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zoom RSS 箕輪初心:生方▲富山10【二上山の大伴家持像】&『越中国分寺跡』

<<   作成日時 : 2017/05/11 23:27   >>

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平成25年(2013)4月27日、富山県の守山城から二上山を降りて
きたら、途中の万葉植物園入口に大伴家持像があった。山を下り終
わると、越中国分寺に行った。伏木湊町を車で通り、
桜谷古墳に寄
った。雨晴海岸付近は風情があった。氷見の城巡りと泊まる所が七
尾と決まっていたからである。大伴家持が越中国守として5年間赴
任した。大伴家持は日本最古の歌集「万葉集」の代表的歌人である。
Hpに「約4500首に及ぶ『万葉集』の中に、大伴家持の歌は473首ある。
なんと越中在住中に詠まれた和歌は223首にも及ぶ。」とあった。

『奥の細道の一貫の旅』で松尾芭蕉も通ったのに、城を優先させた
ので、高岡市万葉歴史館・放生津八幡宮・国司館・高志の国文学館
などに行かなかったことを後悔した。 高岡の武田信玄の弟:武田逍
遙軒信綱(1525〜1582)の子孫と伝えられている「武田家」・七尾の
北条家滅亡後の「北条氏邦館」に行って見たいと思った。また、射水
・高岡・氷見・七尾に行く理由ができてしまった。





■訪問日・・・平成25年(2013)4月27日

箕輪初心◆2013年GW:能登の城&ダイビング&志賀スキー他


1)4月27日、05:00 家を出発。10:00 高岡
@高岡の守山城、A二上山&越中国分寺、○氷見で昼食、
 @氷見阿尾城、C森寺城→D石川県の七尾城、E七尾小丸山城、
 ○居酒屋「鷹」
 ○七尾駅前のBHはやしに宿泊。
2)4月28日は、F能登国分寺→G石動寺&石動山城・G能登島
 ダイブリゾートで須原氏に3本ガイドをしていただいた。16800円。
 ★石川県でのダイビングは2度目。水温11℃。
  アマモの花は海中で花は咲くのであった。初めて見た。
 ○七尾「夢市:寿司屋」で夜食。
 ○七尾駅前のBHはやしに宿泊
3)4月29日、06:00発〜07:30小矢部JC
  10:40志賀に到着。
 2時間券2800円で10:50〜13:00まで12本滑った。
  仲間のBBQには13名が参加した。
  14:00には、スキー場を発ち、14:15陶芸師匠宅に着いた。
  2時間、陶芸を楽しんだ。
  17:00 家に着いた。


【0】守山城・・・第一の目的地であった。
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【1】万葉植物園の大伴家持像
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・天平18年(746) 越中国司として伏木に住んでいた。
  越中に5年間滞在・・・
・昭和28年に高岡駅前に銅像が建てられた。
・昭和56年に万葉植物園入口に移設された。
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 (★無料画像)
 若き日の大伴家持の銅像が二上山に建っている。

 「 玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 
     声の恋しき 時は来にけり 」


【2】越中国分寺跡&勝興寺境内
駐車場がないので、路上駐車した。
小さな薬師堂。
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・8C半ば、 聖武天皇が国家の安穏を祈願して、国毎に僧寺(国分寺)、
 尼寺(法華寺)の造立の詔勅が宣布され、全国に建設が進められた。
 薬師堂の前庭および側方には講堂または金堂の遺構と考えられる
 土壇が約20m現存している。
 薬師堂の前方20m南東の場所(現 共同墓地)には塔の跡と考えら
 れる基壇が残っている。
 平安時代初期の等身大の神将像が堂内にあるそうだ。
・昭和11年 奈良時代後期に属する国分堂式の単弁蓮花文系軒丸瓦
 (鐙瓦)と唐草文系軒平瓦、平瓦、丸瓦、土師器、鉄製扉鋲などが発
 掘されたことから、国分寺は薬師堂(現国分寺)付近と推定された。
・勝興寺本堂裏の国府跡の家持の歌碑。「あしびきの 山の木ぬれの ほよ採りて
        かざしつらくは 千年寿ぐとぞ」
「あしひき」は、山に掛かる。
「ほよ」は、やどり木のことで、髪にかざすとめでたいという意味。


【3】伏木の湊町・・・★車で走っただけ。

【4】寺井・・・・・・★知らなかった。

【5】国司邸・・・・・★知らなかった。


【6】国史跡「桜谷古墳」・・・★偶然。雨晴海岸の途中だった。


【7】武田家住宅・・・★行かなかった。後悔した。
越中国分寺跡から約2.7km
武田信玄の弟:逍遥軒信綱の末裔と伝えられ、代々肝煎(庄屋)を務めて
きた。
※約「200年前の建物で、間口、奥行きともに21m、建築面積443平方m
に及ぶ大規模なものである。国の重要文化財建造物である。
看板を前に「さようなら」した。



【8】雨晴海岸・・・・通り道だから、自動的に、帰りの北アル
   プスが最高だった。
越中国分寺跡から約2.9km程の場所にある。
義経伝説を伝える白砂青松の海水浴場もある。
渚百選の一つにも選定されている
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◆富山の古代〜奈良時代:〜戦国時代幻想
・古墳時代
  富山県には約600基の古墳が確認されている。

@柳田布尾山古墳(氷見市)
●桜穴古墳(高岡市)国史跡 高岡市太田字桜谷
 7基の円墳と2基の前方後円墳が発見された。
 基の前方後円墳は国の史跡として指定を受け整備された。
画像

画像


・奈良時代
北陸は「越(高志・古志)の国」(こしのくに)とよばれていた。
 越中国に(現富山県高岡市の伏木)の国府が置かれた。


・養老2年(718) 能登国は越前国から分立した。

・神亀2年(728)頃 大伴家持の父:大伴旅人は大宰帥として妻・大伴
  郎女を伴って大宰府に赴任した。60歳を過ぎてからの2度目の九
  州下向であった。大伴家持が一緒に同行したか不明である。
 @任官説1・・・権力を握っていた左大臣:長屋王排斥に向けた
  藤原四兄弟による左遷人事説
 A任官説2・・・朝鮮・中国との遣唐使外交・防衛上の手腕を期待
  された人事説  
太宰府での「菅原道真」の太宰府との盛り上げ方も地域偏重歴史観
が漂っているとしか思えないが、・・・・


・天平2年(730) 父:大伴旅人とともに帰京した。

・神亀6年(729) 長屋王の変
藤原鎌足と車持与志古娘の子:藤原不比等?息子で光明子の異母兄で
 ある藤原四兄弟が光明子を皇后にするために、長屋王の抹殺を仕組ん
 だものといわれている。長屋王は自殺し、藤原の反対勢力がなくなった。
 光明子は非皇族として初めて立后された。
 最終的に聖武天皇の後宮には他に4人の夫人が入ったが、光明皇后を含
 めた5人全員が藤原不比等・県犬養三千代いずれかまたは両人の血者で
 あった。

箕輪初心:生方▲2015高崎『車持神社』&車持与志古娘の子:藤原不比等?
http://53922401.at.webry.info/201509/article_12.html




・天平4年(732) 田口年足(たぐちとしたり)が赴任した。
   越中守となった。……越中国守の初見である。

・天平9年(737) 天然痘が流行した。
 右大臣:藤原武智麻呂・藤原房前・藤原麻呂・藤原宇合の藤原四兄弟、
 中納言:多治比県守ら議政官が次々に死去した。
 生き残った有力公卿は、参議の鈴鹿王と橘諸兄のみとなった。
 朝廷は鈴鹿王を知太政官事に、橘諸兄を大納言に任命した。

・天平10年(738) 橘諸兄は正三位・右大臣に任ぜられた。
  国政は橘諸兄が担当した。
  橘諸兄は遣唐使での渡唐経験がある下道真備(吉備真備)・玄ムをブレ
  ーンとして抜擢して、聖武天皇を補佐することにした。
  大伴家持は内舎人に抜擢された。
  内舎人(うどねり)=律令制で、中務(なかつかさ)省に属する
  官位である。
  大伴家持は聖武天皇の雑役や警衛に当たる職務として朝廷に
  初出仕した。


・天平12年(740) 藤原広嗣の乱
聖武天皇は平定を祈願し、大伴家持は伊勢行幸に加わった。

・天平13年(741) 聖武天皇が国分寺建立の詔を発布した。
聖武天皇が国家の安穏を祈願して、全国68の国々に国分僧寺=
 金光明寺と国分尼寺=法華寺を造ることを命じた。
私は国分寺には、おそらく10位しか行っていない。

・天平13年(741) 同年、越中国に能登国が編入された。
  越中国分寺建立も一貫であった。

・天平15年(743) 東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出した。
  藤原氏の重鎮が相次いで亡くなったため、国政は光明皇后の
  異父兄:橘諸兄(にあたる)が執り仕切っていた。
 墾田永年私財法を制定した。
 
・天平17年(745) 大伴家持は従五位下に叙せられた。


・天平18年(746)
3月 大伴家持は宮内少輔に任じられた。

***越中時代*************

天平18年(746) 6月 大伴家持は越中守に任ぜられて地方官になった。
結果的に、大伴家持が越中国守として5年間赴任した。
 (28歳〜33歳)
大伴家持は日本最古の歌集「万葉集」の代表的歌人である。
約4,500首に及ぶ『万葉集』の中に、大伴家持の歌は473首ある。
 越中在住中に詠まれた和歌は223首にも及ぶ。
 越中の山河、気候、動植物が多く詠まれた。


北陸は「天離(あまざか)る鄙(ひな)」と呼ばれ、都人にとっては
  遥かな遠い土地という印象が強かった。

※大伴家持の越中赴任説
 @赴任左遷説
   一般的には左遷かもしれない。
A赴任栄転説
  当時の最高権力者である橘諸兄が藤原氏復活を抑える布石として
  重要地に派遣したので栄転であるとする説である。
・越後〜出羽の中心的出張所な要素であった。
・対朝鮮・渤海との外交の要所でもあった。などが考えられる。



6月 大伴家持の一人の弟書持(ふみもち)と死別した。

9月に弟、書持の訃報に接した時 
「ま幸(さき)くと 言ひてしものを 白雲に
            立ちたなびくと 聞けば悲しも」

「かからむと かねて知りせば 越の海の
             荒磯の波も 見せましものを」
右天平十八年秋九月二十五日に、越中守大伴宿禰家持、遥かに
 弟の喪を聞き、感傷して作る。

京の丹比の家に贈れる歌一首(妹?妻?)
「妹(いも)を見ず 越の国辺に 年経(ふ)れば
       わが精神(こころど)の 和(な)ぐる日もなし」
「東風(あゆ)を 疾(いた)み奈呉の 浦廻(うらみ)に
    寄する波いや 千重(ちえ)しきに恋ひ渡るかも」
 右の一首は京の丹比の家に贈れり。

◆出典引用「万葉集と大伴家持の生涯」
http://okinaga.take1mg.com/newpage2.htm



「物部の 八十乙女らが 汲みまごふ
        寺井の上の  堅香子の花 」

「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
     釣する小舟  漕ぎ隠る見ゆ 」

「鵜坂(うさか)河」「売比(めひ)河」「伊波世(いわせ)」
 などの地名が出てくる。
「鵜坂河」「売比河」は現在の神通川だといわれている。
「鵜坂」は婦中町の地名に今も残り、「婦負ねい」は「売比」が転じ
たものといわれている。
「伊波世」は現在の岩瀬一帯(富山市岩瀬)だといわれている。



大伴家持が羽咋に巡視に訪れた時、
「志雄路から ただ越え来れば 羽咋の海
  朝凪(あさなぎ)したり 船楫(ふねかじ)もがも」


大伴家持が国守としての任を終え越中を去る時、 
「しな離る 越に五年 住み住みて
      立ち別れまく  惜しき夕かも 」

・天平勝宝3年(751) 大伴家持は少納言に任ぜられて帰京した。

*****************************


・天平勝宝9年(757) 能登国は越中国より分離独立した。






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