城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』&【井伊道政・宗良親王】

<<   作成日時 : 2017/12/02 06:57   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

平成29年(2017)11月3日、浜松の『大平(おいだいら)城』 に行っ
た。南北朝時代の宗良親王絡みで改修・築城された城は井伊道政
の三岳城(三嶽城:井伊谷)・奥山城を中心に、南に鴨江城
(浜松市)、北に天山城(あてやまじょう、田沢城、浜松市引佐町)、
西を千頭峯城(せんとうがみね:浜松市三ケ日町)、東を大平城(お
いだいら)と、支城で固めた。 『大平城』で宗良親王・井伊道政が
敗北して、宗良親王は信濃に逃れていった。
現在、井伊道政は後世の南朝史観によって創り出された人物で、
井伊行直説が有力視されている。尹良(ゆきよし)親王もいたので
あろうか?
「田中大喜」先生は『太平記』においては、南朝側の後醍醐天皇の
側近が書いた説が通説であったが、『難太平記』を書いた今川了俊
が、「太平記」は北朝側の人が、新田義貞・義宗を武家の棟梁と認
め、足利尊氏をもっと凄い武家の頭領であるとするよう作為的に書
かれた。という説を展開している。
画像




●宗良親王関係*********************
箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政bT
【南北朝時代の井伊氏と宗長親王】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_11.html

箕輪初心:生方▲『井伊谷宮』と宗良親王復刻版
http://53922401.at.webry.info/201711/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政123三ヶ日町『佐久城』
&【浜名氏と上野国長谷寺】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_29.html

箕輪初心:生方▲浜松市三ヶ日町『千頭峯城遠望』
&【井伊谷・三ヶ日の歴史】
http://53922401.at.webry.info/201712/article_1.html

箕輪初心:生方▲大草城&大河原城*宗良親王&香坂高宗
http://53922401.at.webry.info/201606/article_12.html

箕輪初心:生方▲富山28【高岡浅井城&赤丸城の遠望】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201706/article_11.html

箕輪初心:生方▲20171111田中大喜先生講演会『新田一族の中世:
「武家の棟梁」への道』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_13.html
★新田義宗は宗良親王を助けた。

****************************


【1】平成29年(2017)11月1日************
07:00 家→駐車場
07:58 高崎 ⇒08:52着東京09:03発⇒10:31着 
 2時間33分 12,070円 お土産を買った。
JR北陸新幹線 あさま606号 東京行
JR東海道新幹線 ひかり465号 岡山行
☆石原さんにTEL
10:40 南口のトヨタレンタカー
@三方ヶ原古戦場跡 犀ヶ崖資料館には行かなかった。
12:00 井伊谷
   昼食「昌盛館」…中華丼・台湾味噌ラーメン
   石原さんの誕生日祝いだった・
A井伊谷遺産センター
B自耕庵と妙雲寺:直虎の位牌・南渓の位牌
C渭伊神社と天白磐座遺跡
D井伊谷宮・・・3回目
E龍潭寺・・・・・3回
  ★龍たん寺の現和尚様:武藤某様は大學の同期か一つ下らしい。
F気賀の「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」
本のプレゼント「浜松市の銅鐸」
○細江公園&細江神社
○万葉の里…歌碑が多い。
○展望台…★気賀の町並はかつては海がもっと迫っていたのであろう。
○国民宿舎「奥浜名湖」
○石原氏宅…たくさんに本をいただいた。
・「井伊家傳記」訳本上下:たちばな会著
  ・「井伊氏ゆかりの石塔」
  ・「井の国物語」谷光洋著、版画家でもある。
  ・「気賀と万葉歌碑」
  ・「高崎史帳」森田秀策著
○19:00国民宿舎「奥浜名湖」…★景色は最高。
・「花の舞酒造」の「奥浜名湖」を飲んだ。

