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zoom RSS 箕輪初心:生方▲奄美大島F【日本のゴーギャン・奄美のルソー:田中一村】

<<   作成日時 : 2017/07/26 07:03   >>

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本名「田中孝」→父の付けた号「田中米邨」→自分で名乗った号:
「田中一村」という画家をご存知だろうか?奄美大島に行くまでは、
おいらだって全く知らなかった。平成29年(2017)7月14日、奄美
パーク内の「田中一村美術館」に行った。翌日は一村の奄美での
家に行って見た。田中一村は10代の若さで才能を認められたに
もかかわらず、苦難の連続に見舞われ、中央画壇とは一線を画し
たまま、「田中一村」は絵筆一本の西日本へ放浪の旅に出た。
山下清も放浪の旅だったが、田中一村は中央画壇と決別した旅
であった。50歳でたどり着いたのは奄美大島であった。奄美大島
の自然を愛し、植物や鳥を鋭い洞察力と絵画力で繊細な花鳥画に
描いた。個展も開かずに奄美大島で最期を迎えた。孤高の画人
である。
言わば、運の悪い人生を歩んだ画家である。つまり、
無冠の日本画家であるとも言える。世間は【日本のゴーギャン】
と呼ぶらしいが、私の浅い美術的は知識のよれば、【奄美のアン
リー・ルソー】である。ルソーに比べると、怪しい動物ではなく、写
実的な生き物が描かれているが、世間からの認められ方もよく似
ていると思った。

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【1】 田中一村記念美術館
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・510円だった。受付のお姉さんが美人であった。
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田村一村の東京時代、千葉時代、奄美時代の作品約80点(年4回
展示替え)が展示してあり、日本画家田中一村の日本画を鑑賞できる。

1)栃木〜東京時代 1908年から1938年までの作品
白梅 
牡丹図 
倣蕪米 
倣聾米 
倣木米 
倣鐡齋 
農村春景 
蕗の薹とメダカの図・・・等
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2)千葉時代 1938年〜1958までの作品。
白い花(1947:青龍社展入選作)

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・花と軍鶏(1953:襖絵)

・雉
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 (★無料画像より)
能登四十八種薬草図(1955:やわらぎの郷・聖徳太子殿天井絵)

千葉寺の春の作品シリーズ

ザクロ図

●西日本スケッチの旅

九里峡・・・現在の和歌山。世界遺産:川の古道熊野川「九里峡」
室戸岬・・・現在の高知県。
由布風景・・現在の大分県湯布院
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 (★無料画像より)
ニンドウにオナガ(1956:奄美時代の絵を予感させる作品である。)
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 (★無料画像)

3)奄美大島時代1958年〜 
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 ★(無料画像より引用)
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奄美パーク内の『田中一村記念美術館』で、田中一村のスケッチ・
細密画・日本画など奄美の自然を画像にした画像などを見た。繊細
で優美な画風は結構楽しかった。




【2】奄美パーク
  田中一村の「楽園」をイメージ化できるように造られた。
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・アデン
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・展望台
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【3】 田中一村の奄美名瀬での家
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【4】 田中一村の生涯 (1908年7月22日 - 1977年9月11日)
・明治41年(1908)、栃木県下都賀郡栃木町(現栃木市)に6人兄弟の
 長男として生まれる。
 父は彫刻家の田中彌吉(号は稲村)である。
彫刻家の父から南画の手ほどきを受けた。
・幼い頃から南画(水墨画)に才能を発揮し「神童」と呼ばれていた。

・大正4年(1915)7歳の時、児童画展で受賞(天皇賞、もしくは
  文部大臣賞)した。
父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられた。

・10代ですでに 与謝蕪村や青木木米などを擬した南画を描いた。
  
 さまざまな賞を授賞している。にもかかわらず画壇から評価を得ら
 れなかった。

・昭和元年(1922)
 
・昭和5年(1926) 東京市芝区の芝中学校を卒業した。
 東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学した。
 同期に東山魁夷、橋本明治らがいる。
 

 6月 父の発病しで父が倒れ学費が払えず3ヶ月で中退した
退学した米邨は、南画で身を立てる決意を固めた。中国大陸に
留学して南画の勉強をしようという夢があった。しかし、借家暮
らしの一家の家計では、これもかなわぬ夢であった.

