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zoom RSS 箕輪初心:生方▲『板東の16番札所の歴史私見&桜』と『地球屋の雛飾り』

<<   作成日時 : 2017/05/08 21:57   >>

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私が水沢寺で一番気になるのは、『何故、水沢寺の方々は水沢寺が
今も隆盛を誇っているに本気で歴史を調べているのだろうか。』
Hpの
歴史を見ても、新しい釈迦堂を見ても全く分からないのである。
具体的には、@水沢廃寺と水沢寺の関係はどうなっているのであろ
うか?A何故、板東16番札所になったのだろうか?源頼朝が選定に
当たって、御家人の誰が水沢寺を庇護したのであろうか?
B戦国武将(長野氏・武田氏・北条氏・井伊氏)と水沢寺のどのよう
に庇護したのか。C江戸時代、幕府の庇護はどうだったのか?、D
ここ100年の歴史はどうだったのか
……などである。
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私にとって子どもの頃は、水沢観音はには私の信仰の対象であった。
高校生、大学生になっても、大晦日には除夜の鐘〜初詣に行った。
水沢街道への車は数珠つなぎで、2時間待ちは普通だった。それでも、
行った。ところが、25歳の本厄に、3000円かけて護摩よけをし
たにも関わらず、鉄棒から落っこちて、大怪我した。
それ以来、護摩祈祷の厄除けは絶対に効かないと思うようになった。
御朱印はおかげで「参拝記念」になってしまった。寺や神社が芸術の
対象であり、歴史の勉強の一貫になってしまった。
しかし、それからも50回以上、水沢観音を参拝している。一時、パ
ワースポットと騒がれたので余計に行った。御利益はないのに、・・・ 
平成29年(2017)4月21日、結石の除去手術成功の祈願をした。
  


【2】 水沢寺の歴史

・履中天皇の時代 上野国司の3女:伊香保姫の持仏である千手観音
  が人間の姿になって姫の危険を救った伝説がある。

・飛鳥時代  創建年代については不詳である。
・白鳳時代・・推古天皇の頃、姫の夫:上野国国司:高光の開基に
     より創建された(伝)。
高麗の高僧:恵灌僧正の開基である。

   御本尊は国司:高野辺家成公の3女:伊香保姫のご持仏の
   十一面千手観世音菩薩であった。
・奈良時代
万葉集では、「伊香保路」の歌が出ている。
 怒る山の意味もあった。
浅間山=水沢山が国府や東山道=奥大道の中心に見えた。
信仰の対象になっていたと考えられる。

・平安時代 
   ・水沢廃寺が水沢の入り口に造られた。
※榛名神社巌殿寺・唐沢廃寺・(黒髪神社)・船尾滝
近くの元の柳澤寺・水沢廃寺が同じ時代であろう。
@榛名山の天狗山?・榛名神社・巖殿寺(巌山遺跡)
A鐘撞山・・・・・・唐松廃寺
  ・相馬山=黒髪山
  B浅間山=水沢山・・水沢廃寺 

・鎌倉時代・・坂東三十三ヶ所の第十六番札所となった。
  ★足利一族の桃井義胤が桃井荘を得て大藪城で現榛東村・吉岡村を
  支配したのであろうと推測している。
  桃井義胤は「水沢観音」を現在地に動かした可能性がある。
★板鼻→板東15番:長谷寺→箕輪→板東16番:水沢寺の
街道が整備された。

・南北朝時代
桃井直常は現吉岡町に五輪塔を建てた。
・興国5年/康永3年(1344) 桃井直常は越中守護に補任された。
越中に庄ノ城、千代ヶ様城、布市城を築き、越中支配の拠点とした。

 ★桃井氏の亡き後、水沢寺を庇護したのは誰であろうか?
足利一族:渋川氏かもしれない。

・戦国時代
※榛名山信仰は続いていた。
  @榛名山の天狗山?・榛名神社・巖殿寺(巌山遺跡)
木部氏が庇護した。→鷹留長野氏(室田長野氏)が別当になっている。
・鐘撞山・・・・・・唐松廃寺は廃止された。
  A相馬山=黒髪山
   ★現榛東村広馬場の字輪寺に墓が約20基分ある。
  B浅間山=水沢山・・水沢寺。
   ★桃井城・大藪城主:不明。武田時代に大熊が土地を貰った。 
全て円錐系の山とセットになっている。

※現榛東村の字輪寺に約20基の室町時代の宝きょう印塔が存在する。
 


・永禄9年(1566) 9月29日 武田信玄が箕輪城を攻略した。
・永禄10年(1567) 真田昌幸らが箕輪城代になった。
  「真田道」と呼ばれる道が整備された。
        

・天正3年(1575) 長篠の戦い
  武田勝頼は傷を直すため、真田昌幸に命じて、伊香保の石段街を
整備を命じた。子持の白井長尾憲景の家臣:千明・木暮は工事に
当たった。
武田勝頼か地元の有力者が庇護しなければ、水沢寺の参拝客が
いるはずはない。
おそらくは現吉岡町の下がり藤に武田菱の武藤家・馬場信春の
子孫など武田の親戚衆・家臣衆であったはずである。
武田家臣ではないが森田家が庇護したかもしれない。

・天正10年(1582) 清水屋・田丸屋など?の先祖が水沢でうどん屋を
始めた。
★「水沢観音の詣で客に食べさせた。」ことに繋がらない。

・江戸時代・・江戸幕府から朱印状が与えられた。

@三国街道から分かれた「水沢街道」が整備された。
野田宿が整備され、現森田家が本陣になった。
森田家が近在の村の総名主になった。
酒屋も経営していた。
民間の立場で、森田家の口利きで、水沢寺が庇護されたはず
である。
A中仙道(後中山道)から分かれて、現榛東村に「柏木宿」が
整備された。
B15番

・元禄年間  観音堂が再建された。

・天明7年  本堂が建立された。
        


・現在








【2】 水沢観音の訪問
▲水沢山
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水沢観音・・・渋川市伊香保町水沢214  電話0279-72-3619

○駐車場
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○土産屋
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○石碑
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○土産屋

○納札所
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○鐘楼

○朱印所
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○下ると、
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○仁王門
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○煙〜〜〜〜
  かぶっても手遅れの頭・・・・
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○本堂(観音堂) 十二支守り本尊。 
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○???
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○六角二重塔(輪蔵)…六地蔵と大日如来が安置されている。
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  群馬県県指定重要文化財。
「三回まわして願い事をすると叶う。」と言われている。
  でも、回したのは2回だけ・・・・
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▼戻った。


○釈迦堂 現代的な設備の文化財ギャラリー。
     無料拝観。
   平成6年から平成9年にかけての大修復を機に、本堂や仁王門
   などにあった釈迦三尊像、仁王像、二十八部衆像・十一面観
   世音菩薩像、円空仏等を移転安置した。


○万葉歌碑
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▲水沢山

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●食・・・水沢うどんは日本三大うどんの一つ。
  13軒ある。

箕輪初心:生方▲『水沢うどん&高崎市北部のうどん屋選ひのポイント・コツ』
http://53922401.at.webry.info/201705/article_4.html

箕輪初心:生方▲『うどんの歴史』&「日本の名物うどん」
http://53922401.at.webry.info/201705/article_2.html

箕輪初心:生方▲【水沢うどん13軒】のミニ情報
http://53922401.at.webry.info/201705/article_3.html




【3】地球屋の雛飾り
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