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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政138【第49話:本能寺が変】&伊賀越え

<<   作成日時 : 2017/12/22 08:41   >>

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@起…直虎は京の茶屋とあい、家康たちは安土城へ・・・・。
  しかし、明智が秀吉の助っ人に行くことになってしまった。
A承…直虎は中村屋と龍雲丸と再会した。船の準備を依頼する。
B転…5月29日、家康・万千代は堺に、6月2日、本能寺で信長が
C結…徳川家康と万千代などの重臣は伊賀越〜〜三河に無事戻れた。
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  (★伊賀上野城)
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  (★伊賀越え方面)


【1】49話あらすじ

●安土城
5月14日、徳川一行が安土城に入る頃、直虎は京にいた。

●京都
万千代からの依頼で、徳川家の御用商人:茶屋四郎次郎と会っていた。
非常時に速やかに三河へ戻る為の経路を押さえておきたいと考えての
ことだった。
茶屋が家康からの文を読み終えた。
「2つ、手はあるような気がいたしますな。」
「宇治から伊賀を抜け、伊勢に出て、知多に渡る。」
「もう一つは、堺より船にて知多へ・・・」

直虎「・・・・宇治からの道をお任せする事は出来ますか?堺の方は
 昔、なじんだ気賀の衆がおります。そちらを頼み、私の方で当たって
 みることも出来ますかと。』
直虎は堺という地名に胸が波立っていた。


●安土城
家康は緊張していた。
信長は、安土城で家康達を歓待して油断させ、堺の町を見物させる。
そして、最後は京の本能寺で開かれる茶会に呼び出し、そこで討ち取
る予定でいる。」と聞かされていたからだ。


●堺
直虎は堺に着いた。中村屋を訪れた。

直虎は船の手配を申し入れた。


◆ナレーター・地図
「堺→大川→日高→比井→富田→周参見・・・知多
そこで、直虎は下見に行ったのじゃった。」

中村屋「尼様に・・・」
直虎「海の荒れることのないように祈願・・」
船頭「それはよかったのう。わしの殿さんが戦支度を始めよった。」

直虎「どうしても・・・知多まで5日程であろう。一気に知多まで行ける船は
 ないのか?・・・」
中村屋「南蛮の船でもなければ、・・・
  「いっそ、頭でも相談してみるか?」

●私塾
龍雲丸は子どもたちにイスパニア語を教えている。

「頭?」

「とわ?」
「久しいのう。頭」
直虎は龍雲丸を見て直虎は、照れくさそうに言った。
「会いに来てくれたのか、とわ!:
直虎は挨拶もそこそこに、船が必要であるいきさつを話した。
「頭、異人たちと仲がよいのでは・・・」

直虎「・・・異人とそえと・・・」
・・・
「うむ。進めてくれ。」
頭「すぐにすすめるから。・・・」



●安土城
◆ナレーター
「そのころ、徳川は信長の歓待を受けておった。」
信長「なかなかよい。

途中、羽柴秀吉が放った密使が安土城に到着した。
密使が来た。
「備中高松城の清水宗治が思ったよりしぶとく、至急に援軍をお願い
したいとのことにござります。』

信長は明智光秀に視線を向けた。
信長は明智に「急ぎ中国へ向け、兵を調えよ。」

明智「しかし、それがしは徳川殿の饗応がございますし。』
信長は明智に「そなた、援軍にいけ。
明智が「しかし、・・・ごねると・・・
信長「行けと言うのが分からんのか、この金柑頭!」
★禿げ頭とは言わなかった。
信長は蹴りを入れる。
こわ?
信長「・・・光秀、そなたが頼りだと言っておるのじゃ。」

家康もビックリ・・
家康たちは退出する光秀を見送り、顔を見合わせた。
謀反を起こすはずの明智がいなくなったのであるから、これから何が
どうなるのか誰にも予想ができなくなってしまった。

別部屋で
 徳川重臣は・・・黙り個食っていた。
万千代が戻ってきた。
 「明智殿は?」
井伊万千代「・・・このまま、計画通りに・・・」
榊原が慎重で疑り深い。裏の裏を読んで説明する。
本多「・・・」

穴山信君が「何の話ですか?」

●饗応部屋
「先ほどは、・・・」
といいい・・・・膳をセットする。
信長の供応は華やかで、念の入ったものだった。
★「白鳥の肉・・・」
本多「三河にもどりとうございます。毛利攻め・・・
信長「そなたたちをもてないたいのじゃ。」

●堺の寺
イスパニア人・・・・直虎を抱こうとする。
その時、吹き矢は異人の首に・・・・異人が倒れた。
頭が入ってくる。

「勝てねえ・・・・」

●船
「9年ぶりですぜ。」
・・・
「いきなり、船を貸せ・・・」

頭は呆れる 。
直虎「凄い格好じゃの?」
頭「日本・中国・越南・ジャガタラ・崑崙 ・・・」

直虎「・・通詞をして稼いでのじゃなあ

「尼小僧様は、またなんだってこんな物騒な話に首突っ込んでさ。」
「われは今、戦を無くす戦をしておるのじゃ。息子が徳川様のお供をして
 おっての。徳川
「相変わらず・・・いかれておるの〜〜〜う。」
「のう。」
「手伝うしかねえって。」
「・・・戦がのうなったら、あんたも堺に来てくれるはずだしな。」
「あっ。・・・」
龍雲丸は、あきれたように笑った。
◆ナレーター
「後は明智が謀反を起こすまでじゃったが、・・・」


5月29日。堺
安土城での6日間に及んだ供応を終えた。
徳川一行が堺に姿を見せた。
中野「・・計画はそのまま、・・・明智様がいなくなったという
   ことですか?」
万千代は簑傘をつけたまま
「・・光秀が領地に帰りました。
  それで、・・・常慶伯父上に探っていただいております。」
中野「雲行きはあやしゅなってまいりましたな?」
あとは謀反の報と共に、堺から船で逃げるのみ・・・。
直虎はにわかに落ち着かなくなった。

6月1日。堺
常慶「・・・毛利攻めとすると見せかけて謀反を起こすつもりかと
   ・・・おみくじを3度ひかれたとの噂がございまして・・」
本多「そうとう迷うておられるかな?」
榊原「光秀が謀反を諦めたとなれば、・・・
家康「・・京に行けば信長の策通り、皆が討たれる事になる。」

常慶「それがしは京へ・・・」

信長の使者:長谷川秀一が現れ、告げた。
」お待たせ致しました。わが主人より明日、京に参るようにとの知らせ
が参りました。」

家康は白い碁を囓る。

●堺の船
頭「・・寝て待っておったのではないのか?」
直虎「寝むれるわけない・・・・」

●安土城
織田は徳川に土産を考えていた。
信長「・・・狸顔にはこっちが・・・」

●坂本城
明智はおみくじを引く・
「大吉日」
「敵は本能寺にあり。われに続け?

●堺の船
中野「殿、」
直虎「万千代は戻ってきたか?」
・・・
   「京に向かうと・・・」

●堺
家康「そもそも織田様がわれらを殺すという策などはないのでは
   ないか?」
榊原「われらを招いた機を利用し、織田様を殺せると思うた明智が
  われらに、嘘をささやいたという事にございますか?」
本多「確たる理由がおありですか?」

家康「確たる理由はないが、・・・」
   何をするかわからないおかたであるが、殺意も感じられなか
   った。」

●船
直虎「方久、・・・銭はいくらある。出せ。後で、万千代から
   むしり取ってやる。」
方久はいやがるが、直虎は金を奪った。
頭「何をおっ始めるつもりですか?」

直虎「この金で一芝居打って欲しいのじゃ。」
頭「芝居?」
直虎「・・・戻る理由を作ればよい。」
頭「・・・して、何を・・・」


◆ナレーター・地図
「結局、信長の命に従い、穴山と・・・」

6月2日早朝、家康は一同と共に堺を離れ、京へ向かった。
穴山「京での茶会、楽しみですなあ。」

途中・・・
役者一行
「はは・・はは・・」
といそいでいる者が来た。

「あれは何じゃ?」
万千代「見て参ります。」
頭「京で謀反が・・・」
万千代「そなた、どこかでおうたことはないか?」
頭はごまかそうとする。

常慶がやって来た。
万千代「伯父上」
常慶「今朝方、本能寺は明智に急襲されましてございます!」
常慶が一行に知らせたのであった。
頭「誠になった。」
家康「そうか、やられたのか? 織田、様は。」

常慶「二条城には織田様ご嫡男がおられ、京ではすでに戦が始まった
   おります。
★織田信忠も本当は天龍寺でころされたのでは?

