城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心:生方▲富山bW『奥の細道:市振→幻のヒスイ海岸』&「翡翠の歴史」

<<   作成日時 : 2017/04/28 08:04   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

@「奥の細道」越中編では、「市振の関→宮崎城→ヒスイ海岸→
入善→魚津」のはずが、天神山城→松倉城→北山城→武隈屋敷
 →魚津城→魚津グルメ」になってしまった。A今回の「越中
瀬戸焼&富山の名所」では、最後の見学地は『ヒスイ海岸』で
翡翠探しになっていた。しかし、私が21名の団体なのに、@
越中境SA、AあらいSAで休憩することを提案したため、宮
崎・境海岸(ヒスイ海岸)は中止になった。幹事の田村さんが、
「ヒスイ海岸で翡翠を見つけ出す!」張り切っていたのに、が
っかりさせてしまった。そんなこんなで、越中境SAからの遠望
ばかりで、市振〜朝日の直接の写真はないので、無料写真を
借用した。「奥の細道」の本は3冊持っている。
画像




【1】 『奥の細道:市振→朝日』復刻版
元禄2年(1689)
■7月3日
「越後(新潟)を抜ける9日間は、暑さや雨にやられて疲労が
ピークに達し記録をつけられなかった。」
と松尾芭蕉は言っている。

7月12日 能生を出発。(新潟県西頸城郡能生町)
※7月12日。天気快晴。
糸魚川の早川という川で芭蕉は足を滑らせて衣類を濡らして
しまった。
河原で乾燥させてから、再出発。
昼、糸魚川の新屋町左五右衛門宅で休憩。
夕刻5時、市振に到着。
「桔梗屋」という旅籠に宿泊した。

画像

 (★無料写真)


「あまのこの世をあさましう下りて、定めなき契、日々の業因、
 いかにつたなしと、物云をきくきく寐入て、
 あした旅立に、我々にむかひて、
「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、
見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。
衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」
 と、泪を落す。
不便の事には侍れども、
「我々は所々にてとヾまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。
神明の加護、かならず恙なかるべし」
と、云捨て出つゝ、哀さしばらくやまざりけらし。
『一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月』
曾良にかたれば、書とヾめ侍る。

≪現代文訳≫
今日は、「親知らず・子知らず」、「犬もどり」、「駒返し」など
といわれる険路うちつづく北国一の難所を越え来て、
さすがに疲れてしまった。
それで、今夜は早々に寝に就こうとしたのであったが、
一間(ひとま)隔てた面側(おもてがわ)の部屋の、
2人ほどの若い女の話し声が耳について、なかなか寝付けない。
その話し声には、年配の男の声も交っている。
そして、その語るところを聞けば、
彼女らは、越後の国新潟という所の遊女たちであるという。
伊勢参宮を志して旅立ち、
男は、この関まで送ってきたのだが、
あすは、故郷に引き返すのであるという。
それで故郷への手紙とともに、
いささかの伝言も託しているようであった。
彼女らの語りである。
「私たちは、なんという運命のもとに生まれついたのであろう。
白なみのよする汀(なぎさ)に世をすぐすあまの子なれば宿も
 さだめずと、古歌にもあるように、あまの子(遊女)という
 ものになり下がり、日々定めのない契り(ちぎり)のなかに
 生きなければならない。なんという悲運なことなのだろう…。」
という語りを聞きながら、眠りに入る。
翌朝出発しようとすると彼女らは、われわれに対して、
「大変お願いしにくいことなのですが、
これからの旅は、私たちだけでは不安でならないのです。
同道をお願いするなど、おこがましいことは、
とても申し上げられません。
でもせめて、見え隠れにも後を付けさせていただけないものでしょうか。
僧形(そうぎょう)をなさるみなさまにおすがりしたいのです。
仏のみ情け、み恵みを垂れさせ給うこと、お願い申し上げます。」
と、涙ながらにお願いするのである。
…不憫なことである。…しかし、
「我々とて、ただまっすぐに辿る旅ではないのです。
所々方々に立ち寄ることも多いのです。
…よろしいですか。…このような場合は、
ただただ、人々の流れを信じ、その流れに従って行くことです。
そうすれば、必ずや神仏はお守りくださるはずです。」
と、言い聞かせて出発したのではあったが、
哀れさのいつまでもあとを引くことではあった。