それから趙之謙や呉昌碩風の南画を描いて一家の生計を立てた。
 
・昭和6年(1931) 23歳の時、南画を離れて自らの心のままに描いた
日本画「蕗の薹とメダカの図」は後援者には受け入れられなかった。

  南画と決別すべく描いた「水辺にめだかと枯蓮と蕗の薹」は認め
  られず失望を味わい全ての支援者と絶縁してしまった。

・昭和13年(1938) 30歳の時に千葉寺に移り住み、力仕事で家族を支え
  ながらスケッチし歩いた。


・昭和22年(1947) 川端龍子主催の第19回青龍社展に「白い花」を出展し
  初入選を果たした。
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この時、田村米邨から田村一村に改めた。
 だが、これが生前作品を発表した唯一の機会であった。



・昭和23年(1948) 出品した「秋晴」は落選した。
田村一村は川端龍子と意見が合わず、青龍社からも離れる。

・昭和28年(1953) 第9回日展に出品するが落選した。
・昭和29年(1954) 第10回日展に出品するが落選した。

  日展に挑んだがことごとく落選した。

・昭和30年(1955) 西日本へのスケッチ旅行に向かった。
由布岳の絵を描いた。

  九州が転機となり、南の島へと憧れを持った。

・昭和32年(1957) 第42回院展に出品するが落選した。
・昭和33年(1958) 第43回院展に出品するが落選した。
   中央画壇への絶望を深める。
奄美への移住を決意する。

・昭和33年(1958) 50歳で奄美大島に渡り自給自足生活を行った。
日給450円の大島紬の紬工場で染織工として働いた。
 
・昭和34年(1959) 名瀬市有屋の借家に転居した。
 染色工で生計を立て、絵を描き始める。
紬工場で染色工として働き、蓄えができたら絵を描くという生活を
 繰り返した。
  亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界をつくりあげた。
  絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した。
 だが、奄美に渡った後も中央画壇には認められぬまま、無名に近い存在
 で個展も実現しなかった。
 田村一村は5年間働いた。

・昭和42年(1967) 夏に60万円の郵便貯金を蓄えていた。
この資金で3年間、画業三昧の生活に入る。
紬工場を辞める時「3年間絵を描いたら、またここで働きます」
と挨拶したという。
60万円を貯めると金が尽きるまでと覚悟を決め、高価な絵の具に
 向かい絵筆を握った。

・昭和52年(1977)年9月11日、心不全により他界した。
69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。


◆出典
・『アダンの画帖 田中一村伝』南日本新聞社編
・日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)南日本新聞社編
   アマゾン 1円+257円・・・★安かった。
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・田中一村Wikipedia


【5】田中一村とゴーギャンとルソー
@田中一村の生涯


Aコーギャン
後に、フランスからフランス植民地:タヒチに行ったゴーギャンに
ちなんで、「日本のゴーギャン」と呼ばれたそうである。田中一村
が奄美のド田舎に住んだことと同じように生活の基盤を住んだこ
とから、そう呼び始めたのであろう。『楽園でカンヴァスを広げた』
という意味では似ている。
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 ★ゴーギャンがタヒチで住んだ場所にはいけなかった。
・タヒチでダイビング
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Bルソー
私の発想では、画風はアンリー・ルソーに似ていると思った。
「田中一村」がアメリカの租借地になりそうだった奄美大島に行っ
た。染色工として、金が貯まると絵を描いた。ルソーはパリ市の
税関職員の仕事の余暇に絵を描いていた。ルソーは図書館の
絵をベースにして絵を描いていた。当初は稚拙な絵と評価され
ていたが、晩年、『熱帯の地=南国』への憧れの絵を描いた。
ピカソには、評価された。パリで孤独のうちに死去。享年66歳。
孤独死の観点からも田中一村とアンリー・ルソーに似ている。
私の中では「田中一村は奄美大島のアンリ・ルソー」であると
思っている。
以下、見た作品。
「蛇使いの女」 1907年オルセー美術館(パリ)
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・「異国風景 − 原始林の猿」 1910年メトロポリタン美術館

・「夢 」 1910年ニューヨーク近代美術館(死んだ年)
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 (★原田マハさん画像)
 ★ゴッホとルソー展



【6】奄美大島のダイビング&自然散策6泊7日***********

箕輪初心:生方▲奄美大島@【ダイビング&自然6泊7日】食事編
http://53922401.at.webry.info/201707/article_10.html

箕輪初心:生方▲奄美大島A【赤木名城(あかきなじょう)】
&「赤木名代官屋敷」
http://53922401.at.webry.info/201707/article_11.html

箕輪初心:生方▲奄美大島B【笠利町の名所旧跡・文化財15か所】
http://53922401.at.webry.info/201707/article_12.html

※奄美大島 ダイビングショップ ひかるダイバーズ Blog
http://www.hikarudivers.com/blog/
鹿児島県奄美市笠利町万屋1839-1
0997-63-2424  090-7395-9444
http://www.hikarudivers.com
info@hikarudivers.com

箕輪初心:生方▲奄美大島C『ひかるダイバーズで北部ダイビング前編』
&イルカウオッチング』
http://53922401.at.webry.info/201707/article_13.html

箕輪初心:生方▲奄美大島D【西郷隆盛:西郷松と西郷翁上陸之地
・西郷南洲謫居跡】
http://53922401.at.webry.info/201707/article_14.html

箕輪初心:生方▲奄美大島E『ひかるダイバーズで北部ダイビング後編』
&【DECO】
http://53922401.at.webry.info/201707/article_15.html




★明日は「奄美マングローブカヌー)

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