城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政115『謂伊神社』&モロード様=客人神のうんこ神様?

<<   作成日時 : 2017/11/20 15:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

 「井伊谷宮」は井伊直虎や井伊直政が遊んだ場所であろう。
平成29年(2017)11月1日、井伊谷に3回目の訪問した。石原さん
の案内で「地域遺産センタ−」・「自耕庵」推定場所・「妙雲寺」から
]「謂伊神社・天白磐座遺跡に行った。石原さんから質問された「モ
ロード様」が気になって調べた。結論はでないが、勝手なモロード
様=降格うんこ神様?・・・つまり、井伊谷の五穀豊穣を願う神様で
あると考えた。井伊家が謂伊神社を現井伊宮から移す理由は川の
取水口でもあり、鉄器具の生産地であったと考えるのはいかがでし
ょうか?五穀豊穣を呼ぶ地と信仰→井伊谷を守る地+信仰:保護
者井伊氏は南北朝時代に、用水路開発と安全祈願のために、分
水嶺のこの地を選んだという考えはなりたちませんか?
石原先生、こんなロマンはいかがでしょうか?
画像





【1】平成29年(2017)11月1日***************
07:00 家→駐車場
07:58 高崎 ⇒08:52着東京09:03発⇒10:31着 
 2時間33分 12,070円 お土産を買った。
JR北陸新幹線 あさま606号 東京行
JR東海道新幹線 ひかり465号 岡山行
☆石原さんにTEL
10:40 南口のトヨタレンタカー
@三方ヶ原古戦場跡  
  犀ヶ崖資料館には行かなかった。
12:00 井伊谷
   昼食「昌盛館」…中華丼・台湾味噌ラーメン
   石原さんの誕生日祝いだった・
A井伊谷遺産センター
B自耕庵と妙雲寺:直虎の位牌・南渓の位牌
●自耕庵と直虎の墓伝説
・永禄4年(1561)5月、桶狭間の戦い
 井伊直盛が戦死した。娘であった井伊直虎(次郎法師)が
「自耕庵」を造立した。龍潭寺二世の南渓和尚を講じて開山した。
井伊直虎は龍たん寺の南の一角に住んでいた。晩年は「自耕庵」
に住んだ。井伊直虎の死後、井伊直虎の塗りの位牌に記された
『妙雲院殿月舩祐圓大姉』あったことから「妙雲寺」と改められた。
●臨済宗妙心寺派「浩徳山妙雲寺」
檀家の方が平日なのに石原さんの依頼で特別に開けてくださった。
「大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送が決まってから、妙雲寺で
まず、歴代住職の位牌が並んでいる場所の一番奥から見つかりました。
普段は位牌を全部取り出すことがないので全く気が付かなかったの
ですが、大掃除の時に発見しました。
 南渓の肖像画は私がここから発見しました。
と障子戸の上の所をさして教えてくださった。
歴代住職の肖像画が保管されていますが、全部は開いてません。
どんなお宝が出てくるかは分かりません。
井伊直虎のお位牌や南渓和尚のお位牌、南渓和尚の肖像画が写真は禁止
ですが、特別に許可しましょう。儲けの材料に使わなければ・・・」
と許可してくださった。
●本尊:虚空蔵菩薩

●直虎のお位牌
●南渓のお位牌
●南渓谷の肖像画
●青面金剛

●妙雲寺のお土産
 直虎のお土産グッズが購入できる。
手ぬぐい、ミニタオル、手提げバッグ、直虎人形などがある。
 直虎ちゃん柄のミニタオルはかわいかった。


昼食には、妙雲寺近くの「鰻いしかわ」と龍潭寺近くの「いいのや」
がお勧めらしい。


C渭伊神社と天白磐座遺跡
・先ほど、「妙雲寺」を開けてくださった方に改めてお礼を言った。
画像

●ムササビの森
画像

画像

画像

●古木
画像

画像

●案内板
画像

謂伊神社は井戸や井水を祭祀対象とした神社で、・・・やがて井伊氏の
発祥とともに氏神となります。のちに井伊氏が渭伊神社を神仏混交方式
とし、渭伊八幡宮と改称しました。・・・」

●社殿
画像

石原さん「浜松のパワースポットとしても有名な場所です。」
石原さん「謂伊神社に保管されていた太刀が盗まれてしまいました。」
御祭神
玉依姫命 品陀和氣命 息長足姫命

三代実録に
「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とある。

「式内社・渭伊神社に比定されている古社で、上代より井伊郷三十余村の
総社であったといわれています。」
画像

境内には幾つかの境内社がある。
参道に天白社。
社殿の左手には、英霊社・稲荷社・祖霊社。
本殿周囲には、若宮八幡社、水神社、御鍬社、菅原社、金山社、
榊本稲荷社、モロード様伊豆社。
「モロード様ってわかりますか?」
と質問を受けたが、知らなかった。
「神社御祭神鎮座図」には『モロード様 伊豆社 祭神:瓊々杵尊』
と記されている。
聞き慣れないカタカナの名前の神様だった。
なんか「様」つきの東洋のエキゾチックな神様の名前である。

●ネットで調べた。
@まろうど→モロード。
 まろうど【客/賓/客人】・・・訪ねて来た人。客人。
まろうどがみ【客神/客人神】・・・他の地域から来訪し、その土地で
   信仰されるようになった神。とあった。
A三河地区ではアラハバキ神が客人神として祀られることが多い。

B伊豆から来た客人の神様?誰だろう?

C天孫系の神に祭神の地位を奪われ、 客人扱いされている神様なのだ
という説を重んじれば、出雲の客人:少彦名神?
客人神の分布が製鉄に関わる遺跡・地名の分布と重なる説もある。

Dスサノオノミコトってあり得るかなあ?
ふと、閃いた。
五穀豊穣の神様として摂社を築いたのではないか?
移ったのは南北朝時代・・
井伊谷を井伊氏が五穀豊穣を願って移したのではないだろうか?
単に宗良親王の命令ではなく、・・・
それは、井伊氏が五穀豊穣を願った故の話になっていったのかも
しれない。

TK大学:小牧教授の講義 『うんこから食べ物だす神様』を思い出
した。
ドイツの民俗学者:アードルフ・イェンゼンが、インドネシア・
セラム島のヴェマーレ族の「ハイヌウェレ神話」について・・。
「ヴェマーレ族のハイヌウェレの神話」…ココヤシの花から生まれた
ハイヌウェレという美少女は、様々な宝物を大便として排出することが
できた。ある時、踊りを舞いながら、うんこでできた宝物を村人に配
ったところ、村人たちは気味悪がって少女を生き埋めにして殺してし
まった。ハイヌウェレの父親は死体を掘り出した。父は死体を切り刻
んであちこちに埋めた。すると、少女の死体からは様々な種類の芋が
発生し、人々の主食となった。」
★タロイモ・ヤムイモ・サツマイモであろう。
この類の神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く
分布している。これらは芋類を栽培して主食としていた民族である。
イェンゼンは原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。
これらの民の儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の
一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があった。このことは神話と儀
礼とを密接に結びつける例とされた。
 日本神話のオオゲツヒメや保食神(ウケモチ)・ワクムスビにもハ
イヌウェレ型の説話が見られる。
★小牧教授の話をしっかり、覚えていないので、ウィキペディアより
引用した。

『古事記』によれば、
「スサノオは母神イザナミのいる根之堅洲国に行きたいと願い、イザナ
ギの怒りを買って追放されてしまう。スサノオは母の地:出雲と伯耆の
堺の根之国へ向う前に姉:天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上
った。しかし、姉:天照大神は弟:スサノオが攻め入って来たのではと
思い武装して応対し、誓約(うけひ)を行った。スサノオは潔白が誓約
によって証明されたので高天原に滞在した。ところが、スサノオは粗暴
を行いをしてしまう。天照大神は困って「天の岩屋」に隠れてしまった。
そのため、スサノオは高天原を追放された。
 スサノオは、出雲と伯耆の堺の根之国へ向かった。途中で、空腹を覚え
てオオゲツヒメに食物を求めた。オオゲツヒメは様々な食物をスサノオに
与えた。スサノオは不審に思、食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗
いてみると、オオゲツヒメは鼻、口、尻から食材を取り出し、それを調理
していた。スサノオは、「そんな汚い物を食べさせていたのか。」と怒り、
オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が
生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰
部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。」
日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。
古代縄文時代の神信仰?
弥生時代の米文化などの食文化とうんこ文化
・・・パプアニューギニアの高地族はサツマイモ畑に豚を連れてきて、
 うんこを肥料代わりに遣っているクランがいる。
 (★TK大学:河辺教授の講義)
★日本神話に出てくる「うんこ伝説」は、東南アジアから中国南方部を経
由して日本に伝わった話ではないかと考えられる。
 

スサノオ
『日本書紀』…素戔男尊、素戔嗚尊等
『古事記』…建速須佐之男命
『出雲国風土記』…神須佐能袁命

オオゲツヒメ大宜都比売、大気都比売神

スサノオは出雲近くに向かっている途中のことであった。



結局…モロード様ってどなた様でしょう?????
古事記か日本書紀・日本後紀の世界なのだろう。
わしにはわからんのだ?


●案内板「渭伊神社」
「引佐町井伊谷字天白にあり境内二千五百三十五坪老杉古桧鬱蒼と
して繁茂し北西南の三 方河水回りて(神宮寺川にして又宮川とも
いう) 其風致最も秀拔なり
由緒創立の年代由緒詳ならざれども 三代実録に貞観八年十二月二十六
日授遠江 国正六位上蟾渭神
風土記に延喜式神名帳遠江国引佐郡渭 伊神社とあり又江州彦根城主
井伊家祖先 備中守共保寛弘七年其神井より出生以 来産土神として信
仰厚し
渭伊神社は往昔今の龍潭寺境内にありしも南北兵乱の時今の地に移せ
りという 往昔より渭伊二十七郷の大産土神なり
旧地頭近藤氏の崇敬厚し」

●神楽殿
「昔、神楽が奉納されました。」

●謂伊神社(いいじんじゃ)本殿の右に見ながら背後に廻った。

●渭伊神社境内遺跡(天白磐座遺跡)<静岡県指定天然記念物>
「天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡は古墳時代の祭場でした。
比高約20mのこんもりした円錐形を小丘陵の頂上に、40m四方に
わたって巨石がある。
向かって左の石の下の所から、多数の祭祀用の土器や勾玉などの
出土品がでてきました。
さっき見た「浜松市地域遺産センター」で展示しています。」
画像



●巨石と巨石を結ぶしめ縄
石原さん「子どもの頃、ここでよく遊んだよ。」
「NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第1話に天白磐座遺跡が
登場していた。
おとわ・鶴・亀達が「竜宮小僧」を探し回る場面で撮影されていた。
直虎が子供時代に本当に遊んでいたのであろう。
画像

岩の隙間に木が入り込んで、岩が崩れそうである。
画像

「天白磐座遺跡は古代祭祀場所の遺跡です。ここが祭祀場所として使われて
いたようです。」

下にもっと大きな巨石があった。
この場所からは 水にまつわる祭祀の行われたパワースポット
画像

神宮寺川が湾曲して流れる場所である。
「井伊谷の田んぼへの取水口があります。」

旧引佐町役場の西500mほどの井伊谷に鎮座していた。

D井伊谷宮・・・3回目
E龍潭寺・・・・・3回
  ★龍たん寺の現和尚様:武藤某様は大學の同期か一つ下らしい。
F気賀の「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」
本のプレゼント「浜松市の銅鐸
○展望台&万葉の里…歌碑が多い。
○国民宿舎「奥浜名湖」
○石原氏宅…たくさんに本をいただいた。
・「井伊家傳記」訳本上下:たちばな会著
  ・「井伊氏ゆかりの石塔」
  ・「井の国物語」谷光洋著、版画家でもある。
  ・「気賀と万葉歌碑」
  ・「高崎史帳」森田秀策著
  ・その他。
○19:00国民宿舎「奥浜名湖」…★景色は最高。
・「花の舞酒造」の「奥浜名湖」を飲んだ。
★浜松・浜名湖の味である浜松駅前より安い「うなぎ」を堪能
   できず、残念。鰻屋・鰻屋。夕食は別にすれば良かった。
だって、体裁のよい和食料理で、酒飲みには物足らなかった。

【2】平成29年(2017)11月2日***********
○気賀の町中に・・・
G▲城887気賀の堀川城
H気賀の長楽寺
○(陣屋⇒大河ドラマ館)
I井伊直親の墓
J蜂前神社
K▲城888刑部城…武田信玄のコース
○気賀の関所…町中十字路近く。入り口が小さく、駐車不可
  慶長6年(1601) 徳川家康により創設された姫街道の関所である。
○朝飯…国民宿舎「奥浜名湖」&精算11600円?
L気賀近藤氏5000石の陣屋
M大河ドラマ館…600円。★NHKの宣伝で、歴史好きの人には?
・気賀街歩きはしなかった。
※「花の舞酒造」…梅酒「直虎」は飲んだので行かなかった。
  元の米と水にこだわった日本酒製造の工場見学。販売・試飲も可。
N▲城889三日日の佐久城
O▲城890三ヶ日の千頭峯城
===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
P▲城891比丘尼城(近藤康用の支城)
Q▲城892宇利城(近藤康用の最初の城)
R▲城893野田城(菅沼氏の最初の城)
S▲長篠古戦場跡…馬防柵等の見物・
21▲長篠城2回目…本の購入「」
22▲城894医王寺と武田勝頼本陣
23▲鳳来山東照宮&鳳来寺…★井伊虎松がいたとされる坊
24▲城895柿本城(鈴木重時の城)
===宇利峠(静岡県⇒愛知県へ)==============
25▲奥山方広寺…★臨済宗方広寺派大本山。井伊氏分家の奥山氏が
 南北朝時代に建て奥山氏が庇護した。
井伊直虎の許婚::井伊直親の妻「ひな」の実家
 昼飯は精進料理のうな重は1200円。
※奥山館・奥山城・竜ヶ岩洞(2億5千万年前)には行けなかった。

○井伊谷の石原先生宅
26◆北岡大塚古墳
○井伊谷の石原先生宅
◆俺は帰りながら、閃いた。
 K大學の吹奏楽団の「祐太郎君」に会いてえな?・・・
★浜松泊まりを決定。東京大田区泊まり・群馬駆け戻りをやめた。
 
○GS…1900円
○トヨタレンタカー 約15000円
★可愛いお姉さんがビジネスホテルを教えてくれた。
○ホテルセレクトイン浜松駅前素泊まり4200円
「祐太郎」君にTEL…「明日、8:30に会うことになった。」
★祐太郎の声を聞けて、良かった。
○夕食「藤田」…鰻&酒で3480円
○ホテルセレクトイン浜松駅

【3】11月3日、
○07:00 駅前散策
○朝食…パン屋
○08:30 祐太郎君
28▲城897二俣城
29▲城898鳥羽山城
30▲城899大平城(おいひら城)
31▲城900引間城(曳馬城)
32 椿姫観音
○昼食「うなぎの佳川」…2800円+α。祐太郎君のおごり
13:40浜松駅…祐太郎君と別れた。
14:11発 15:40着 (89分)ひかり468号 東京行
16:11 東京→高崎
18:00 家
★次に浜松に行くときは
浜松市内では、楽器博物館・浜松基地・宿蘆寺
浜松井伊谷では、三岳城(三嶽城)・渋川館・初山窯・キ田城・奥山城
浜松の山奥では、犬居城・高根城
隣の市では【舟ケ谷城】直虎を支えた新野氏の居城・横須賀城
宿泊するなら「舘山寺温泉」国民宿舎紅竹 6000円



★明日は

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政132『二俣城』松井→依田→大久保
平成29年(2017)11月3日、浜松市の天竜を散策した。 祐太郎君の車でまず「二俣城」に行った。二俣城は、 井伊家被官:松井宗信が築いたと言われている。松井 家は松井宗能→松井貞宗→長男:松井信薫→次男宗信 →松井宗恒と続く家系で、子孫は「松居」を名乗り、井伊 直政に仕えた。「二俣城」は 武田信玄・勝頼親子と徳川 家康が激しい攻防戦を繰り広げた城として有名である。 また、徳川家康の嫡男である松平信康が切腹をした城 としても知られている。 天竜川と二俣川に挟まれた要害なの... ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2017/12/15 07:07

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政115『謂伊神社』&モロード様=客人神のうんこ神様? 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる