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zoom RSS 箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政61【瀬戸方久と井伊家】

<<   作成日時 : 2017/04/08 08:23   >>

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NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』の2話に登場のあばら家
の「オナラ男」は実在の豪商:瀬戸方久(ほうきゅう)である。
瀬戸方久は遠江国引佐郡瀬戸村を与えられた郷士で、商人
兼武将であった説が有力であろう。井伊谷の領主:井伊直盛
・井伊直虎の庇護を受けて豪商に成長したと見られている。
後、新田氏も称したという。
群馬県立歴史博物館の梁瀬大輔
先生は「商人兼武将は、上野国では金井(倉賀野)淡路守景
秀が有名である。武田信玄家臣・滝川一益家臣・北条家臣と
して、宿屋業・飛脚業・運送業として、町人でありながら武
士を兼任し、領主への取次担当をしていた滅多にいない戦国
武将である。」と説明している。
戦国武将の多くは井伊家の
ように貧乏な武家であった。従って、瀬戸方久・倉賀野秀景
のように豪商兼武将で他地域の大名や武将には金を貸すよう
な人物がいたのだ。大金持ちといえば、金山・(銀山)と持つ
武田信玄や上杉謙信や今川義元がいる。NHK「歴史ヒストリ
ア」で黒田基樹氏は「織田信長も大金持ちであった。8割は
家臣に所領をあげていたが、推定24億円?・・。」と説明し
ていた。
画像

 (★無料画像より)



【1】史実編
*******************************
【4】井伊直虎が女城主になるまでに亡くなった井伊家の男達
・天文10年(1541)井伊直元が井伊谷で病死。(★「井伊家傳記」)
・天文11年(1542)井伊直宗が三河国田原城攻めで討死。
  (★『寛政重修諸家譜』)
  天文15年(1546) 後半〜三河攻めが始まったので疑問視されている。
  天文16年(1547)説:大石泰史説。
  天文20年(1551)1月説:『朝野旧聞裒藁』の「井家新譜」説。
  天文23年(1554)説:「井伊氏系図」説
・天文13年(1544)井伊直満・井伊直義は小野政直の讒言で今川義元に
   誅殺された。

・天文13年(1544) 12月29日 井伊直満の家老:今村藤七郎正実
 は亀之丞をかますに入れて、黒田から渋川郷の東光院に逃れた。

◆TVで瀬戸方久が登場した。オナラ男である。
画像

(★無料画像より)


・天文14年(1545) 1月3日夜、亀之丞は東光院住持能仲の案内
  で信濃にむかった。
★1月4日 伊那郡市田村(現高森町)の松源寺へ逃れた。
 信濃伊那の松源寺は井伊直親の叔父:南渓禅師の師:文
 叔禅師のいる寺であった。

天文15年(1546) 瀬戸方久は遠江国引佐郡祝田村に住んだ。


・天文23年(1554)井伊家筆頭家老:小野和泉守政直が没した。
   龍泰寺(現龍潭寺)に埋葬した。


弘治2年(1556)
@「弘治二年丙辰鯉田ふりは十四貫定成之日記
 壱貫七百十五文  弥八
 三百九十五文  七郎五郎
 七百七十二文   六郎兵衛尉
 ・・・(中略)
(井伊)直泰
           方久」
 年貢を納めなければならない16人の額を記載した。
(★『井伊一族井伊直泰の坪付』:蜂前神社文書
   「井伊直虎:小和田哲男著P117)

A「祝田鯉田年貢之事、近年源四郎有申様、廿貫文に相定候処に、
  年々水損就以外而、達而侘事仕候間、後年之事者定成十四貫
  二相定可・・・・
  ・・(中略)・・・
      (新野)左馬助殿    
(瀬戸)方久(王へんに久)禅門殿   直盛
 瀬戸方久・直虎の母の兄・新野左馬助は井伊直虎の父:直盛より
 祝田鯉田(現静岡県浜松市北区細江町)の「侘事」=年貢減免に
 ついての手紙をとともに受けている。
 「20貫文の年貢を水害のために侘事=年貢減免して欲しいとあ
  ったので、定成14貫文に定めたので、・・・・
新野左馬助親矩殿と瀬田方久殿 へ  井伊直盛より 」

★瀬戸方久は祝田鯉電の年貢徴収を請け負っていた代官であったと
 考えられる。
★「おんな城主 直虎」の第2話では、ボロボロの身なりの流れ者の
おなら男:瀬戸方久が、わずか12年で年貢の徴収まで任された。
井伊直親と奥山朝利の娘:ひなが祝田に屋敷を設けさせた理由の
 一つであるかもしれない。


永禄元年(1568) 瀬戸方久は気賀村に移った。
  呉石郷の御所平という所に住んだ(伝)。

・永禄3年(1560) 5月19日 ▲桶狭間の戦い
 (次郎法師父:)井伊直盛ら16人が今川側で戦死した。
@井伊直盛(享年55:井伊家傳記・享年35:寛政)
A奥山彦一郎・奥山太郎次郎親秀・奥山彦五郎
B上野惣右衛門・上野源右衛門・上野彦市郎、上野孫四郎
C小野玄蕃・小野源吾
小野政次(道好)の弟:玄蕃朝直と小野源吾が討死している。
6人兄弟の2人が死んだ。
D家老:松井宗信も死亡した。★独立していた可能性もある。

●討ち死にした者の記述
「近習六十余人残らず、或いは戦死、或いは切腹、皆々生害也。
 直盛公右人数なり。」
一般的に・・・約200人が討ち死に・殉死した。

●井伊直盛が奥山孫市郎に告げた遺言
「今度不慮の切腹不及是非に候。其方介錯仕候て死骸を国へ持参仕、
南渓和尚、焼香被成る候様に可申候。扨又、井伊谷は、小野但馬
の心入、無心元候故、中野越後守を留守に頼置候。此以後猶以小野
但馬と肥後守主従の間、無心元候間、中野越後守に井伊谷を預け候て、
時節を以、肥後守、引間え移替申候様に直平公に委細可申」
 (★『井伊家傳記』)
(★『この一冊でよくわかる! 女城主・井伊直虎』:楠戸義昭著P143)
「今度、思いもかけず切腹しなければならなくなりましたが、これは
致し方ないことです。その方は、(私を)介錯(私が腹を切ったら、
私の首を刎ねて)ください。死骸(なきがら=遺体)を井伊谷へ運んで
ください。南渓和尚に焼香を申しあげ、(埋葬を)頼んでください。
さてまた、井伊谷は、小野但馬(道好=政次)の心入り(悪計)が
気がかり=心配ですので、中野越後(直由)を井伊谷城の留守居役
(井伊谷城城代兼井伊直親の後見人)として置くように伝えてください。
これ以後、なおもって、小野但馬(道好)と井伊肥後(直親)との主従
関係が心配でありそうな期間は、(★中野越後守直由に井伊谷城を預け
ている間に)、時節=頃合いを見計らって、井伊肥後(直親)を引馬城
へ移すよう、井伊直平公に詳しく伝える旨をお伝えくださるようお願い
申しあげます。」
自分の解釈した意味訳なので、合っているか不安であるが、・・・
井伊直親は成人したといっても井伊谷に戻って5年しかたっていない。
中野直由に井伊直親の後ろ盾となって助けてほしいとの思いがあっ
 た。松下清景もいるが、井伊家の近い身内で頼れるのは、中野直由
 しかいなくなってしまったという状況であろう。

井伊直盛が桶狭間で討死のとき、「遺領は中野越後守に預ける」
 と遺言した。
 従って、井伊谷は中野越後守直由・(次郎法師)が預かった。
   (★『井伊家伝記』・『井伊直虎物語』浜松歴女隊編)

 
井伊直盛の遺言で、中野越後守直由は、井伊宗家が名乗る武家官位の
「信濃守」を用いて「中野信濃守直由」と名乗り、井伊領主となった
のである。

そして、中野直由は井伊直親の後見人となり、井伊領主相
続に異を唱えた小野但馬守と戦うことになる。

中野氏に組した奥山氏宗家:奥山朝利が討たれる結果となった。

 
「井伊信濃守直盛、於尾州桶狭間戦死今川義元為于時、井ノ谷成空城、
 直盛ノ息次郎法師因為地頭職為後見従。」
※意味・・・井伊直盛が尾州(尾張)の桶狭間の戦いで死んだ為、
 井伊谷城が空城になったので、直盛の子の次郎法師が地頭職を継い
 で後見になった。
★井伊直盛の跡を継いだのは、娘の次郎法師ではなく、養子の井伊直
 親である。次郎法師は後見人である。

●松井宗信も討ち死にしてしまった。


瀬戸方久って誰?*********************

1)瀬戸方久=松井宗信説
『彦根市の松居家文書』
「 松井郷八郎 居城、遠州二俣。」
「老年、引佐郡瀬戸村ニ蟄居。法名、入道方久。」
※意味・・・老年、引佐郡瀬戸村に隠居した。
 法名は「方久」である。
★疑問・・・松井宗信が瀬戸方久になったということであろうか?
 松井宗信は桶狭間で討死しているのに・・・。

2)瀬戸方久=松井宗信=新田喜斎説 
 
3)瀬戸方久=松井総十郎説
 井伊直平の家老で、気賀領主とされる新田喜斎には娘がいた。
 松井宗信の息子:松井総十郎を養子にしたとする説もある。


4)瀬戸方久=新田喜斎説
(★『女城主・井伊直虎』楠戸義昭著)
 堀川城将:新田四郎は剃髪して、新田喜斎と号していた
  説もある。

5)遠江国伊佐郡の瀬戸村の郷士説
  引佐郡瀬戸村の郷士で、井伊谷一帯の領主:井伊氏の庇護を
  受けて豪商に成長したと見られている。
@先祖は上野国:新田義貞の後裔説
  A先祖は奥平系新田姓説
B先祖が名倉系新田氏・・・新田喜斎説にも繋がる。

6) 「貧農から豪商になった説」俗説?通説?
 NHK大河「おんな城主 直虎」では、「無一文から商売で成功をおさめ、
 井伊家の 財政を揺るがすほどの力を持つ豪商になった説」が採用され
 ている。
◆瀬戸方久は、瀬戸村の豪商(新興高利貸し)になっていた。
NHK大河ドラマ:『おんな城主 直虎』第13話「城主はつらいよ」


@貰った金で湖畔で余った魚を安く買い、干物にして、売りさばいた。
A儲けた金で茶屋を買い、安く茶を売った。
B茶屋に戦情報が入り、食べ物や薬を仕入れて売った。
C戦が終わると、刀剣や鎧を拾って、次の合戦に・・・(売り込む)

井伊家も戦のために多額の借金があった。
約6000貫・・・・・・。

★NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、徳政令に繋がる
 重要人物である


・永禄5年(1562)井伊直親は小野政次の「松平に内通している。」
   という讒言により今川氏真により今川家重臣:朝比奈泰朝に
   懸川(掛川)で誅殺された。
  永禄5年3月2日説。『静岡県史 資料編』
  永禄5年12月14日説『井伊家傳記』

・永禄6年(1563)9月15日井伊谷城代:中野信濃守直由・井伊直虎
 の叔父:新野親矩が曳馬城主:飯尾連龍攻めで討死した。
  (★永禄8年説等多数あり)

 井伊直盛の正妻:祐椿尼(新野親矩の妹)と龍潭寺の南渓瑞聞が
 協議の上、井伊直盛の娘であった次郎法師(井伊直虎)を井伊氏
 当主に擁立した。
  (★「井伊家傳記」)

・永禄6年(1563)9月18日 井伊直平が急死した。
 (★毒殺された説あり)
  今川氏真の命により武田に付いた社山城:天野景泰・天野元景親子
  を社山城に攻めている最中に、75歳(85歳説あり)で没。
  ▲ 天野左衛門尉:八城(社)山攻め
井伊直平が途中の有玉旗屋で急死したした説もある。享年75。
★唯一生き残っていた井伊家の男だった。長老が無理した。
※井伊直平の曾孫には、井伊直虎・松平信康などである。



・永禄6年(1563)・永禄7年(1564)・永禄8年(1565)説がある
 ▲曳馬城攻め 
 重臣:新野左馬助親矩と井伊一族で井伊谷城城代:中野越後守
 直由が討死した。
 
「新野左馬助、中野信濃守討死之後、次郎法師、地頭職御勤、
 祐椿尼公(直盛公内室也)、実母、御揃、直政公御養育申
 候得共、皆々女中斗故、但馬諸事取斗我儘斗致、何卒井伊谷
 押領可仕旨相巧申候」
(★『井伊家伝記』)
★意味・・・「新野左親矩と中野信濃守直由の討死の後、次郎
法師が地頭をお勤めになられ、祐椿尼(井伊直盛の妻)、井伊
直政の実母の3人が揃って直政公を養育したが、皆んな女性
であったので、小野但馬守道好が取り仕切って我が儘のし放
題であり、何とかして井伊谷領を巧みに横領しようと企んでいた
と言われています。」
@井伊宗家:次郎法師(井伊直虎)
A井伊家縁戚:新野親矩(今川重臣)の妹(娘説)で次郎法師の母
B井伊家庶流:奥山朝利の妹:虎松の実母

井伊宗家・新野家・奥山家の3人の女性が井伊虎松(直政)を守った。
つまり、3者の強力な連携があったので井伊虎松は生き延びた。

・永禄8年(1565) 井伊直虎がおんな領主になった。
★南渓禅師(龍潭寺2世)が次郎法師を名乗らせたた。

◆永禄8年(1565) 11月20日
「永禄八年十一月二十日に今川義元の跡目の氏真に堀川城を守ってい
た飯尾連龍の家老の江間安芸守や加賀守の3人が味方した。松平家康は
引佐郡細江の名倉赤八の案内で遠江へ忍び入った。
(★『松平記』・『家忠日記』)
 名倉赤八=瀬戸方久説もある



永禄9年(1566) 井伊次郎法師(直虎)が渋川村の福満寺に梵鐘を
 建立した。瀬戸方久は鋳造の資金を寄附した。
瀬戸方久は鋳造の資金を担い、「四郎右衛門」の名で願主として
 名を連ねている。

  (★『井伊直虎』小和田哲男著P154)
  (★『女城主・井伊直虎』楠戸義昭著P189)


・永禄9年(1566) 小野但馬守が井伊直虎の失脚を目論み、今川氏真
  の力を利用して、井伊直虎の領地に徳政令を出させようとした。
  今川氏真が井伊谷や瀬戸などに徳政令(住人の借金の帳消し・棒
  引き)を発布を命令した。
 
 井伊谷の井伊氏?井伊直虎は徳政令を実施しなかったという事件が
 起こした。

 ◆瀬戸方久は井伊直虎に徳政令を実施しないように働きかけた。
 
 ★金貸し業=高利貸し:瀬戸方久は、借金を帳消しにされてはたまった
 ものではないからである。
 井伊家も徳政令を実施すれば、領地の経済が破綻することは目に見
 えていた。
井伊家の経済的バックボーンが瀬戸方久ということになる。
 債務者と債権者のような関係ではなく、組むことで利益やメリット
 をもった関係ということになる。
 井伊直虎と瀬戸方久の利害が一致したので、協力して乗り切ろうとし
 た。
 ★井伊直虎ピンチ・・・最大の難局であった。
 (★『NHKTV歴史ヒストリア』)

 ◆小野但馬守が井伊直虎の財源である瀬戸方久を失墜させようとした。
 井伊直虎がのらりくらりかわし、徳政令を実施しなかった。

  小野但馬守が「井伊谷の徳政令を実行しない。」
 と今川氏真に通報する。

・永禄10年(1567)、堀川城は築城された。
  浜名湖を背にして前面に都田川の水を引き、満潮時には徒歩で近寄れ
 ないようになっていた。
 城主には祝田で寺子屋を開いていた浪人:新田友作がなった。
  そして尾藤主膳、山村修理、竹田高正、新田四郎義一など
  土豪が堀川城にいた。
 今川氏真の承認も得られていた。

瀬戸方久は今川氏真に取り入り、刑部城・堀川城の軍資調達を請け負
 う代わりに自身の田畑や屋敷を徳政令の対象外とする安堵状を得た。
 その後、瀬戸方久は堀川城主となって姓も祖先の新田氏に復姓した。
瀬戸方久=新田四郎説もある。


瀬戸方久は井伊直虎を見限って、今川氏真と交渉した説もある。
 瀬戸方久は買い得た地は徳政令から除外し、今川氏真に軍資金の支援
 をする代わりに城主としての地位を約束したという説もある。


★第一級文書はないので、実際に堀川城主となったのか
 不明である。


・永禄11年(1568) 井伊直虎が徳政令は2年後に実行されること
 となった。
瀬戸方久の絶好調期間は2年間である。
 瀬戸方久は、2年間の間に今川氏真に取り入り、刑部城・堀川城の
 軍資調達を請け負う代わりに、田畑や屋敷を徳政令の対象外とする
 安堵状を得ていた。
 堀川城主となっている。
 
画像

  (★無料画像より)


●井伊直虎は、2年間の徳政令凍結を今川家への背信とされた。
 井伊谷の領主(地頭)の座を剥奪された。


11月 徳川家康による遠州侵攻が始まった。
鈴木重時は娘婿・菅沼忠久から今川離反の誘いを受け、承諾した。
 これに近藤康用も加わった。
 井伊谷三人衆と呼ばれることとなる。


12月6日、甲斐の武田信玄が駿河今川領への侵攻を開始した。
  徳川家康は酒井忠次を取次役に遠江割譲を条件として武田氏
  と同盟を結んだ。

12月13日、遠江国の今川領へ侵攻し曳馬城を攻め落とした。
  軍を退かずに遠江国で越年する。

・永禄12年(1569)
 徳川家康は遠州に侵攻して、浜松城を居城とした、
   
 曳馬城攻略を最優先としていたため、浜名湖沿岸の諸城攻略が
 後回しとなっていた。

遠江国に侵攻する徳川家康に対し、堀江城の大沢基胤が反徳川の
 構えを見せていた。

瀬戸方久は徳川家康への帰順を考え、金指街道の道案内をするなど
 協力したが、斎藤為吉・竹田高正・山村良等・尾藤高明らがこれに
 反発したため、城を抜け出て尉ヶ峰の山中に庵を結んで隠れた。
(★ウィキペディア)
 


1月23日 掛川城の朝比奈泰朝は和議で
  「今川氏真の身の安全を徳川家康に認めさせた。
   今川氏真・朝比奈泰朝は開城を決断した。
   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2月初旬 鈴木重時は徳川家康の下命を受けて堀江城を攻めた。
   守将・大沢基胤率いる城兵は意気盛んで、なかなか落ちない。
  堀江城方による反撃を許し、手痛い損害を少なからず受けた。

 鈴木重時は近藤康用の子登助:近藤秀用)と競い城門にたどり
 着いた。
 鈴木三郎大夫重時は、攻撃を受けて討ち死にした。(一説に42歳)
 2月5日夜明け、2人は2挺の鉄砲に撃たれ、鈴木重時が死んだ。
(★井伊谷3人衆:丸山著)

 戒名は、法福院殿清輝順光大禅定門。
  鈴木重時の墓・・・浜松市北区引佐町龍潭寺

 (子:鈴木重好は、井伊直政に付けられた。)
堀江城主:大沢基胤が今川氏真に降伏を許可して貰うための書状
 を送った。今川氏真は「随意にして構わない、これまでの忠誠に
 は感謝している」と返事をよこした。
堀江城の大沢基胤は開城した。
 大沢基胤は松平家康に降伏し、堀江城主としての地位は安堵
 され、徳川家臣となった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


2月8日 今川氏真は掛川城で朝比奈泰時の援助を受けて
 3か月籠城していたが、今川氏真の命を助けることを
  条件に朝比奈泰時は開城した。
  今川氏真・朝比奈泰朝は小田原城を頼った。
   朝比奈3代、約100年間統治が終了した。

松平元康が入城した。
城代は石川家成(石川数正の叔父)がなった。
 
今川氏真は掛川城の開城後、妻:早川殿の実家である北条氏
 政をを頼り、伊豆の早川に移った。
 
今川氏真は掛川城で武田信玄と松平家康の挟撃にあって
 滅亡した。


3月27日 松平家康は3000の軍を率いて堀川城に攻め入った。]
男も女も戦える者約2000は堀川城に立て籠もって抵抗した。。 
その後、ほどなく堀川城も落城した。
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画像

武蔵の五遁、あっちへこっちへ
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-3501.html
★「武蔵の五遁さん、お久しぶりです。遠くへ出張して
 おられますね。写真を引用させてください。事後、
 承諾で済みません。」
画像


瀬戸方久は気賀宿近くの呉石で余生を過ごしていた。
※新田四郎は剃髪して、新田喜斎と号していた説もある。

慶長11年(1606) 地頭:石川半三郎が訴状を書いた。
  瀬戸方久は呉石で処刑された。
龍潭寺に葬られた。享年82?


*NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の中ではどう描かれるか
 楽しみである。


※尾藤主膳の次男:尾藤知宣は生き延びて豊臣秀吉に仕えた。
 尾藤知宣は、後に秀吉の怒りを買って処刑された。
(★『真田丸』では、落書事件で井戸に投げ込まれた。)




◆参考文献等
「遠江国風土記伝」
『女城主・井伊直虎』楠戸義昭著(PHP研究所)
『井伊直虎』小和田哲男著
など多数。



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『高崎学ソシアス講演会原稿』
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&信玄家臣:塚越伴七調査』
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&「井伊谷・彦根城」
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http://53922401.at.webry.info/201701/article_26.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政17『次郎法師&直政の書籍の所持数36』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_27.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政18「柴咲コウ・菅田将暉」と「群馬の新聞」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_28.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政19『広報はままつ2016年4月号特集
「井伊直虎」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_29.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎:直政20【第3話『おとわ危機一髪』】
&「臨済寺」
http://53922401.at.webry.info/201701/article_31.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政21【歴史秘話ヒストリア「おんな城主
:井伊直虎」】http://53922401.at.webry.info/201701/article_32.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政22【井伊直虎って誰?&
「井伊家傳記」の信憑性諸説】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_33.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政23【井伊谷・歴史本・
小説・ゲームの中の井伊直虎】
http://53922401.at.webry.info/201701/article_34.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政24『井伊直虎の家臣:井伊谷七人衆』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_35.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政25『小野妹子→小野和泉守政直(道高)』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_36.html

箕輪初心:生方▲2017井伊直虎・直政26『小野政次・小野朝之』
http://53922401.at.webry.info/201701/article_37.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政:27第4話『女にこそあれ次郎法師』
&「龍潭寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政28『井伊一族:中野家』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_3.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政29【頭陀寺城】と松下之綱と徳川家康と豊臣秀吉
http://53922401.at.webry.info/201702/article_4.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政30【松下清景】前編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政31『松下清景→松下一定子孫』後編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政32『高崎文化協会:箕輪城
・井伊直虎ブース』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_8.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政33【第5話『亀之丞帰る』】
&「高森町松源寺」
http://53922401.at.webry.info/201702/article_9.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政34【村の写真展:My井伊家シリーズ】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_10.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政35【鈴木重勝→鈴木重時→鈴木重好】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【近藤康用→近藤秀用→5近藤】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政36【菅沼忠久→菅沼忠道】
&【菅沼定盈&菅沼定利】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政37【奥山朝利の娘と井伊家家臣団】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政38【6話「初恋の別れ道」】詳細編
http://53922401.at.webry.info/201702/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政39【新野左馬助親矩と娘婿】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_19.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政40▲『奥山朝利の娘:ひよ
→井伊直政の母』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政41【第7話「検地」
&駿河:富士浅間神社
http://53922401.at.webry.info/201702/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政42【第8話「赤ちゃんはまだか」】
http://53922401.at.webry.info/201702/article_29.html

箕輪初心:初心▲井伊直虎・直政43『井伊谷7人衆:遠江松井一族』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_1.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政44『今川義元の生涯&悪夢の永禄3年生害』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_5.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政45【第9話「桶狭間」&史実編】&
井伊直盛の墓
http://53922401.at.webry.info/201703/article_6.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政46『奥山朝利殺害2説』
&【10話走れ竜宮小僧】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_10.html


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政47『今川義元と井伊直平の娘素案』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_11.html


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政48『今川家臣:瀬名氏・関口氏
・鵜殿氏』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_12.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政49『瀬名姫(=築山殿)と松平信康と亀姫
http://53922401.at.webry.info/201703/article_13.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政50【女戦国大名:今川義元実母:寿桂尼】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_14.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政51『おんな城主:織田信長の
叔母:おつやの方』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_15.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政52番外編【母:最上の義姫と
子:伊達政宗】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_16.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政53番外編
『スーパー女城主:立花ァ千代』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_17.html


箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政54【史実編と
第11話「さらば愛しき人よ」】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_18.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政55番外編【由良家を存続させた
戦国スーパー御婆様:妙印尼】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_20.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政56番外編【由良妙印尼の外孫
:成田甲斐姫」】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_21.html

箕輪初心▲井伊直虎・直政57番外編【伊達政宗の叔母:二階堂
大乗院】 
http://53922401.at.webry.info/201703/article_22.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政58番外編『鶴崎城を死守した
女武闘派城主:妙林尼』
http://53922401.at.webry.info/201703/article_23.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政59【井伊家当主の死諸説と第12話
「おんな城主:直虎誕生」】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_24.html

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政60【史実編と
第13話「城主はつらいよ」】
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箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政61【瀬戸方久と井伊家】 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
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