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zoom RSS 箕輪初心:生方▲2017【群馬:箕郷梅林】と『梅&万葉集・菅原道真・戦国武将』

<<   作成日時 : 2017/03/08 09:35   >>

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3月7日、箕郷梅林から4〜6km、箕輪城から2〜3km程の
群馬県榛東村の自衛隊の基地に『オスプレイ』が来ている?
北朝鮮のミサイル着弾目標は日本の米軍基地?マレーシア?

「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」春先に咲く桜と梅を対比
しながら、剪定の栽培上の注意を示した慣用句である。剪定の
際、桜は太い木を切りすぎると切り口から腐敗しがちであり、
梅は切らないと天に真っ直ぐな徒ちょう枝が伸びて、モヒカ
ン頭のようになる。新しい枝は結実しない。全体的に実の付き
方も悪くなったり、小さな梅になってしまう。しかも収穫時に
頭や体・手が入らない状況が起こる。
群馬の3大梅林「箕郷梅
林」・「榛名梅林」・「秋間梅林」では、11月〜3月にかけて、
梅の実の収穫を目的のため、梅の枝の剪定をする。関東全体から
花見客が訪れるが、見物客のいない場所では私のように花が5部
咲きなのに剪定を未だやっている。約40本中、残り10本だあ。
今年も「赤字」目指して、頑張るぞ。零細農家の悲哀を味わうの
だ。私は趣味の園芸家である。付加価値を付けて販売する気もな
い道楽梅農家なのだ。

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箕輪初心:生方家の梅林&愛宕:武田信玄の腰掛石
  伝説の林・・・この反対は、箕輪城が燃えるのを
  振り返った伝説の残る「見返り坂・・・
  この地点は箕輪城・鷹留城の中間地点で、
  箕輪城を一望できる。

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 (★マイグッズの一部・・・これだけで約2万円)



●梅農家「箕輪初心:生方」のブログ一覧

◆◆ 箕輪初心◆【2011梅の出荷】&『梅の歴史』
http://53922401.at.webry.info/201106/article_25.html

箕輪初心◇【電子レンジで2時間でできる梅ジュース&梅サワー】
http://53922401.at.webry.info/201106/article_25.html

箕輪初心◆群馬の三大梅の生産地「箕郷・榛名・秋間」
http://53922401.at.webry.info/201103/article_32.html

◆◆ 箕輪初心◆【梅干しの作り方】&『梅酒の作り方』
★母は、町の品評会で金賞を獲ったこともあるのだ。
http://53922401.at.webry.info/201106/article_26.html

箕輪初心◆『夏を乗り切れ、ピンク色の梅ジュース』
http://53922401.at.webry.info/201306/article_11.html

◆◆ 箕輪初心◆【2013梅の出荷】&『梅の歴史』
★こっち方が写真が今一歩である。
http://53922401.at.webry.info/201306/article_10.html

箕輪初心◆【梅の出荷】→JA→市場・和歌山ウメッシュ・愛媛果汁
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箕輪初心:生方▲高崎【零細農家の梅出荷までの攻防戦奮闘記】
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箕輪初心:生方▲高崎2016『箕郷の梅生産&趣味の園芸』
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箕輪初心:生方▲「私の熱中症対策&梅シロップ(梅濃縮ジュース)の作り方」
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箕輪初心:生方▲C級グルメ『自家生産の杓子菜・聖護院等京大根
のめんつゆの浅漬け』
http://53922401.at.webry.info/201702/article_26.html


【0】群馬の3大梅林「箕郷梅林」・「榛名梅林」・「秋間梅林」
群馬県は、和歌山県についで梅の生産日本第2位である。
 といっても、和歌山がダントツ1位で、群馬は2位ではあるが
 10%程である。
●ぐんま三大梅林スタンプラリー
 【平成29年3月1日(水)〜5月7日(日)】
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【1】 「箕郷梅林」(群馬県高崎市)
榛名山の南麓・・・標高140mから390mの丘陵に広がる
  梅林である。白川→和田山→蟹沢→下善地→中善地・・
  約300haの広さに約10万本(今伐採され8万本?)の
  梅が植えられ、規模は榛名梅林に次ぎ2位である
  花見のためでなく、梅の実を収穫するための梅林である。
  種類はほとんどが白梅:白加賀が中心である。
白加賀は自家受粉しないので、花粉樹をして、ピンク系の鶯宿
・ピンク系の月世界・白系の梅郷・南高・織姫(小梅)・甲州
(小梅)等が植えられている
  3月上旬〜下旬にかけて「みさと梅まつり」も開催されている。
  2017年3月6日・13日に梅まんじゅう・梅ジュース・梅干など
  の無料プレゼントが用意されているが、・・・数に限りはあり、
梅まんじゅうが私の直前で終わって、3梅林頭陀袋だった。
下善地の見晴台からは関東山地〜高崎市街地・前橋市街地〜
遠くは筑波山〜太田金山〜赤城山〜榛名山が一望できる。
カニ沢の展望台も眺めが非常によい。こちらの方が出店数が
多い。と言っても6〜7店である。上州名物:焼きまんじゅう
の出店がある。地元産のお土産も多い。
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・ミツバチで受粉させる。
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・私の3人前で「梅まんじゅう」が終わった。
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・並んで貰ったのはこれだった。
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・焼きまんじゅうは群馬だけ・・・
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何ですと「紀州梅」・・・チョーヤウメッシュに
 ここの梅が行ってるんだった。

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【2】 「榛名梅林」(群馬県高崎市)
烏川の挟んだ山間に梅林が転回している
 @榛名山を背景に広がる梅林は箕郷の蟹沢や善地と隣接・・・
  一部は梨・プラムの産地となっている。
A秋間に隣接した梅林は榛名文化会館の南の山にある。
梅の産地&梨・プラムの産地となっている。
  約400haに12万本が植えられている。
  東日本最大規模である。
  梅林内の見晴台からは、榛名山系のの雄大な景色が一望できる。
マラソン大会も催される。


【3】 「秋間梅林」(群馬県安中市)
  安中の秋間川上流の山あいに広がる梅林である。
  約50haの広さに3万5000本を超える梅がある。
 紅梅・白梅が植栽されている。箕郷や榛名に比べ、
ピンク系が5分の1〜4分の1と多い。
 2月下旬から3月末に「秋間梅林祭り」が開催される。
  郷土の味を楽しめる茶屋や土産物屋が並ぶ。
私の陶芸師匠の自性寺焼:青木昇先生が出張実演コーナー
3月11日〜17日に秋間梅林で開催している。
   弟子のりほうさんと田村さんが行っているけど。
  

【4】私の家で植えられている種類
1)白加賀(しろかが・しらかが)・・・北陸:加賀が原産 30本
 白加賀は、江戸時代からあった梅である。
 関東、特に群馬での3梅林での栽培が多い。
 自家受粉しないため、受粉樹=花粉樹が必要である。
 白加賀の廻りは4分の1〜3分の1の花粉樹が必要となる。
 また、ほかの品種の受粉樹にも使えない。
 ミツバチを農協で貸してくれるので、使っている農家も
 ある。 


2)梅郷(ばいごう)・・・群馬県の品種? 漬け梅 3本
 大きくなるがごつごつしているので、漬け梅用である。
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3)鴬宿(おうしゅく)・・徳島県の主要品種。2本
  花は淡紅で、観賞用になる。
  自家受粉しないため、受粉樹が必要。
早もぎしないと脂がでる。

4)南高梅(なんこううめ)・・・植え始めた。
 1902年に和歌山県日高郡上南部村(現みなべ町)の高田貞楠
  が発見した。南高校の先生と生徒の研究のため、「南高」と
 なった。
 1954年に和歌山県旧南部川村の「梅優良母樹調査選定委員会」
で優良品種の1つに選抜された。
 1965年に種苗名称登録した。
 現在の国内梅栽培の中心品種。花は白である。
 自家受粉はしないが、白加賀の花粉樹として使う農家もいる。
 実は陽光面があざやかに紅となる。果肉が厚くて柔らかく、さらに種が
 小さいため梅干しに最適である。といっても、群馬では皮が和歌山に
 比べ、固くなる。