【2】平成29年(2017)11月2日***********
○06:00 気賀の町中に・・・
○本陣
G▲城887気賀の堀川城
H気賀の長楽寺
○(陣屋⇒大河ドラマ館)
I井伊直親の墓
J蜂前神社
K▲城888刑部城…武田信玄のコース
○気賀の関所…町中十字路近く。入り口が小さく、駐車不可
  慶長6年(1601) 徳川家康により創設された姫街道の関所である。
○朝飯…国民宿舎「奥浜名湖」&精算11600円?
L気賀近藤氏5000石の陣屋
M大河ドラマ館…600円。★NHKの宣伝で、歴史好きの人には?
・気賀街歩きはしなかった。
==============================
N▲城889三日日の佐久城
O▲城890三ヶ日の千頭峯城
===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
P▲城891比丘尼城(近藤康用の支城)
Q▲城892宇利城(近藤康用の最初の城)
R▲城893野田城(菅沼氏の最初の城)
S▲長篠古戦場跡…馬防柵等の見物・
21▲長篠城2回目…本の購入「」
22▲城894医王寺と武田勝頼本陣
23▲鳳来山東照宮&鳳来寺…★井伊虎松がいたとされる坊
24▲城895柿本城(鈴木重時の城)
===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の実家
 昼飯は精進料理のうな重は1200円。
※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。

○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳
○井伊谷の石原先生宅
◆俺は帰りながら、閃いた。
 K大學の吹奏楽団の「祐太郎君」に会いてえな?・・・
★浜松泊まりを決定。東京大田区泊まり・群馬駆け戻りをやめた。
 
○GS…1900円
○トヨタレンタカー 約15000円
★可愛いお姉さんがビジネスホテルを教えてくれた。
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
「祐太郎」君にTEL…「明日、8:30に会うことになった。」
★祐太郎の声を聞けて、良かった。
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅

【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
28▲城897二俣城
29▲城898鳥羽山城
30▲城899大平城(おいだいら城)
大平城は新東名の浜松SAの北西600m程の所にある。県道68号
線を行く。
祐太郎君のナビは登山口を小さな灰ノ木川沿いを示していた。
大平城は灰ノ木川の北岸にあり五体力神社の北の山に築かれている
ようである。しかし、灰ノ木川沿い未舗装の道を進む。田んぼがある
が、駐車場がない。やっと、車を迂回する場所に着いた。迂回し、
戻った。
五体力神社から登ると気づいた。目立つ案内板があるのに、見落とし
た。駐車場まで完備している。10台くらいは止められる。

「暦応2年・延元4年(1339)には三岳城の支城として南朝方勢力
 が守備していた。・暦応3年(1340)2月南朝方の井伊道政の籠も
る三岳城が落城し、井伊道政は宗良親王とともに大平城に逃れた。
8月 井伊道政は北朝方の仁木義良らの夜襲に遭い大平城も落城し
た。」宗良親王は信濃に逃げた。
画像

●大平城の説明
画像

「大平城は、南北500m、東西400mの南北朝時代の山城(尾根式
複郭型山城)である。現在、樹木に覆われているため、外観では普通
の山にしか見えないが、山の南側は複雑に谷が入っており、北側と西
側は断崖となっている。また、城の南側前方には灰ノ木川が流れ、天
然の堀になっている。東側は尾根続きとなっているため、大規模な掘
割が造られている。」
縄張りを見る。
大平城は、本曲輪は比高70mの山稜に築かれている。自然地形を利用
して、曲輪を縄張しており、大きく南城と北城の二区画に分けられてい
る。一城別郭の様相である。北城が中枢部で、南城は出城である。
主郭は北側の山頂にある。東へ伸びた尾根には東曲輪が続き先端を
 堀切している。 また、主郭の西から南西方向に伸びた尾根に西曲輪
 がある。南西の先端に堀切を設けている。北側は主郭と西曲輪の東端
 部から伸びた尾根に堀切がある。まるで鶴翼?鷹の羽ねのようである。
南城は獲物のようにも見える。
画像
 

●井伊谷の歴史の説明
「井伊氏は、南朝の後醍醐天皇の皇子の宗良親王を迎え、遠江国の
 南朝勢力の中心となった。
 大平城の南朝軍と足利尊氏の命を受けた高師泰率いる北朝軍の
 攻防戦は、歴応二年(延元四年・1339)から翌三年(興国元年
 ・1340)にかけてくりひろげられた。この時の戦いの様子は、
 三ヶ日町の大福寺に残る「瑠璃山年録残編裏書」に詳しく書かれて
いる。
『歴応二年己卯七月廿二日 為井責越後殿下 大平ニ向給 
 尾張殿浜名手向給 カモヘノ城廿六日追落畢 同十月卅日 
 千頭峯城追落畢 同次正月卅日 ミタ□城追落畢 
 同次年八月廿四日夜 大平城□落□□。但当国守護新木殿落給』