「 一家に 遊女もねたり 萩と月」

おもいを曾良に語れば、旅日記に書きとめてくれておった。


◆参考サイト
知恵袋「市振」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1423709704
より引用


○市振(泊)
※@市振では「桔梗屋」説を主張しているようであるが、
真偽は不明である。
曾良の随行記には宿舎の記述がない。
画像


画像

 (★無料画像)


○市振
元禄2年(1689)7月12日(8月26日) 越後の港町市振の宿で、
たまたま伊勢参りの2人の遊女と同宿する。
壁をへだてて聞こえてくる見送りの男と遊女の会話は哀れ深い。
翌朝、彼女から「道連れにしてほしい。」と涙ながらに頼まれるが、
心を鬼にして断って去る。・・・・
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」
★松尾芭蕉「奥の細道」の中で唯一のロマンチック?な句が
刻まれている。句の中でも異色である。

A遊女の件は虚構であろうとする説が有力である。
現在では、松尾芭蕉の創作だろうとするのが定説である。

画像

 (★無料画像)
「芭蕉句碑」
※大正14年4月に糸魚川市出身の文豪:相馬御風が市振を
訪れた際に建碑計画を聞き、筆をとった。
芭蕉句碑が建設された。
「都の西北 早稲田 早稲田〜〜〜」


○市振関所
画像

 (★無料画像)


■7月13日=太陽暦8月27日
【十三日 市振立。虹立、泊にて玉木村、市振より
十四五丁有。中、後の堺、川有。渡りて越中の方、
堺村と云。加賀に番所有。出手形入の由。泊に至て
越中の名所少々覺者有。入善に至て馬なし。
人雇て荷を持せ、黒部川を越。雨つづく
時は山の方に廻べし。橋有。壹り半の廻り坂有。
晝過、雨聊降晴。申の下尅、滑河に着宿。
暑気甚し。】曾良


画像


====境川の国境越中に突入。=====

○境番所・・・金沢藩支配

***************************
◆ヒスイ海岸・・・
★松尾芭蕉は翡翠のような美しい女性と思ったのであろうか?
画像

画像

画像

 (無料画像)
****************************
○泊(現朝日町泊)  

○さらに北国街道の浜街道を行く。

○入善・・・馬がなかった。

○黒部川〜〜・・・荷物料を払った。

○三日市(黒部の市街地)
****************************
●道の駅「生地」
★潮風を感じながら黒部のうまい海鮮丼を!
 と思ったら、「できたて館」は15:00までだった。
 がく・・・・

「とれたて館」で、カニ弁当を2つ買った。
700円を500円にしてくれたからある。
画像


 魚の駅「生地」・・・黒部漁港の隣だから新鮮な魚が
 あった。
 500円の生ガキも食べた。
 カニ弁当も食べた・・・★旨かった。
★松尾芭蕉はこんな美味しい物は食べていない
   だろうのう。
画像



「とれたて館」で漁港であがった新鮮な魚&味噌漬け
 ホタルイカなど5000円くらい買った。
 
足清水はつめたそうであった。

「できたて館」で味わえなかったお得な「三海丼」
 残念だった。

****************************



○魚津
「大伴家持の歌碑」
  魚津水族館の敷地に、大伴家持の巨大な歌碑が建っている。
★「魚津水族館」は後日、紹介する。




【2】 ヒスイ海岸(境海岸〜)




【3】 翡翠の伝説と歴史 

縄文時代中期
約5000年前・・・糸魚川市にある長者ケ原遺跡は、世界最古の翡翠
 (ひすい)工場だったと言われている。

・弥生時代
  ヒスイは採掘されなくなった。

・弥生時代〜古墳時代
 翡翠は祭祀・呪術に用いられたり、装身具や勾玉などに加工され
 たりした。
 ★群馬でも出土品が多く、「かみつけの里博物館」では滑石で
勾玉造り体験をさせている。

沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)は、日本神話に登場する
 神様である。
 「糸魚川市付近を治めていた豪族の娘:奴奈川姫に大国主命が
 出雲から求婚された。その際に翡翠を贈ったという神話が残さ
 れている。
(★『古事記』)
 ※大国主命を奉った出雲大社の真名井遺跡からは、糸魚川産と見
 られる大きな勾玉が出土している。
沼河比売は糸魚川のヒスイを支配する祭祀女王であると考えられ
 ている。

・奈良時代
   翡翠は見向きもされないようになった。

・奈良時代〜平安時代
『万葉集』には
「沼名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 
  得し玉かも あたらしき君が 老ゆらく惜しも」
「沼名河」は糸魚川市を流れる姫川であると言われている。
  「底なる玉」は翡翠(ヒスイ)だとされる。
ヒスイは川底から探すのだ。

・鎌倉時代
翡翠の国内産地も分からなくなった。

・室町時代

・戦国時代
●「市振(いちぶり)」は、越後と越中の国境にある。
京からの下り道で、越後へのの第一番の「振りだし」であった。
@上杉謙信も神保氏に松倉城を攻め立てられ、市振に詰めた。

・江戸時代
A加賀前田候の参勤交代の要路であり、越中最後の宿駅:市振
 で宿泊してから越後:親不知に入った。市振は日本海側の
 最大の難所の西の入り口の宿として賑わっていた。
B松尾芭蕉は永禄2年(1689)7月12日、市振の関(新潟と富山の境)
に到着した。

・明治時代

・大正時代

・昭和時代
  日本にヒスイ産地はないとされてきた。
研究者たちは国内で出土する勾玉等は国外から持ち込まれた
  ものと考えていた。

・昭和初期、相馬御風は「糸魚川を治めていた姫がヒスイの勾玉
 をつけていた」という伝説があるので、糸魚川地方にヒスイが
 あるのではないかと考えた。
新潟県糸魚川市生まれの文学者・相馬御風で。
 御風は、早稲田大学の校歌「都の西北」を作詞した。
★相馬御風の家には2回行っている。火事は?

・昭和13年(1938)糸魚川でヒスイが発見した。
糸魚川で見つかった鉱物を東北帝国大学(現東北大学)の
河野義礼が鑑定し、国内産地があることが再発見された.

 日本にも古代から翡翠文化が続いていたという説を裏付けた。

・その後、日本にヒスイブームが起こった。
  松本清張の小説『万葉翡翠』が出版されてからと言われている。 

 この地方で幻のヒスイが発見されているのは、新潟県糸魚川周辺
 の姫川、青海川、小滝川の流域と富山県朝日町宮崎にかけた浜辺
 のみである。
 大きな原石は姫川と青海川の川辺にあるとスキー仲間の釣り人:
 磯部さんが教えてくれた。

・昭和31年 小滝ヒスイ峡は国の天然記念物に指定された。
   ヒスイの発掘は禁止された。
  川の清流によって磨かれたヒスイの原石はとても美しい
  と磯部さんが言っていた。

・昭和32年 青海川ヒスイ峡(青海川硬玉産地)が国の天然記念
  物に指定された。

・現在 新潟県の翡翠は国の天然記念物に指定されているため、
  ヒスイの持ち出しは禁止されている。でも、富山のヒスイ海岸
  は誰でも採集できるのだ。


@いざ、ヒスイ海岸へ お宝の眠る海岸
★毎回、遠望のみ
Aいざ、「翡翠ふるさと館」へ 
   親不知ピアパークある「翡翠ふるさと館」では採掘された
   貴重な翡翠の原石を見ることができる。
Bいざ、「フォッサマグナミュージアム」へ
  所在地/〒941-0056 新潟県糸魚川市大字一ノ宮1313
  電話番号:025-553-1880
 ★でも、私は「根知城」に行っちゃったのであった。



●日本のヒスイの産地
 糸魚川および糸魚川周辺地域(朝日町・小谷村・白馬村)
 鳥取県若桜(わかさ)町・・・・ラベンダーヒスイ
 兵庫県養父市大屋(おおや)
 岡山県新見市大佐(おおさ)
 長崎県長崎市(三重・琴海)・・・灰緑色のヒスイ
 北海道旭川市・幌加内町
 群馬県下仁田町
 埼玉県寄居町
 静岡県浜松市引佐
 高知県高知市
 熊本県八代市
など。




◆参考サイト
・「糸魚川翡翠(ヒスイ)とは - 糸魚川翡翠工房こたき」
http://www.itoigawahisui.jp/page/3

・「ヒスイって何だろう/糸魚川市 - 糸魚川市ホームページ」
http://www.city.itoigawa.lg.jp/6527.htm
www.city.itoigawa.lg.jp/6527.htm

・ウィキペディア


●▲■富山のブログ一覧

●2011年のブログ
箕輪初心◆2011年山スキーB「富山:立山→黒部ダム2回」
http://53922401.at.webry.info/201102/article_11.html

●2012年のブログ
箕輪初心★2012年松尾芭蕉32『奧の細道21』【越中編】
http://s.webry.info/sp/53922401.at.webry.info/201208/article_16.html

箕輪初心■滋賀bT「奥の細道&滋賀の城&中山道」
http://53922401.at.webry.info/201012/article_42.html
★城bP0〜20のコース掲載。


●2013年のブログ
箕輪初心◆2013年GW:能登の城&ダイビング&志賀スキー他
http://53922401.at.webry.info/201305/article_1.html
★富山の散策もある。

箕輪初心★木曾義仲:上野国多胡庄2ヶ月→信濃依田城で蜂起
http://53922401.at.webry.info/201310/article_3.html
★倶利伽羅峠の写真掲載。

●2014年のブログ
箕輪初心▲2014黒部宇奈月トロッコ電車&名剣温泉
http://53922401.at.webry.info/201409/article_23.html

箕輪初心★木曾義仲Cゆかりの地:埼玉→信濃→上野→信濃→北陸へ
http://53922401.at.webry.info/201406/article_17.html
★倶利伽羅峠の掲載。

●2015年のブログ
●2016年のブログ
箕輪初心:生方▲2016真田丸88【須田満親&真田昌幸】&『福島正則陣屋』
上高井郡高山村散策3回
http://53922401.at.webry.info/201604/article_28.html
★上杉謙信家臣:須田満親は越中松倉城代になった。




●2017年富山シリーズ
箕輪初心:生方◆富山編bP『富山の旅行14回一覧:山6回と城21等』
http://53922401.at.webry.info/201704/article_18.html

箕輪初心:生方▲富山bQ『源ますのすしミュージアム』
&「鱒寿司の歴史」&「食べた鱒寿司」
http://53922401.at.webry.info/201704/article_19.html

箕輪初心:生方▲富山bR【越中瀬戸焼:陶農館】&加藤先生
・北村先生・釈長先生
http://53922401.at.webry.info/201704/article_20.html

箕輪初心:生方●富山bS『氷見の食』と【氷見温泉:磯波風(イソップ)泊】
http://53922401.at.webry.info/201704/article_21.html

箕輪初心:生方▲富山bT『高岡山瑞龍寺:住職様の解説は最高』
http://53922401.at.webry.info/201704/article_22.html

箕輪初心:生方▲富山bU『井波彫刻の里:八日町通りと瑞泉寺』
http://53922401.at.webry.info/201704/article_23.html

箕輪初心:生方▲富山bV【富山の酒と飲み物】ちょっと雑感
http://53922401.at.webry.info/201704/article_26.html

箕輪初心:生方▲富山bW『奥の細道:市振→朝日』
&「幻のヒスイ海岸と翡翠の歴史」
http://53922401.at.webry.info/201704/article_27.html

箕輪初心:生方▼富山bX『奥の細道:魚津→滑川』&【魚津水族館】
http://53922401.at.webry.info/201704/article_29.html




★明日は「魚津水族館」かな?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心:生方▲富山bW『奥の細道:市振→幻のヒスイ海岸』&「翡翠の歴史」 城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる