井伊直政養父:松下源太郎は松下=稲荷曲輪に居住。
  (→墓は井伊家鬼門「龍門寺」)
 川出良則(武田家臣山県隊→井伊直政の姉春光院が妻)
 ・奥山朝忠(井伊直政従兄弟) 
 ・中野三孝(井伊親族)
 ・井伊谷3人衆:近藤秀用の子:康用・菅沼忠久・鈴木重時
  の子:重好など
A内宿を武家屋敷
B城の整備★「特に真田・上杉対策?」 
「井伊氏の時代に城の拡張工事
 (堀の深さ10m・3の丸と本丸への橋・二の丸と大堀切
 ・郭馬出西門整備・木俣・水の手曲輪・法峰口・新曲輪・水堀など・・・
・東側を空堀→水堀。
 新曲輪
・大手門の丸戸張に鉄砲狭間付きの塀と構築した
・大手道・大手門(後高崎城槻木門)設置。『上州高崎城大意』
・大手ことう門・三の丸



C城下町の建築。 ・南南・・・4つ通に商人・工人の民家
 ・白銀町・紺屋町・本町・鍛冶町・連雀町・田宿・四ッ谷
 ・寺の分散配置・・・戦略上の城の出丸である。
※龍門寺を建立・・・白庵和尚 井伊直政の開基の寺は「龍」がつく。
   浜松龍譚寺→箕輪龍門寺
  (→竜門寺末寺高崎龍広寺→彦根龍譚寺・清涼寺)
※日向峯恵徳院(井伊直政の叔母の寺)の建立。
  (日向峯は箕輪松之沢→北条氏邦の鬼門の寺:松山寺か?)

※徳川家康は極楽院を2回保護した。
 ★井伊直政は長野本流は長野鎮良家と考えている。


・天正19年(1591) 井伊直政が九戸一揆の蒲生氏郷と鎮圧に向かった。
  南部信直は一族の九戸を攻めた。
   九戸政実が降服した。   

・慶長2年(1597)松下清景が箕輪城で亡くなった。
墓は井伊家菩提寺:箕輪の竜門寺。

中野家からの養子:松下一定が跡を継いだ。
★子孫が箕輪に残っている。家紋も同じである。

・慶長3年(1598) 高崎城を築城した。
川出良則(妻は井伊直政の異母姉:高瀬姫→春光院)が仕切った。
★井伊直政は木俣守勝らと伏見などにいたため、2年6ヶ月
中、実質1年弱しか高崎城にいなかった。


・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
 徳川秀忠20000が烏川の増水で、3日間高崎城・城下町に
 逗留した。

  井伊直政は戦功により佐和山城に移封となった。
というよりは、豊臣遺臣と天皇家の見張りと考えられる。

▲慶長7年(1602) 2月1日 井伊直政は関ヶ原の傷が原因で死去。
  享年42。墓は清涼寺。法名「祥寿院殿清涼泰安居士」

・慶長11年(1606) 井伊直勝は彦根城が完成すると佐和山城から
  彦根城へ居城を移した。

・慶長15年(1610) 木俣守勝がなくなった。
 
・元和元年(1615)
井伊直孝が彦根藩を嗣いだ。
 井伊直勝(直継)が安中藩を嗣いだ。
第1家老は中野直之の次男:松下一定(中野三孝の弟)であった。
第2家老は小野政次の甥:小野朝之であった。
第3家老は、安中出身の萩原図書(直孝を養育)であった。 

元和年間後、
@中野直由の妻は安中藩菩提寺として
 井徳山龍潭寺の建立を直系の孫:松下一定に願い出た(伝)。
(★安中市城下の信号:多胡電機南東30m〜50m付近)

・寛永8年( 1632)、松下一定が安中の龍潭寺に鐘楼を寄進した。

A井伊直勝(→直継)は大泉寺を建立した。
   井伊直継の母親の墓碑と井伊直継の妻の墓碑
 ※唐梅院大泉寺・・・昭和46年(1971)安中市指定史跡に指定。
・実母:松平康親の「娘」→徳川家康養女→井伊直政の正妻:お花の
 方→唐梅院の五輪塔
戒名:唐梅院殿台誉崇玉大姉

・井伊直継の側室:中島新左衛門娘お岩の方の五輪塔
   戒名:隆崇院殿念誉寿専大姉 
  ★正室:鳥居忠政娘ではない。継室:中島新左衛門娘である。

B井伊直勝書状
  竜門寺に広馬場(榛東村)に50石を寄進した。
(★竜門寺文書)

▲寛永17年(1641)4月7日松下高冬が没した。

▲寛永18年(1642) 6月23日松下一定が没した。享年68。
 法名「正覚院傑堂天英居士」。墓は竜門寺
 

●寛永19年(1642)9月24日 徳川家光朱印状  (大猷院)
「当寺領上野国群馬郡
 広馬場村■■榛名事経
 先規との■ 附けたり、■会可
 収納並び■中本諸役を
 免許■■可有相違候也
 よってくだんのごとし」
 幕府の朱印地として認められた。
 ★読めない字がたくさん・・・・
  文書館の先生に教わって解決したが・・・。
 (★竜門寺所蔵文書の写しが群馬県立文書館にある・
           :コピー等は一筆許可が必要である。)


●寛延3年(1750) 井伊直政の150回忌
 「祥寿院殿清涼泰安大居士」
 竜門寺に井伊両家から井伊直政の肖像画(平成29年群馬県立
 博物館展示中)と木像(非公開・昭和2年群馬県史・昭和8年高崎
 市史の白黒写真がある。)が送られた。



★明日は箕輪滝沢寺かなあ?

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