・大平城(おいだいらじょう)は、南朝側についた三嶽城(浜松市
 引佐町)を本拠とする井伊氏の支城の一つとして築かれた。
井伊氏は、三嶽城・奥山城を中心に、南を鴨江城 (浜松市)、
北を天山城(別名田沢城、浜松市引佐町)、西を千頭峯城
(浜松市三ケ日町)、東を大平城(おいだいら)と、支城で固めた。
大平城の南朝軍と足利尊氏の命を受けた高師泰が率いる北朝軍の
攻防戦は、暦応2年・延元4年(1339)から翌3年・興国元年
(1340)にかけて繰り広げられた。
暦応2年(1339)
7月22日、北朝軍の高師泰の軍が大平城に侵攻し、高師兼の軍は
浜名方面に侵攻した。
7月26日、鴨江城が落城した
10月30日、千頭峯城が落城した。
暦応3年(1340)
正月30日に三嶽城が落城した。
  井伊道政は宗良親王と共に大平城に立て籠もった。
8月24日夜、大平城も、高師泰と遠江国守護の仁木義長の軍によって
 落城した。
 遠江守護に新木氏がなった。

南朝方は、遠江国で拠点を失い、宗良親王は信濃国へ落ちていった。

 
案内板の左脇のから階段を登って五体力神社に上がった。
画像

神社の前には城の案内板もある。
画像

画像

ところが、どうやって城址まで行くのかが分かりにくい。
画像


背後の山稜が城域かと思われるので、神社から背後の山稜に
上がっていくことになる。
画像



でも、祐太郎君が風邪気味でここで断念した。

祐太郎君が柿を買った。有名らしい。
画像





31▲城900引間城(曳馬城)
32 椿姫観音
○昼食「うなぎの佳川」…2800円+α。祐太郎君のおごり
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家
★次に浜松に行くときは
浜松市内では、楽器博物館・浜松基地・宿蘆寺
浜松井伊谷では、三岳城(三嶽城)・渋川館・初山窯・キ田城・奥山城
浜松の山奥では、犬居城・高根城
隣の市では【舟ケ谷城】直虎を支えた新野氏の居城・横須賀城
宿泊するなら「舘山寺温泉」国民宿舎紅竹 6000円


【0】浜松市三ヶ日・井伊谷の歴史
・平安時代
浜名氏は源頼政の末裔と云われ 鵺代:ぬえしろ(浜松市北区)
 の地を治めていた。
井伊氏は井伊谷に入った。

・鎌倉時代

・南北朝時代
・元弘3年(1333) 元弘の乱
後醍醐天皇の画策による元弘の乱で鎌倉幕府が滅亡した。
 建武の新政が開始された。
   
・延元元年・建武3年(1336)頃
 光明天皇を擁立した足利尊氏が建武政権の軍勢を破って
 京へ入り、後醍醐天皇は吉野へ逃れることとなった。
後醍醐天皇は大和国吉野(奈良県)の南朝方となった。
足利尊氏の離反?謀反?によって世の中は
 南北朝時代となった。

 足利尊氏(北朝) VS 後醍醐天皇(南朝)
 
南北朝の対立が本格化した。

●井伊氏が詰め城:三岳城を築いた。

・建武3年(1336) 延元2年
 6代目:香坂心覚が南朝方として牧城(後牧之島城)
   で挙兵した兵を挙げた。
   牧城は攻撃を受けても落城しなかったと伝えられる
   (★『市河文書』・『高梨文書』・・・信濃史料)

・建武4年・延元2年(1337)
 後醍醐天皇は、宗長親王は妙法院門跡を還俗して宗良
 を名乗らせた。
 宗良親王は、(後醍醐天皇の第8皇子(第5皇子?)
 延暦寺天台座主であったが後醍醐天皇の命により伊勢で還俗して、
 宗良親王を名乗った説もある。(宗良親王27歳)
 @尊良親王や恒良親王らを新田義貞に奉じさせて北陸(金ケ崎城)
 等へ向かわせた。
 A懐良親王を征西将軍に任じて九州へ向かわせた。
 B宗良親王を東国へ向かわせた。
  井伊氏は南朝方:宗長親王に属した。
 C義良親王を奥州へ向かわせた。
 各地に自分の皇子を送って北朝方に対抗させようとした。

 ▲三方ヶ原の戦い
  南朝方:井伊一族 VS 北朝方:今川範国
井伊氏が敗北し、三岳城に籠城した。
 秋、 宗長親王が一ノ瀬より井伊奥山に入った。
(★『遠江井伊氏物語』:武藤全裕著)
 9月 井伊道政も娘が尹良親王を生んだ。
  (★『遠江井伊氏物語』:武藤全裕著)
   ★年代が合わない?こんな早く子どもは生まれない。)

・暦応元年・延元3年(1338)
★北畠親房は現福島県の霊山寺城から現群馬の新田から本庄に渡り、
 四方田(新幹線本庄駅から100m)を破った。
1月、宗長親王は井伊谷を出て、橋本(新居町)で北畠親房と合流
 した。北畠親房はリーダーとして、宗良親王・義良親王を奉じた。
 後醍醐天皇の皇子達が伊勢に集結した。
 また有力な豪族を集め、日本各地に南朝の勢力拡大を目指して、
 計画した。
 北条時行も、中先代の乱で敗れた後、伊勢に赴き南朝側で戦に
 加わった。
▲美濃青野原の戦い
▲奈良の戦い
▲天王寺の戦い
宗長親王は吉野に入った。

・延元3年建武5年(1338) 9月 伊勢を出発した。
●井伊谷に入った宗長親王********************
1)宗良親王の井伊谷移動過程2説
 @北畠親房の陸奥国への移動説
 北畠親房は宗良親王・義良親王を伊勢国大湊(三重県伊勢市)
 より陸奥国府=陸奥国霊山=北畠親房の城(現福島県伊達市)
 へ行こうとした。伊勢湾を渡ろうとするが、座礁により遠江国
 白葉(静岡県西部)に漂着し、宗良親王は井伊谷の豪族井伊道政の
 もとに身を寄せた。北条時行も井伊谷城に入った。
(★『遠江井伊氏物語』】武藤全裕著)
A北畠親房は後醍醐天皇の考えに従って宗良親王・北条時行だけ
  を井伊谷から遠江・駿河・信濃・越前・越中・越後を南朝側に
しようと井伊谷城に入った。

2)宗長親王が井伊谷に入った理由
  @井伊谷と周辺には南朝方:大覚寺統の荘園・御厨が集中して
   いた。井伊氏を南朝方に走らせた要因が既にあった。
(★『遠江の雄:井伊氏』小和田哲男著)
  A後醍醐天皇は遠江の荘園の存在に着目し、南朝方の拠点を作ろう
  として宗良親王を送り込んだ。

3)井伊氏井伊介は誰か?宗良親王の庇護した井伊氏2説 
@井伊道政説・・・通説
   宗良親王の子:尹良親王の説
  ・尹良親王が井伊城に生まれている(伝)。
  ・尹良親王の母は井伊道政も娘と言われている(伝)。
  ・尹良親王は信濃の浪合で討死した(伝)。
A井伊行直説・・・最近の有力説
  井伊道政は後世の南朝史観による創作人物であると考えられるよう
  になった。
  井伊道政の娘が宗長親王に仕えて尹良親王が生まれた。
  尹良親王は長南朝再起のために戦ったが、信濃の
  「浪合の戦い」で討死したという。
  遠江・信濃・三河で「尹良:ユキヨシ様信仰」があるが、尹良親王
 の存在が伝説であり、井伊道政のことも後世の創作と考えられるように
 なった。(最近の有力説:井伊行直説)。

 ●宗良神社・・・御料には入れない。

4)宗長親王はどこに 宗良親王のいた城2説
@井伊氏詰め城:三岳城
井伊氏は居城:三岳城を修築し、支城群を整備して、
 北朝方の今川氏の攻撃に備えた。
A井伊氏詰め城:井伊谷城 (看板)
井伊道政は遠江介・井伊介とも称した。

・延元3年・建武5年(1338)閏7月2日、▲藤島の戦い
 新田義貞は越前国藤島の灯明寺畷で斯波高経の軍勢と交戦中
 に戦死した。

箕輪初心●福井「金ヶ崎城」@新田義貞&A木下藤吉郎
http://53922401.at.webry.info/201104/article_21.html

箕輪初心●福井「杣山城」=新田義貞の最後の城
http://53922401.at.webry.info/201104/article_30.html

箕輪初心●新田義貞D「若狭に逃亡〜福井で38歳没」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_44.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201102/article_44.html
★京都嵐山の檀林寺に首塚がある。


箕輪初心■福井「6回目奥・7回目」=奥の細道番外編
★福井県丸岡市の称念寺に新田義貞の胴塚がある。

箕輪初心▲本庄【金窪城】&新田義貞四天王:畑時能の最後
http://53922401.at.webry.info/201409/article_20.html
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201409/article_20.html


兄:新田義貞亡き後の軍勢をまとめて越前黒丸城を攻め落と
 したものの、足利軍に敗れて越前から退いた。
宗良親王を迎えた井伊氏は、井伊谷城・三岳城を修築し、支城群を
 整備して、北朝方の今川氏の攻撃に備えた。



・暦応元年/延元3年(1338) 宗良親王は義良親王とともに北畠親房
 に奉じられて伊勢国大湊(三重県伊勢市)より陸奥国府(陸奥国
 霊山:現福島県伊達市)行こうと伊勢湾を渡ろうとした。
 座礁により遠江国(静岡県西部)に漂着し、井伊谷の豪族:井伊
 道政のもとに身を寄せた。
井伊氏・井伊一族:奥山氏は南朝に属していた。
 井伊道政は 南朝の宗良(むねよし・むねなが)親王を迎えた。
 井伊道政は三岳(みたけ)城の改修工事をした。

 井伊氏は引佐郡を本拠とした井伊谷の三岳城主であった。
 井伊道政は後醍醐天皇の皇子:宗良親王とともに三岳城に籠もった。
 奥山氏は井伊氏の一族で井伊谷の奥山に住んでいた、

 南朝軍は防備を固める際に、千頭峯城、鴨江城、大平(おいだいら)
 城を構築した。
三嶽城を本拠とする支城群
井伊氏は、三嶽城(井伊谷)・奥山城を中心に、南を鴨江城 (浜松市)、
北を天山城(あてやまじょう、田沢城、浜松市引佐町)、西を千頭峯城
(浜松市三ケ日町)、東を大平城(おいだいら)と、支城で固めた。
  
千頭峯城は奥山氏?によって築かれた可能性も高い。
千頭峯城は三岳城を本城とした西方の支城であった。
千頭峯城は中千頭峯砦、長岩砦、鯉山砦などを従えた城砦群であった。
 
 浜名氏は初めは南朝に属していた。
佐久城(浜名城)が浜名氏によって築かれた。
 佐久城が三岳城と共に南朝方の拠点の一つであった。

 
・暦応2年延元4年(1339)
2月 宗良親王は駿河の阿部城:狩野貞長のもとを辞した。
 
8月頃 富士山麓を廻り甲斐国を経て信濃国へ入った。 
(★井伊谷を語りつぐ会)
 宗長親王は信濃へと敗走したのであった。
 
7月 足利尊氏の執事:高師泰・師兼らが遠江南朝方の鴨江寺城
 を落とした。 
  北朝方の高師泰が三岳城の井伊氏を攻めた。


7月22日 北朝方の高師泰(越後殿下)の軍が大平城に侵攻し、
  高師兼(尾張殿)の軍は浜名方面に侵攻した。

7月26日 三岳城の出城と鴨江城が落城した。

8月16日(9月19日) 後醍醐天皇吉野で崩御した。享年52。
  後村上天皇即位した。先帝の崩御は三岳城の宗良親王にも知
  らされた。宗長親王は紅葉を折ってそれに
 「思うには 猶色あさきもみじかな そなたの山はいかが時雨るる」
 という歌を添えて四条隆資のもとに届けた。

10月  佐久城の浜名氏は寝返った。
  北朝方として千頭峯城城を攻めた。

10月30日 高師兼が三ヶ日に千頭峯城を攻撃した。
 千頭峯城が落城した。
 井伊氏の一族:奥山朝藤を守将として浜名神戸荘の官県氏、
大江氏などが籠もった城とされる。

南朝:宗良親王を迎えた井伊氏の井伊谷に北朝:足利方の高師泰
・仁木義長 の軍勢が井伊谷に押し寄せてきた。

10月30日 谷津砦・上野砦が落城した。
 支城群は次々と陥落し、ついに三岳城が危機にさらされた。

・暦応3年・興国元年(1340)
 正月30日 三嶽(岳)城が落城した。
 籠城戦は3か月にも及んだが落城した。 
  今川範国・了俊に従属することになる。

 宗良親王は三岳城を逃れて大平城(浜北区)に入った。

8月24日 高師泰と遠江国守護の仁木義長の軍が大平城を攻撃した。
(★三ヶ日町の大福寺「瑠璃山年録残編裏書」)
   大平城も支えきれず、太平城が陥落した。
 大平城は歴史の上に登場することはなかった。    
  (★小和田哲男著)

8月頃 富士山麓を廻り甲斐国を経て信濃国へ入った。 
(★井伊谷を語りつぐ会)
 宗長親王は信濃へと敗走したのであった。

宗良親王が信濃に居を移されたのちの井伊氏は、北朝方に帰服する者、
 南朝にそのまま臣従を通す者に分かれたようである


 宗良親王は北陸の新田氏を頼って落ち延びようとした。

しかし、新田義貞が討ち死にし、脇屋義助も北陸から撤退していた。

中越後の魚沼地方(現十日町市)は新田氏(大井田・田中・新田
 など)、南浦原地方は五十嵐氏の南朝方の勢力範囲である。
信濃川流域の古志・三島地方も小国氏、村山氏などが南朝に属し
ていた。
寺泊には五十嵐氏の館(現聚感園:松尾芭蕉の句碑がある。)に
行った。 

★後、新田義貞の息子も宗良親王を鎌倉に呼んで、綸旨を出させ
 ようとした。

・正平5年/貞和6年/観応元年(1350) 観応の擾乱
   南朝方の武家が足利直冬を立てて挙兵した。

  九州では南朝方の菊池武光・足利尊氏の庶子足利直冬
 (ただふゆ:直義の養子)等が勢力が強くなっていた。

正平9年( 1354) 井伊道政が没した。

・正平16年/延文6年(1361) 執事:細川清氏が失脚して南朝に
 下った。
 北朝方の今川範国が今川貞世(了俊)を遠江から召還させた。

・正平22年/貞治6年(1367) 2代将軍足利義詮が死去すると出家
 した。今川了俊と名乗った。

・貞治6年(1367)井伊一族:奥山直朝に宛て今川了俊文書
  井伊氏一族は南朝方に属するようになっていた。

・建徳元年/応安3年(1370) 今川了俊が九州探題に任じられた.。
 今川了俊は南朝方のくすぶる九州を北朝方の九州にするために
 派遣された。
  遠江・駿河の武士を引き連れて九州へ赴いた。
「遠江・駿河の人々…横地・勝間田・奥山・井伊・早田・河田」
 井伊氏惣領家と庶子家の奥山・早田氏らが従軍していた。
 

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政113『井伊谷遺産センター』
井伊谷の歴史
http://53922401.at.webry.info/201711/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政114『井伊谷妙雲寺』直虎と南渓
の位牌・南渓肖像画
http://53922401.at.webry.info/201711/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊谷『謂伊神社』&モロード様
=客人神のうんこ神様?
http://53922401.at.webry.info/201711/article_18.html


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117『龍潭寺』:昊天が彦根清涼寺開山
http://53922401.at.webry.info/201711/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政119気賀A展望台からの気賀と『堀川城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政117気賀B「長楽寺」・『井伊直親の墓』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政120祝田【蜂前神社】と『徳政文書』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政121気賀D『刑部城』
http://53922401.at.webry.info/201711/article_25.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政122気賀E『本陣・復元関所』と【近藤家】
http://53922401.at.webry.info/201711/article_26.html



★明日は愛知「比丘尼城」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲浜松市『大平(おいだいら)城遠望』&【井伊道政・宗良親王】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる