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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直政163『清涼寺:上野国の愚明正察開山』直政公の御位牌・墓で礼拝

<<   作成日時 : 2018/01/26 12:45   >>

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平成28年(2016)2月25日(金)〜27日(日)、滋賀県彦根市
に調査に出かけた。清涼寺を訪ねた。寛永8年(1631) 彦根藩
2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の墓所として建立した。旧領:
上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて開山し
た。しかし、愚明正察の安中の長源寺時代なのか、箕輪の長純寺
時代なのか、白井の雙林寺(そうりんじ:双林寺)の時代か分か
らないが、上野国の僧に開山を依頼したことは確かである。慶長
6年(1601)〜慶長10年(1605)頃、箕輪・高崎からほかの5寺が移
したことを考えると、個人的にはなんとも言えない。写真掲載は
してはいけないのもあるので、控えた。
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*************************
◆1日目・・・2月25日(木)
05:45箕郷支所→06:30高崎駅07:01→08:00東京駅08:33
→10:45米原駅
米原駅11:00→11:05彦根駅 
                  
11:30レンタカー・・ホテル荷物預け
12:00昼食:伊吹蕎麦「つる亀庵」

13:00
【1】彦根市役所観光企画課「彦根城まつり」

【2】大雲寺 小川良紘住職

【3】清涼寺・・・滋賀県彦根市古沢町1100
Tel 0749-22-2776
●案内:彦根市ボランティアガイド協会会長:宮嶋氏
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1)山門
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2)清涼寺の客殿
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 本堂手前の右手。大きな切妻屋根に小さな屋根が乗っている。
 正面には立派な唐破風の車寄せがある。
井伊家の「井」の入っている鬼瓦や家紋である橘も随所にある。
本堂玄関・・奥様・和尚様にみんなで挨拶した。


3)本殿:位牌堂
通常は個人では見せていただけない。
  ★井伊直政公の位牌に合掌・彦根藩主に合掌
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4)清涼寺本殿

 ・嘉永5年(1852)に建てられたという。
  入り口が左に寄った左右非対称のつくりになっている。
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  中には寺宝である歴代藩主の画像や狩野元信らの名画が
  所蔵されている。
 
5)清涼寺境内
 石田三成の重臣嶋左近の屋敷があった。
本堂左のタブの木は嶋左近手植えのものと伝えられている。
「清涼寺の七不思議といわれる伝説があり、それらすべてが佐和山落城
に関連するものばかりだそうです。」
奥様に挨拶した。

6)清涼寺座禅所
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 井伊家は徳川幕府の重鎮であったので、全国から高僧が訪れ、修業道
場として名声が高かったそうである。

7)井伊家代々の墓所
 ★公的な立場で行ったので、特別に見せてていただいた。
  
@井伊直政の墓
  ※清涼寺は一般公開していない。
  井伊直政公の墓に合掌。
  写真は撮ったが掲載はしない。


A旧藩主の無縫塔の墓石6基
 井伊家一族の墓石の数は58基。

@箕輪・・・清涼寺はないが、龍門寺
A高崎・・・清涼寺はないが、龍広寺
B彦根・・・石田三成重臣:嶋左近の館→清涼寺
 ★平成29年9月に清涼寺の和尚様も箕輪龍門寺の行事に

  見えていた。

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愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師************
●説1:指定文化財:解説シート
上野国箕輪(みのわ)から高僧愚明正察を招いて 開山とした。
★となると、箕輪の龍門寺?
「清凉寺は、慶長 7 年(1602)、彦根藩初代井伊直政の死去により、
その墓所として創建されました。「祥寿」の山号、「清凉」の寺号
は、ともに直政の院号と道号「祥寿院殿清凉 泰安大居士」に由来
しています。清凉寺は当初、井伊家旧領の上野国上後閑(こうずけ
の くにかみごかん・群馬県安中市)にあった曹洞宗長源寺の末寺
でしたが、寛永8年(1631)、 二代藩主直孝が上野国箕輪(みの
わ)から高僧愚明正察(ぐみょうしょうさつ)を招いて 開山とし、
明暦 2 年(1656)正察退隠のとき本末関係を改め、同国雙林寺
(そうりんじ) 末となりました。この頃には清凉寺の寺観もほぼ
整い、幾多の修行僧が集って隆盛期を迎 えることになり、以後、
井伊家歴代の菩提寺として法灯を継いでいくことになるのです。」
(★パンフレットより)

●説2:某HP
群馬県安中市の曹洞宗長源寺の僧:愚明正察が開山した。

●説3:某HP
上野国の上野国の叢林寺から愚明正察禅師を招いて開山した。

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1)安中の長源寺
@真田幸隆&山本勘助出会いの場【風林火山】
A長源寺の和尚が「真田:長谷寺を開基。」
「安中の長源寺」とあるが、真田幸綱(昌幸の父)も
 ここにいて長源寺の僧が上田の真田に真田菩提寺:長谷寺を
 建てた。
B山本勘助もこの寺に来ていた。(『安中市の真下家所蔵文書』)
C慶長7年(1602) 「清涼寺ははじめは上野国安中上後閑の
「長源寺」の末寺であった。」
 とあるので、愚明正察が分寺したことになる。

2)箕輪の長純寺
「寛永8年(1631)、 二代藩主直孝が上野国箕輪から高僧:愚明正察
 (ぐみょうしょうさつ)を招いて 開山とした。」
 と解説シートにある。
愚明正察は確かに長純寺にいた。(★『長純寺記』)
 ★井伊直孝が子どもの頃いた北野寺のすぐ近くの長源寺の和尚は
 箕輪の長純寺の和尚になっていたことになる。

3)白井の雙林寺
 個人的に指摘して、申し分けないが、「上野国の叢林寺」が資料にで
ていたのかもしれないが、群馬県の中世に「叢林寺」はない。「叢林
寺」は「渋川市の雙(双)林寺」のことである。この時代、音が
正しければ、寺の正確さは問題にならない時代であったという。
・文安年間(1444~ 1449)・宝徳年間(1449~1452)にかけて上野国の
守護代:白井長尾景仲の開基し、一州正伊が開山した。
・明応6年(1497) 越後林泉寺は越後守護代:長尾能景が亡父の17回
 忌供養のため雙(双)林寺住職「曇英恵応」を開山に拝招して創建
 した。
 (★林泉寺)
 また、雙(双)林寺住職「曇英恵応」は室田長野氏菩提寺:榛名
 長年寺を開山した。
・永禄3年(1563) 長尾景虎の第1次関東出兵
  白井の長尾憲重・箕輪城:長野業政は傘下になった。
  雙林寺の長尾氏の菩提寺である。
・永禄10年(1570)真田昌幸は白井城を攻略した。
・天正10年(1582) ※真田昌幸は一方で武田滅亡以前から北条氏直
との接触していた。
@石原家(兄は三枝家への養子)文書
 真田昌幸が8歳の娘の「帯解きの儀」を八王子城の垪和(はが)
 伯耆守康忠にお願いしている。
つまり、真田昌幸が、ただ、真田一族の領土への執着心からした
ことである。
 (★石原家文書:かみつけの里友の会:黒崎会長)
井伊直政の家老:石原主膳吉次はこの石原家出身で、山県昌景の
  鉄砲奉行→八王子城主:北条氏照の家臣になり、井伊直政の家
  臣となった。そして、八王子で一緒だった狩野一庵の子:木俣
  守勝の養子となって箕輪→高崎→彦根に来ることになった。

A長尾憲景文書
真田昌幸は武田家の滅亡前から、八崎城(渋川市旧北橘村)
 の長尾憲景を通じて、北条氏政と帰属交渉を開始していた。
★長尾憲景を城代にして、京都明珍→越後明珍→上州(子持)
明珍と繋がる。
 北条氏政が箕輪城に上州明珍を呼び寄せ、箕輪城内で鎧を造ら
せた可能性もある。家臣団の銘に「明珍」が殆どである。
 北条氏も長尾憲景を家臣にした。
・慶長13年(1608) 井伊直孝は上野刈宿(狩宿:長野原町)5000石を
          与えられた。
・慶長15年(1608) 井伊直孝は上野白井藩1万石の大名となった。
  ★この時、愚明正察が雙林寺いたのかもしれない。
・慶長19年(1614) 井伊直孝が彦根城主が決まった。
・明暦 2年(1656) 愚明正察が退隠のとき本末関係を改め、上野国
 雙林寺(そうりんじ) 末となった。
★愚明正察は彦根の清涼寺にいたが、井伊直孝が慶長年間に上野国
 白井藩(現渋川市)1万石の領主だった上野国の白井の雙林寺に
 隠遁するのを機に、雙林寺末寺になった。凄く長命であったのだ
 ろう。
 雙林寺(そうりんじ) は上野国・越後国・信濃国の曹洞宗のとり
 まとめ役を行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●開基:井伊直孝
・文禄4年(1595) 井伊直孝は6歳になって、井伊直政の居城のあっ
 た箕輪城に行った。しかし、井伊直政は正室に遠慮して、井伊直孝
 には会わず、こっそり、安中出身の家臣:萩原図書(長篠の戦いで
 討ち死にした安中景繁の家臣)に養育を託した。安中氏も萩原氏も
 供に井伊直政の家臣になっていた。幼少期は井伊家領内の安中の北
 野寺に預けられ、養育された。
 萩原図書は安中の「中後閑村」の出身であった。
 安中下後閑村の北野寺の「恵算和尚」から学問を学んだ。
 井伊直孝は北野寺の薬師堂に住んだと伝えられている。
 (恵算の子:秀算は後、大和国長谷寺4世となった。)
北野寺と長源寺は歩いて30分程
  井伊直孝は長源寺の愚明正察に会ったと考えられる。

?月 井伊直政は高崎城に戻った。
  この時、井伊直政が初めて直孝と対面したとされる。
  井伊直孝は12歳になっていた。
・慶長6年(1561) 1月説 2月説 井伊直政は佐和山城に移った。
  ★箕輪長純寺の僧は高崎に移ったので、長源寺の愚明正察が
   箕輪長純寺に入ったのではないだろうか?。
・慶長7年(1602) 2月井伊直政が佐和山で死去。
  ★箕輪長純寺の愚明正察が清涼寺を開山ということに
   なるのかもしれない。
  井伊直孝は徳川秀忠の近習として仕えた。
・慶長13年(1608) 上野刈宿(狩宿:長野原町)5000石を与えられた。
・慶長15年(1608) 上野白井藩1万石の大名となった。
・慶長18年(1613) 伏見城番役となった。
・慶長19年(1614) 井伊直継は彦根藩から安中藩に分地が決まった。
井伊直孝が彦根城主になった。
・寛永8年(1631) 彦根藩2代藩主井伊直孝が父:井伊直政の
 墓所として、建立した。
 旧領:上野国から愚明正察(ぐみょうしょうさつ)禅師を招いて
 開山した。
・明暦 2年(1656)愚明正察は退隠のとき本末関係を改め、同国雙林寺
(そうりんじ) 末となった。
  ★つまり、上野国に帰ったということになる。

箕輪初心:生方井伊直虎・直政135『46話:悪女について』&二俣城
http://53922401.at.webry.info/201712/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政136『47話:決戦は高天神』&高天神城
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箕輪初心・生方井伊直虎・直政137【48話「信長、浜松に来たいってよ】
&浜松城初期
http://53922401.at.webry.info/201712/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え
http://53922401.at.webry.info/201712/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第50話『石を継ぐ者』直虎の死】
&直虎の墓
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箕輪初心:井伊直政140『本能寺の変〜天正壬午の乱〜小牧長久手の戦い』
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箕輪初心:生方▲井伊直政141『天正13年(1585)第一次上田合戦〜天正17年』
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箕輪初心:生方▲井伊直政142『天正18年山中城攻撃〜小田原城攻撃
〜箕輪城入城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直政143『箕輪城時代の内政概要』
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箕輪初心:生方▲井伊直政145【箕輪:滝沢寺】中野直之の中興開基か?
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と無理矢理井伊家関連
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過ごした安中北野寺』
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箕輪初心:生方▲井伊直政158『群馬県に残っている井伊直政関連の遺物』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直政159『雪の佐和山城』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直政160『彦根城に入れなかった井伊直政』前編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_21.html

箕輪初心:生方▲井伊直政161『彦根城に入れなかった井伊直政』後編
http://53922401.at.webry.info/201801/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直政162『@彦根市役所「ひこね城まつり」の話』
http://53922401.at.webry.info/201801/article_23.html

箕輪初心:生方▲彦根A『大雲寺』上野国出身の第3家老:長野一族開山
http://53922401.at.webry.info/201801/article_24.html

★明日は「佐和山城復刻版」かな?

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