酒井「よし、殿、逃げまするか?」
・・・こうなれば、戦火に巻き込まぬ様、一刻も早く逃げるしか道は
ないと思った瞬間、
穴山「お待ち下さい。話がおかしゅうございます。なにやら、謀反が
   起こるのを知っていたかのようなお口ぶり・・」

頭「徳川様、」
万千代は何故徳川としっているのかと疑問に思った。
頭「徳川様はこの後、敵討ちに上られるのでございましょう。」
と機転を利かせた。
万千代「さようでございます。京へ行きましょう。」
酒井「そうじゃ。」
本多「そうしましょう。」
榊原「とはいっても、手勢が・・・」
家康「殿に合わせる顔がない。腹を切る。万千代、介錯を・・」
家康は座り込んで、腹を小刀を持つ。
万千代「なりません。」
穴山は目を白黒させて顛末を伺う。

家康「放せ。放せ。」
榊原「浜松に戻って参戦いたしましょう。そうすることが織田様に
   報いることかと、・・」

茶屋四郎次郎が来た。
「・・・万事、差配しておきました。」
家康・万千代はは?・・・穴山がいるのに・・・

万千代「・・・茶屋様なら、良く道をしっておれられます。
    一刻も早く参じん致しましょう。」
みんな「オー。」
万千代は堺に戻ろうとする。
茶屋「そっちではない。宇治を抜けていく。」
頭が見守る。

常慶が小屋に案内する。
万福・のぶ(本多正信)来ておったのか?

本多「穴山はだませぬか?」
のぶが聞いている。

◆ナレーター
「そして翌朝(6月3日)・・・」

常慶「穴山殿は・・おりませぬ。」
のぶ「穴山殿をあないして・・・」
本多忠勝「お主、何をしておるのじゃ。」
と同族でも嫌いであった。
のぶ「先に・・・野武士に襲われねばよいのですが、・・・
   「野武士に襲われねばよいのですが、・・」
朝飯を食い始める。
★態度でか〜〜

◆ナレーター
「・・・穴山信君は土一揆により、殺された。という」


●浜松城
家康は碁を打っていた。

◆ナレーター
「家康一行は、早くも翌々日には、三河の地に達していた。」

酒井「明智につくべきか、織田につくべきか?」
忠勝「今、・・上方はどうになっておるのじゃ?常慶はどうして
  おるかのう」
万千代「着いたばかりかと・・」
家康「領主を失った穴山殿の地はどうなっておるかのう?」

のぶ「最後にお助けしたのは我ら、穴山殿をお助けせねば・・・」
忠勝「汚いのう。」

酒井「穴山領の世話をしておれば、・・・
榊原「・・・雌雄が決するまで、時を稼げる。」

家康「空き城を拾うことにする。


●堺
頭「・・・まだおるのか?」
直虎「・・・何かあれが、策をこうじなければ・・・」

◆ゆかりの地
@小川城

A徳永寺


【2】「伊賀越え」Hpで調べたら
5月29日
徳川家康は堺の代官:松井友閑の屋敷に宿泊した。

5月30日
織田家中:長谷川秀一、西尾吉次が徳川家康の堺見物を案内した。

5月31日
????

6月1日 
徳川家康の御用商人:茶屋四郎次郎清延は、京の織田信長のもとへ
徳川家康の堺のお茶会・見物予定が終了した旨を連絡すべく向かった。

6月2日 
早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が明智光秀に襲撃された。
松井友閑は堺で茶会を催して徳川家康を歓待中であった。


松井友閑はは本能寺の変を知ると上洛しようとしたが、断念し、堺の
町衆に本能寺の変の勃発と織田信長の死を報じた。
本多忠勝が京の状況を偵察に行った。

徳川家康は本能寺の変を知ってから急ぎ京を出発した。
佐久間安政が徳川家康の逃走を助けた。
徳川家康は京都へ上洛する途中で、河内国飯盛山付近で京から来た
茶屋四郎次郎に本能寺で織田信長の死を知らされた。
徳川家康一行には、堺見物の案内役であった織田家中の長谷川秀一、
西尾吉次、徳川家康とともに上洛していた穴山信君の一行も同行し
ていた。
穴山信君は長篠の戦い前に、織田に寝返っていた。

徳川家康は本多忠勝と枚方(ひらかた)辺りで行き会った。

河内国四條畷から34人の供回りと一緒に・・・
徳川家康に随行していた供廻は34名であった。
酒井忠次・石川数正・本多忠勝・井伊直政・榊原康政・本多正盛
石川康通・服部正成・高木広正・大久保忠隣・菅沼定政
久野宗朝・本多信俊・阿部正勝・牧野康成・三宅正次
高力清長・大久保忠佐・渡辺守綱・森川氏俊・酒井重勝
多田三吉・花井吉高・鳥居おます・内藤新五郎・都筑亀蔵
松平玄成・菅沼定利・永井直勝・永田瀬兵衛・松下光綱
都筑長三郎・三浦おかめ・青木長三郎
&織田家中:長谷川秀一、西尾吉次、穴山信君一行。

長谷川秀一は徳川家康一行の脱出経路の決定を行った。
また、大和、近江の国衆への取り次ぎを行った。
(★ウィキペディア)
木津川(田辺市)の渡しに行った。
〜〜〜〜
穴山信君一行が徳川家康らを疑い距離を取っていた。
お金をたくさん持っていたという。
落ち武者狩りに襲われ殺された。

山城国宇治田原(京都府宇治田原町)で土豪山口氏館に宿泊した。

6月3日
山城国:宇治田原→近江国
織田家臣:長谷川秀一が近江国甲賀の多羅尾光俊に助けを求めた。
多羅尾光俊は家康一行の宿を提供した。
甲賀小川(滋賀県甲賀市)で宿泊した。
宇治田原〜甲賀小川は6里の道のりだった。
@多羅尾館
A小川城説…通説
A妙福寺説

6月4日
徳川家康は伊賀国の通過に際し。天正伊賀の乱で、信長が攻撃した地域
で、自分にも危険が及ぶ場所と危惧していた。
多羅尾光俊は従者50人と甲賀武士200人を付けて加太峠までの
伊勢路を警護してくれることになった。

御斎峠から伊賀国に入った。

加太峠で土一揆に襲われた。
織田信忠の近臣だった甲賀郡和田の土豪:和田定教?が追い払った。
 ※和田定教に宛てた起請文(『和田家文書』)
 和田定教は危機の中にある徳川家康を助けたのである。

徳川家康は不安であったが、しかし、伊賀の土豪は徳川家康を
守る姿勢だった。
伊賀国柘植(三重県伊賀市)の徳永寺で茶を御馳走になった。

※通説では、天正9年(1581) 織田信長軍が伊賀国の殲滅作戦を
やっていた影響で、伊賀の土豪・農民の感情は極めて悪く、徳川
家康が伊賀を通過するのに落ち武者狩りの襲撃も加わって困難を
極めたとされている。
酒井忠次・井伊直政・本多忠勝などが落ち武者狩りの一揆を蹴散
らせたり、金品を与えたりして通過した。

甲賀小川〜(北伊賀)柘植〜関〜亀山〜庄野〜を経て長太
であった。
@四日市説
A鈴鹿白子説

@長谷川秀一とこの付近で別れた説。
A長谷川秀一が尾張熱田まで徳川家康一行に同行した説。

伊勢商人:角屋七郎次郎秀持が伊勢国から三河国大浜までの船を
手配した。
伊勢国長太で乗船〜〜〜船〜〜〜三河の大浜
徳川家康一行は三河大浜(碧南)へ無事たどり着いた。
小川〜長太の乗船口までは17里(58km)ある。本当なかあ?
『家忠日記』天正十年六月四日条では、
「家康いか(伊賀)、伊勢地を御のき候て、大浜へ御あかり候面、
 町造御迎に越し候」と一次史料にあるが、・・・・。
『家忠日記』
「松平家忠は大浜に到着した家康を迎えた。
  徳川一行が雑兵200人ほどを討ち取った。」

6月5日、
三河国岡崎城(岡崎市)へ帰還した。


★明日は最終回?

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