5)月世界・・・・原産地不明 1本あったが切った。
花は紅・・・・実は早もぎしないと脂がでる。


6)紅養老・・・・2本
花は薄いピンク。実の表面は赤。
カリカリ梅として1kg100円〜150円。
もぐだけ損をする梅である。手数料15%がかからない。
遠藤食品がカリカリ梅・・・・おにぎり用梅として採用。
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7)黄色い花を付ける梅・・・1本
  自家受粉するので、収穫量が多い。
30年物の木であるが、160kg〜200kgの実を付ける。
 
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 (★遠くに赤城山)

8)小梅:甲州・・・切った。

9)織姫3本&3年物6本



【5】 梅の歴史
●中国が梅の原産地だといわれている。
 中国の長江中流:湖北省の山岳部や四川省であろうと言われている。
梅は東アジアだけに生育している。
台湾や日本の大分県と宮崎県に自生していたとの説もあるとか。
  現在は中国が有力説である。


・3000年前〜 中国の本草学(薬草についての学問)では、梅は薬であった。
 『梅実(ばいじつ)』・『烏梅(うばい)』・『白梅(はくばい)』の
  3種類があったとされる。 
   中国では3000年以上も前から、薫製した青梅を薬用として
  利用していた。
   
●ヤマト時代〜白鳳時代(約1500年前)
 中国の漢方薬」烏梅(ウバイ)」として伝来した。
 『烏梅』 は、完熟直前の青くて堅い梅の実を、梅の木・
  藁(わら)か木の根の煙で 燻燃(くんねん)・燻製にし、
 天日干しで乾燥させたものである。
 実が烏(カラス)のように真っ黒になる ことから 『烏梅(うばい)』
 と呼ばれた。
 梅干しや梅酢の作り方など、梅の栽培方法や加工方法が記された。
(★『斉民要術(せいみんようじゅつ)』)
 
 梅(ウメ)の語源は「熟む実」「うつくしくめずらしい」からきた語
 と言われている。
「鳥梅」の漢音の「mui」または「mei」から転化したと考えられている
 
●奈良時代
奈良時代、貴族は観賞用、薬用として屋敷に植樹した。
また、「菓子」は「果物」のことを指していた。
 梅・なし・桃などの果物が生菓子として食べられていたようである。
梅は古来から食用として用いられたのある。

・天平時代(729〜749)頃 『万葉集』で梅が詠まれた歌は118首
ある。詠まれた梅の多くは、大宰府の梅や貴族の家の庭の梅である。


・天平2年(730)1月13日 
 大伴旅人の太宰府の邸宅で主催した「梅花宴」では、梅の歌が
 32首詠われている。

◆引用サイト
『大伴旅人:梅花の宴(万葉集を読む) - 東京を描く』より引用
http://manyo.hix05.com/tabito/tabito.baika.html

1◎「正月立ち 春の来らば かくしこそ
   梅を折りつつ 楽しき終へめ」
 大弐紀卿(815)
  
2◎「梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 
    我が家の園に ありこせぬかも」
  少弐小野大夫=小野老(おい)
意味:「梅の花は今咲いているように散り過ぎることなく。
  私の家の庭にも咲いてほしいものよ」
梅の花の見事さを「散りすぎず」とさりげなく詠っているように
 見えるが、宴の主人:大伴旅人の家の梅を誉め称えて、おべっか
 を使っている。
  小野は、大宰府に着任した直後には
 「青丹よし 寧樂の都は 咲く花の
    薫(にほ)ふがごとく  今盛りなり」
 を歌った。、
 流石、小野妹子の子孫・・・小野道風・小野小町
 ・・・小野一族にはNHK大河「小野政直・小野政次・
  小野玄蕃」もいる。



3◎「梅の花 咲きたる園の 青柳は
    縵(かづら)にすべく  成りにけらずや」
  少弐粟田大夫
  
4●「春されば まづ咲く屋戸の 梅の花 
     独り見つつや 春日暮らさむ」
  筑前守山上大夫
★山上憶良は2年前に妻を失った大伴旅人への心遣いを
  歌った。
 
5◎「世の中は 恋繁しゑや かくしあらば
  梅の花にも 成らましものを」
  豊後守大伴大夫
  
6◎「梅の花 今盛りなり 思ふどち
    挿頭(かざし)にしてな 今盛りなり」
  筑後守葛井大夫
  
7◎「青柳 梅との花を 折り挿頭(かざ)し
飲みての後は 散りぬともよし」
  某官笠氏沙弥 
  
8●「我が園に 梅の花散る 久かたの
天より雪の 流れ来るかも」
主人=大伴旅人・・・若山牧水の子も「若山旅人」
「和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能
  阿米欲里由吉能 那何列久流加母
「わが園に 梅の花散る ひさかたの
      天より雪の  流れくるかも 」
意味:わが庭に梅の花が散っている。遠い天の果てから雪が流れ
 てくるようであるなあ。
  

9◎「梅の花 散らくはいづく しかすがに
    この城の山に 雪は降りつつ」
  大監大伴氏百代
 ★太宰府の裏山は奈良〜平安時代の大野城であった。
大野城〜水城〜きい城までの巨大城であった。
  
箕輪初心●福岡【大野城】=東国防人の呻き声が聞こえる城
http://53922401.at.webry.info/201112/article_18.html



10◎「梅の花 散らまく惜しみ 我が園の
    竹の林に  鴬鳴くも」
   少監阿氏奥島
  
11◎「梅の花 咲きたる園の 青柳を
   縵にしつつ  遊び暮らさな 」
  少監土氏百村
  
12◎「打ち靡く 春の柳と 我が屋戸の
    梅の花とを  いかにか分かむ」
   大典史氏大原
  
13◎「春されば 木末(こぬれ)隠りて 鴬ぞ
    鳴きて去ぬなる 梅が下枝に」
   少典山氏若麻呂
  
14◎「人ごとに 折り挿頭(かざ) しつつ遊べども
いやめづらしき 梅の花かも」
   大判事舟氏麻呂
  
15◎「梅の花 咲きて散りなば 桜花
   継ぎて咲くべく 成りにてあらずや」
   薬師張氏福子
  

16◎「万代に 年は来経(きふ)とも 梅の花
   絶ゆることなく 咲きわたるべし」
   筑前介佐氏子首
  
17◎「春なれば うべも咲きたる 梅の花
    君を思ふと 夜寐も寝なくに」
   壹岐守板氏安麻呂
  
18◎「梅の花 折りて挿頭(かざ) せる 諸人は
今日(けふ)の間は 楽しくあるべし」
  神司荒氏稲布
  

19◎「年のはに 春の来らば かくしこそ
  梅を挿頭(かざ)して 楽しく飲まめ」
   大令史野氏宿奈麻呂
 ★酒を飲んで・・・  

20●「梅の花 今盛りなり 百鳥の 
    声の恋(こほ)しき 春来たるらし」
   少令史田氏肥人
原文「烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能
       己恵能古保志枳 波流岐多流良斯 」
「梅の花 今盛りなり 百鳥(ももどり)の
     声(こゑ)の恋(こほ)しき 春来(た)るらし 」
意味::梅の花が今を盛りとばかり咲いています。たくさんの鳥の声
 が恋しく、聞きたくなるますねえ。春が来たのですね。
 春よ〜〜〜「春来にけらし 」

21◎「春さらば 逢はむと思(も)ひし 梅の花
    今日の遊びに 相見つるかも」
   薬師高氏義通
  
22◎「梅の花 手折り挿頭(かざ)して 遊べども
飽き足らぬ日は 今日にしありけり」
   陰陽師
  
23◎「春の野に 鳴くや鴬 なつけむと
   我が家の園に 梅が花咲く」
   算師志氏大道
  
24◎「梅の花 散り乱(まが)ひたる 岡びには
    鴬鳴くも 春かたまけて」
   大隅目榎氏鉢麻呂
  
25◎「春の野に 霧立ちわたり 降る雪と
    人の見るまで 梅の花散る」
   筑前目田氏眞人
 ★いいなあ。梅見酒・雪見酒
 
26◎「春柳 かづらに折りし 梅の花
   誰か浮かべし 酒坏の上(へ)に」
   壹岐目村氏彼方
  
27◎「鴬の 音聞くなべに 梅の花
   我ぎ家の園に 咲きて知る見ゆ」
   對馬目高氏老
  
28◎「我が屋戸の 梅の下枝に 遊びつつ
  鴬鳴くも  散らまく惜しみ」
   薩摩目高氏海人
  
29◎「梅の花 折り挿頭(かざ)しつつ 諸人の
遊ぶを見れば 都しぞ思ふ」
   土師氏御通
 ★都と同じ宴・・・しかし、都が懐かしい。

 
30◎「妹が家に 雪かも降ると 見るまでに
  ここだも乱(まが)ふ 梅の花かも」
   小野氏国堅
  

31◎「鴬の 待ちかてに せし梅が
  花散らずあり こそ思ふ子が為」
   筑前拯門氏石足
  
32◎「霞立つ 長き春日を 挿頭(かざ)せれど
いやなつかしき 梅の花かも」
   小野氏淡理

★★大伴旅人主催の梅見の宴の雑感・・・
@出席者の中に、小野老(おゆ)、山上億良らが見える。
藤原氏に政権を乗っ取られてしまって、左遷組が互いに
 様子を見ながら、歌を詠んでいるのだろう。いつ、都に
 返り咲くかと、・・・九州地方に下った役人も多いことが
 分かる。
 NHK大河の「今川義元からの目付:新野親矩・小野政直・
 小野政次のような者はいたであろう。・・・都からの
 小野老(おゆ)、山上億良とも考えられる。」

A「梅」「鶯」「雪」「酒」が多く詠まれている。
九州もかつては雪が多かったのかも・・・
★「鶯」と言っても、僕んちの梅林に来ているのは、ヒヨドリ
 ・カラスばっか・・・
 時々、メジロ・ゴジュウカラがいたけど・・・
 ウグイスは山の中で、上手に鳴けるように練習中である。
 誰が梅に鶯と決めたのであろうか? 
 ウグイスなんて来ないよ。
 梅の種類に鶯宿もあるが・・・
 
『万葉集』で最も詠まれた花は
1位・・・「萩」140首?
2位・・・「梅」118首
3位・・・「桜(ヤマザクラ)」40首?
『万葉集』には、「梅」は「桜」の約3倍にあたる。
奈良時代、花見といえば、「萩の花」「梅の花」であった。
「桜の花」は少なかった。
八重桜が輸入・開発されていなかったこともある。
  
『万葉集』では「ウメ」と呼ばれていた。
 梅干に関する歌はないが、最初は薬用として用いられていた
  可能性が高い。

・天平勝宝3年(751) 『懐風藻(かいふうそう)』に梅のことが
記されている。
『五言 懐を述ぶ 一絶 道徳天訓を承け
   塩梅眞宰に寄す 羞づらくは監撫の術無きことを
   安ぞ能く四海に臨まむ』 
  塩梅と梅の味を記されている。
  ★塩梅を詠んだ最古とされている。

現在でも「いい塩梅(あんばい)ですねえ。」と使われている。
  塩梅(アンバイ)とは、梅に塩を付け過ぎると塩っぱく酸っぱく
  なり過ぎるからである。羊羹に塩を入れ過ぎると隠し味でなくな
  ってしまうのである。
  梅に塩のバランスを適当に加減してはじめて良い味になることから、
  「ちょうどいい加減のことを意味するようになった。また、家臣が
  主君を助ける意味にも転化していった。

・「春日翫鶯梅」:葛野王の作

●平安時代
  貴族は観賞用=花見用、薬用に植樹した。
  渡来当初は生菓子にして食べていたようであるが、効用が知れる
  に従って長期保存ができる塩漬法が考え出された。
梅は長期保存ができるため、非常食として用いられた。

・天暦2年(948)
村上天皇の病気の治療のために、梅干し・昆布・お茶が
用いら、村上天皇の病気が平癒した。
  梅干し(ウメボシ)がはじめて登場した。
梅の塩漬が「梅干し」として文献上の書物にはじめて登場した。
病気平癒が申年であったことから、申年の梅の実は薬効が高い。
  と言い伝えられるようになった。

・永観2年(984) 丹波康頼が『医心方』を朝廷に献上した。
  宮中に納められた初めての医学書であった。
  日本最古の医学書『医心方』に「梅干し」が記された。


・平安時代中期? 『枕草子』:清少納言著?
  清少納言は、「歯もなき女の梅(むめ)くひて酸がりたる」
  (意味:歯のない女が梅干しを食べて酸っぱがっている)様
  「にげなきもの」(意味:似つかわしくないもの)としてる。
 
・寛平6年(894) 菅原道真の建議により「遣唐使」が停止された。
「白紙にもどす遣唐使」・・・★高校生みたい?
遣唐使が中止されたことにより、次第に「八重桜」が宮中で
 愛でられるようになった。
 つまり、「花見が桜に変化していった。」
寛平6年(894) 「遣唐使を出そう。」という提案が出された。
  遣唐使に任命されたのが菅原道真であった。
 提案者の記録はないが、藤原氏の可能性が高い。
 ★藤原氏が菅原道真の出世をうとましく思って、危険な遣唐使船に
 乗せてやろうと考えたのか?どうかは不明であるが、・・・・

 「目の上のたんこぶ」であったことは確かである。
 そこで、菅原道真は「中国に行かされるのが恐かった?藤原氏の
 好き勝手にされるのが嫌だった?ので、「遣唐使廃止の建議書」
 を出した。
 「在唐中の僧中瓘が昨年(893)3月に商人の王訥らに託して送っ
 てきた記録を見ましたところ、唐の国力の衰退している様が詳しく
 記載されていましたよ。なので・・・」
 菅原道真が唐の衰退と治安の悪化を理由に中止を提案した。
裏には藤原氏の横暴を懸念し、自分の出世を目論んでいた。
 朝廷は民間の商船の往来が公然となっていたので、大金を投じ、
 危険を冒して、遣唐使船を出す必要がないと考えた。
 朝廷は菅原道真は大出世していった。

・昌泰4年(901) 正月
菅原道真は従二位に叙せられた。
  ところが、藤原時平が「醍醐天皇を廃立して娘婿:斉世親王を
  皇位に就けようと謀った。と誣告した。
  菅原道真は、大宰員外帥に左遷されることになった。
★藤原時平の陰謀により大宰府へ左遷されてしまうことになった。
 結局、藤原氏にはめられたのだった。

・延喜元年(901) 菅原道真は屋敷内の庭木のうち、日頃から愛でて
 きた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだ。
 菅原道真が大宰府に左遷される時、
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
   主なしとて 春な忘れそ」
 菅原道真の愛した庭の梅の花に別れを惜しんで詠んだ。
 ★意味:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい香りの花を咲かせ
 ておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまう主人:菅原道真
 がもう都にはいないからといって、春を告げることを忘れて
 はならないぞよ。頼むぞよ」。

 後に「飛梅伝説」となった。
1)太宰府の梅
  庭の梅木が菅原道真を追って、その日のうちに大宰府に飛んできた。
実際には、菅原道真が家臣に株分けして持ってこさせたのか、
  誰かが哀れんで同種の苗をプレゼントしたと考えられる。
  ★写真を撮ったはずだが、・・・・

箕輪初心■福岡【太宰府】天満宮+グルメ+寺+政庁
http://53922401.at.webry.info/201112/article_20.html


2)北野天満宮の梅
 ・延喜3年(903) 菅原道真の死後、京都で病や災害がおこったため
  「人々は道真の怨霊のたたりではないか?・・・たたりじゃあ」
  と騒いだ。
 ・天暦元年(947) 6月9日 朝廷は菅原道真を祀る社殿が造営した。
   後に藤原師輔(時平の甥)が屋敷の建物を寄贈して、壮大な
   社殿に造り直した。
   朝廷・朝廷縁戚の藤原氏が鎮魂のために北野天満宮を建てて祀
   った。結果、菅原道真をしのぶ神社となった。
  ●太宰府に流された時、道真公を慕って飛んで 行ったという
  「飛び梅」の親にあたる木が中庭にある。ことにしてしまった。
私も見にいちゃった。嘘っぽい。時代が20年もズレている。
・現在、世界遺産。梅の珍種も多い。50種程ある。
画像






・平安時代以降〜 梅は「むめ」と呼ばれていた。

・鎌倉時代
   梅干しは僧家の点心やおやつであった。

・室町時代
僧が味噌を作る技術や梅干しを作る方法を広めた。
武家の食膳にものぼるようになった。
一汁一菜の風習が広まったからである。
味噌&梅干しが大事な食材になっていった

・戦国時代
  「梅干し」・・・武将は見るだけで唾液を催す食欲亢進剤として
  の役割の物であった。食べる物ではなかった。
おにぎりに入れれば、長持ちするのに・・・と言っても、
 戦場へは「焼きおにぎりのような物」を持って行った。
  「梅干し」は戦場での「息合の薬」、つまり、「息切れ防止薬」
  として使われていた。
 (★黒田基樹監修の2017年のTV「武田信玄と梅干し」で)

でも、武田信玄は味噌造りを信濃の武将に進言していた。
 「お願い、味噌を作って・・・梅干し作って・・・馬を育てて
  騎馬軍団用に・・・・」と・・・・

******************************
箕輪初心:生方▲箕輪城220『戦国武将と味噌』
&『高崎の糀屋:飯嶋一族の歴史&味噌造り』
http://53922401.at.webry.info/201611/article_7.html
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・永禄9年(1566) 9月29日 武田信玄により、箕輪城落城。
長野業盛が自刃。
辞世の句は30種類程あるそうである。
 (★箕輪城語り部の会:岡田豊治会長調べ)

@ 「春風に 梅も桜も  散り果てて
     名みぞ残れる 箕輪(みわ)の山里」
 
A伝長野業盛の墓の碑(高崎北高の北200m)   
 「長野業政墓喝会の建立」
 「陽(ハル)風に 氷肌(ムメ)も桜も ちりはてて 
      名にそ残れる みわの郷かな」
ここで、梅=氷肌(ムメ)と発音している。
 美肌も「むめ」と発音するようである。



*長野業政墓喝会
「長野業政と知己の井出の大円寺の旅の僧:法如上人が埋葬した。」
*保渡田西光寺の僧がかわいそうに思って辞世の句作った。
(★江戸時代作「箕輪軍記」)
 ★つまり、長野業盛が詠んだ辞世の句がどうか怪しいことになる?



・江戸時代
 梅の名所といえば、・・・・
 徳川御三家:水戸・尾張・紀州は、梅の名所である。
1)水戸藩
2代願主:水戸光圀は西山荘で梅の木を植えた。
 9代藩主:水戸斉昭烈公が、花は風流、実は非常時の保存食として
   植樹を積極的に行った。
 ・天保13年(1842)「偕楽園」を造らせた。
偕楽園・・身分の上下のへだてなく「偕に楽しむ梅園」として
   造園した。
   園内には藩主の休憩所の「好文亭」がある。
早咲きから遅咲きまで種類も多くある。
  現在、???種。(忘れた。)

箕輪初心★7月の水戸偕楽園&徳川斉昭公
http://53922401.at.webry.info/201403/article_3.html

2)紀州藩
  徳川家康の10男:頼宣が名古屋から和歌山に赴いた時、
  家老:安藤帯刀(たてわき)が、貧困な土地にも生育する梅づくり
  を奨励した。
 飢饉対策・領民の健康増進政策の一貫であった。

箕輪初心●『桜満開の和歌山城』=桑山→浅野→徳川
http://53922401.at.webry.info/201304/article_3.html

3)尾張藩
名古屋城内に梅が植えられた。
現在 約100本ある。

箕輪初心●愛知【名古屋城6回目写真集後編】
http://53922401.at.webry.info/201205/article_30.html

◎)湯島天神「お蔦の梅」
  梅祭りを2月15日から3月15日まで開催している。
  現在 境内の梅の木は400本程ある。


江戸時代中期  梅肉エキスは初めて登場する 。
 (★『諸国古伝秘方』:衣関順庵著)
江戸幕府が梅を植えることを奨励した。梅の品種改良が進んだ。
 梅干や梅エキスが作られ始めた。
 農民・町人にも広く食べられるようになった。
 江戸では、冬が近づくと、梅ぼし売り・納豆売り・豆腐売りなどが
 街を呼び歩いた。そして、冬を告げる風物誌となった。
 大晦日や節分の夜になると梅干に熱いお茶を注いだ「福茶(ふくちゃ)」
 が飲まれていた。
この頃はまだ、「梅干しのしその葉で漬け」はなかった。

「梅が香に のっと日の出る  山地かな」  芭蕉
 ★深川の芭蕉の家にも梅があった。


・明治時代
・明治10年(1877)〜20年(1887)
コレラや赤痢が全国的に流行した。
 「梅干し」は予防・治療に用いられた。

・明治27年(1894)〜 日清戦争
「梅干し」は戦争への携行品であった。

・明治37年(1904)〜日露戦争
「梅干し」は 重要な軍糧として活躍した。
★「梅干し」のおかげで勝ったようなもの・・嘘だよ。

◆時は流れ〜〜〜〜
上記ブログで、箕郷梅林の歴史を見てね。


・戦争中・・・日の丸弁当だった。
        弁当を持ってこられない家もあった。
  

・平成26年(2014) 11月25日の統計
全国結果樹面積は、 16,200ha
全国の収穫量は、 111,400t
1位・・・和歌山県の収穫量は、 71,400t
2位・・・群馬県の収穫量は、  5,400t
(箕郷・榛名・秋間で8割を占める。)
3位・・・奈良県の収穫量は、  2,750t
4位・・・長野県の収穫量は、  2,190t
5位・・・三重県の収穫量は、  1,870t
(★『農林水産省の統計調査』)

●和歌山「南部梅林」がbPかなあ?
  南部梅林は南高梅の実を採る生産梅林である。
 「紀の川」下流域の平野部〜「紀の川」中流部の川岸の40度以上
 の傾斜地にも梅が作られている。・・・★梅農家って大変。
 重労働の上、怪我人も多く出ているのであろう。
 年寄りが生産を担っているのであろう。 
 梅の加工場・販売所が儲けるだけであろう。


・現在 梅は梅干や梅酒だけでなく、梅風味のお菓子、梅ジュース、
  梅ドレッシングなどに使われている。


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◆参考文献
・『梅干しは超天才食品』川村賢治著

・『梅の神秘』松本絋斎著
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
春のおとずれ、野山がにおふ季節になりました
お体は大事なかったでしょうか
梅にまつわる歌って、桜よりかなり多いんですね
気になったのが柳に関する歌、私もまねて作ってみました

「ぬくとめる 風にさそわれ あおやなぎ
         花も実もある 箕輪の梅里」

こちらはお城の先生に直してもらった歌

「霞野や 紅とふくらむ 梅が枝の
       匂いほのかに 咲くもくちおし」

                 岡 宗春

 また時間のある時によらせてください
棟治
2017/03/09 11:36
風流ですね。また、来てください。
4月は入院が10日近くあるので、電話ください。
大学院も始まります。
棟治様へ
2017/03/10 11:21

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