城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲彦根F『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』

<<   作成日時 : 2018/01/31 07:42   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市
に調査に出かけた。慶長7年(1602)2月井伊直政が死んだ。金亀
山(彦根山)標高136m、比高46mに連郭式平山城で総郭型→総
郭内町外町型の城下町一体型の城を造ることになった。彦根城は
箕輪城と高崎城のいいとこ取りをした城であった。天下普請とは
いえ、箕輪城の改修工事・高崎城の縄張り担当がほぼ同じである。
慶長11年(1606)には天守が完成した。初期段階では井伊直政の
姉:高瀬の妻:川手良則玄は平山城の1郭に住んでいたが、やが
て、2郭に住んだ。現在の玄宮園の位置である。慶長19年(1614)
川手主水良則が討ち死にし空家となった。寛永元年(1624)頃、下屋
敷が建設された(伝)。延宝6年(1678)彦根藩4代藩主:井伊直興
が整備した(伝)。文化10年(1813)第11代藩主:井伊直中の隠
居屋敷として再整備され現在に近い形に整えられた(伝)。
ところが、
箕輪には庭園がない。もしかしたら、堀部安兵衛作と言われている
『下田邸庭園』は井伊直政が作庭させたものかもしれない。

画像



箕輪初心:生方▲箕輪城165箕郷龍門寺→高崎竜広寺
【井伊直政供養塔&井伊直弼娘:ワカの墓】
http://53922401.at.webry.info/201507/article_28.html


*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100
1)山門
2)清涼寺の客殿
3)本殿:位牌堂★通常は見せていただけない。
4)清涼寺本殿
 寺宝…歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が所蔵されている。
5)清涼寺境内
6)清涼寺座禅所
7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も龍門寺の行事に見えていた。
●開基:井伊直孝
・慶長7年(1602) 井伊直政が佐和山で死去。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5,000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
開山した。


【4】佐和山城での井伊直政の居住区&大手口
1)愛宕山
 石田氏滅亡の後、井伊直政が佐和山城に入城した。
 井伊直政は佐和山城の南東部の愛宕山に居住

2)大手口・・・東山道が近くを通る


【5】鳥居本宿
中山道69次の内、滋賀県の中山道宿場は東海道と交わる草津宿まで
9宿がある。
★中山道には62次程、見物しているので、紹介予定。
彦根には2つの中山道宿場街「鳥居本宿」「高宮宿」がある。
多賀大社の鳥居があったことからその名がついた(伝)。
鳥居本宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。
江戸時代の面影を物語ってくれる。

【6】天寧寺遠望
 井伊直弼腹臣:長野主膳の夫妻の墓
 長野義言(よしとき)
 説@…上野国箕輪城主だった長野氏の末裔説
    群馬県人の信じている人が多い。

 説A…伊勢の長野氏の子孫説(2009年の野田浩子氏の話) 
 
説B… 伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐
  の弟で先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで
  出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。
(★ウィキペディア)



17:00 サンルート彦根
18:30 夕食
20:30 宿泊


***********************
◆2日目・・・2月26日
06:00  参加者2名が佐和山城登山

【7】彦根龍潭寺
・慶長6年(1601)
1月 大坂にいた。
1月 井伊直政は佐和山城に入った。
 (★木俣土佐武功紀年自記:井伊達夫氏所蔵)
2月 井伊直政は佐和山城に入った。(★井伊年譜)

?月 彦根龍潭寺の創設が始まった。
龍潭寺五世昊天禅師を招いて遠江国から分寺し、建立した。
  昊天禅師が方丈南庭と書院東庭はの作庭した。
  枯山水と池泉式庭園となっている。


3月18日 相良長毎(ながつね)に
     「佐和山で養生する。」(★相良家文書)

◆井伊軍志〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
井伊直政・・・愛宕山米蔵付属曲輪
木俣守勝・・・二の丸
中野直之・・・三の丸
広瀬将房・・・二の丸・三の丸(後、美濃丸と呼ばれた。)
  広瀬将房は中野直之の3男で武田旧臣:広瀬美濃守景房の養子である。
犬塚正長・・・愛宕下屋敷
本丸&5重天守は消失していたので、入れなかった。
(★「当城下近辺絵図附札写」)

井伊直政は石田三成の威光を払拭するべく、新たに彦根城築城を計画
した。しかし、直政は築城に着手できないまま、死去した。
計画は嫡子:井伊直継が引き継ぐこととなった。
彦根城は大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などの築材を利用し
つつ、天下普請によって彦根城を完成させている。

・慶長11年(1606) 完成した彦根城天守に井伊直継が移ったことに
 ともない佐和山城は廃城となった。

・慶長14年(1614) 井伊直孝が彦根城主になった。
  2代藩主:井伊直孝の代に彦根龍潭寺の諸堂が完成した。

・????年 蕉門十哲のひとり森川許六(1656~1715)が方丈の襖絵
  を描いた。(森川許六の墓が彦根長純寺)

【8】佐和山城
  佐和山城跡入り口
  龍潭寺が全山を所有で無料での入山を許可している。

【9】井伊神社
 ・天保13年(1842) 彦根藩12代藩主:井伊直亮が、井伊家の始祖
  井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷八幡宮(現静岡県浜松市)か
  ら井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのが
  はじめとされている。
 井伊直政・井伊直孝が祭られている神社である。

07:30 朝食
08:30 出発
09:00〜12:00 ボランティアガイドによる「彦根城」見学
:久々宮さん・宮嶋さん


【8】彦根城


0)全体的な縄張りについて
@箕輪城・・・北条の時代の改修
 ・本郭を御前曲輪側にさらに広げた。(★発掘調査より)
・郭馬出の出撃門を建造した。
 ・本丸西に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・御前曲輪に高麗門と廊下橋(太鼓橋)を建造した。
 ・新曲輪を増設した。
 ・木俣曲輪・松下曲輪などを補修工事した。
 ※現在残っている箕輪城の遺構である。

A高崎城
 築城関係者は以下であった。
 木俣土佐守守勝・・・★殆どいなかった。
 鈴木石見守重好
 孕石備前守泰時・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 早川弥惣右衛門・・・・・・・★実質的な縄張り担当者
 らに任せていた。
 (★井伊軍志P181)
 川手良則・・・(井伊直政の姉:高瀬姫の夫)が留守を守っていた。
 (★井伊谷400年記念の歴史冊子:武藤全透著)

B彦根城
築城の関係者以下であった。
◎縄張り  
 :早川幸豊(山県昌景→井伊直政)150石だが、一番始めに記載されている。
:石原主膳(山県昌景鉄砲奉行→北条氏政鉄砲奉行→井伊直政の槍奉行)
  :横地吉晴
 :孕石泰時  
◎普請奉行 
  :富上喜太夫
  :伴加右衛門
  :加藤金左衛門
◎作事奉行 
:宇津木新九郎(由良国繁→北条氏政→井伊直政)
  :横内弥左衛門
C大工棟梁  
:浜野喜兵衛
★同じようなメンバーが起用された可能性が高い。

●縄張りの中心人物は甲州流軍学者:
 孕石備前守泰時と早川弥惣右衛門であった。
 孕石備前守泰時も早川弥惣右衛門は山本勘助→馬場美濃守→
 山県昌景の基で甲州流築城術をマスターした。
 徳川の城・北条の城(例:小田原城)を見てさらに研究した。
 箕輪城で北条流の築城法をマスターした。
 高崎城の二の丸出枡=郭馬出&畝堀・障子堀がその証拠である。
 (★後の彦根城の鐘の丸は甲州流の巨大丸馬出であり、
 箕輪城の一城別郭方式や廊下橋=太鼓橋は彦根城に継続されている。)
 高崎城の東は平地であるので、大きな堀を築かなければならな
 かった。  
 郭=曲輪という城を構成する区画をどのように配置するか決めた。
 ちなみに郭→曲輪→「丸」というようになった。

