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zoom RSS 箕輪初心▲井伊直虎・直政57番外編【伊達政宗の叔母:二階堂大乗院】 

<<   作成日時 : 2017/03/27 10:15   >>

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伊達晴宗の長女で輝宗の姉である。伊達政宗の叔母にあたる。須賀川
城の二階堂盛義の正室となり、阿南方(おなみの方)と呼ばれていた。
夫:二階堂盛義が亡くなってから大乗院と称した。大乗院には2男1
女の3人の子供があった。長男:二階堂平四郎は蘆名の養子:蘆名盛
隆、23歳で暗殺された。次男:二階堂行親は13歳で死去した。長
女は岩城常隆(大乗院の実際の甥)の正室となったが、後、伊達成実
の妻になった。大乗院は甥の伊達政宗は大嫌いだったようである。
画像


 
【1】 伊達晴宗と正室:久保姫(岩城重隆娘)の子ども
  →長男:岩城親隆(岩城重隆養子)→岩城常隆(大乗院長女が妻)
   長女:阿南姫(二階堂盛義の正室)→2男1女
   次女:鏡清院(伊達実元の正室)→伊達成実
次男:伊達輝宗(妻が最上義光妹:義姫)→伊達政宗
3男:留守政景
   4男:石川昭光
   5男:国分盛重
   6男:杉目直宗
   3女:小梁川盛宗の正室
   4女:彦姫(蘆名盛興室→蘆名盛隆室)、
   5女:佐竹義重の正室

箕輪初心:生方▲井伊直虎・直政52番外編【母:最上の義姫と
子:伊達政宗】
http://53922401.at.webry.info/201703/article_16.html



【2】二階堂盛義と阿南姫(大乗院)の子ども
1)長男:二階堂平四郎は蘆名盛氏の養子
    正室:彦姫(伊達晴宗の娘=阿南姫(大乗院)の妹
          伊達輝宗養女)
   子
    亀王丸
    娘:相馬利胤正室:江戸崎御前
   養女:蘆名盛興の娘・・・蘆名義広正室:小杉山御台
   養女:蘆名盛興の娘・佐竹義宣側室:岩瀬御台(
2)次男:二階堂行親13歳で死去・
3)娘:岩城常隆の正室→:岩城政隆
伊達成実の後妻
 
【3】佐竹義重の子ども
 妻・・・正室:伊達晴宗の娘(宝寿院)・側室:細谷氏
 子
 長男:佐竹義宣
 次男:蘆名義広
  長女:江戸実通室(後、高倉永慶室)
  3男:岩城貞隆・・・・岩城家継承
  4男:岩城宣隆・・・・亀田藩2代
  5男:佐竹義兼
  6男:佐竹義直
  養女:岩城常隆側室・・(大乗院長女が正室)




【4】伊達晴宗の長女:阿南姫、後二階堂大乗院の生涯
・天文10年(1541) 伊達晴宗の娘:阿南姫(おなみひめ)が生まれた。
  
・弘治年間(1556〜)? 伊達晴宗の娘:阿南姫(おなみひめ)
   が須賀川城主:二階堂盛義へ嫁いた。

・永禄8年(1565) 二階堂盛義が蘆名盛氏に敗れて臣従した。
 
・永禄9年(1566) 長男:二階堂平四郎7歳が蘆名盛氏の人質として
会津黒川城に送られた。
長女は戦国大名岩城常隆に嫁している。

・天正3年(1575) 蘆名盛氏の後継(世子:せじゃ):蘆名盛興が死去
  したことにより、二階堂平四郎が当主:蘆名盛隆となった。
 
・天正9年(1581) 夫:二階堂盛義が病死した。
   尼となり大乗院と号した。
   家督は次男:二階堂行親が継いだ。
 
・天正10年(1582) 二階堂行親13歳が急死した。
   阿南姫=大乗院が須賀川城主になり領内を統治した。
 
・天正12年(1584) 10月 長男:蘆名盛隆が黒川城内で
  寵臣:大庭三左衛門に暗殺された。享年23。
  家督は生後1ヶ月の息子:亀王丸が継いだ。
  亀王丸の母:彦姫(大乗院妹)が隠居した兄:伊達輝宗の後見
  を受けて蘆名氏をまとめることになった。

・天正13年(1585) 弟:伊達輝宗が亡くなった。享年42。
蘆名家が衰退した。

・天正16年(1588) ▲郡山合戦
   二階堂大乗院が蘆名・相馬連合軍の一員として派兵した。
 ・天正17年(1589) ▲摺上原の戦い
   甥:伊達政宗が蘆名氏が滅亡させた。
   伊達政宗は幾度となく降伏を薦めた。
   大乗院は頑強に拒否した。佐竹氏・子どもの岩城氏の援兵と
   ともに防戦した。
   10月 須賀川城は落城した。
   伊達政宗が信夫郡杉目城(大仏城:福島市役所)で厚く遇した。
   大乗院は甥:岩城常隆を頼って赴いた。
 ・天正18年(1590) 甥:岩城常隆が死去した。
   甥:佐竹義宣の下へ身を寄せた。
 
・慶長7年(1602) 佐竹家の転封に伴い出羽国:久保田城に赴く途中、
   須賀川付近で病が重くなり死去した。享年62。
   戒名は大乗院殿法岸秀蓮大姉である。
   墓所は須賀川の長禄寺である。

  ※須賀川の二階堂旧臣は大乗院を長禄寺に住居を建てて住まわせ
   手厚く看病したとのことである。
    六月十四日、四十二歳で波乱の生涯を閉じたという。
   長禄寺に大乗院の墓があり、法名は大乗院殿法岸秀蓮大姉である。 
(★『須賀川市史』)
  ★42歳説は間違いである。


【3】二階堂大乗院の長女〜〜〜子孫など
・天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻撃
  岩城常隆が豊臣秀吉に参陣することで所領を安堵された。
  7月22日、岩城常隆が病に倒れ、鎌倉で死去した。享年24。(
 
  岩城常隆に嫁した二階堂大乗院の長女は常隆が亡くなったあと、
  一子:岩城政隆(幼名長次郎、隆道)を生んだ。
磐城平城は佐竹義重の3男:岩城貞隆(実母は大乗院)が
  岩城家を継いだ。
  大乗院の外孫:岩城政隆は伊達政宗の許に戻った。

  岩城政隆の母:二階堂の長女:岩城御前は、伊達政宗の命に
  より伊達安房守成実に再嫁した。
  
・慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
岩城貞隆は東軍方になったが、長兄:佐竹義宣に従って徳川家康
  の会津攻撃への参加を見合わせたため、改易された。

  兄:蘆名義広、弟:多賀谷宣家は長兄:佐竹義宣の家臣となり、
  久保田藩(秋田)へ行った。
  岩城貞隆は岩城家再興を誓って江戸で浪人した。

・慶長12年(1607) 岩城政隆18歳は伊達政宗に仕え1000石を給
った。

・慶長15年(1610 ) 岩城政隆21歳は伊達姓を許され、伊達一門
  岩谷堂伊達家となった。
  
・慶長16年(1611) 岩城御前は伊達成実の子:小僧丸を産んだ。
   
・慶長19年(1614) 伊達小僧丸が4歳で早世した。
伊達安房守成実は養子を養子:伊達政宗の9男:喝食丸(伊達宗実)
を迎えた。二階堂大乗院の長女:岩城御前が養育した。


・元和9年(1623) 岩城吉隆は出羽亀田へ政庁を移し、亀田藩が成立した。
(現秋田県由利本庄市)

・寛永5年(1628) 亀田藩初代:岩城吉隆が佐竹家の養子に入ったため、
  叔父の岩城但馬守宣隆(多賀谷宣家)が2代藩主となって岩城家を
 継いだ。 
 
・延享2年(1745) 5代藩主:岩城隆韶の死去により、
岩堂家伊達家の子孫:伊達隆恭が後に岩城氏に入嗣して
  亀田藩主(現秋田県由利本庄市)になっている。
  亀田藩内では岩城隆恭に従って新たに亀田藩に入ってきた伊達家
  からの家臣と、旧来の岩城家・佐竹家家臣による権力闘争が起こ
  り、さらに本家の出羽久保田藩との抗争も起こった。
  苦難が続いた。

箕輪初心:生方真田丸102【28話「「受難」のあらすじ】&
▲『亀田城&真田幸繁5女:お田の方』
http://53922401.at.webry.info/201607/article_15.html

箕輪初心●秋田由利本荘【高城&亀田城&天鷺村】亀田2万石
http://53922401.at.webry.info/201205/article_6.html
★真田幸村の5女:なほ:御田姫が岩城宣隆室:亀田城(秋田県)

箕輪初心●秋田【久保田城】=土造りの100名城
http://53922401.at.webry.info/201205/article_7.html
 ★兄:佐竹氏の城

箕輪初心▲埼玉騎西【多賀谷氏館】&多賀谷一族の歴史
http://53922401.at.webry.info/201408/article_23.html







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