★個人的には、彦根城は武田の城+北条の城+(上杉の城)+徳川の城の
いいとこ取りをしている
湖城構造+山城・平山城のミックス形式である。
◎小田原城・・・・「総構え」で30000人収容。
@箕輪城・・・・・用水路計画か?
A高崎城・・・・・「遠構え」。井伊直政も30000人?規模を想定した。
★事実、徳川家忠は20000人規模で3日間、城&寺に宿泊した。
D彦根城・・・・・「総構え」。井伊直政も30000人〜50000人?
  規模を想定したのかもしれない。

湖城3城で有名ななのは
@松江城は宍道湖 ・・・松江城には天守が現存。国宝になった。
A膳所城は琵琶湖・・・・天守が残っていない。膳所城跡公園。
B高島城は諏訪湖・・・復興天守。天守最上階からの眺望は見事。

★井伊家臣団が触れた城は、膳所城&高島城であった。
 孕石泰時や早川弥惣右衛門は、膳所城&高島城の湖城を見た可能性が
 高い。
何故、彦根城は湖城であった。

箕輪初心●滋賀bS−1「彦根城2回目」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_37.html

箕輪初心●滋賀の城「箕輪城&彦根城の類似性」
http://53922401.at.webry.info/201101/article_10.html



楽々園(槻御殿)


【10】楽々園(槻御殿) →玄宮園
楽々園と玄宮園は彦根城内の北東部、内堀と琵琶湖の入江(松原内湖)
 に挟まれた第2郭と呼ばれる曲輪内にある。「近江八景」に置き換え
て作庭されたといわれる。天守を借景として、中心の入り組んだ池には
4つの島と9つの橋が架かり、畔には臨池閣、鳳翔台、八景亭などの建物
が配されている。
(★彦根市HP)
画像

画像

●「井伊直弼生誕の地」碑
画像

 

●楽々園(槻御殿)
 ★槻御殿…井伊直政が箕輪城から高崎城に移した門に
  槻木門があるが、井伊直政にちなんだ御殿なのだろうか?

画像

●楽々園
  旧藩主の下屋敷で、槻御殿の名のほかに黒門外(前)屋敷とも
称されたが、現在は楽々の間にちなんで楽々園と呼ばれている。
1677年四代藩主直興により造営が始まり、1679年に完成、
その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大
な建物であったが現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の
一部が残っている。
戦後、松原内湖が埋め立てられて、全く景色が変わってしまったが、
この屋敷からの内湖の眺めは伊吹山や佐和山、磯山等を望んで非常に
美しかったので、楽山楽水の意かとも思われる。
 また「民の楽を楽しむ」という藩主の心を表したものでもあろう。
  庭は枯山水で、布石の妙を極めている。
開国の英傑井伊直弼も1815年10月29日に父直中の14男と
してこの屋敷で生まれた。
 (『説明板』)

●玄宮園
画像

画像

★「八景亭」に泊まりたかったなあ。
「八景亭」が、平成29年11月末で営業を終わったらしい。
画像

画像


画像

画像

画像


●遠城謙道(導)師の碑
画像


画像

遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門といい、文政6年(1823)
に彦根で生まれた。
15歳で鉄砲隊に入ったが、藩医「堀田道策」に医術を学んだのを
始め、儒学や画も学ぶなどし、特に禅の修業を積んだことで武士の
魂を磨いた。
桜田門外の変における、大老井伊直弼公の横死の後、悲憤の余り主
君の旧恩に報じようと同志と謀り老中に抗弁するも、果たすことが
できなかった。
追い腹は犬死と判断し、僧となりお墓守を勤める決心をし、井伊家
菩提寺の清涼寺「俊竜和尚」の元で仏門に入り、名を「謙道」と改
めた。
慶応元年(1865)、妻と6人の子供を残した謙道は、江戸における
井伊家の菩提寺、豪徳寺(東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側
に庵を建て終生掃墓、読経をし、霊を慰めること実に37年に及んだ。
「開国始末」の著書、島田三郎氏は清節堅操優に、士人の典型また
僧侶の模範と謙道翁の至誠至忠が讃されている。
(『説明板』)

●井伊直弼の像
画像

画像

画像

 開国の英雄井伊直弼は、文化12年(1815) 藩主直中の子として
生まれた。・・・
嘉永3年(1850)36歳のとき彦根藩主となり・・・・
安政5年(1858)大老職となった。 44歳。
嘉永6年(1853)6月アメリカのペリーが日本を訪れて開国をせまり、
以来鎖国か開国かと国内は非常に混乱した。
安政5年(1858)6月 井伊直弼は開国を断行・・・調印し外国と修交
を結んだのである。
小栗上野介もボーハタン号でアメリカに行った。
この大偉業をなしとげた直弼も大老の心情をくむことのできなか
った人々によって万延元年(1860)3月3日桜田門外で暗殺された。
 46歳であった。
(『説明板』)
銅像は、井伊直弼が最後の官職であった正四位左近衛中将の
正装をうつしたものである。

画像


●「埋木舎」…井伊直弼が青春時代を過ごした「北屋敷」である。
井伊直弼は、藩主直中の子として生まれたが、5歳にし
て母と、17歳にして父に死別した。
わずか300俵の捨扶持で17歳から32歳までの青春時代を
埋木舎で過ごした。
もっぱら心身の修練につとめた。
 長野主膳から国学も学んだ。
 嘉永3年(1850)36歳のとき彦根藩主となった。


●井伊大老歌碑(護国神社の裏?佐和山口多門櫓前?)
「あふみの海 磯うつ波の いく度か
       御世にこころを くだきぬるかな 」


****************************
 ・安政5年(1858) 4月23日、井伊直弼は大老に就任した。
 6月18日、幕閣会議でも、井伊直弼と若年寄本多忠徳のみが
 勅許を得てからの条約調印を主張した。
 下田奉行の井上清直と目付の岩瀬忠震をハリスのもとに派遣した。
 井上・岩瀬は、調印した。
 6月19日、ポーハタン号上でハリスとの間に日米修好通商条約が
  調印された。

箕輪初心★幕末偉人【岩瀬忠震】=日米修好通商条約に調印
http://53922401.at.webry.info/201212/article_1.html

◆◆ 箕輪初心◆青木城=本覚寺の岩瀬とハリス ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_10.html

◆◆ 箕輪初心◆横浜開港物語 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201210/article_8.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介とボーハタン号』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201106/article_29.html

◆◆ 箕輪初心★『ボーハタン号&咸臨丸』 ◆◆
http://53922401.at.webry.info/201108/article_17.html

◆◆ 箕輪初心★『小栗上野介の功績&提唱』 ◆◆
★大隈重信・大久保利通・東郷平八郎などは
「日本の近代化の父」と思っているようだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_30.html
 

8月8日、孝明天皇は「戊午の密勅」を幕府、水戸藩にも下して幕府
  政治を非難した。
  朝廷の政治関与に対して、長野主膳の報告により、井伊直弼は
  「戊午の密勅」の首謀者を梅田雲浜と断じ、京都所司代酒井忠義
  に捕縛させた。安政の大獄が始まった。

 長野主膳は井伊直弼の安政の大獄を指揮した。
 梅田雲浜・橋本左内らを逮捕したことを皮切りに、公家の家臣まで
 捕縛するという激しい弾圧をした。
 そして、吉田松陰が最後の刑死者となった。

箕輪初心■福井「6回目奥・7回目」=奥の細道番外編
http://53922401.at.webry.info/201104/article_26.html
 ★橋本左内の銅像

箕輪初心:生方★萩:吉田松陰の【野山獄】&世界遺産【松下村塾】
http://53922401.at.webry.info/201512/article_10.html

箕輪初心:生方【吉田松陰と下田】黒船と下田踏海事件
http://53922401.at.webry.info/201507/article_24.html

箕輪初心:生方▲【ペリー&下田開港】日本の開国への道
http://53922401.at.webry.info/201507/article_23.html

箕輪初心★吉田松陰=高杉晋作・桂小五郎・楫取素彦などを育てた男
http://53922401.at.webry.info/201402/article_1.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201402/article_1.html

箕輪初心:生方【ハリスと下田】:玉泉寺
http://53922401.at.webry.info/201507/article_25.html

箕輪初心★★群馬の偉人:中居屋重兵衞=横浜開港功労者★★
http://53922401.at.webry.info/201106/article_14.html


・安政7年(1860) 3月3日桜田門外の変
  雪の中を井伊直弼を乗せた駕籠は、外桜田の藩邸を出て
  江戸城に向かった。供廻りは徒士、足軽、草履取りなど60余名
  であった。行列が桜田門外の杵築藩邸の門前を通り過ぎようと
  した時、関鉄之介を中心とする水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士の
  有村次左衛門の計18名による襲撃を受けた。
  井伊直弼は中居屋重兵衛から渡された拳銃でで撃たれて重傷
  を負った。井伊直弼は駕籠から動けず、供回りの彦根藩士は狼
  狽して多くが遁走した。駕籠を守ろうとした者も水戸脱藩浪士に
  切り伏せられた。水戸脱藩浪士は駕籠を何度も刀を突き刺した。
  そして、井伊直弼を駕籠から引きずり出し、首を刎ねた。享年46。
   
  井伊直弼が暗殺された。
  彦根藩の家臣は井伊直弼が襲われた場所での血が染みこんだ
  土を俵に詰めて彦根の天寧寺(彦根市)に納めた。

箕輪初心▲東京【豪徳寺】&「吉良家→井伊家15代」
http://53922401.at.webry.info/201411/article_6.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201411/article_6.html
  ★井伊直弼の墓がある。



************************

【●】昼食
12:00 〜13:45 昼食 兼 情報交換会
歴代の5代の彦根城ボランティアガイド会長さんがおみえ
 になった。
*箱弁当
画像


ガイドさんは家臣団の史料をを用意して下さった。
★お世話になります。


箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
http://53922401.at.webry.info/201712/article_22.html

箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
http://53922401.at.webry.info/201712/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直政144【菩提寺:竜門寺縁起】松下3代の墓復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
http://53922401.at.webry.info/201801/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直政146【万松寺→恵徳寺】中野直之の妻?母?
:恵徳院開基
http://53922401.at.webry.info/201801/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直政147『箕輪城時代』:『井伊直政文書集』
大石泰史編を加味した2018年最新版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_7.html

箕輪初心:生方▲井伊直政148『箕輪城下町推定絵図』
&直虎・直政ブログ一覧
http://53922401.at.webry.info/201801/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直政149『箕輪城から高崎城移城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_9.html

箕輪初心:生方◆井伊直政150『高崎の名前の由来』
と無理矢理井伊家関連
http://53922401.at.webry.info/201801/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直政151『高崎城築城と長野堰・新井堰』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_11.html

箕輪初心:生方▲井伊直政152『箕輪城下町から高崎城下町への移動』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153『箕輪白銀町・鍛冶町→高崎鍛冶町』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直政153「箕輪から高崎に移った寺社』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直政154『高崎城と街道整備:中仙道・三国街道』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直政155『高崎城時代の外交』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直政156『直政の外交と決戦:関ヶ原』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_17.html

箕輪初心:生方井伊直政157『彦根藩主:井伊直孝が6〜7年間?
過ごした安中北野寺』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公
の御位牌・墓で礼拝
http://53922401.at.webry.info/201801/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直政165&彦根C『直政が住んだ愛宕→佐和山城
大手口→鳥居本宿』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_26.html

箕輪初心:生方▲彦根D『井伊直弼腹心:長野主膳義言の話→夕食』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_27.html

箕輪初心:生方▲彦根E『彦根龍潭寺と井伊神社』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直政166&彦根F『箕輪城・高崎城・彦根城
の類似性』復刻版
http://53922401.at.webry.info/201801/article_30.html




★明日も彦根関係かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲彦根F『楽々園→玄宮園→井伊直弼の像』 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる